第4話 明けの明星(2)

「その話、詳しく訊かせてもらえないかしら?」

「えっ、な、な、何?」

 気付くと俺の後ろには、お隣さんのサカサカイさんが立っていた。


「ねぇ、佐倉君」

 彼女は表情を微動だにせず、薄い桜色の唇から澄んだ声で俺の名を口にした。


「は、はい! な、なんでしょう、サカサカイさん?」

「サカサカイと書いて酒々井しすいよ」

 そう言うと彼女――酒々井直しすいなおは、むーっと恨めしそうに目を細めて氷の様に冷たい眼差しを俺に向けた。

 酒々井の目力に圧倒され、俺は思わずたじろいだ。石にされるかと思った。


 俺は常日頃この酒々井直を眺めるのが好きなのだが、なにせ会話をしたのが俺が落としたシャーペンとか消しゴムを拾ってもらって「はい、どうぞ」「ありがとう」のやりとり程度。

 それ故、彼女の名前を呼んだこともなかったし、さほど重要視していなかったのだ。なんともひどい話だな! ワッハッハ!


「あなたのお父さん……もしかして佐倉航さくらわたるさんというお名前じゃないかしら?」

「え……そうだけど、知ってるのか?」

「嘘……」

 そう言って彼女は口を手で押さえ、目尻の垂れ下がった目を見開いた。


 なんなんだ、この子?

 事態が呑み込めず、俺は呆気あっけに取られていた。


 そして彼女は瞳を輝かせながら急に俺の両手を取ったもんだから、俺の頭は一層渾沌こんとんと化した。

 なんかめっちゃすべすべするぅー! これ本当に俺と同じ細胞の集合体なのか? いやいや、嘘でしょ。きっとお砂糖、スパイス、素敵なものをいっぱいでできてるんでしょ。

 ってか、ほっぺすりすりしたい。


「佐倉君、私はあなたを探していたのかもしれないわ」

 彼女の放った一言は教室をざわめかせた。

 千葉が俺の隣で苦笑を浮かべている。


 どういうこと? 俺はこんな公衆の面前で告白されているのか?

 そうか、これはあれか、罰ゲームか何かだ。

 そう思いたいところなのだが、いかんせん酒々井はいつも一人で物静かに本を読んでいる子なので、正直それは考えづらかった。


「えっ、ちょちょっ、ちょとっと待って。しずえさん。お、落ち着こう、一旦」

「一番落ち着くべきなのは、あなただと思うのだけど」

 ごもっともであった。反論の余地など無い。

 酒々井はジト目でなんだこいつ、って感じで俺を見つめていた。


「あ、あの……えっと……お、俺にも心の準備があるというもので……」

 俺の頭の中は真っ白けっけだった。ちょうど目の前で俺の手を握ってる彼女の透き通る肌の様に。


「準備? 何のこと?」

 酒々井は小首を傾げ、きょとんと俺を見つめた。


「いやだってほら、なんとお返事をすればいいのやらっていうかさ……」

 俺も君を探していたのかもしれない、とか言えばいいのかな。ちょっと気障きざすぎか?

 いやいや、っていうかこんなクラス中の視線を集めてる中で返事なんてできるわけがない。あーもー、誰か助けてー!


「何を言ってるの? まぁいいわ。佐倉君、あなたに頼みがあるの」

「え……? 頼み?」

「ええ。あなたのお父さんに会わせて欲しいの」

 おいおい、何を言っているんだ。過程をすっ飛ばし過ぎだ。

 むかしむかし、あるところに住んでる桃太郎が鬼を退治しましたとさ、くらい飛ばし過ぎだ。


「で、でも、そんないきなりはちょっと……ほら、そういうのって段階を踏んでいくべきっていうか、まずはお友達からといいますか、その……」

 まるでちょっと強引なイケメン男子が壁ドンしながら奥手な清楚系女子に迫る胸キュンシーンの様だ。ところが残念、男女逆なのである。


「何なのあなた、さっきから。釈然としないわね」

 酒々井は俺をきっと睨んだ。

 っていうかさっきからそんなに睨まないでよ。君のせいで新しい性癖に目覚めちゃうよ? いいの?


「ねぇねぇ、ヒロくんまだぁ~?」

 栗色の髪を左右でツーサイドアップにした女子が、耳に輝く星型のピアスを揺らしながらやって来た。

 彼女は稲毛浅海いなげあさみ。千葉真央の彼女だ。後者の彼女はSheじゃなくて、ガールフレンド(マジ)のほうね。


「ごめんね、あさちゃん。あのぉ、酒々井さん? 佐倉君は今、俺と話してたところなんだけど……」

 千葉が口を挟んだ。

 助かった! 俺は蜘蛛くもの糸をつかむが如く、千葉に乗っかる。


「そうそう! 今日、俺と千葉で砧公園にミステリーサークルを見に……あっ」

 やべっ。これ言っちゃダメなやつだったか?

 と、俺は千葉を見ると「あーあ、やっちゃったよー」みたいな顔で明後日の方向を見ていた。


「ミステリーサークル……? もしかしてこの前、喜多見で目撃されたUFOのものかしら……」

 酒々井はそこで俺の手を解放すると千葉のほうを向いた。

 俺の手は力無くぶらんと垂れ下がった。少々、名残惜しい。


「あ、酒々井さんも知ってるんだ?」

「ええ。この前、ネットニュースで見たから」

「なるほどね~。でも、砧公園に着陸したかもしれないなんて初耳じゃない? 俺の友達が見つけてさ」

 と、千葉は自慢げに語りだした。ひそひそと内緒にしようとしてた様子はもうどこへやら。


「そうね。私は初耳だけど――」

「失礼。僕もそのディスカッションに興味があるんだけども、当然知る権利を行使させてもらうよ?」

 無類の面倒くさい奴、旭正道がにたーっと腹が立つ笑みで背後から現れた。


「東京の上空に浮かぶ謎の飛行物体。突如、東京のど真ん中に現れたミステリーサークル……。実にインセンティブなビッグスクープだと思わない?」

「旭君も興味ある感じ? 来る?」

「当然、答えはイエスだよね」

 旭のパンチの効いた発言も物ともせず、千葉は飄然ひょうぜんと旭を誘ってのけた。

 すごいな、こいつ。きっと生まれ持っての世渡り上手なんだろうな。


「あ、あのさ、ちょっと話戻って悪いんだが」

 ここまで事態を流されるままに見守っていた俺だったが、気掛かりだったことがあったので恐る恐る発言する。


「どうしたの、佐倉君?」

 千葉の応答にその場の四人の顔は俺へと向けられる。


「さっき酒々井さんが言ってた喜多見で目撃されたUFOの詳細を訊きたいんだが」

「おやおや、佐倉君。あのビッグニュースを知らないなんて、君は山ごもりでもしてたのかい?」

 旭がやれやれ、といった顔で俺をあおる。

 まぁ家籠りはしていたのであながち間違いではない。でも言い方がムカつく。


「あ、ああ、最近ちょっと忙しかったもんで、な……」

「詳細といってもねぇ、一日ついたちの明け方に喜多見でピカピカ光りながら飛んでる未確認飛行物体を見たって人がたくさんいたんだって。それでちょっと話題になったんだよ」

 千葉が説明してくれた。一日――俺が道で倒れて記憶喪失になった日か。


 まさかエイリアンアブダクション? 宇宙人による誘拐事件のことだ。

 しかしこのエイリアンアブダクション、全世界で報告が多数挙がっているものの、そのどれもが科学的根拠に乏しい。

 被害者の多くは何らかのショックで記憶障害となり、退行催眠による記憶の呼び起こしでの証言がほとんどなのだが、そもそもこの”呼び起こされた記憶”というものが確かなものではない。


 人間は忘却する生き物だ。

 その忘却した記憶を無理に呼び起こすということは、記憶の混乱を招き、体験していないことを体験したと錯覚することがある。これは一種の洗脳だ、と主張する学者すらいる。


 実際アメリカのある夫婦がエイリアンアブダクションにったとされる事件では、その二週間前に宇宙人が登場するSFテレビドラマが放送されており、また夫婦の証言とそのドラマの内容が酷似していた、という。

 宇宙人の存在を信じている俺からしても、この事件に関しては信憑性しんぴょうせいの欠けたオカルトだと思っている。


「そうだ、これは僕の信頼のおける人脈からのタレコミでね~。コンプライアンス遵守の観点からトップシークレットにしておいて欲しいんだけども」

 勿体振もったいぶる様な前置きをして、旭は語った。


「その後も渋谷、赤坂、秋葉原と相次いで目撃されたUFOの足取りはそこで途絶えていて、現在UFOは千代田区か台東区周辺にあるのでは、とまことしやかにささやかれているね」

「何がトップシークレットよ。それ散々、SNSで拡散されてる話じゃない」

 酒々井が冷静な突っ込みを入れる。


「お~っと、これは感心しないね。ブレストにおいて人のオピニオンを否定するのはナンセンスだよ」

「いつからブレスト形式になったのよ……」

 ひたすらマイペースな旭に酒々井は呆れながらも突っ込みを入れていた。

 この子あんまり喋ってるの見たことなかったけど、結構面白い子だなぁ、と俺は彼女にひそかに興味が湧いた。


「そんなことより千葉君」

 酒々井は千葉のほうを向くと改まった様子で言った。


「私も興味があるのだけど、そのミステリーサークルとやらを見に行くの、付いていってもいいかしら?」

「うん! 勿論、歓迎するよー」

 にっこりと屈託の無い笑顔で千葉は答えた。同じ微笑みでも旭のものとは正反対。


「それじゃあ、俺、あさちゃん、佐倉君、旭君、酒々井さんの五人ね。星乗学園前駅からバスに乗っていくけど、いいかな?」

 なんだ、稲毛も来るのか。いやまぁ来るよな普通。

 千葉の提案に反論する者はいなく、あとは出発進行という流れだった。


 俺はふと拓也はどうしたのだろうか、と気になった。

 彼の机から始まりぐるりと辺りを見回したが、彼の姿は無かった。先に帰っちゃったのかな。


 そんな中、俺はいつからそこに立っていたのだろうか、背後で腕を組み仁王立ちしていた小林先生と視線がかち合う。


「やあ、佐倉」

 威圧感のある声で先生は言った。しかし見た目が可愛らしいせいで威厳なぞ皆無。


「こ、こんにちは……せ、先生」

「悪いことは言わない。余計なことに首を突っ込むな」

「えっ……それってどういう……?」

 小林先生の意味深な発言に俺は疑問をこぼす。


「なに、深い意味は無い。好奇心旺盛なのはいいことだが、危険なことに首を突っ込むと痛い目を見るぞ、と忠告しているだけだ」

「は、はい……」

 盛り上がっていた空気は冷水を浴びせられた様に、一気に静まり返った。


「それじゃ、寄り道しないで帰るんだぞ~」

 そう言い残し、小林先生は二つ結びの髪をふりふりと揺らしながら去っていった。


 俺たちは互いの顔を見合わせた。

 みんな思ったほど暗い顔はしていなく、旭が怪しい薄ら笑いを浮かべたのを皮切りにして皆一様に無言で頷いた。

 そうは言われても、好奇心には勝てないのだ。

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