第9話 夢のある男

ライブボックスは熱狂していた。

客がアルコールのドリンクを飲み、サウンドが衝撃を放ち、アーティストが輝いている。

人の熱が俺を興奮させる。

熱い。熱い。熱い。

客席が人で埋まり。ライブボックスを埋め尽くす歓声が充満して、ライトがアーティストを照らす。

露出の多い服を着ている女。

刺青を掘っている体格の良い男。

グループで叫んでいる幼い中高生。

ここが俺のバイト先のライブボックスだ。

アーティストのライブが、


「オレンジタイムズ、マジリスペクト!!!」


だった。


「おい! バイト! サボるな、受付でチケットのチェックしろ」


パイセンが俺の肩を掴み、怒っていた。

俺のバイトの仕事は受付でチケットの受け取りだ。

今は勝手に受付から抜け出し、オレンジタイムズのライブに参加していた。


「ショウ! ショウ!! ショウーーー!!!」


「・・・このバカは」


パイセンは持ち場へと一人帰っていった。

俺はアーティストと一緒に仕事をしているんだ。

ライブに参加するのは当然の権利だ。

これが、アーティストの仕事だ。

俺は、マンジカッコいい。

俺、マンジリスペクト。


「皆ーーー!!! オレンジタイムズのライブに来て、マジサンキューーー!!!

 それで、俺たちから重大なお知らせがあります。

 レコード会社のビーンエックスから、俺たちオレンジタイムズはCDを出します!!!」


今夜一番の歓声が産まれた。

ライブボックスで、汗だらけのアーティストが、重大な発表をして、俺は、心が震えた。

上手く、言葉にできない。

そんな興奮を、舞台のアーティストが俺たちにプレゼントしてくれた。

ボックスの客たちは、皆感動に震えていた。

口元を押さえて、涙を流す女。

腕を振り回し、アーティストの名前を叫ぶ男。

スマホで拡散する中高生。

「このバイト、マジリスペクト!!!」

今夜は眠れそうに無い。

俺がリスペクトしているオレンジタイムズが、リスペクトしているビーンエックスからCDを出すんだ。

興奮している頭で、オレンジタイムズが遠くに行くと思ってしまった。

もちろんそれはいい事だし、応援もする。でも、そしたら、このライブボックスでライブするのは減るだろうし、

変なファンだって付く。

オレンジタイムズはファンキーで優しく、誰からもリスペクトされるアーティストだから、その事を当然と思って

はいけない。

ビーンエックスだって、オレンジタイムズをリスペクトされる売り方をしないといけないから、絶対失敗は出来ない

はずだ。

でも、これが出来たら、オレンジタイムズはこのライブボックスだけに留まらず、日本を代表、嫌、世界中からリスペ

クトされるアーティストになる筈だ。

アドレナリンの分泌が止まらなくて、心臓がバクバクと音を鳴らして、俺は涙を流していた。


「ショウーーー!!! ショーーーウ!!! ショーーーウーーー!!!」


興奮が爆発して、俺は叫んでいた。

オレンジタイムズのボーカルの名を、力の限り叫んでいた。


「皆ーーー! マジサンキューーー!!! 皆のおかげで、俺たちはメジャーデビューだぜーーー!!!

 CD買ってくれよなーーー!!! 頼んだぜ! お前らーーー!!!」


「オッケーーー!!!」


叫んでいた。皆んなと一緒に。

オレンジタイムズのメジャーデビュー。

俺は誇らしかった。

俺がリスペクトしているオレンジボックスが日本中の皆に知ってもらえるんだ。

俺は最初のファンだから、新しく出来たファンには指導して、先輩をリスペクトされる存在になるんだ。

責任重大だ。だけど、リスペクトしているから、絶対やってやる。




大学では俺は寝ていた。授業が始まったら五分で寝る。

夜はライブボックスでアーティストと仕事をしているから、大学で寝るのは当然だ。

それに、周りの学生は皆、魂が感じられない。

先生だって魂が抜けている顔をしている。

そんな中で俺一人だけアーティストと仕事をしているんだから、こいつらと同じ事は出来ない。

したく無い。

こんな何が書いてあるかわからない教科書を読むなら、オレンジタイムズをリスペクトした方が、

誰でも魂が入る。

眠りながら、俺はそんな事をぼんやり考えていた。

大学はリスペクトだ! と。

誇りのあるバイトをしているから、その事を思えば簡単に寝れる。




バイトの時間になって、俺は緊張していた。

今日はアンリのライブがある。

俺の好きなアーティストだ。

オレンジタイムズは絶対のリスペクトだけど、アンリは力強さと女らしさがあるんだ。

仕事を一緒にしていて、守ってあげたくなる。

そして、アンリは俺と話してくれる。

アーティストにしか解らない話もするけど、それは強がっているんだ。

アーティストの世界は厳しいから、俺の前では弱さを見せないんだ。

受付でチケットの受け取りをしていて、俺はアンリの事をずっと考えていた。

今夜のライブは成功するか。

客に悪口を言われないか。

一人で舞台に立って怖くないか。

アンリの事を考えていると、俺の脳は暴走状態になってしまう。

リスペクトとは違った興奮だ。

だから、俺は受付を抜け出した。

アンリが心配だから、ライブフロアのドアを開いて、ライブをしているアンリを見つけた。

今夜は女が多い。男女比は2:8だろうか。

アンリは沢山の女性にリスペクトされるアーティストだ。

熱狂するフロアに入って直ぐわかった。アンリのライブは成功だって。

安心した俺は、扉の前でアンリのライブ姿をずっと見つめていた。

汗だらけになったアンリは美しかった。

歌声は美しかった。

ライブは美しく力強かった。

心臓がドキドキする。止まらない。

この場で叫びたかった。

誰にも負けない大きな声を張り上げて


「アンリーーー!!! 好きだーーー!!!」


そう、叫びたかった。

やったら、皆、ドッキリするだろう。

アンリのライブ中に愛の告白だ。

皆んな、きっと、祝福してくれる。

俺もアンリも絶対幸せになれる。

だけど、俺はしなかった。

アンリの真剣なライブを壊してはいけないと思った。

叫びたい気持ちをぐっと堪えた。

アンリのライブが終わるまで、俺は皆の中で、ずっと我慢していた。




「お前、なんで受付の仕事しないの?」


居酒屋にいた。

バイトも終わったから、アンリの楽屋へ行って、俺はアンリを食事に誘った。

返事はOKで俺とアンリは二人きりで食事をしている。


「アンリが心配なんだよ」


アーティストと一緒に食事をするのは、一緒に働いている俺の当然の権利だ。

この居酒屋だって、俺の払いだ。


「へ~~~」


アンリが何かを言いたそうに俺を見る。

俺もチャンスを伺っていた。

アーティストと付き合うには、先ず、お互いの仕事の確認。

次に、マスコミに追われた時の対応。ファンへの挨拶。

アーティストと付き合うのはとても大変なんだ。

でも、俺は大丈夫。

後は、アンリ次第。


「あんたさあ、怒られないの?」


「怒られるぐらい、なんともないさ」


「へ~~~」


アーティストにしか解らない、難しい話だった。

アンリはそれだけ言うと、皿に箸を移している。


「今日のアンリのライブは成功だよ。客が盛り上がっていた」


「ありがと」


料理を食べながら、アンリは素っ気なく返事をする。


「皆んな、アンリの事をリスペクトしているんだよ」


「あ、そう」


黙々と箸を動かすアンリだった。

難しい女だけど、だけど、俺はアンリが好きなんだ。

この気持ちに嘘をつきたくない。


「ねえ、アンリは俺のこと、なんて思っているの?」


「言わなくても、わかるでしょ」


「俺はアンリの口から言って欲しいな」


「帰る」


アンリが突然席を立った。

バッグをかけて、コートを羽織り、出て行こうとした。

俺は何も解らなかった。

会計を急いで済ませて、遠くに行くアンリを必死に追った。


「待って、アンリ! 謝るから! 俺の何が悪かったの?

 お互いの気持ちを確認しようとしただけじゃん」


「ついてこないで!!!」


「謝るから! 許して! 許して!」


「ついてこないでって言ってるでしょ!!!」


「待って! アンリ! プレゼントする! アンリに星をプレゼントするよ。

 大学で勉強したんだ、未発見の星を発見すると、その星に好きな名前をつけていいって、

 俺が誰も知らない星を見つけて、アンリにプレゼントするよ。

 だから、それで許して!」


アンリが振り返った。その目は本気で怒っていた。


「二度と私の前に現れないで」


アンリの本気で怒った姿に、俺は何も言い返せれなかった。

大好きなのに、俺の気持ちが伝わらなかった。

愛が悲しかった。

俺は夜の街で一人ぼっちだった。

こんな気持ちのままアパートには帰りたくなかった。

明日、こんな気持ちのまま、大学にも行きたくなかった。


「俺は・・・俺はあ・・・うっぅうぅ・・・」


「ーーーその願い、叶えて差し上げましょうか」


夜の人混みの中、青いドレスを着た少女が俺の前に立っていた。

髪はブロンドで、流れるようにセットしてある。



「誰・・・」


「わたくし、サーシャと申します。以後、お見知り置きを。

 それで、あなたの願い、叶えて差し上げますわよ」


「俺の、願い・・・」


「先ほどの女性に星を送るのでしょう。

 その願いをわたくしが叶えて差し上げますわ」


人混みがうるさいのに、青いドレスを着た少女の声は耳の奥まではっきりと聞こえる。

場違いな格好をしている青い少女に誰も注目していなかった。


「俺は・アンリに・・星をプレゼントしたい」



「よろしいですわ。では、あなたの願い、確かに承りました。

 そのおつもりで、今後ともこの青い星を導いてくださる事、お願い申し上げますわ

 クスクス。決して、わたくしを退屈させない事、あなたの願いはとても愉快ですから」


鈴の音の様な声が一瞬にして掻き消えた。

意識が何かはっきりして、さっきの青いドレスの少女と話していた時のあやふやさが無くなった。

夜の街で歩いているスーツ姿の男女が俺を訝しんで避けていた。

何か、大切な事があったはずなのに、それが思い出せなかった。

少しして、アンリが怒っていた事を思い出した。

謝らないとと思い、アンリを探した。

俺は。俺は。俺は。

アンリに謝らないと。




俺は大学にいた。

結局、アンリには謝れなかった。

一晩中アンリを探したが、見つからなかった。

これからどうすればいいか、解らなかった。

だから、大学で寝ていた。


「ピーーー!!! ピーーー!!! 災害警報です!!! 災害警報です!!!

 避難してください!!! 避難してください!!! ピーーー!!! ピーーー!!!」


突然警報が鳴り響いて、俺は目が覚めた。

教室がざわめき、魂の抜けた先生も学生も慌てふためいていた。


「先生! この警報はなんですか!! 災害だ! 逃げろ!! 逃げろって、どこに?

 体育館だ! 逃げろ!! 大丈夫なんですか! 知るか! 逃げろ!!」


何か、騒ぎが怒っていた。

警報が大騒ぎして、先生も学生も慌てている。

眠くてぼんやりしていた俺は、その光景をぼんやり見ていた。

構内はどこもかしこも大騒ぎだった。窓の外では学生たちが列を作っていた避難していた。

アンリに会いたかった。謝りたかった。許して欲しかった。

会いに行こうと思った。

足は自然と動いていた。

人混みを避けて、外に出て、大学の外に出ようとしたその時だった。


「ーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」


轟音が世界に轟いた。


空から赤く燃える何かが、落ちて来た。

俺はそれが何か解らなかった。

でも、何かが落ちて来た。

一つでは無く、たくさんの何かが。

人が、車が、建物が。

粉々になって吹き飛んでいた。

俺の目の前で、大学は原型を留めず消し飛んだ。

避難していた先生と学生たちが、粉々になって消し飛んだ。

大学から見えるそびえ立つたくさんのビルが粉々になって崩壊した。


「あ、あああっあっああぁぁああ」


轟音が鼓膜に突き刺さる。

消し飛んだ建物や地面が舞い上がって、粉塵になって目や体に突き刺さった。

地面が揺れていた。全てのアスファルトが割れて、生きている実感が無い。


一瞬で世界が崩壊した。


「あ・ああ・・あぁぁ。アンリーーー!!!」


俺はパニックになっていた。

大学が原型を残さず粉々になり、街が粉々に崩れ、人が人の原型を留めなかった。

この現実が信じられなかった。

ほんの一瞬だった。

その一瞬で世界が崩壊した。


「アンリーーー!!! 返事をして! アンリーーー!!!」


「アンリーーー!!! わああああああーーー!!!」


それから俺は崩壊した街を彷徨った。

人は誰一人生きていなかった。

ビルが、店が、家が粉々に吹き飛び。

道路が隆起してグニャグニャになっていて。

地獄だった。

生きている人に一度も合わなかった。




俺の世界はあの瞬間崩壊した。

それから俺のサバイバルが始まった。

電気、ガス、水道。

全て無い。

食料は街を彷徨い缶詰と飲み物を探して食べている。

俺が生きている証しを証明するため、毎日火を燃やして狼煙を上げている。

風呂には入れなかった。

スマホも電池が切れた。

ネットも無い。

雨に濡れると皮膚が痛んだ。

車は全て廃車で、道路はアスファルトが抉れたり割れている。

住んでいる場所は公園だった。

住める家はもう崩壊していたから、俺は緑のある場所を選んだ。

街を彷徨って、その中で最も被害の少ない公園だった。

ブランコや鉄棒は倒れていたけど、壊れていない土管があった。

テントなんて俺は作れないから、雨に打たれた日、俺は土管に隠れた。

それ以来、俺は土管の中で寝泊まりしている。

夜は肌寒いけど、雨が降っても濡れないし、屋根にもなってくれるから、

俺の住まいは土管になった。

毎日、食料を探しながら、生きている人を探した。

俺が生きているから、誰か一人ぐらいなら生きているはずだ。

そう思って、毎日人を探した。

そんな毎日がどれくらい続いたのか。

俺は痩せこけ、生きるのが限界だった。

そうして、夢を見た。


「あら。プレゼントはお気に召しましたかしら。

 星を送ると仰られたのですから、それはもう、わたくし満足に足る量を送らして貰いましたわ」


(人が、生きている人がいないんだ。街も大学も家も何もかも無くなった)


「人ですって。クスクス。まだわからないのかしら。

 このような惨事ですのよ、人間がどうやって生きれるのかしら」


(俺は生きている人に会いたい。助けてくれ。助けてくれ)


「新たな願いですって。クスクス。

 では、あなたの願いを叶えて差し上げましょう」


(あ・・ぁあぁあ・・・あああぁぁぁ・・・)



「ああああああ!!!!」


強烈な恐怖を感じて、俺は悲鳴を上げて目を開けた。

ここは住み慣れた土管の中だった。

出入り口からは僅かに日が差している。


「はあ、はあ、はあ」


呼吸が荒かった。とても、怖い夢を見た気がする。

あの夢はなんだったのか、思い出せない。

水を飲もうと思って、土管の外に出て、それを見つけた。

巻かれてあるハーブがあった。

なんでこんなものが落ちているのか。

わからなかった。

ハーブはドラッグだ。

リスペクトとは反対のものだ。

どんなにリスペクトでも、ドラッグはダメだ。

だけど。だけど。だけど。

俺は巻かれてあるハーブに、拾ったジッポライターで火を点けた。

舌にとても甘い煙を感じた。

体の震えが止まり、脳が蕩ける。


「あーぁあーあぁぁーああーああぁぁあーー」


リスペクトが俺の全てを支配した。

脳の細胞の一つ一つが、両手両足の指の全てがリスペクトだった。

渇きを感じなくなった。

食欲が無くなった。

俺の全てはリスペクトになった。


「リスペクトーーー!!! リスペーークーーートー!!!」


俺は走り出した。

崩壊した街でリスペクトした。

服が俺のリスペクトを邪魔するから、走りながら脱ぎ、全裸になってリスペクトする。

靴を履いているとリスペクトを感じないから、脱いで放り投げた。

隆起したアスファルトの道路をリスペクトして走った。

倒壊しても一部原型を残したビルがあった。リスペクトだった。

何度もひっくり返って、ボロボロになった車があった。リスペクトだった。

急な坂がある下り道があった。リスペクトだった。

その坂をジャンプして飛び越えようとリスペクトした。

階段と思しき段差に頭をぶつけ、急な坂を転び降りた。

腕の骨が折れ、足が曲がり、血を吐いて、リスペクトだった。

意識がどこまでもリスペクトだった。

最後の最後まで、俺はリスペクトだった。



こうして、人類は絶滅した。

多数の小隕石落下により、地球は歴史に無い壊滅的被害を負った。

文明が滅び、生物は生存出来なくなった。

氷河期が再来し、地球は死の星へと移り変わった。

だが、何故多数の隕石が地球へ落下したか?

その事を解き明かす生物も、議論する生物も、地球に存在しない。

未来永劫存在しない。 

 

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