第3話 明けの明星(1)

 四月四日、木曜日。今日は始業式だ。


 俺はまだ恐怖していた。

 何か学校で異常なことをしてしまわないか、不安で不安でしょうがなかった。

 ふらふらと無意識に徘徊して、どこかでぶっ倒れようものなら俺は確実に”異常者”の烙印らくいんを押されることになる。


 俺は三年生の新しい教室へ入るなり、黒板に貼りだされている座席表で自分の席を確認する。

 廊下から数えて三列目、最後尾。そこが俺の席。

 なんだ、二年のときと一緒じゃないか。ついでに顔触れも変わってない。

 そういえば三年への進級ではクラス替えはしないんだったな。


 席に座り、俺は左隣の席をちらりとうかがう。


 背中まで伸びた長くつややかな黒髪に、目尻の垂れ下がった優しそうな目をしている美少女が真剣な面持ちで文庫本を見つめている。

 名前はサカサカイさん……だったかな、正直うろ覚え。


 俺は彼女を見るのが好きだ。何故なら美少女だから、以上。

 男が美人に目を奪われるのにそれ以上の理由は要らぬ。


「おいす~、すばる~」

「おう、おはよう、拓也たくや

 呼ばれて振り返ると中学時代からの悪友、物井拓也ものいたくやが立っていた。


「最近EGOやってないのん? あんまインしてないっしょ?」

 眼鏡をクイッと持ち上げながら、拓也は言った。


「あー、悪い、ちょっと最近いろいろあってさ」

 俺はあはは、と空笑いをして誤魔化ごまかす。

 最低限ログボだけ貰ってはいるが、今はとても呑気にソシャゲをやれるような精神状態ではない。


「ほほーう。さては昴、俺に抜け駆けしてリア充にちたな?」

「まあな。お布団ちゃんと愛を育んでた」

 悲しいことにこれは事実だ。俺は昨日まで食事と風呂以外、ほぼ自室から出ることができなかった。

 またいつ記憶を失うか、またいつ無意識で表を徘徊するか、そんなことを考えたらとても外出はできなかった。


「マジかよ! 失望しました。お布団ちゃんのファンやめます」

「残念だったな。お布団ちゃんは俺の嫁だ」

 くだらない話だ。だがその、いつもと変わらぬやりとりが今の俺には救いだった。

 決して口にはしなかったが、俺は親友に感謝した。


 やがて教室の生徒が揃い、ほどなくしてチャイムが鳴った。

 俺は窓の外を眺める振りをして隣の美少女を横目で見ていると、前のドアがガラガラと開く音が聞こえて前へと向き直る。


 あれ? てっきり担任の先生が入ってきたのかと思ったが、そこに立っていたのは綺麗な銀髪をツインテールに結んだ小学三、四年生くらいの少女だった。


你们好ニーメンハオ!」

 その少女は謎の言葉を発しながら、我が物顔で教室へ入ってきた。


「ちょ、ちょっと、君? どうしたの? 迷子? 日本語分かる?」

 最前列に座ってる女子、穴川綾芽あながわあやめが慌てた様子で少女に話し掛けた。


你说日语啊ニーシュオーリーイーア!」

「えっ、ちょ……何言ってっか分かんないんだけど……」


 穴川が助けを求める様に、後ろを振り向いたときだった。


「皆さん、こんにちはー!」

「えっ?」

 少女は突然、流暢な日本語を喋りだし、穴川は再び前を向くこととなった。


 そんな穴川の様子を気に掛ける様子も無く、少女は教壇へ上がると教卓の横に立った。

 教卓と横並びになった少女は、それと頭一つ分高い程度の背丈しかなく、おおよそ身長一三〇センチといったところだろうか。


「今日からこのクラスの担任になりました、小林こばやしでーす! どうぞよろしくー!」

 小林と名乗った少女は、ぺこりと一礼したあと黒板に「小林」と書いた。


 教室はどよめいた。


「何、あの子?」

「ドッキリとか?」

「コスプレ幼女が担任とか草」

 誰ひとりとして、少女の言葉を信じちゃいなかった。


 なんなんだ、これは? エイプリルフールはまだ続いてるのか?

 突っ込みどころが多すぎて、俺は信じる信じない以前に唖然あぜんとしていた。


 そして、一人の男子生徒が「これSNSにあげればバズんじゃね?」とか言いながらスマホを少女に向けたときだった。


「うるさあああぁぁい!! 黙れえええぇぇ!!」

 少女はせきを切った様に叫ぶと、左右非対称の赤と青の瞳で生徒たちを睥睨へいげいした。


 それは鶴の一声だった。

 まるで無秩序な猿のおりの様だった教室は一転、台風一過の静けさとなる。


「おい、そこのお前! 今はホームルーム中だ。それを仕舞え」

 少女は無礼なスマホ男子に人差し指を突き立てた。


「は、はい……」

 生徒は大人しく従った。

 さっきまでの騒然が嘘みたいだ。それだけ少女の一喝は並々ならぬ気迫だった。


「私はれっきとした君たちの担任だ。ほら、ちゃんと出席簿だって持ってる」

 そう言うと少女は脇に抱えていた出席簿を開き、生徒たちに広げて見せた。


 生徒たちの名が出席番号順に羅列してある上に「担任:小林」の文字があった。

 この女の子が小林であるかはさておき、どうやら新しい担任が小林先生なのは間違いないらしい。


「失礼します、先生」

「どうした、旭? トイレか?」

 ピンと手を伸ばし、小林先生(仮)の質疑に応答することなく旭正道あさひまさみちがすっくと立ち上がった。


「ジャストアイディアなのですが、先生とのより良いアライアンスを形成するのにお名前を知る、ということが重要なファクターであることはコモンセンスなわけですけども、先生はどうお考えですか?」

 旭はよく小難しい言葉を並び連ねて、自分をデキる人間だと周囲にアピールする、いわゆる”意識高い系”だ。

 普通ならこいつと初対面での会話は失笑するか、さっきの穴川みたいに誰かに助けを請うか、の二択になる。まずまともに会話が成立しない。


「名前? 君たちの名前は全員、把握しているよ」

 しかし小林先生は違った。そしてさらっと言ってるけど、割ととんでもない発言をした。


「いえ。イシューはそこではなく、先生のです」

「私?」

 先生は人差し指を自分に向けたあと、ふむと考え込む。


「ああ、そうか。下の名前が必要なのか」

「理解していただけたようで幸いです」

 先生は俺たちに背を向けると「小林」と書かれた左側に取って付けた様に「由宇」と書き足した。もっとも、小林の字の下に文字を書くだけのスペースが無かったのだが。


「私の名は、小林由宇こばやしゆうだ。一年間、よろしく頼むよ、みんな!」

 なんだかこの人に美術だけは教わりたくないな。


 それから始業式が始まる時間となり、生徒たちは体育館へと集まった。

 新任教師の紹介で、小林先生が登場したとき多少のざわつきがあったものの(俺たちのクラス以外)、それ以外は特に変わったことは無く平和に始業式は幕を閉じた。

 俺たちは改めて、コスプレイヤーみたいなロリっ子が新しい担任であるという事実を肌身で感じさせられた。


 そして帰りのホームルームも終了し、俺は鞄を持って拓也の席へと行こうとしたときのことだった。


「ねぇねぇ、佐倉君。ちょっといいかなぁ?」

 やや茶色にくすんだ金髪をモデルや芸能人よろしくふわっと浮かせたイケメンの千葉真央ちばまひろが爽やかな笑顔で俺に近付いてきた。

 普段は眉目秀麗で凛々しい顔立ちをしているが、笑うと少年の様に可愛く、それがクラスの女子から人気だとか、じゃないとか、知らんけど。


「何か用か?」

 俺はぶっきらぼうに返事をする。

 こいつの様な人生の勝ち組が俺の様な矮小わいしょうな者に話し掛けてくるなど、ろくなことがあろうはずが無い。

 きっとあれだ、コーラ買ってこいよ。ってパシられるんだ、そうに違いない。じゃあ俺、チビビタで。


 千葉が俺に近付き、小声で耳打ちをする。


「ねぇねぇ、小林先生ってめちゃくちゃ若そうだよね? 何歳かな?」

「知らんわ。直接、訊いてみりゃいいじゃん」

 何かと思えば実にくだらない話だった。俺、そういう下賤げせんな話が好きだと思われてんのかな。実にせん。

 いや別にそういう話、嫌いじゃないよ? ただ単にあのロリっ子は俺のストライクゾーンには入らない。


「はははっ、そんな怖い顔しないでよ」

 千葉が俺から離れて、にこにこと腹立つくらいフレッシュな笑顔を振りまく。


「悪いな、俺は生まれつきこういう顔なんです……んで、用はそれだけか?」

「いやいやまさか。あのさぁ……」

 そう言い掛け千葉は辺りの様子をちらと見やると、俺に再び近付いてきた。


きぬた公園にミステリーサークルがあるんだって。知ってる?」

「砧公園ってあの、桜の名所のとこか? ミステリーサー――」

「しーっ! 声に出さないで」

「あ、ああ……ごめん……」

 言い掛けたところで、千葉に制される。


「今日これから行こうと思っててさ、佐倉君もどうかな? 勿論もちろん、興味あるよね?」

「……うんまぁ、ないわけじゃないが」

 千葉はにやりと含みのある微笑を浮かべた。さっきまでの初夏の涼しげな風を彷彿させる笑みではない。


 ――ミステリーサークル。

 農作物や植物が円形に倒される現象で、かつては宇宙人の仕業だとか、UFOが着陸したあとだとか噂されたこともある超常現象。

 だが現在では人為的な悪戯いたずらによるものだとか自然発生したプラズマの渦によるものとする説が主流である。


 俺のことをよく知る者であれば、俺が興味を示しそうなことくらいは想像に容易たやすい。

 しかし俺は父親が宇宙科学の研究者だとか、俺の将来の夢は父の様な科学者になることだとかいったことを大っぴらにはしていなかった。知っているのは拓也と二年のときの担任くらい。


 別段知られて困ることでも無いが、興味本位で絡まれても煩わしいのであまり公表はしたくなかったのだが――

 まぁいいか。この口振りだと、どうやら千葉はそのことを知っているのだろう。そう考えた俺は彼の誘いに乗ることにしたのだった。


「うん、分かった。俺も行くよ」

「よかった~、ありがとー! 流石さすが、科学者は違うね!」

 千葉は満足そうに喜びを顔中に浮かべた。

 やっぱり知ってたのか、こいつ。


「俺は科学者じゃねぇよ。科学者は俺の父親だ」

 そう言ったとき、教室の後ろのドアからつかつかと俺に近付く足音があった。


 もしかしたらそれは、運命の足音だったのかもしれない。

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