知恵の雨
「ハイ、別に何をされたわけではないです。ただ、知った子の傘なので」
無事にこの傘を返せることがうれしくて笑った。でも不思議なことが一つ。それをじっと見ていたこの生徒は何なのだろう、逃げてしまえば怒られることもないのに、どうしてここに残ったのだろう。顔を見たが、なかなか端正で、自分の記憶にはない子だ。だが指導員の男性はゆっくりと優しく彼に言った。
「悪い事がかっこよく見えるんかもしれんが、悪い仲間と一緒におって、自分はやってないじゃ通用しはせんぞ。お前、逃げんやったやないか。やめろや、付き合うの。明日朝あいつらに会ったら、俺だけこっぴどく怒られたと言えば、離れていくやろう。悪いことはお前には出来んって、もとが優しいんやから」
知恵と愛情に満ちた言葉だった。
その子は下を向いて徐々に泣き始めた。指導員よりも大きな体で、まるで小学校の低学年のように泣いていた。
そうだ、知り合いなのだ。
少し前からこの方とも話をするようになり
「これを始めて十年になるが、今までのことが本に書ける」
そうおっしゃったのが衝撃的だった。尊敬できると思った。
私はこの彼のことを知らない、でも子供ながらに悩んで苦しんで、逆に叱ってほしくてここに残ったのじゃないかと感じた。涙が尽きたのか嗚咽が止まって、指導員の男性はこう言った。
「何かの運命やな、わしもおるしこの人もおるやないか」そう言って私を見た。その子も私を見たので「え?」としか言えなかった。
「覚えてないんか・・・この子シールをもらったって喜んどったが」
「え? シール? 君に? 」シールはやたら目ったらやってないので覚えているはずだ、すると
「あーこいつ、小学生の時太っとったからな」その言葉で
「は? じゃあ、初めてシールあげたあの太めの男の子? 」
涙目で嬉しそうに頷いた。あの時は戸惑っているようだったので笑顔は見たことがなかったかもしれない。
「君、背も高くて結構イケメンじゃない、ダンスか何かやったら? 」
「やろ? 俺もそう思うんよね、子供の成長はびっくりする、特にこいつは、綿棒で伸ばしたみたいで」
きっと一時間前とは別人のような彼と、三人で楽しく笑いあった。
家に帰ってお風呂にゆっくり浸かり、ベッドに横になった。
「結構イケメンって言ったけど、結構は本人の前で失礼だったかな、でもああなるのか」
そういえば太ってはいたけれど、可愛い顔はしていた。
「綿棒で伸ばしたみたい、よりいいよな」
おかしくておかしくて一人で笑っていた。傘は彼が自分が返すと言ってくれた、ほんの少し不安はあるけれど、次の雨が楽しみになった。
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