第二章7  『屋根裏部屋の姉妹』

 詳しい病名は知らないが私は先天性の病気らしく、月に一回病院に行って注射を打たれている。注射は怖いし、痛いし大嫌い。病院の先生も冷たい感じがして怖いから嫌い。だけど、病院に行くときはお姉ちゃんがいつも私に付き添ってくれている。だから、大丈夫。


 お姉ちゃんも私の詳しい病名などは知らないそうだ。私の身長は成長期がきても伸びないので悲しい。それもこれもこの病気のせいなのかもしれない。お姉ちゃんはいつもそんな落ち込んだ私を励ましてくれる。


 毎月の注射にかかる費用は、私達姉妹の契約主である夫妻が払っているそうだ。きらいな人達だけど、その一点には感謝しなければいけないのかもしれない。


「にっひひひひ。お注射はちょっと痛いだろうけど。頑張るにへぇ。病気を治すためにへぇ。頑張ったら、また本を買ってあげるにへぇ。だから今日も一緒に病院に行くにへ」


「うん。分かった。お姉ちゃんの言う通りに頑張るよっ!」


「アリシアは良い子にへ。とってもかわいい自慢の妹にへぇ」


 お姉ちゃんはいつもそうやって私を元気付けてくれる。自分が辛いことがあっても顔に出さずに耐える。お姉ちゃんはそういう人だ。自分のことよりも私を優先してしまう。


 お姉ちゃんが一生懸命頑張って稼いできたお金を私のために本を買うために使ってしまう。お姉ちゃんだって、絶対にかわいい服や、キラキラ光るアクセサリーだって欲しいだろうに。いつもボロボロの服で仕事場に向かう。


 だから私もいつか、そんなお姉ちゃんのような強い人間になりたいと思った。そして、お姉ちゃんが苦労しないで済むように一生懸命働かなければいかないと思った。お姉ちゃんの名前は、ソレイユ。その名の通り、太陽のように眩しい笑顔をくれる、私の理想の人であり、自慢のお姉ちゃん。


「さぁて。ひと仕事にへ。今日もいっちょ稼いでくるにへぇ!」


「お姉ちゃん。あんまり無理しないで。最近やつれている気がするの」


「大丈夫にへ。ちゃっちゃっと仕事終わらせてくるにへ」


 お姉ちゃんは働いていない私の分のお金を稼ぐために、朝から晩まで働いている。あまり詳しい仕事の内容は教えてくれないのだけど、男の人を気持ちよくして、元気になってもらう仕事だって言っていた。


 でもその仕事は、お姉ちゃんは私にはさせたくないと言って、私達の契約主と口喧嘩していたこともあった。その話が出るたびにお姉ちゃんは契約主の人と喧嘩になって、今ではソレイユお姉ちゃんと契約者であるあの夫妻の仲は最悪になっている。


 お姉ちゃんは稼いだお金で、食べ物の他に古本を買ってきてくれる。だから、一人の時はいつも本を読みながら過ごしている。屋根裏部屋の窓から漏れてくる太陽の光に本をかざしながら読む。だから光が差さずに本が読めない雨の日や曇りの日は嫌いだ。でも、本は読めなくてもお姉ちゃんが帰ってきてくれる夜は好き。


 お姉ちゃんは、字が読めないそうだ。以前、私が読めない文字があって、その時にお姉ちゃんに質問した時に、照れ笑いしながら『実はお姉ちゃんは文字が読めないにへぇ』ってちょっとベロを出して言っていたっけな。 


 だけど、お姉ちゃんは物語がとっても大好き。だから文字を読めないお姉ちゃんの代わりに私がいつも遅くまで仕事をして帰ってきたお姉ちゃんの枕元で物語を読んであげるのだ。


 屋根裏部屋には満月の日くらいしか光が差さないから、お姉ちゃんが帰ってくる深夜に文字を読むことはできない。だから私が読んで記憶した物語を、お姉ちゃんと一緒の布団の中で聞かせてあげるのだ。


「アリシア。この本のあらすじを教えてにへ~」


「うん。この物語はね、人魚姫っていう物語なの。ある人魚の国のお姫様がね、陸の国の人間の男の王子様に恋をしたの。だけど、人魚姫の足はお魚の尻尾で海から陸に上がることができなかったの」


「えぇ~。それじゃあ、人魚姫があんまりにへぇ………」


「うん。そうだね。お姉ちゃんの言う通り。だけど、そんな人魚姫のもとに、とっても心の優しい魔女さんが現れたの」


「それで! それで! もったいぶらずに続きを聞かせるにへぇ~!」


「その魔女さんはね。人魚姫に、人間のように陸で歩けるようにできるお薬をあげたの。そのお薬を飲んだら人魚の尻尾が人間の足になって、人間のように陸を自由に歩けるようになったんだよ」


「だけど、それじゃあ、人魚姫の海の家族や友達に会えなくなって寂しいにへぇ」


「お姉ちゃんの言う通り。普通の魔女が与えた魔法の薬だったらそうだったかもしれないね。でも、人魚姫が出会ったのは、真実の魔法を使う、本物の魔法使いだったの。だから、人魚姫は自分の足を尻尾に変えたり、人間の足にしたり自由にできたの。だから、海の友達とも家族ともいつでも会えたんだよ」


「魔法って素晴らしいにへっ! アリシアももっと勉強して魔法を使えるようになるにへぇ。それで、陸にあがったあとは、人魚姫はどうしたにへ?」


「陸にあがったら王子様に出会えたの。そしたら王子様は人魚姫に一目ぼれ。自分の妻になって欲しいってアプローチしたんだよ」


「男って本当そうにへ。結局は外見にへぇ~。きっと人魚姫だと知ったらびっくりして逃げて行くにへ。男はみんなそうにへぇ」


「ふふふ。でもこの王子様は違ったの。人魚姫が、自分は人間ではなく人魚なのだと告白したの。そうしたらそれで王子様は『それでも私は君を愛している。だから、結婚して欲しい』と強い言葉で宣言したの。その言葉を聞いた人魚姫は王子様の言葉が偽りのない真実の言葉だと分かったの。だから、涙を流しながら自分は海の国を統治するお姫様だっていうことを告白したの。だからあなたとは結婚をすることはできないと。当時は陸の国と海の国との間は軋轢があって冷戦状態だったの。だから、好きであってもお互いの立場があるから簡単に結婚というわけにはいかなかったの」


「まるで、以前聞かせてもらったロミオとジュリエットみたいにへぇ。そうしたら、王子様はどういったにへ? やっぱり諦めたにへ? この王子様、もしかしたら人魚に性的な興奮をおぼえる変態だったのかもしれないにへか? だからいきなり人魚姫にプロポーズしたんじゃないにへ?」


「普通の王子様だったかもしれないね。だけどこの王子様は、懐も広いし、それになによりとても頭が良かったの。それと……王子様は変態でもなかったの。その王子様の統治する陸の国は、ダゴンっていう悪の王が率いる、深きものどもの軍勢に苦しめられていたの。だからまずは二国間で対等な同盟関係を結ぼうってきりだしたの。結婚をする前に、まずは二国間の間にある分厚い壁を取り除こうとしたんだね」


「にへぇ~! 恋愛物語かと思ったら戦争物語だったにへぇ」


「実は、そうなの。人間と人魚の間には根深い軋轢があったから調整がいろいろ大変だったんだけど、人魚姫が親善大使として仲介に入り調整したのと、聡明な王子様が人魚姫の王を説得して二国間での対等な同盟関係と、対等貿易を行うことを記した二国間の調印式を行ったんだよ。盛大なパーティーだよ」


「すごいにへ。きっとそのパーティーは凄いパーティーだったにへ」


「うん。陸の王国側からは、いろんな種類のステーキや、10種のキノコのバターソテー、30種類の野菜を使った野菜スープといった料理が振るまわれ、海の王国側からは、キャビアのクラッカーや、新鮮なお刺身に、魚介のパエリアなんかを振るまったそうなの」


「ひえぇ。共食いにへぇ」


「………違うの。人魚の一族はお魚さんと同じ尻尾をしているけど、分類学上は人間なの。人間が進化の途上で、陸で生活することを選んだのが人間で、海で生活することを選んだのが人魚だから、お魚さんを食べても共食いにはならないんだよ」


「良かったにへぇ~。カニバリズムかと思ったにへぇ………。それでダイコンと不快な者どもはどうなったにへぇ?」


「ダゴンと、深き者ども、ね。彼らは悪知恵が働く狡猾な魔物。2カ国調印式のタイミングを狙って襲い、陸と海の王を同時に殺そうとしたんだね。ダゴン率いる深き者どもの軍勢、クラーケン、雲頭様、白鯨なんかが一気に調印式を行っている海のお城に攻め込んで来たんだよっ!」


「ひえぇ。それはやばいにへ。さすがに負けたにへ?」


「そこに真実の魔女が現れたの。そして魔女が掲げた杖が七色に光って、城にせめてきた悪い魔物を片っ端から焼き尽くしたの。実は、聡明な王子様が水面下で魔女と密約を交わしていたらしいんだけど。この内容は実はまだ明らかされてないの」


「王子様って凄いにへぇ。人形姫が一目ぼれするのも当然にへ。それでその戦争が終わった後はどうなったにへ?」


「王子様はその後人魚姫と結婚して、12人の子供たちを産んだんだよ。聡明な王子様と人魚姫との間に産まれた12の子供達が成長したのが、以前お姉ちゃんに話した円卓の騎士だよ。ちなみに、人魚と人間に入れ替れる薬はかなりの安価で市場に流通されるようになって、海の国と陸の国はとってもとっても仲良くなったの。」


「やったっー! ハッピーエンドにへぇ~。……………むにゃむにゃ」


「ふふふ。お姉ちゃん寝ちゃった。ダゴンがやられた仕返しにクトゥルフが円卓の騎士に復讐に来る話もしようと思ったんだけど、それはまた明日だね」


 お姉ちゃんは、とても泣き上戸だ。以前、子供向けの物語を読み聞かせてあげたら、わんわん泣き出して止まらなくなったこともあった。だから、お姉ちゃんに物語を読んであげる時は今日の人魚姫の物語のように、途中からは私の創作で、みんなが幸せになる物語を読んであげるの。


 ****


「本の世界はいいね。私達は遠くにはいけないけど、物語の世界であれば翼を広げてどこへでも飛んで行くことができる」


「にっひひひひ。いつかアリシアが読んでくれた、ヘンゼルとグレーテルの二人みたいに一緒に冒険の旅に出るにへ。きっと、外の世界は楽しいことでいっぱい! 美味しい食べ物だって、かっこいい王子様だってたくさんいるにへ。だからアリシアもその日を楽しみに待っているがよいにへぇ~!」


「お姉ちゃん…………本当にそんな日がくるのかな………。だって私たちはこの家の奴隷。行動の自由すらない。家の所有物。そんな私達が本当に冒険の旅になんて出れるのかな?」


「にっひひひひ。………信じる心が大切にへ。アリシアはなにも心配する必要はないにへ。すべてお姉ちゃんにまかせていれば大丈夫にへ! いざ旅に出た時に、文字が読めるアリシアの知識はめっちゃ重要になるにへ。だからお姉ちゃんが買ってきた本は真面目に読むにへっ! そしていつかはお姉ちゃんを養うにへぇ」


 そういって、お姉ちゃんは笑いながらぐりぐりと私の頭を強く撫でる。お姉ちゃんがいるときだけはここが屋根裏部屋であることを忘れられるのである。

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