第二章11 『オメガコーポとαテック』

 クオーレを多くの人々の手元に届けるためには、研究者の二人だけではあまりに無力、だからその夢を実現するために、彼らは、このコロニーの一流の製造企業オメガコーポに頻繁に訪れていた。


 一流の製造企業とはいえ、最近は目立ったヒット商品を開発することができず、徐々にライバル企業αテックにマーケットシェアを奪われ、今は二位に転落している。αテックのスポンサーは黙示録教団であり、開発にかけられる費用も所詮は民間企業のオメガコーポとは天と地ほどの差があるのだ。


 オメガコーポの社員は今が正念場であり、なんとしてでも目立ったヒット商品を開発し、再びトップシェアに返り咲くために活動している。


 そんななかで、ある二人の研究者が直接提案に持ってきた『クオーレ』という人型のアンドロイドは非常に魅力的な商材と瞳に映った。特に二人の担当についたこの営業部長は。


 営業部長は特に優秀な人間ではない。部長の役職も同期で入った誰よりも遅かったし、プレイングマネージャーとして役職についてもまだ直接営業活動をしているのもうまく部下を扱えていないことが原因かもしれない。


 ただし、愛社精神は社内の誰よりも強く、何とか一位に返り咲きたいと足掻くその情熱だけは本物であった。そんな中で、この二人の研究者が持ってきた『クオーレ』はまさに神のもたらした奇跡のように思えたのだ。


 彼の熱意はこの夫婦を信じようと思わせるだけの熱量があった。とどのつまり営業から買うか買わないかはその営業を好きか嫌いかだ。嫌いな営業であれば、いかに素晴らしい機能を持った製品であれ、屁理屈をこねて粗探しをしてでも稟議書にデメリットを列挙して、稟議を通らないようにする。


 一方で、もし好きな営業であれば。例えばそれが一緒に毎日ゲームするような仲だったり、メイドさんの良さについて朝まで語りあうような仲であれば、稟議書をある程度粉飾してでも、その稟議が通るように頑張るであろう。


 人が人である限り、えこひいきはどうやったって絶対に避けられないのだ。結局は人間は合理的っぽく振舞うことはできるが、本当のところは物事は好きか、嫌いか、心で決めているのだ。その心を無視して、交渉事など行えるはずもあるまい。


 そういった意味で、当初この営業部長と面会した時に二人の研究者は、その能力に疑問を持ちもしたが、その人柄が好ましいものだと感じるようになり、彼を信じようと決意した。また、なんとしてでも技術を独占したいと考える彼は、この二人の研究者とNDA守秘義務契約を結び、『クオーレ』に関する技術はすべて販売されるまで秘匿されることとなった。


「はい。このクオーレはプロトタイプモデルです。インタラクティブコミュニケーション型のアンドロイド。部屋のお掃除から、料理から、介護までなんでもこなす人間の友達ですっ! なんなら営業部長殿のご機嫌を取るために肩だって揉みますよ! はっはっは」


「うむ。ですがねぇ、研究畑のご夫妻にはあまり想像がつかないかもしれないが、製品の大量生産には莫大なお金が掛かるのですよ。製造コストの他に、マーケティング費用に、倉庫管理費用、流通コストその他もろもろ。その費用を回収するためにはですね、製品には明確なキャッチポイント、つまりは顧客の心にズドンと突き刺さる何かが必要なのですよ、つまりはですね……そのですねっ……私の言っている事の意味は理解していますか? ほら、前回の打ち合わせの際にちらっとあなたがお話していた、あの件ですよ! 弊社としては是が非でもアレを新製品のセールスポイントにしたいのです!」


 この50半ばを過ぎた営業部長は、ちらっ、ちらっと夫婦の方に目線を送る。まあこういう不器用なところも彼の美点と言えるかもしれない。とはいえ、……不器用過ぎて稟議書の完成度が酷すぎたので、営業部長が作った稟議書を徹夜で研究者の二人が書きなおすはめになってしまったのだが………。


「はは。例の件ですね。当然ですよ。営業部長殿と我々の仲なのですから、そこは言葉を濁さずズバッと言ってくれれば良いんですよ。もちろんですっ! 性交渉の機能は、パーフェクトに完備しています。パーフェクト以上のパーフェクト。それこそ、四十八手なんでもござれ。古今東西の変態プレイ、旧世紀に行われた禁断のプレイに対応可能。なおかつ性交渉は一切厳禁のストイックラブラブ恋愛モードまで完備してますよ。なおストイックモードでも添い寝までは可に設定しています」


「す……素晴らしい……ストイックラブラブモード。それは、膝枕もしてくれるのかにぇ? たとえば、膝枕をしてもらいながら耳かきしてもらったり、膝の上で顔を動かしたら『もう……くすぐったい。ぽっ』なんていうあまあまラブラブモードも完備しているという認識で良いのだろうかっ?!」


「ふふふ。当然でしょう。神代の頃より膝枕と言えば耳かきは切っても切れぬ関係です。なお、膝枕モード時には純情モード、ツンデレモード、猫耳モード、ビッチモード、JKモード、JCモードなんでも対応っ!…………分かりましたか営業部長殿? これが完璧を超す完璧デスッ!」


「……なる……ほど。私の失われた青春がついに戻ってくるのだね。もう、私に現世の悔いは無い。明日にでも死んでも良い。JKモードで膝の上で耳かきをされながら逝くのだ………もちろんその時は私も倉庫に眠る制服を着よう……………わが生涯に一片の悔いなしいっ!!」


「いや、営業部長殿、そこは製品が発売するまでは頑張りましょうっ! ちなみに、どんな体位も対応可能! 我慢して紅潮顔からのお漏らしも可。どんなニッチな変態プレイであれいかなる需要に応えることができますよ。ここには書けないあんなプレイやこんなプレイ。禁断のプレイなんでも対応可能。とても口では言えないプレイまで対応しておりますので、詳細は別添資料23頁をご覧ください」


「ほうほう、23頁っと…………っやっば!………凄ぇな。これ。旧世紀人のモラルっていったいどうなってたの? ちょっと頭おかしいんじゃいのかな? まあ、私は発売当日に当然買いますが」


「ぷぷぷ。営業部長殿。口調が崩れていますよっ! ちなみに所有者の呼び方は『お兄ちゃん』にも『ご主人様』にも『旦那様』でもなんでも対応します。何とそのパターン数は108パターン。これは別添資料136頁をご覧ください」


「おお、ヤンデレモード。いいじゃないか。それにしても……異世界語モード、エスペラント語モード…………コズミックホラーモードとかなんか、凄いな。本当に需要があるのか、これ?」


「あるんですよ………これが。人間の業は深いですからね。あと、ほら触ってみて下さい。肌もどんな人間の肌よりもすべすべですよ。きめ細かくて絹のような肌触り。触り続けてたら気が付いてたら朝になんてことにもなりかねない肌触り。いかがです?」


「ふむ………。すべすべですな。確かにこれは良いものだ………。………成功報酬の件なのだけどね、………宣伝などの広告費も馬鹿にならないのだ。だから君たちに還元できる報酬は、そのだな………利益の1割程度になるが、それでもかまわないか? 実は上長から稟議書のハンコを押してもらうための条件が、そのようになっていてですね。…………社内事情まで話してしまって、ごめんなさい。この条件で大丈夫ですかね?」


「正直なところ、利益の3割くらいは貰えると思っていましたが、仕方ありませんね。わっはっはっは。さすが、営業部長殿は交渉上手だ。だてに営業を50半ばまで続けていないですね。あなたの押しの強さに負けましたよ」


「ふひっ………。それでだなこれも言いづらいのだが、製品化時の正式名称は『セクサロイド』で構わないか? あまり格好良いネーミングや長い名前を付けると売れないんだ。一目で直感的にパッと分かるネーミングじゃないと買ってもらえないのが現実だ。ダサいネーミングだとは思うが我慢して欲しい。私だって、イロアスとか、フィロソフィアとか格好良いネーミングを考えていたんだ。だけど、そういうピンとこない製品名だと売れないんだとマーケティング部門に却下されてしまった。だからとても、ダサいが我慢して欲しいっ!」


「ふふふ。営業部長さん、私はゴリゴリの営業さんかと思っておりました。意外にロマンチストだったのですね。はい、もちろん良いですわ。元よりマーケティング的は私達、夫婦の専門領域外ですので、あなたにお任せしますわ。私達夫婦はあなたを信じ、私の子供たちをあなたに委ねます」


「むぅ。それではここにお二人の署名を願います。製品名は男型を『セクサロイド-Y01』、『女型をセクサロイド-X01』として売る予定です。バージョンアップ毎にこの『01』の数字が増えていく予定。………売れたらの話ですが。まぁ………ネーミングセンスについて文句は言いたいでしょうが、これが、売れるネーミングなので我慢して欲しいです。………本当に私としても一般大衆のセンスの無さには忸怩たる思いですよ。マーケティングもセンスを理解しない者しかいなくて恥ずかしい限りですよ」


「ふふふ。気にしていませんわ。むしろ営業部長さんがロマンチストだったことの方が意外ですわ。それでは、あとはオメガコーポにお任せしますわ」


 人間の世界の交渉ごとは大変だ。表と裏を使いこなして自分にとって有利な条件を引き出す。この営業部長の目的はオメガコーポを不死鳥のごとくシェア一位に蘇らせること。そして利益を最大化すること。


 パパとママはその利益の部分を簡単に譲歩することで、クオーレの兄弟たちの大量生産という最終目的を達成してしまった。交渉はどちらか一方が勝つのではなくて、お互いにとって最善の着地地点を探る行為である。これだけ機械化が進んだ今も営業が必要とされるのがこの辺りの事情によるものである。


 それに、クオーレはパパとママが営業部長と打合せをする前に、どうすればクオーレの兄弟達の大量生産を実現できるかの交渉時のロールプレイを何度も繰り返し見て知っている。


 何故なら、クオーレのパパとママの本当の目的は、クオーレの兄弟たちが人々の手に渡ることによって、人間が心の活力を取り戻し、コロニーにはびこる『楽園病』を撲滅することにあるのだから。

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