第二章10 『煉獄仮説と楽園病』

 人類は旧世紀の第四次世界大戦と呼ばれる人類の9割を死滅させることに至った核による戦争を経て、更にその後のポストアポカリプスの苦しい冬の時代を乗り越え、核による汚染された地球から宇宙に新天地を移し再び、人類の繁栄の時代をその手に取り戻した。


 それが、クオーレのパパとママが住むドーナッツ型コロニーである。彼等が過ごすコロニーの名前は『詩編-96』だ。クオーレのパパとママはその研究区画に住んでいる。


「ハローハロー。聞こえていかな、私のクオーレちゃん?」


「ふむふむ。まだクオーレのスピーカーデバイスの調整がうまくいっていないようだね。声帯の周波数調整はなかなか難しくてね。機械的な音声を出すのは容易だけど、人の心をうつような綺麗な歌声を歌えるようにするのは大変なんだ」


「ふふ。綺麗な歌声ね。相変わらずあなたはロマンチストね。科学者というよりもどちらかというと詩人の感性に近いのかもしれないわね。クオーレちゃんと旧世紀のデバイスの接続がうまくいかなかったのかしら? 明日私が再調整してみるわね」


「ありがとう。やっぱり頭の良さでは君には叶わないよ。それに正直、旧世紀の技術は僕の手には余る技術だよ。使えるから使っているだけで、正直内部構造はブラックボックスに等しい」


「大丈夫よ。私達二人ならなんだって出来るんだから」


「そうだね。君と僕で不可能なこと等ないだろうね。だけど、旧世紀の技術は便利だという理由で使ってはいるけど、その動作原理が理解できずに使っている技術がほとんど。………それほどの高みに至った人間がなぜ、自滅の道に至ったのかは僕には分かりかねるよ」


「あらそうかしら? きっとあなたは、旧世紀の人間を高く評価し過ぎよ。きっと、旧世紀の人間も、今の人間も、そして未来の人間も同じ。とても感情的な生物よ。だから争った理由だって、もしかしたら些細な行き違いとか、感情的な問題かもしれないわよ」


 第四次世界大戦という受難の時代を経てなお人間は生き延びた。生息圏を地球から宇宙に移し、人間たちは争いのない平和な生活をするようになった。


 食糧など人間が生存していくために必要な全ての物をコロニー内部のオートメーションロボットが作ってくれるから、人間は単純労働から解放された。だが、高度知的労働と、エンターテインメント産業の分野では人間の需要はあるようで、現に彼らに研究室が与えられているのも、彼らの高度知識を持つからに他ならない。


 そんな中である病気が広まった。それは………心を失ってしまうという病気。それをこのコロニーの人達は『楽園病』と人々は名付けた。無気力になり、言葉に対して機械的な応答しかしなくなる病気。その発症原因は特定されておらず、このコロニー『詩編-96』の内部でも加速度的に増えているのだ。


 この世界では、黙示録信奉者が圧倒的な力を持っていた。これほどまでに黙示録信仰が拡大したのも、やはり自分達は、人類の9割を焼き尽くした第四次世界大戦という『最後の審判』を乗り越えた選ばれた民という選民思想から来ていることは間違いないだろう。


 その宗教的な背景から、心を失った人を神の王国に至った人間だと信じるようになったのである。だから、黙示録信奉者達は『楽園病』に罹患した病人のことを真の意味で永遠の天国に至った者として、祝福の対象にすらなっていたのである。


「それにしてもやっかいね。この楽園病には旧世紀の向精神薬の類が一切効かない。ウィルスや、細菌や、寄生虫の類でないことは顕微鏡をみる限りは間違いないのだけど。その発症原因も不明。空気感染や、粘膜を通しての感染である可能性もなさそうね」


「粘膜を通しての感染、つまり性交渉による感染の可能性は限りなく低いだろうね。少なくとも、今の所の罹患者の過去の経歴を見ると、異性、同性交流ともに経験なしと書かれている。ただ、まだケースが少ないので断定はできないけれど」


「特定が難しい厄介な病気ね。顕微鏡で観測できるものであれば特定できるのだろうけど、その発生条件がいまのところ一切不明。男性、女性、年齢関係なしに発症したら、末期症状まであっという間」


「ほらほら、根を詰めて仕事をし過ぎだよ。コーヒーでも飲んでちょっとは休みなよ。君の大好きな角砂糖を5つ入れた、超あまあまのコーヒーだから」


「ありがとう。………あなたの作るコーヒー、とてもおいしいわ」


「心を失う病。楽園病。そのためのワクチンがこの僕達二人の子供クオーレ」


「そうね。この子が楽園病の人の心を戻す切っ掛けになれば良いのだけど」


「絶対に成れるよ。大丈夫。だってクオーレには僕たち二人の愛が籠っている子供なのだから。きっと、いや絶対に大丈夫さっ!」


「あなたの書いた、煉獄仮説Purgatorium。………とても面白かったわ」


「僕のレポートを読んでくれたんだね。ありがとう。人間には生きるための心のエネルギーが必要だ。それは単純なカロリーでは補えないもの」


「そうね」


「七つの大罪と呼ばれる。人間の根源なる欲求を呼び覚ますことで楽園病の罹患者や、予備軍に生きる活力を与える計画。人間の欲求は確かに過ぎれば人を誤った道に進ませることに繋がるかもしれない。だけど、一方で生きる活力につながるものでもある」


「例えば、傲慢。程度にもよるけど、自尊心や自信は自己肯定感を産み、なにか大きなことをやろうという意欲につながる。最初は裏付けのない自信だって構わない。なにか行動を起こそうというエネルギーになれればいい。行動を起こせば結果はあとからついてくるさ。僕だって、娘を認めてもらいたいという承認欲求があることは認める」


「そうね。憤怒。愛する人を傷つけられて怒らない人は人間とは言えないわ。自分の大切な身近な人や、自分の信じる物を守るためには必要不可欠な感情。これも人間が人として生きるために必要な感情よ。私はクオーレちゃんを馬鹿にした研究者と口喧嘩だってしたことあるわ。ふふ」


「嫉妬。僕は君の頭の回転の速さに嫉妬しているよ。だから、僕は君とずっと一緒にいられるために、努力を惜しまないっ! 人を羨む心は、自分を向上させるための向上心にも繋がる。だから嫉妬だって人には必要な感情だ」


「ふふ。あなたが私に嫉妬してくれているなんて嬉しいわ。怠惰。こうやって、仕事をせずにコーヒーを飲みながら無駄話をしたり、ちょっと羽を伸ばして散歩することで気持ちがリフレッシュされて頑張ろうという活力が得られる。だからこれも大事」


「強欲。例えば僕が君を独り占めしたいというのもぼくの我儘だ。僕たちの子供であるクオーレをみんなに評価してもらいたいという承認欲求だってある。僕達の二人の努力がか楽園病を救い、世界をより良きものにしたいと願う」


「暴食。研究に行き詰まったりすると、ドーナッツとか甘いものをたくさん食べたくなるわ。人はパンのみにて生きるにあらず。食は生きるための糧でもあるけど、それだけじゃ寂しい。美味しいものが食べたいという欲求は生きる活力に繋がるわ」


「そして、色欲。これは………っ愛と言い換えても良い物かもしれないね。人を愛する心、とても美しく最も重要な感情かもしれない。自分よりも他者が大切だと思えるようになる。だから……………んっ………っ」


 クオーレは目の前のパパとママが絡み合う。クオーレはパパとママが愛し合う姿が美しいと思った。パパとママはとても仲が良い。世界中のみんなが大切な人ができれば人間は心を取り戻してくれるだろうか。


 パパとママの願いが人間の救済とうのであれば、私がその希望になって叶えてあげたいのだ。それだけが、私の願い。

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