第6話 交わる道

 背筋の寒気とは裏腹に、胸元から背中に掛けてが酷く熱い。

 引き金に掛けた指はそれを引ききれず、対峙していたエメリスの槍がクロイツの胸を貫いていた。


 帽子から覗くクロスアイズは大きく見開かれ、何が起きたのか分からないといった様相で口から血を流している。



「……私の勝ちだなクロイツ……」


「何を……した……」



 槍を今よりも深く押し込んだ後、エメリスはそれを引き抜く。

 クロイツが握っていた銃は取り零され、その胸から溢れる夥しい血が地面に赤い水溜りを広げている。


 互いに得物を手にして対峙したあの時、確かにクロイツは引き金を引こうとした。

 来訪者でない相手の命を奪うことに抵抗が無かったかと言われれば、確かに抵抗はあった。


 だがその程度の揺らぎならば彼の動きを止める理由にはならなかっただろう。

 そう、先の瞬間クロイツは体が動かなかった。

 エメリスの動きは完全に見えていたし、それに向けていた銃口にもブレは無かったはずだ。


 当たらなかったのではなく、撃てなかった。



「来訪者の世界では、毒を以て毒を制す……と、言うのであったか?」



 右腕が指先から消えはじめている。

 否、右腕だけではない。

 左手を除く全身が緑色の光の粒となって消えつつあるらしい。



「化け物には化け物をぶつける。本来はクリスベリルに対する切り札として準備をしていたのだがね」


「まさか……お前!」


「因果な物だな」



 脚にも力が入らない。

 血溜りの中に膝を突いて崩れる。

 それでも顔だけは前に向け、鎧の砕けた白騎士を睨んだ。



「お前に引導を渡すのが、よもやあの眼だとは」



 幻惑の森の木々が朽ち始める。

 葉が枯れ落ちる中に佇むエメリスの背後、小さな赤い光が見えた。


 眼だ。


 クロイツにはどうしようもなく覚えのある、十字模様の光る瞳。

 森の景色を歪ませながら、ソレはゆっくりと近付いてくる。



「この世界の者ではないお前には、召喚魔法の起動に気付けなかったようだな」


「召喚……なるほど……見事にしてやられた訳か……」



 青い鱗が見える。


 四つ足で歩くその背には二枚の翼が確認できた。

 二本の角が伸び、その左目にはクロスアイズが妖しく輝いている。


 トカゲを巨大化したような、それでいて既存の生物のどれとも違う異様な威圧感。


 鱗の一枚は千の兵士と等価とされる。

 アルシェのそんな言葉をぼんやりと思い出す。

 エメリスの背後、クロイツを見下ろすそれは紛れもない――ドラゴンだった。


        ◆


 暗い部屋の中、銀のエルフは紫の王と向かい合っていた。


 窓の側に居るのにも関わらず、逆光で闇に佇むレーヴェフリードとは対照的に、アルシェは玉座の端から漏れ出た光を反射して薄く輝いてすら見える。


 光の中の闇と、闇の中の光。

 それぞれの立場を象徴するかのように闇と光は二人を包んでいる。



「逃げているだけであると?」


「ええ、アンタ達の理想は逃げているだけだわ。炎の中に居ないと火にしかなれない弱さから目を背けて、燃え上がらない術を探すことすら投げ出してるだけよ」


「そなたは強い。強すぎる……最後のエルフ……」


「アルシェよ。人の王、アンタの前に居る銀のエルフは最後の……今やエルフの全てを背負うエルフの王だと思いなさい」



 銀の瞳で眼前の王を睨み、アルシェは凛と立つ。

 その言にレーヴェフリードは目を細めて小さく笑う。


 彼は手摺に両手を添えてゆっくりと玉座から立ち上り、アルシェの前に歩み出た。



「そうであったな。余とした事が失念しておった。非礼を詫びようエルフの銀王アルシェ。人の紫王たるこのレーヴェフリードとそなたは対等であった」


「立ってる方が良い男じゃない。悪いけど私、育ちは悪いから偉そうな喋り方はできないわよ」


「構わぬ。強き銀王よ……人はそなた達のように強くはないのだ」



 優しく諭すような声だ。

 何かに堪え忍ぶように、あるいは諦めるようにレーヴェフリードの瞳は細められ、まるで涙を流そうとしているようにも見える。


 この王は何を見てきたのだろう。


 あの立場なら、大戦の炎が燃え広がるのを目の当たりにしたのかもしれない。

 多くが犠牲になるのを、ただただ聞くことしかできなかったのかもしれない。


 それらに心を痛められるからこそ、彼は王なのだろう。



「強くないなら諦めてもいい訳じゃないわ。どんなに臆病でも、心が弱くても、生きている限りは歩かないといけないのよ」


「だがあやつらは歩くことで燃え死んでしまう。内なる炎を鎮める術は、心弱き者は持ち合わせぬ。他者の火を消す術など、誰も持ち合わせぬ」


「だから探すの。歩く人達も、その先に立つアンタも」


「探したとも。見付からぬのだ……探せど探せど、いくら思考しようとも、誰に相談しようとも、至る結論は炎に焼かれる兵を見る事ばかり」


「なら、私を見なさい」



 アルシェとレーヴェフリードの周りに風が吹く。

 小さな風の螺旋は徐々に大きくなり、玉座の間全域に広がる。


 暗幕が捲られ、暗かった部屋に明かりが射し込んだ。



「森を奪われたエルフがそれでも歩くのを見せてあげる。戦場を奪われても、兵士だって生きていけるんだって思わせてあげる」


「…………ははは! この余が、僅かにでもその言に揺らぐとは。銀王、その甘言確かに魅力的である」


「ようやく分かってくれたかしら」


「否」



 紫王レーヴェフリードは首を振る。

 アルシェは驚くでもなく、ただその様子を悲しそうに見ていた。



「余とそなたとの間には一つ、どうしようもない差異がある。それは、生ける者の上に立つかである」



 退けないのだろう。

 どれほど魅力的な提案であろうとも、今だ彼の理念の下で血を流す者が居る限り、この男はそれを受け取る事ができない。



「国に出血を強い続ければ、いつか民の怒りはアンタに向くわよ!」


「構わぬ。いや、むしろ怒れる民によって余が絞首台に送られるのならば、余は笑ってこの首をくれてやる」



 そう言って笑うレーヴェフリードに、アルシェは息を飲んだ。


 本気で言っている。


 この男、おそらく対話が始まってから一度たりとも嘘も言わず、誤魔化そうともしていない。

 全てが事実であり、全ての言葉に確かな信念が宿っている。



「流血を強いる者が善き王ではない事くらい、誰よりも余が分かっておる。故にいずれはこの首、民に兵にと流血を強いた代償としてくれてやるつもりでおった」


「何よそれ……アンタが死んだら誰が後を仕切るのよ! こんな国政敷いておいて、いつか死んで終わりにするつもり!?」


「然り」



 狼狽える様子はない。


 その覚悟を全身に纏うように、レーヴェフリードの周囲が紫色の陽炎に揺らめいて見えた。


 魔力を用いた様子がない以上、きっと錯覚なのだろう。

 いや、あるいはこれが王の威風という物なのか。



「余の代を以て、ネレグレスは王が国を支配する様式を切り捨てる。先の大戦と余の……悪王の政治は民に先を考えさせるきっかけとなろう。その先は、余の愛した民が己の足で歩いて行かねばならぬ」


「死ぬために、生きてるの……?」


「さて、どうなのであろうな。余とて生への未練はある。いずれこの首に掛かる縄を思えばこそ、恐ろしくて眠れぬ日もある。故、死ぬために生きていけるほど、余は強くはないと思うておる」



 違う。


 この男は、まさに死ぬために生きている。レーヴェフリード自身がいかに否定しようとも、討たれる為の王になろうとしている事は紛れもない事実だ。


 狂っている。


 死ぬために生きられる程強くないなどと本気で言っているのに、その光景から目を背けず絞首台の階段を立ち止まりもせずに歩き続けている。


 あるいは……レーヴェフリードという男は死して初めて完成するのだろうか。



「して、どうだ? 余の思想が悪王の物でしかないと知れたならば、今ここで余を討つか? エルフの銀王」


「バカ言わないで」



 両手を広げて無防備を晒すレーヴェフリードの言に返ってきた言葉は短い罵倒だった。



「私は話し合いに来たの。もしもアンタが泣いて縋って来たって絶対に殺してなんてやらないわよ」


「しかし……ではどうする?」


「あいつなら平行線の戯れ言じゃあ時間の無駄とか言うんでしょうけどね。私は付き合うわ。互いに歩み寄って、いつか十字に交われる時までずっと話し合ってやるわよ」


「良い。では語らってみせよ。余の内の火が消えるまで説き伏せて見せるが良い」



 きっと、彼は否定してくれる相手が欲しかったのだろう。


 己が幾度も思考し、その度に至った最悪の最善を正面から否定してくれる者が。


 威風に、立場に圧される事なく、本当の意味で対等に語らえる相手が。


 力ではなく、言葉で。


 アルシェは思う。


 その孤独こそ、この王が抱える闇なのだろうと。

 生きる者の上に立つが故に孤独な王と、仲間を失ったからこそ孤独でないと知った少女は向かい合う。


 いずれ道は交差できる。

 あの夜、仲間を見送らせてくれたあの目のように。


         ◆


 森が消えた庭に、黒い籠手が音をたてて落ちた。

 肉体を失ったソレはもう動かない。


 鎧の砕けた白騎士は、隣に立つ青い竜の頭を撫でる。

 その目は今だ鋭く、驚異が去っていない事を物語っていた。


 何かが弾けるような音が断続的に響き、辺りには黄色い……あるいは黄金色の電気が迸っていた。

 エメリスは槍を今一度強く握る。



「威嚇するつもりもありませんのに……昂ると抑えられませんの」



 長く美しい金の髪を持った女性がゆっくりと籠手……クロイツに歩み寄ってきた。


 化け物、悪魔、災厄、雷光。


 幾つもの名前で知られる、戦場に生きる者にとっては悪い夢でしかない相手。



「クリスベリル」


「お久しぶりですわねエメリス。少し老けたのではなくて?」


「この歳月を重ねて老いぬ貴様の方が異常なのだ」


「あら、誉め言葉と受け取っておきますわ」



 柔らかく笑うクリスベリルだが、その周囲には黄金の稲妻が迸り続けている。

 青いドラゴンは脅えてこそいないが、目の前のソレに向ける視線は警戒と敵意に満ちている。


 分かるのだろう。


 矮小な人の身でしかないその女が今まで出会ってきたどんな生き物よりも危険で強いことが。



「間に合って良かったですわ……」



 彼女はクロイツを拾い上げるとその胸に抱く。

 心底愛おしそうに目を細め、ゆっくりとソレを左の手に装着すると辺りに迸っていた雷光がピタリと止む。


 美しい宝玉のような青い瞳が、左だけ緑色に変わって行く。


 虹彩が縦と横に伸び、それぞれに交わる線が入った。

 サイティングマークのような模様が瞳に浮かび、その中心にエメリスを捉えるとソレは更に赤へと色を変える。



「ああ……間に合ってくれて良かった……」



 彼女の……クリスベリルの纏っていた柔らかな雰囲気が一変した。


 冷たい、まるで金属のような気配が漂い、獣に睨まれたような緊張感だった物が銃口を向けられたような緊迫感へと移り変わる。


 三度姿を変え、エメリスの前に立つのはやはりあの男なのだ。



「クロイツ……」


「忌々しそうに呼ぶな。しつこいのは百も承知だ」



 クロイツはその視線をドラゴンに向けた。

 クロイツと同じ、クロスアイズの左目を持つそいつは左腕、肩から肘に掛けて黒い甲冑のような物が取り付けてある。


 恐らく、アレがクロイツの身体の一部なのだろう。



「退けない理由ができたんでな。返してもらうぞ……俺を」


「貴様がここで得るものは何一つありはしない!」



 エメリスが槍を掲げると同時に、ドラゴンが咆哮する。


 竜は体から青白い光を放ち、槍にそれが収束して行く。光は青い炎へと姿を変え、槍の穂に纏われた。

 その槍を携えたまま、エメリスは竜の背に飛び乗る。


 手綱も無いまま、彼を乗せた竜はその翼を広げて空を凪いだ。

 吹き荒れる突風の中、黄金の麗人はただその髪を靡かせながら手に青白い光を握る。



「形成」



 唇が小さく動き、声も掻き消される風音の中で呟く。

 来訪者クロイツがそのスキルを起動する。



「アヴェンジャー」



 銃と呼ぶにはあまりに武骨で巨大な銃身が作り出される。


 銃口は7つ。


 手から肘までを筒状のパーツが覆い、肩に付けられた樽の様なマガジンから帯状に並んだ銃弾が伸びていた。


 およそ人間が持つことなど想定されていないであろうサイズだが、クリスベリルの肉体のクロイツはそれを軽々と持ち上げる。



 ――カルメリア様……あ、いえ、赤い騎士が持っていた剣よりは軽いですわね。


「お前は何と戦ってきたんだ……」



 苦笑いのまま、クロイツはトリガーを引く。

 並んだ銃口が回転を始め、凄まじい音と共に弾が放たれる。


 空を飛ぶ青い竜の左目が光ったように見えた。

 速度を上げ、空を滑るように飛んで弾道から逃げて行く。



 ――いささか遠すぎますわね。


「それに速い。厄介な物を手懐けてくれたなエメリス」



 銃口を傾け、飛翔するドラゴンの行く先に向けて弾を放つも速度を上げて振り切られる。

 空を飛ぶ生き物がクロスアイズを持つ事がここまで厄介だとは思わなかった。


 アレの捕捉能力はクロイツはもよく知っている。

 恐らく、こちらの銃口の動きを見て先読みで行動しているのだろう。


 クロイツも相手の飛ぶ先を予測して撃ってはいるのだが、それに対して見てから避けられるのではどうしようもない。

 何か手を考えねばならない。



「――ッ!!」



 ドラゴンが突如動きを止め、落下するようにクロイツへと向かってきた。


 止めるためにアヴェンジャーで射撃を浴びせようとするも、空気を震わせるような咆哮と共に放たれた青い炎に弾丸が飲み込まれて消えてしまう。


 そして、その炎の中心を突き破り、竜の頭とその角に掴まりながら槍を構えたエメリスが姿を現した。



「おおおおおおおおおお!!」


 ――流石にアレを貰えばわたくしの体も無事か分かりませんわよ?



 青白い炎を纏う槍の周囲は陽炎に揺らめき、雄叫びを上げるエメリスはそれをクロイツに向かって突き出す。


 アヴェンジャーの重量では大きな動作による回避は難しい。


 しかし相手の武器は槍。


 定点への貫通力こそあれど、クロスアイズで狙いが分かる以上は直撃軌道から逸れる事など容易だ。


 クロイツは前へと地面を蹴った。

 後方や左右では竜の動き次第で槍の直撃を受けかねない。だが前方、竜の懐へと潜り込めたならば少なくとも青い槍の直撃だけは避けられる。


 間一髪、クロイツから逸れた槍は地面の石畳を軽く溶かし貫くだけに収まった。



「噴き上げよ」


「――ッ!?」



 直後、エメリスが小さく呟いた。

 何かに気付いたクロイツは即座にアヴェンジャーを破棄し、再度強く地面を蹴って前へと飛ぶ。


 直前まで立っていた場所を中心に地面が青白く光り、そこから炎が噴き上がる。


 槍の攻撃は基本的に点である。


 エメリスはその弱点をいままでシールドバッシュによって補っていた。


 シールドを破棄したとして、その代用案を考えない程抜けた男ではないと言うことか。


 地面から槍を引き抜いたエメリスを乗せ、ドラゴンは再び天へと舞い上がる。



「あの威力の攻撃を一撃離脱で繰り返されるのは厄介だが……」


 ――有効打を放つ手段がありませんわね。



 つくづく思い知らされる。

 クロイツのスキルは所詮は銃……大きくても砲の範囲から出られない。


 それらはあくまでも、人が人を殺すための武器だ。

 人知を越えた相手にはこうまで後手に回らされるのかと。



「あの高さ、別の生き物の背に隠れられる位置じゃクロスアイズの拘束も使えない……軽い銃だと届かず、重い銃は避けられる上に奇襲を回避しづらくなる……」


 ――徹底的にクロイツ様を対策されてますわね。あの高空ではわたくしも辿り着くのは一苦労ですし。



 できないとは言わない所が流石と言うべきか。

 竜の咆哮が轟き、その翼に青い炎が無数浮かび上がる。


 青いドラゴンは炎だけをそこに残してわずかに上昇すると、両の翼を大きく羽ばたかせた。



「おい、冗談だろ……!」



 まるで雨のように、青白い炎が天より降り注ぐ。

 クロスアイズの動体視力でなんとか弾道を見切って避けるも数が多すぎる。


 ドラゴンはわずかに左右へ広げた両手にも炎を纏う。

 それを殴り付けるような挙動でクロイツへ向かって放ってきた。



「ここはわたくしが!」


 ――クリスベリル!



 両手を前に出し、黄金色の雷で障壁を張る。

 竜の拳から放たれる炎だけは回避しつつ、避けられない物を的確に障壁で防いで行く。


 辺りが砂埃で充たされる頃になって、蒼炎の雨はようやく止んだ。



 ――申し訳ございませんクロイツ様……今ので魔力は限界ですわ……もうわたくしからのサポートは期待なされないでくださいまし。


「十分だクリスベリル……助かった」



 安堵も束の間。

 再び天からあの咆哮が聞こえた。

 見上げれば初撃と同じ青い炎に視界が埋まる。


 そして――


         ◆


「な、何!?」



 窓ガラスを揺らす聞いたこともないような咆哮が室内にまで聞こえてきた。

 鼓膜が震動するなどといった生易しい物ではない。


 生物であるならば、あの声だけで心の何処かに恐怖が生まれるような、絶対的な天敵……頂点者の声であると本能的に理解できる。



「ラピスドラゴン……エメリスの盟友よ」


「ドラゴン!? そんな物まで持ち出してきたの!?」


「……城内に誰も居らぬ事に疑問を抱かなかったか? これが故の人払いよ」



 確かに、だだ広い城内ではレーヴェフリードとルクス以外には誰にも会わなかった。


 使用人はともかく、騎士や兵士すら居ないことには理由があると思っていたが、まさかドラゴンを城の隣で戦わせる為だったとは。

 アルシェの頭でなくとも想像もできなかろう。



「どうする? 救援に行くか?」


「……………………」



 アルシェは思案する。


 エメリス一人を相手にすら自分に出来ることなど無かった。幻惑の森の発動こそしたが、それはクロイツがあってこそ。


 そんな自分が、果たしてドラゴンとの戦いに駆け付けてやれることなどあるのだろうか。



「私は所詮、戦争の中で仲間も森も守れなかった弱いエルフよ」


「うむ。故に全てを失った」


「ええそうね。頭来るけどその通り。エメリスやクリス、クロイツみたいに一人で戦況を変えるなんてとてもできやしないわ」



 アルシェには一騎当千の力はない。

 森を出てから、強い人を沢山見てきた。


 要塞のようなエメリス。


 雷光と呼ばれるクリスベリル。


 そんな二人に認められているクロイツ。


 そして今目の前にいるこの紫王レーヴェフリードもきっと強い。力ではなく、心が。

 そんな中で、夢を見ていただけの、仲間も守れなかった自分の弱さを幾度も実感した。



「だからって目を背けてたら、アンタ達のお手本にならないじゃない!」



 だからアルシェは床を蹴る。

 まだ話し合いも終わっていない。

 それでも窓の一つに向かって走って行く。


 そして、その前で一度止まってレーヴェフリードに振り向いた。



「ガラス、修理代はグラースに請求してちょうだい」


「安くはないぞ」


「でしょうね。でも、そっちも悪いんだから負けてよね」


「ふっはは! 考えておこう。そうだ、銀王……いや、アルシェよ」


「何かしら?」


「余の妃になるつもりはないか?」



 レーヴェフリードの突然の申し出に、アルシェは慌てるでもなく笑顔で返す。



「あいにく様、私、まだ恋してる最中みたいなの」


「良い。気が変わったならば申せ」


「変わらないわよ。――終わったらルクスの正体聞かせてよね!」



 ガラスを突き破り、輝く破片に包まれたエルフが去って行く。

 レーヴェフリードは、それをただただ美しいと感じた。



「部下にまで正体を明かしてなかったとはな。少し意地が悪くないかルーカス兄さん?」


「第一王子が失踪し、立場を第二王子とすり替えていたなんてどう切り出して説明するんだよ」



 玉座の付近に立つレーヴェフリードに近付く人影が一つ。

 茶色の髪と眼鏡が特徴的な、シャツベスト姿の長身の男。


 戦後復興支援ギルドのリーダー、ルクス。

 いや、この場ではネレグレス王国の真の第一王子ルーカスと言うべきか。



「久しぶりだねレーヴェ。背、高くなった?」


「俺より高い兄さんに言われると嫌味にしか聞こえないよ」



 兄と弟。

 レーヴェフリードも纏っていた威圧的な雰囲気は鳴りを潜め、素の口調で砕けて当たる。


 対するルーカスはいつもと何も変わらない。


 穏やかな表情で柔らかな笑みを浮かべる、あの少し困ったような表情のまま、アルシェが破って行った窓をレーヴェフリードの隣で見ている。



「父上の事を聞かないのか?」


「聞かないよ。多分、僕が思っている通りだから」



 前王は大戦を止められなかった事、それによって数多の命を失わせた事に大きな罪悪感を覚えていた。


 ルーカスが王位継承権を破棄し、姿を眩ます直前の様子ではあるが、きっとそれは死の直前まで続いていた事だろう。


 それを最も近くで見ていたのは他ならぬレーヴェフリードとエメリスの二人だったはずだ。


 二人は、レーヴェフリードの王位を得させるために前王を暗殺したのではない。

 前王を解放し、その抱えていた物を代わりに抱えたのだろうとルーカスは考えていた。



「偉そうにしちゃいるが、俺もまだまだ甘いな……どうすれば人の為になるかさっぱり分からない……分かったつもりでやってても、あんな風に話してる内に揺らいでしまう」


「父上もそうだったけど、僕もレーヴェも所詮人間だからね。心が揺らがない王は、人の王ではあれないと思う」


「しかし、王が揺らいでしまっては民は、騎士や兵士は何を信じれば良い?」


「王を信じた、自分を……じゃないかな」



 レーヴェフリードは隣に立つ兄を見る。

 いつだって彼は自分には才能が無いと言っていた。


 事実、剣の腕も攻撃魔法の扱いもまるでダメ。勉学だってお世辞にも優秀とは言えず、レーヴェフリードがあらゆる面に秀でていた為に比較されては落ちこぼれだと、本人を含む誰もが評価していた。


 ただの二人、弟と妹以外は。


 民に自分で考えさせ、その足で歩ませる。

 レーヴェフリードは己が討たれる事でその理想を実現しようとしていた。


 兄は違う。


 ルーカスは、既に民は自分で考え、その足で歩める事を疑っていない。



「なあ兄さん」


「何かな」


「俺は間違っているか?」


「血を流す王……うん。間違ってないんじゃないかな?」


「でも兄さんの理想とは反するんだろう?」


「レーヴェ」



 ルーカスがレーヴェフリードへと向く。

 名を呼ばれた彼も、同様にルーカスへと向き直り、互いに向かい合う形になる。



「一人で抱えなくていいんだよ。もう僕は王族じゃないけど、君達がやり過ぎたなら止める為の抑止力になる……。好きにやってみるといい。レーヴェにならできると思ったからこそ、僕はこっちに来たんだから」


「なら、早速頼ってもいいか?」


「いいよ。言ってみて」


「エメリスを止めてやってくれ……。あいつはもう、人から預かった火種で燃え上がっちまってる……頼む……俺一人じゃもうどうしてやる事もできない」


「うん。任されたよ」


         ◆


 ガラスの破片が朝日を反射する中、私は風を纏って高空へと飛び上がった。


 弓を構え、矢を三本同時に番える。


 青いドラゴンのいる高さすら越える所まで来ると風の上昇力は無くなり、私は逆さまに地面へと向かい始める。


 自由落下の浮遊感の中、私はあの夜を思い出していた。


 良くない事が起きる日は、決まって森が騒がしい。


 今日の森はどうだったのかしら。


 森の様子で一日を占うことももう無くなってしまったけども、きっと静かな日だったに違いないわ。


 あの日、エルフの森に銃を持って入ってきた不躾な来訪者は、今や大切な仲間……いいえ、それ以上だって思える人。


 彼だけじゃない。


 彼に体を貸してるクリスも、二人と一緒に出来ることをやろうとしてるルクスも、失った私の同胞達と同じくらい、無くしたくない大切な人達だわ。


 そんな人達と私は帰る。


 これからも、こんなにも傷だらけで、こんなにも大切な物が増えてしまった世界で生きていく為に私は私のやれることをやってみせる。


 手にした矢にはそれぞれ全てに螺旋状の風が纏われて、風音が耳に心地好い。


 逆さまの姿勢のまま、ドラゴンとすれ違う瞬間に私は矢から手を離した。


 螺旋の風を纏った矢は凄まじい速度へと加速し、狙い通り真っ直ぐにドラゴンの翼へと撃ち込まれる。



「エルフの前で風を切るなんて生意気なのよ。落ちなさい!」


        ◆


 突然の事だった。


 城の窓を破って飛び出したアルシェがドラゴンへと矢を撃ち込んだ直後、それはまるで浮いている事を封じられたかのように姿勢を崩して地面へと落ちてきたのだ。


 地響きと共に墜落したドラゴンの影から、エメリスがゆっくりと立ち上がるのが見えた。



「よ……っと」



 遅れてアルシェが地面にふわりと着地した。

 エルフの扱う風の魔法。

 その利便性を垣間見たような気がする。



「アルシェ。お前がやったのか?」


「ええ。私の師匠のさらにその師匠がね、昔空気を無くす魔法を開発したとかなんとか聞いたんだけど、私のこれはそれの劣化品。矢を起点に風を乱して浮いている物を叩き落とす魔法よ」


「お前……実は凄い奴なんじゃないか?」


「名付けて失風!! ロストウィンド!」



 一人で盛り上がるアルシェを放って、クロイツはエメリスへと視線を向ける。

 鎧を失い、盾を捨て、切り札であった竜すら落とされたと言うのにまだその槍は青い炎を纏い、目からは闘志が失われていない。


 ドラゴンが口から蒼炎を漏らし、炎の息を放とうとするのを片手で制止し、エメリスは一人その槍を払う。


 クロイツの手にはガトリングが装備されている。

 ゆっくりと銃口をエメリスへと向けた。


 怖じ気づく様子もない。


 槍を後方へと引いた前傾姿勢を取り、思いっきり地面を蹴ってエメリスが飛び込んで来る。



「クロイツゥゥゥ!!」


「エェェメリィィス!!」



 もはや戦法も何もない。

 捨て身の突進だ。

 弾丸の雨をその身で全て受け、その側から体に刻まれた魔法刻印が治して行く。


 痛みのショックで常人であればとっくに死んでいるだろうに、いや、それどころか最早立っている事すら不可能だろうに、その不屈の騎士は進むのを止めない。


 銃身が赤熱し、やがて撃てなくなった頃にエメリスはクロイツの目前へと迫っていた。



「貰うぞ! クロイツ!」


「いいや、お前の槍は俺に届かない」



 クロイツとエメリスの間に、アルシェが入る。

 その手の平に風を握り、衝撃によって吹き飛ばす事のみに特化した掌底をエメリスへと叩き込んだ。



「形成・スナイパーライフル」



 あの夜、アルシェの弓を砕いた銃をその手に作り出す。

 隣ではアルシェが弓に矢を番えて構えていた。


 二人は無言のまま小さく笑うと、同時にそれを放つ。

 銃弾と同速にまで加速した矢は、隣を飛ぶ弾丸と二本の線を空へと描いた。


 そしてアルシェの風を受けた矢は中空で二度向きを変え、直線の弾道に縦線を入れるような軌道でエメリスへと直撃した。

 あの夜に平行線だった二人が、まるでクロスしたかのように。



「……………………」



 胸に風穴を穿たれ、肩に矢が刺さったエメリスは無言のままだ。

 治癒の間に合わない全身の傷と口から血を流しながら、項垂れている。



「……………………ぬ……」


「嘘でしょ……」



 エメリスが一歩前へ出た。

 足を引摺り、地面に線を描きながら一歩、また一歩とクロイツ達の方へと歩いてくる。



「負けられぬ……倒れられぬ……私は……」


「もういいだろ! お前の負けだエメリス!」


「否…………否ァ!!」


「もうよい……」


「!?」



 長い金の髪の青年が、エメリスへと駆け寄る。

 クロイツはその顔に覚えがあった。

 ネレグレス王国の現王レーヴェフリードだ。


 質の良さそうな服に血がつくのも気にせず、その美しい青年はエメリスを包容した。

 エメリスはその目を見開き、力が全て抜けたように手を垂らす。



「お退きください……王よ……わ、私は……まだ……」


「退かぬ。そなたは……余達は負けたのだ。もう良いではないか……余は、そなたを失いたくない」


「なりません……私には……私に剣を預けた騎士達の……」


「見よエメリス。見るのだ」



 レーヴェフリードが指差す先、銀の鎧に身を包んだ騎士が直立の姿勢で何人も立っていた。


 見ればその誰もが鎧が土で汚れており、何者かを止めようと戦った様子が窺える。


 そしてその先頭。


 赤い鎧の騎士――おそらく、先程クリスベリルが名前を出したカルメリアという騎士――が不安そうな視線を向けていた。



「誰も……そなた一人が傷付く事を望んでなどおらぬ……すまなかった……すまなかった……前王殺しの責を、騎士の剣の重さをそなたにばかり抱えさせてしまった」



 レーヴェフリードの頬に滴が伝う。

 茫然自失といった表情のエメリスも、同様に涙を流していた。



「団長! 俺達だってクリスベリルに負けちまったんだ!」


「あんた一人が負けたんじゃないんだ!」


「副団長だって負けたんだぜ! それもクリスベリル一人に! 痛い!」


「クロイツとクリスベリルとそのエルフ相手にそこまでやったんだからあんた流石だよ! 俺達の誇りだよ!」



 騎士達が口々に――一人だけカルメリアに殴られながら――歓声を上げて行く。

 そして、そんな中からカルメリアが一歩前へ出た。



「エメリス団長! 貴方の傍ならば、私達は炎にならないでいられるのです! もしもそれでも戦いの中に居るのでしたら、どうか私達にも同様の傷を負わせてください! 私達は弱くて、そして同時に強くもあるのです! だから! どうか……一人で……き、傷付かないで……ください……」



 エメリスの手から槍が落ちた。

 カラン……と、あまりに静かな音を立てて転がるそれには、もう炎は纏われていない。



「エメリス……余を置いて行くつもりか……? そなたに死なれては、余の絞首台への供が居なくなるではないか……」



 一度だけ瞬きをした後、エメリスは雄叫びのような声を上げて泣き崩れた。

 騎士達が駆け寄り、エメリスの周りへと集まる。


 遠目に見ていたクロイツはガトリングを落とすと、ゆっくりと腰を下ろした。

 アルシェも弓を下げるとどこか満足そうにその光景を眺める。



「終わった……のか?」


「そうなんじゃない? まあ、また楯突いてくるなら叩き伏せてやるわよ」


「血気盛んだねー……僕達、平和の為のギルドなんだけども」



 聞き慣れた声に驚くでもなく、二人は背後へと振り向いた。

 ルクスが苦笑いを浮かべながらそこに立っている。



「グラースの今後についても話し合いは済んだよ。まあ、それについてはまた後日でもいいかな」


「むしろそうしてほしいわね。疲れてくたくたよ」


「ふっ……今回の功労者がこう言ってるからな。俺も異論は無いさ」


「じゃあ、僕達は帰るとしようか。馬車が用意してあるから」


「魔動二輪車はどうする?」


「それならば後日余が送り届けさせよう」



 騎士の輪の中から、レーヴェフリードが抜け出してこちらへ歩いてきていた。


 エメリスの血で服が汚れてしまったが、その威風は堂々たる物だ。

 目元は少し腫れているが、それを口に出すような野暮なことはすまい。



「アンタ、私との話し合い決着付いてないのに本当にいいの?」


「良い。エルフは余を暗殺できるのにしなかった。その時点で余はそなたらを拘束する大義名分を失っておる」


「ふーん……ま、良いなら良いんだけど」


「それに、久々に兄上と話もできた故な」


「兄上……? ってええええ!?」



 レーヴェフリードの視線の先には、ばつの悪そうに頬を掻くルクスがいた。


 疲れているとは何だったのかとすら思うような絶叫を上げ、ルクスの胸元を掴んで前後に揺するアルシェに、クロイツとレーヴェフリードは苦笑する。



「クロイツよ」


「何だ?」


「これをそなたに返さねばな」



 レーヴェフリードの手から、ドラゴンが着けていた黒い甲冑が渡された。

 一瞬目を見開いたクロイツだったが、すぐに小さな笑みを浮かべてそれを左の手で受け取った。


 刹那黒い光に視界を奪われる。


 光が止むと、クロイツの本体である籠手は指先から肩までを覆う物に変化していた。



「着ける相手に合わせてサイズが変わるんだな……俺」


 ――本人が驚いている事が何かおかしいですわね。



 その様子を見届けたレーヴェフリードは、グラースの面々に背を向け、再び騎士達の方へと歩いて行く。



「そうであった。アルシェよ」


「ん? 何よ」



 途中で一度だけ歩みを止めたレーヴェフリードが、アルシェを呼ぶ。

 ルクスを揺するのを止めた彼女がそっちを見ると、レーヴェフリードは小さく笑って告げた。



「アーソゥ・ユアン・アール……であったか?」


「ぷっ……アッハハハハ! ええ! ええ! 良い発音よ。【さようなら】また会いましょうレーヴェフリード様」

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