昭和呪術師 神林稲子の霊媒旅行記〜花姫伝説の巻〜
小谷杏子
寒風の章 湯花〜ユノハナ〜
壱・足駄をはいて首ったけ
〽はなひめさま はなひめさま
まっちろおべべでどこいくの
あっちはおやま
こっちはおがわ
あなにもぐって とんからちゃん
おはながわいた とんからちゃん
のどかな村の入り口で、子どもたちが歌いながら走り去っていく。それを追うでもなく、
「はなひめさま、ねぇ……」
ここまで来るのに片道三時間を要したものだから、すでにくたびれている。
艷やかに真っ黒なショートヘアーをスカーフで巻き、寒さを凌ぐも山間の風はとにかく厳しい。
「あーあ、
露頭に迷うも束の間で。唐突に背後からとん、と肩を叩かれた。
「お姉さん、観光の人?」
振り返るとそこには、黒い外套に詰め襟服のいかにも学生といった青年がにこやかに立っていた。
「やだ、こんなところでナンパぁ? 百年早いのよ、坊や」
「違いますよ」
すぐに返ってくるふてぶてしい答え。稲子は唇をとがらせた。
「じゃあなんなの」
「いえ、芙美子さんの名を呟かれていたので、彼女を知っておられるのかと」
他人の声を盗み聞きするとは行儀の悪い男だ。でも、都合がいい。
稲子は不機嫌顔を即座にニヤリと笑わせ、トランクを指さした。
「ふうん? あ、ねぇ、これを野間屋まで運んでってくんない? 今夜の宿はそこだから」
「えぇ。お安い御用ですよ。僕も野間屋に泊っているもので」
そうあっさりと言い、彼はトランクをひょいっと持ち上げる。そして、下駄をかろころ鳴らして先を歩いた。
こいつは便利だ。変なやつかと思えば、聞き分けのいい好青年。
稲子は手ぶらで軽やかに靴底を鳴らしながら彼の背中を追った。
山は雪化粧を施しており、村のあちらこちらから白い綿湯気が沸き立っている。
濡れた石畳と古い木造の宿屋が静かに生きる温泉地。十数年前の戦争ではたくさんの人々が疎開し、今ではこの地に棲家を移している者もいるという。
「年明け間もないですからね。この時期、観光客はいないみたいで。だから僕以外にもお客がいるのが珍しくって」
青年はベラベラよく喋る。そのたびに白い息が目の前を曇らす。
「アタシはちょいと頼まれごとをされちゃったのよ。でなきゃ、こんな辺境に来るわけない」
「都会みたいにゴミゴミしてなくて、いいですよ~。あ、ここです、ここ」
旅館、野間屋は大きな玄関がどっしりと立派な一級宿。稲子は「はぁー」と感嘆の声を漏らした。
橙の提灯が玄関の脇に吊るされ、のれんには「野間屋」と角張った書体が描かれる。二階建て。三角の瓦屋根が丈夫そう。せり出した窓がバルコニーを思わせる。場所も坂の上にあるので、景色がよく見渡せるだろう。
「結構いいところじゃあないの。芙美子ちゃんったら、相変わらず抜け目ないわぁ」
「芙美子さんとはお友達なんですか?」
荷物持ちの青年が問う。稲子は腕を組み、玄関に仁王立ちして頷いた。
「そ。中学校の。急に手紙を寄越したと思ったら結婚するとかなんとか……あ、きたきた」
ガラス戸から女性の影が見えた。戸が開かれればセーターを割烹着で包んだ風貌で現れる。稲子のくっきりな化粧と大違いで、全体的に柔らかな印象の彼女こそ、旧友の下田芙美子だった。
「イネちゃん! きゃはー! 久しぶりぃー!」
はしゃぐ彼女を抱きとめる。稲子は呆れ声で笑った。
「はいはい、イネちゃんが来たよ~。久しぶりねぇ、芙美子ちゃん」
中学校以来、およそ五年以上は会っていないが、容姿も雰囲気も変わったところはない。
しばらく再会の抱擁をし、やっと離れたところで芙美子は、こちらをきょとんと見ている青年に気がついた。
「あら、
「いえいえ。芙美子さんの珍しい一面が見られて良かったです」
調子のいいことを言う。
すると、頼んでもいないのに芙美子が嬉々として紹介した。
「この方は見弦矢
「いやぁ、学生って言っても留年しっぱなしで。嫌になったから旅をしているだけです」
そう言いながら、見弦矢は芙美子をちらちらと見ていた。成る程。彼はどうやら芙美子に気があるらしい。
稲子は口元を三日月のように笑わせ、小首を傾げた。
「アタシは
芙美子が余計なことを言う前に素早く自己紹介だけしておく。
神林稲子という名は屋号だ。本名を知っている芙美子にあれこれ喋られては仕事に影響が出てしまう。紹介もそこそこに稲子は旅館の中を見やった。
「ねぇ、芙美子ちゃん。寒いから入れてもらえない? 凍えちゃいそう」
「あ、ごめんなさいねぇ。ついつい。さぁ、どうぞ」
明るげに招く芙美子に対し、稲子は疲労の溜息を吐いた。
***
見弦矢と別れ、芙美子と彼女の婚約者である野間
八畳の部屋はこじんまりと居心地がいい。冷えた間に芙美子がストーブを焚き、多一郎が部屋の中を案内する。齢は芙美子よりも一回り上か。目が細く、虫も殺せぬような温和な男だ。
「しかしまぁ、芙美子のご友人がこんなにお綺麗な方とは。華がありますなぁ」
「でしょう? イネちゃんは学校イチの華だったのよぅ。でも、私だって可愛いでしょう?」
「そりゃあ勿論。芙美子が一番だよ」
「もう、多一郎さんったらぁ」
幸せそうで何よりだが、稲子は二人の仲睦まじさには目もくれず。厚手のコートを脱ぎ、フレアスカートを揺らめかせ、部屋の隅々を調べる。
そもそも、ここへ来たのは芙美子から依頼されたからだ。
彼女は結婚するにあたり、多一郎の家業を手伝っている。しかし最近、夜中に不審な影を見るのだと言う。
いや、影と言うよりは怪異だろうか。
眠りの際、決まって部屋に
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