第5話 クロスアイズの魔砲使い

 噴水の見える広場。

 背丈の低い芝の中に石造りの道が一本真っ直ぐに門から伸びている。

 道の先には城の内部へ通じる扉が見える。


 懐かしい景色だ。


 クリスベリルの体で此処を出て、もうどれくらいになるのだろうか。

 そしてまさか、再び此処を訪れるのがエルフの少女の体だとは。

 眼前、もう一つ懐かしいものが見えた。

 扉が開き、白い鎧の大男がゆっくりと歩いてくる。


 王国騎士団団長、エメリス。


 動きの繊細さよりも防御性能に重きを置いた重厚なフルプレートアーマーに身を包み、右の手には剣のようにも見える穂を取り付けた槍を握っている。

 対する左には鏡の如く磨かれた円形の大盾を持っていた。

 背に靡くマントはかつて見たときは赤だったが、今は紫色。

 兜は被っておらず、昔と変わらない灰色の髪をした目付きの鋭い顔がよく見える。



「用向きを聞こう。エルフの少女」


「俺の正体に気付いているくせに、再会の挨拶も無しかエメリス」


「ふっ……すまなかったな。仕事なんだ」



 エメリスが小さく笑い声を漏らした。

 だが、エメリスの黄金の瞳は決して笑ってなどいない。

 あるいはかつてのアルシェよりも、来訪者を前にしたクロイツよりも冷たく、それでいて己の意思を確かに感じる気味の悪い輝きを秘めている。



「謁見に来た。レーヴェフリードの顔を見たい」


「それはクリスベリルが囚われたからかね?」


「違うと言っても通さないだろうに」


「ああ、通さぬとも。そのエルフは危険だ」


 言わんとする事は分かる。

 人によって滅ぼされた種の最後の生き残り。その後に自分が仲間と定めた人々をすら奪われそうになった者。

 誰が何処から見ようともアルシェは被害者だ。


 故に、復讐の企てを警戒されるにはあまりに十分な立場になってしまっている。

 一国の王がそんな者に易々と顔を見せるわけにはいくまい。

 予想していた通りの結果だ。



「平行線の戯れ言じゃあ時間の無駄だな」



 クロイツの左手に青白い光が集まる。

 同時に、緑色だった左のクロスアイズが赤に変わって行く。



「アルシェ」


 ――何かしら?


「先に謝る。お前の体で銃を使う」


 ――バカね。アンタに弓を使われる方が頭にくるわよ。



 相変わらずな減らず口に、すこし気が楽になった気がする。

 左手には銀色のリボルバー銃が握られていた。



「お前相手に加減はできない。殺すつもりで行く」


「ネレグレス王国騎士団団長。白騎士エメリス…………推して参る!」


 クロイツが引き金を引くと同時に、盾を構えたエメリスが突っ込んで来た。

 愚直なまでの突進だが、巨漢であるエメリスを覆い隠すほどに巨大な盾は半端な銃弾など意にも介さない。

 重厚な装備と巨体に似合わぬ速度での接近だが、銃を得物にする以上近接戦に付き合う必要はない。

 地面を蹴り、横合いにずれ込みながら盾の隙間を狙って的確に銃弾を放って行く。



「チッ!」


 ――盾が厄介ね。



 銃弾が貫通できない程の強度を備えた大盾など、普通の人間の膂力では到底扱えない。

 だがエメリスはそれを巧みに操り、極めて小さな動作で射線を塞いで行く。

 銃と弓との違いこそあるが、同じ射撃武器を使うからかアルシェの着眼点は見事にクロイツと同じだ。

 撃ち尽くしたリボルバー銃を右手に持ち変えた。



「形成・特殊弾」



 左手の内側に弾丸が精製される。

 エメリスに接近させまいと後ろに跳び退く動作の中、右手に握ったリボルバーを折り開いて弾倉部を露出させ、空の薬莢を廃棄。

 コイントスでもするように親指で弾丸を弾くと、宙にある弾に銃の弾倉をぶつけるように装填し、即座に折れていた銃身を元に戻す。

 ハンマーを軽く起こし、太股にシリンダー部分を擦りながら眼前に構えた。

 回転するシリンダーの中で装填した部分が射撃位置に来るようにピタリと止め、間髪いれずに引き金を引く。



「爆ぜろ」


「ぬぅ!?」



 エメリスは変わらず銃弾を盾で受けるが、直後に炸裂音と共に凄まじい衝撃が襲う。

 着弾と同時に爆発を起こすエクスプローダー弾。

 もっとも、その威力は通常知られている物とは比べ物にならないが。


 拳銃なんて武器は人間を殺傷できればそれでよく、ここまで過剰な威力は必要ない。

 突進が僅か止まった隙に続けて六つのエクスプローダー弾を精製、装填するとクロスアイズの照準で先程の着弾地点を捉え、腰を深く落として射撃姿勢を取る。

 トリガーを引き、着弾して爆発。これを六度繰り返す。



 ――どう?


「ダメだ、これでどうにかなる相手じゃない」



 黒煙が立ち込める先を見るが、槍の一振りで煙を払ったエメリスが何事も無かったかのように立っている。



「リスクを嫌うお前の性格は知っている。しかし……」



 盾を地面に向けて前傾姿勢となるエメリス。

 そのまま槍を持つ手を背中に引くと、まるで攻城兵器の大弓から放たれる矢の如き凄まじい速度で踏み込んできた。



「それで私にどう勝つと言うのだね!」



 撃ち尽くした銃を捨て、その手にショットガンを形成する。

 突き付けられた槍の穂に向かってショットガンの銃身をぶつける事で槍の穂先を逸らす事には成功した。

 ……が。



「武器が槍だけだと思ったのかね?」


「!? ……くっ!」



 突進の勢いのままあの大盾を思い切りぶつけられる。

 出血を伴う傷は負わないものの、骨の軋むような嫌な音が体の内側から聞こえ、大きく後方へと吹き飛ばされた。

 シールドバッシュ。

 いや、突進を伴うこれはシールドチャージだろうか。



「ごほっ! ごほっ!」


 ――いったいわねぇ!!



 打撃に際して肺の空気を押し出されて咳き込むクロイツだが、壁にぶつかる前にアルシェが風で防護してくれたのが幸いだった。

 しゃがみ込んだ姿勢から立ち上がるも、既にエメリスが迫っている。

 今度は盾を前に踏込み、先程同様にシールドを用いた攻撃を行ってきた。

 休む間が欲しかったが、許してくれる相手でもない。


 盾に向かって突き出した右手の平に風を纏い、かつてごろつきにやったように風圧の爆発を起こす。

 盾を弾いた隙にショットガンを形成し、正眼へ構えた。



「甘いな」



 盾を弾かれたエメリスは崩れた姿勢のまま体全体を捻り、横凪ぎに槍を振っていた。

 反射的に斜め前方に飛び込む事で間一髪回避に成功したものの、今度は盾が上から叩き下ろされる。

 防御の選択はない。


 エメリスの腕力と盾の重量を考えれば、エルフの少女の肉体ではとても耐えられないだろう。

 再び手の平に風を纏い、今度は地面に向けてそれをぶつける。

 反動で盾の軌道から脱出し、どうにか再び距離を取ることに成功した。



 ――こいつ、滅茶苦茶強いわね。


「……エメリスは、クリスベリルと同じ本物だからな……」



 赤いクロスアイズと銀の瞳が睨む先、エメリスは今の優位を傲るでもなく、ただそこに立っていた。


         ◆


 赤騎士と黄金の悪魔の衝突は続いていた。

 大質量の双大剣を振り回すカルメリアに対し、クリスベリルの振るう雷の双直剣は実体が無い。

 互いの武器は決して打ち合わず、回避と体術による攻防が繰り広げられる。


 右の剣を逆手に持ったカルメリアが、袈裟懸けにそれを降り下ろした。

 この質量の剣ならば、避けるには後方か左側しかない。

 しかし、左側はまだ振っていない剣を持つ手の側。

 そちらへ逃げるならば叩き潰すことは容易。



「後ろへ跳ぶと思いました」



 後方へ小さく跳んだクリスベリルを見て、カルメリアが呟く。

 クリスベリルの両手から伸びる黄金の残線を追うように、左の剣を投げ付けた。

 放られた剣は横向きに回転しながらクリスベリルに迫る。



「あら、素敵なプレゼントですわね」



 着地後の僅かな隙に直撃するように投げた剣は、しかし彼女に片手で受け止められた。

 これには普段から表情を出さないカルメリアも苦笑を浮かべざるを得なかった。

 受け止めた剣の柄を握ると、クリスベリルは二回ほどそれを振るうと感心したようにカルメリアを見る。



「よくこんな重い剣振れますわね」


「嫌味で言ってます?」


「ええ、まあ八割程」


「率直に言いますけど死んでください」



 両手で剣を握ったカルメリアが踏込み、下段から振り上げる。

 クリスベリルは片手で剣を振るい、それを迎え撃った。

 人間がやったとは思えない速度でぶつけられた元は一本の二つの剣は、火花を散らして強烈な打撃音を奏で鳴らす。

 互いの腕にまで伝わる反動で僅か剣が離れ、それを再びぶつけ合う。


 一合、二合……幾度そうしただろうか。


 鉄の塊が空気を裂き、震えるような音を響かせてはぶつかり火花を散らす。

 技ではなく純粋な力による得物のぶつけ合いだ。

 一撃毎に地面は揺れ、あまりの衝撃に砂塵が舞う。



「私の剣をこうも易々と……化け物ですか!」


「ええ。化け物ですわ? この世界が生んだ化け物。なりそこないの騎士がわたくしですもの」



 一撃、特に重いのがクリスベリルから放たれ、互角だった形勢が僅かに傾く。

 カルメリアが剣を横に向け、防御の姿勢に追いやられた。



「羨ましい限りですわ! このように、怪物じみた力を振るいながらもその鎧を纏う事を許され、罪人に正義を掲げて剣を振るう! 何故に許されますの? わたくしと何が違いましたの? ねえ、貴女は答えられますかしら!?」

「ぐっ! ……ぅ!」



 一撃一撃が信じられない程に重い。

 今まで溜め込んだ鬱憤を晴らすように、クリスベリルはその防御を崩すことができるにも関わらず不乱に叩き込み続ける。



「挙げ句魂を砕かれ、追放された者がようやく手に入れた安らぎと願いをすら、今こうして奪おうとしているではありませんか!」



 ここへ来てクリスベリルは初めて剣を両手で握り、大きく振りかぶった。

 隙だらけではあるが、カルメリアは先の衝撃の余韻のせいか防御姿勢を崩せない。



「貴様ら騎士の方が余程化け物だろうが!」



 渾身の一撃はカルメリアの足を地面に僅か沈める。

 苦悶の表情を浮かべるも、赤い騎士は膝を折らない。

 競り合いの状態からクリスベリルの剣を押し退け、カルメリアは切っ先を彼女に向けた。



「ええ、化け物です。化け物でなくては化け物の相手は勤まらず、人々の盾になり続けることもできません」


「では化け物らしくそろそろ本気を出されてはいかが? 手加減されている事に気付いていないとでもお思いかしら?」



 カルメリアは面食らったらようにその灼鉄のような目を丸くする。

 しかしすぐにいつもの無表情に戻り、剣を一振りして地面へ向けた。

 大きく息を吸い、ゆっくりと吐いた後にあの凛然とした視線をクリスベリルへと送る。

 クリスベリルは紅潮した頬のまま、楽しそうにカルメリアの様子を見ていた。



「私の正体に気付いていたのですか」


「剣を振った時に違和感を……そして振り上げた貴女の剣と打ち合った時に気付きましたわ」


「本当に……貴女という方は……」



 カルメリアの剣はクリスベリルが持っても確かに重く感じる。

 だが、どれ程の怪力を有する者が振ろうともあの剣ではクリスベリルが受けた程の衝撃を与えることは難しいはずだ。

 そこへ来てカルメリアが剣を振り上げた時の様子だ。


 衝撃こそあったものの、それまでの異様なまでに重かった攻撃を思えばまるで羽毛のような軽さ。

 あれは、カルメリアの腕力だけで振られた一撃だったのだろう。

 思えば彼女の太刀筋は下ろす事を主に組まれていた。



「重力のスキルを持った来訪者……ではなくて?」


「信じられません……まさか、看破されるなんて……」


「伊達に来訪者に体を貸していませんわ」



 クリスベリルは持っていた剣を投げつける。

 先程同様に横回転しながら飛来するそれは、しかし攻撃の為という訳ではなさそうだ。

 事も無げに柄をキャッチしたカルメリアは、再び一対揃った剣を合わせて巨大剣を作る。



「得物を返すなど、加減しているつもりですか?」


「おかしな事を言いますわね。慣れない武器を振っていた今までの方がて・か・げ・んしてましたのよ?」


「本当に癪に障る方ですね!」



 初撃のように、カルメリアは巨大剣を大きく振りかぶると、クリスベリルへ向かってそれを力任せに叩き下ろす。

 巨大剣による攻撃が、下方向への動作に移った瞬間だった。



「加重・十倍!」



 突如加速した一撃は、それまでの攻撃とは比にならない速度を誇る。

 回避しようとしたクリスベリルだったが、刹那何かに気付いたらしく両腕を交差させて防御の姿勢を取った。

 地響きを鳴らし、衝撃が波風となって大気に伝播する。


 振り下ろした勢いに引っ張られ、カルメリアが宙に舞う。

 剣を引っ張り上げ、縦軸に一回転しながら再びクリスベリルへそれを叩き付けた。



「申し訳ありません。このスキルは制御が難しくて。剣だけでなく、貴女にまで加重が掛かってしまうのです」


「いいえお気になさらず……!」



 常識離れした大きさの剣。

 それをさらに何倍も重くした攻撃を、しかしクリスベリルは素手で受け続ける。

 人間業ではない。


 クリスベリルは来訪者ではないのだ。


 戦闘技術ならば練り上げれば何処までも伸びる事だろう。

 だが、この異常なまでの堅牢さはどう解釈すればよいのか。

 この世界には時折、こんな者が現れるのだろうか。

 カルメリアの脳裏に、騎士団長エメリスの顔が浮かぶ。



「これが本物……」


「考え事とは随分余裕ですわね」


「――!?」



 信じられない。

 今クリスベリルには通常の十倍の重力が掛かっている。

 普通であれば自重で潰されてしまう程の負荷の筈だ。

 それなのに、あの金色の悪魔は右手を突き出したまま飛び込んで来た。


 一体どれほどの脚力で地面を踏めばそれが可能なのか。

 まさかあの女はスキルを受けていないのではないか。

 そんな疑問が脳裏に過る中、カルメリアはその顔面をクリスベリルに掴まれた。



「そろそろ終わりにいたしましょう。わたくしもいい加減、スタミナ切れですし」


「か……加重……二十五倍……!」



 対象はクリスベリルだけではない。

 カルメリアの言葉と同時に、建物が倒壊し始める。

 瓦礫の落下速度は通常のソレではなく、まるで頭上から砲弾を撃ち込まれ続けるかの如く。


 当然カルメリア自身もこれに巻き込まれれば無事ではすまない。

 だが、そんな砲弾のような瓦礫の雨を浴びながら、クリスベリルは事も無げに笑っている。



「殺す気はございませんが、どこまでの加減で意識を奪えるか分かりませんの」


「な、何を――!?」


「ですのでどうか無事に生きていてくださいまし?」



 クリスベリルの手から黄金色の雷撃が迸る。

 雷剣の物とは比べ物にならない程に明るく、けたたましい様はまさに雷撃。


 稲妻のように無数の枝に分かれた電気は、それ自体に破壊力を有するらしく、瓦礫を粉砕して二人の頭上から弾き出す。

 黄金の雷撃は頭上へと延びて行き、まるで大樹の如き姿となった。



「――――――――!!」



 カルメリアの悲鳴すら雷轟に掻き消されて聞こえない。

 雷の大樹は途中で二本の枝を生やし、十字のシルエットを浮かび上がらせた。

 とある少女が初めて戦場で人間を葬った時に使った握雷。


 当時は一人を覆う程度の大きさだったが、今となってはご覧の有り様だ。

 少女はコレに名を付けた。

 かつての自分との決別を込めて、悪魔と呼ばれるのを受け入れる為に。

 落涙の十字。

 すなわち……。



「クルス・ティアー」



 光が止むと、そこには力なく両手を垂らすカルメリアを掴んだままのクリスベリルが立っていた。

 体が軽い。

 どうやら加重は解除されたようだ。


 カルメリアを掴んでいた手を離し、彼女を地面に落とす。

 重力と雷撃で監獄だった塔は跡形もなく崩れ去り、太陽が低くに見える空が頭上に広がっていた。



「さて、王都はどちらかしら――!?」



 カルメリアに背を向けた瞬間、背後からの物音にクリスベリルが振り向く。



「……………………」



 カルメリアが、立ち上がっていた。

 だが、意識は無いらしい。

 光のない瞳は足下に向けられ、両腕にも相変わらず力が入っていない。

 足は踏み出すこともせず、ただただそこに立ち上がった。



「…………」



 クリスベリルは無言のままカルメリアに近付く。

 彼女を優しく抱擁し、聞こえてもいない耳元で囁く。



「貴女とわたくしはやはり違いますわ……もう、倒れても良いのです……誇り高い騎士、カルメリア様……」



 対峙しながら向けていた嫌悪感とは違う、優しい言葉。

 まるで、慈しむように髪を撫で、カルメリアをその場に寝かせる。

 ついぞ限界だったのか、赤熱した鉄のような瞳は閉じ、カルメリアは静かに寝息を立て始めた。



「まったく、これでは本当に……」



 わたくしだけが化け物ではありませんか。

 そう悪態をつくクリスベリルは、しかし同時に美しい天使のようでもあった。



         ◆



 横凪ぎの槍が頭上を掠めた。

 屈んだ姿勢で銃口を向けて引き金を引くも、むなしいまでに高い音を響かせて盾にそれを遮られる。

 本来なら大振りな武器の攻撃にはどうしても隙が生じる物なのだが、大盾の扱いが巧みすぎてその隙を突けない。

 質量武器としてのシールドバッシュも依然として驚異であり、攻防一体の壁として苦しめられる。



 ――ねえクロイツ、相手の動きを止めるアレ使えないの?


「必殺技名……まだ決めてなかったな」


 ――茶化してる場合!?


「使いたいのは山々なんだがな。鏡はダメなんだ」



 何よりも厄介なのがあの盾の鏡面。

 クロスアイズによる拘束は相手をその目に捉え続ける必要がある。

 この能力にもまだ不明な点が多いのだが、対象の所持してる物によって視線を遮られる程度ならば問題なく発動条件を満たせる。


 だが、鏡を見てしまうと発動条件をリセットされてしまうらしい。

 クロスアイズは不思議な力を有するが所詮は目。

 視覚情報は光の伝達にすぎず、反射という物には弱い。



「理解できたか?」


 ――できると思ってんの!?


「えぇー……」



 しかし、何発もエクスプローダー弾を止めながらいまだにその鏡面には曇りもない。

 防護魔法を掛けてあるのだろう。

 対クロイツ用に準備していたということか。

 円盾を前に構え、それを力任せに押し出す。


 所謂シールドバッシュ。

 クロイツはその盾に靴裏を合わせるように蹴りを放ち、風圧の爆発を起こして後方の中へと舞う。

 追撃を防ぐために数発の弾丸を放って牽制し、体を回転させながら地面に降りた。



「……手の内は知れてるって事か」


「然り。クロスアイズにせよ銃の形成にせよ、対策するのはそう難しくはない。お前のスキルは初見での確殺にあまりに向いている」


「よく言う。お前みたいな人間要塞、俺に限らず容易に突破はできないだろうに」



 槍の攻撃だけは全て回避しているものの、それに動かされた所へシールドバッシュが飛んでくる。

 打撃は深い傷こそ負わないがスタミナへの損害が大きい。

 致命傷を与えることが難しい以上、この事態はなかなかに深刻だ。



 ――ねぇ……クロイツ。



 頭に響くのは囁くようなアルシェの声。



「どうした? 」


 ――切り札があるって言ったら乗る?



 森番として戦闘経験が豊富なアルシェだが、彼女は所詮は一人のエルフに過ぎない。

 来訪者でもない以上、種の能力を大きく超えた力は扱えないはずだ。

 今対峙しているエメリスは、弓との相性は最悪と言っても良い相手であり、それを補助する風の魔法では打破はできない。

 それはアルシェ本人もよく分かっているはずだ。


 その上で提示してきた切り札。

 クロイツは薄く笑みを浮かべ、小さく頷く。

 ああ、乗ってやろうではないか。

 今のクロイツとアルシェは運命共同体なのだから。



 ――じゃあ、ちょっと外すわね。


「は?」



 抗議する間もなくクロイツ――黒い籠手がアルシェによって外される。

 様子を見ていたエメリスも流石に面食らったらしい。顔には珍しく驚愕の表情が浮かんでいる。



「銀の月。虚の森。夢の夜」



 黒い服に身を包んだエルフが、小さな声で呟くように言葉を並べる。

 銀の月。

 虚の森。

 夢の夜。

 言葉も発せないクロイツは、しかし彼女の言葉に、とある景色が脳裏に浮かぶ。



「虚構は揺り篭にして夢の守。其の真実はここに在り」


「まさか……詠唱!?」



 魔法は魔力を用いて特定の現象を発現させる物。

 風の発生にしても放電にしても、あれは魔力を自然現象に変換しているにすぎない。

 発動させた魔法の形状固定などに魔力の制御能力こそ問われるが、基本的には難しい物ではない。


 しかし時に禁術、大魔法、大魔術などと呼ばれる物が存在する。

 これらは魔力を使って世界の法則をねじ曲げ、本来ならば有り得ない現象をすら起こす魔法。

 当然制御は容易ではなく、これらの発動に用いられる物が、魔力制御を言語によって行う詠唱という行為だ。



「夢を見よ。月落ちるまで囚われよ。夢を見よ。月落ちるまで抱かれよ」


「させるものか!」



 歌うようなアルシェの美しい声だが、エメリスはそれを大人しく聞いていてはくれない。

 槍を構え、まっすぐに彼女へと突撃してくる。

 アルシェは動じない。

 この状況においても目を閉じたまま、森の動物と語らうかのように言葉を紡ぎ続ける。



「我ら森と共にあり。故に森は我らを喰らう」



 エメリスの槍はアルシェの頬を掠める。

 回避行動を取ったのならば直撃するように突いたのだろう。

 そのままエメリスは盾を後ろに引き、シールドバッシュの構えに入る。

 アルシェは後方に退くのではなく前に半歩出ると、極至近距離で動きを止めた。


 懐に入る。


 エメリスの武装に対しては、これ程までに有効な手段は無いだろう。

 しかも今はそれを嫌って距離を離そう物ならば詠唱が進められる。

 エメリスが忌々しそうに歯を喰い縛っていた。



「我は望む。どうか、森が其を守らん事を。現れよ夢幻樹海」


「くっ!」


「発動せよ! 幻惑の森よ!」



 緑色の光が辺りを包み、その場にいた者の視界を奪う。

 懐しさすら覚える森の匂いの中、アルシェはエメリスから距離を取った。

 後はこれが何処まで通じるか。

 隣に立つ人の気配に、アルシェは小さく笑うのだった。




         ◆




 強烈な光に奪われた視界が戻る。

 同時に、眼前に広がった光景にエメリスは驚愕した。



「何なのだ……これは……!?」



 眼前には暗い森が広がっている。

 木々や土の香りが鼻に入り、足元の感覚も土を踏むときの物だ。

 見上げれば背の高い木と、その葉によって遮られた夜空が見える。


 世界の法則をねじ曲げ、本来ならば有り得ない現象を発現させる魔法。

 詠唱を伴う物を自分が受けたのは初めてだが、なるほどこれは凄まじい。

 しかし取り乱してばかりのエメリスではない。


 一度大きく呼吸をし、盾と槍を構え直して周囲を見渡す。

 やることは変わらない。

 あのエルフを下し、クロイツを無力化すれば勝利なのだ。



「形成」



 男の声が何処からか聞こえた。

 まるで覚えのない声のはずなのに、何故だかそれはあの男だと即座に理解できた。



「ガトリング」



 直後、木々の間からけたたましい射撃音が連続で響いた。

 反射的にエメリスはそちらへ盾を向ける。



「ぐ! おおおおお!」



 盾越しに腕へと伝わる衝撃が尋常のそれではない。

 一発の重さは先程までの豆鉄砲とは比べ物にならず、そして何よりも発射数が多い。

 あまりに多い。



「形成・対物狙撃銃」



 連射が止むや否や、再びあの男の声が聞こえた。

 まずい。

 エメリスは本能的に危機を感じるも、盾を構える以上の事ができない。


 重い、あまりに重い炸裂音が聞こえた後、肩が外れかねない凄まじい衝撃が伝播した。

 腕が痺れる。

 感覚が一時無くなり、盾を落としそうになる。



「アンチマテリアルライフルを生身で受け止めるなんて……お前は本当に人間なのか?」



 森の奥、吸い込まれそうな夜闇の中から亡霊のような男が歩いてきた。

 見慣れたあの黒い籠手が装着されているが、それはいまや左手だけに留まらず、左右の腕を肩まで覆う甲冑のようになっている。


 両の肩から先のないぼろ布のような、まるで黒にも見えるほど暗い赤色のロングコートは前が大きく開かれ、素肌を露出させていた。

 暗い茶色の革ズボンに黒いブーツを履き、コートとよく似た髪色の頭には鍔付の帽子を被っており、そこから左のクロスアイズが覗いている。



「初めましてだなエメリス」


「クロイツ……なのか……?」


「お前達の礼に倣って名乗ってやろうか?」



 クロスアイズの男が両手に持った巨大な――エメリスが見たこともないような――銃をそれぞれ地面に落とす。

 片手で帽子をずらすと、あの目を向けて口を開く。



「元ネレグレス王国騎士団。追放者にして、クロスアイズの魔砲使い。黒騎士クロイツ…………ここに在るぞ」



 クロスアイズは虚飾を払い、真実を暴き出す力があるはずだ。

 だが、この男の目は今エメリスが見ている物と同じものを見ている。


 おかしい。


 間違いなくこれは幻惑だ。


 城の広場にいた自分達が、いきなりこんな森の中にいる筈がない。

 そう理解はしていても目の前の男がそれを否定してくる。

 これは現実だと。

 あの瞳が何よりの説得力を持って語りかけるのだ。



「虚構でも現実でも変わりはない。貴様を討てば良いだけの事」


「エメリス。お前はどうしてそうまで俺達に固執する」


「剣を預けた……王の命故に!」



 エメリスは槍を振るう。

 如何な下命であろうとも、それが剣を預けた相手の物であるならば全てを賭して遂行する。

 それが白の騎士道。

 己が己であるための道であると信じ――決して疑わず。




         ◆




 不器用な男だ。

 鬼気迫る表情で槍を振るうエメリスに、クロイツはその目を向ける。

 あるいは、自分もこう見えているのかもしれない。


 剣を預けた。


 ただそれだけの理由で、あらゆる罵声をも、蔑みをも飲み込もうとしているのだろう。

 前王の時代からの騎士の長がその暗殺を防げなかっただけでなく、早々に新王に膝を折る。

 誰がどう見ようともこの男は裏切り者だ。



「嫌われるような事ばかり言って、その先を話さない不器用な奴……ああ、同族嫌悪って奴だなこれは!!」



 突き出された槍の先端に、その手にいつの間にか握られていたショットガンの先端を合わせて引き金を引く。

 衝撃にエメリスが姿勢を崩すも、すぐさまあの大盾でそれをカバーしようとする。



「来訪者の身体能力、知らないわけじゃないだろう」


「ぬぅっ!」



 弾いた槍の側に足を運び、暗い赤色の残線を引くような速度で身を滑り込ませる。

 そのまま鎧にピタリと銃口を合わせ、ショットガンの引き金を引いた。

 しかしエメリスは僅かよろめいただけで、すかさず盾による打撃を敢行するも、クロイツは片腕でそれを受け止める。



「お前ほどの騎士が前王の暗殺を防げなかった筈がない。一体何があった? 何で王を見殺しにしてレーヴェフリードに鞍替えした」


「答える義理はない」



 エメリスの強烈な頭突きに僅かよろめいた矢先、すかさずショルダータックルが叩き込まれて距離を離される。

 肩を突き出した姿勢のまま、見れば片手は後ろに引かれて槍を構えていた。


 間髪いれずに胴体を臓腑や骨ごと貫かんばかりの刺突が繰り出される。

 しかし、如何に速い一撃でも点の攻撃を避ける事は難しい話ではない。

 僅か身を斜めに引き、槍の直線から離脱する。



「両形成・リボルバーツェリスカ」



 いつもの青白い光ではない。

 毒々しいまでの赤黒い光が集まり、冗談みたいなサイズのリボルバー銃が両の手に形成される。


 ツェリスカ。


 元の世界では装甲車を貫通して内部の人間を殺傷できる。ゾウの頭蓋を砕いて殺す等のトンでもない逸話がついて回る弾丸を扱える、およそ拳銃と呼ぶのに疑問すら浮かぶハンドガンだ。

 防護魔法が張られたあの盾を貫通できるかは分からないが、少なくとも鎧越しのダメージはショットガンの比では無いだろう。


 クロイツはすぐさま片方の銃口を向け引き金を引く。

 槍を突き出した姿勢、盾による防御は間に合うまい。

 苦笑いが浮かぶほどの射撃反動が腕に伝わる。

 正直、片手で扱う代物ではない。



「――!?」



 腹の鎧を砕かれ、銃弾がエメリスを貫通した。

 声にならない呻きをあげるも倒れる気配が無い辺り、流石と言うべきか呆れるべきか。

 赤い雫を滴らせながら、エメリスは構わずシールドバッシュを行ってくる。

 まともに喰らえば致命傷なのは槍の方だが、やはり何より厄介なのが攻防一体のこの攻撃だろう。



「ぬぅぅあぁ!」


「くっ!」



 咄嗟に両腕を交差して正面からそれを受ける。

 これと比べるならばツェリスカの反動の方がまだ可愛いげがあるか。

 地面に後を引きながら、クロイツは後方へと弾き飛ばされる。


 その間にも両手の銃を数発ずつ放つが、やはりあの盾に止められた。

 しかしどうやら着弾の衝撃は相当に大きいらしく、傷口には響いているようだ。

 見れば先程穿たれた腹の風穴からと思われる血が、エメリスの足元に血溜まりを作っていた。



「最初に言った通り殺す気でやっている。無理だと思ったのなら早めに言えよ」


「生憎、この身には降伏を告げる口は持ち合わせていなくてね」



 汗を流しながらも不敵に笑うエメリスに対し、クロイツは銃を向ける。

 クロスアイズの赤が冷酷に光り、そして――。




         ◆




 クロイツを残したまま、アルシェは城内に侵入していた。



「私達は話をしに来たの。忘れちゃいけないわ」



 自分に言い聞かせるようにアルシェは呟く。

 そう、なにも彼女らは殺し合いに来たのでも、革命を起こしに来たのでもない。

 王へ話があっただけなのだと。


 大魔法・幻惑の森。


 かつてアルシェが囚われていた夢の世界を作り上げたのと同じ魔法だ。

 クロスアイズを有するクロイツでは、それが仇となって魔法が解除されないか心配ではあったが、どうやら上手く行ったらしい。


 再現したのは彼の真実の姿。

 クロスアイズは虚飾を払う瞳ではなく、真実を見る瞳という事か。


 幻惑の森はその核となった対象にはまさにそれが真実であり、それ故にアルシェは一人であの森から抜けられなかった。

 限定的に自分の姿を取り戻したクロイツは、アルシェに単身突入を促した。

 クリスベリルの見張りに人員を割き、彼がエメリスを抑えている以上はもうアルシェを止められる戦力は残っていないはずだと。



「もう! 無駄に豪勢で広いわね! その癖誰にも鉢合わせないし!」



 悪態が広い廊下にむなしくこだまする。

 城内に踏み入ってからというもの、兵士どころか使用人の顔すら見ていない。

 広い建物が静まり返っているというのも不気味な物だ。


 幸い、森での生活に慣れているアルシェは方向感覚が良い。

 迷いそうな建物だとしても、ちょっとした汚れや壁の傷等で一度通った場所かどうかが判別できる。



「バカとお偉いさんは高い所が好きよね………………私、高いところ好きだったわ……ツッコミ無いと寂しいわね」



 階段を登り、ひとまず最上階へ。

 窓からは柔らかい朝の日差しが入ってきている。

 人間の王が作った城の構造などエルフが知るはずもな――。



「いや、待った。待つのよアルシェ。昔師匠が見せてくれた絵本があったじゃない!」



 竜討伐の英雄譚。

 あの話に確か人間の王様が登場していたはずだ。

 お城の形は四角形でその真ん中に玉座の間が描かれていた。

 さて、ではこのネレグレスの王城だが。

 当然絵本に出てくるような間取りはしていない。



「ダメね。詰んだわ」



「まったく、そんな事だと思ったよ……」



 聞き覚えのある声に振り返ると、そこには困ったような顔をした長身の男性が立っていた。

 茶色の髪、眼鏡の奥に光る緑色の瞳、間違えようもない。

 アルシェもよく知る人物だ。



「な、ななななんでアンタがいるのよ!? ルクス!?」


「言っただろう? 絶対に安全な潜伏場所のアテがあるって」


「よ、よりにもよって敵の懐じゃないの……え、でもどうやって……」


「内通者がいてね。積荷の中身に紛れて運び込まれたんだよ」



 頬を掻きながらルクスは踵を返す。

 アルシェはすぐさま意を汲み、彼の後ろについて行く。


 しかし、本当にこの男は何者なのだろう。

 内通者を忍ばせていたり、大罪人のクリスベリルの管理を任せられていたり、あまつさえ城の構造にも明るい。



「多分、今君が疑問に思っている事はレーヴェフリード王と話せば大概分かると思うよ」



 心中を察したのか、彼は振り返りもせずにそう告げる。

 ルクスの顔が見えないのが、何故だかどうしようもなく不安だった。

 程なくして巨大な扉の前に着く。



「さあ、行っておいで」


「私に任せる……だったわね。うん、期待して待ってて!」



 脇に退いたルクスに手を振り、アルシェは一人扉を開いて潜り抜ける。

 暗い玉座の間に消えて行く彼女を、ルクスは優しい顔で見送った。




         ◆




 部屋の最奥、巨大な窓を背にした位置に玉座がある。

 その窓以外は暗幕によって光が遮られ、弱々しい蝋燭の明かりがまばらに照らすばかりだ。

 大理石の床は気味が悪いほどに白く美しく、まるで凍った湖の上を歩いているかのようにすら感じる。


 カツン。


 カツン。


 リズムよく足音が響く。

 しかし玉座への距離が縮まっているよう気がしない。

 雰囲気に飲まれているのだろうか。



「……………………」



 一人言の軽口を叩く気にもなれず、アルシェら真剣な表情で歩を進める。

 逆光でよく見えないが、間違いなく玉座には誰かが座っている。


 自分を殺しに来たかもしれないエルフの侵入者に気付いているだろうに、頬杖を突いた姿勢のまま動こうとしない。

 ひたすらに長く感じた扉からの距離は、恐らく体感の半分も無いのだろう。

 玉座の前に着き、アルシェはそこに座る男と視線を合わせた。



「よくぞ参った。最後のエルフ」


「アンタが、第一王子レーヴェフリード……」



 薄い緑色の瞳がアルシェを捉えた。

 口許には薄い笑みが浮かんでおり、女性のように長い黄金の髪は玉座の影で黒ずんで見える。


 青い襟元に金の刺繍が施された白い服に、暗い紫色の上着を羽織った姿はなんとも気品が漂う。

 着る者を選ぶであろう服装だが彼は自然に、いや、そうあるべきかの如く着こなしていた。



「申す通り、余こそが新王レーヴェフリードである」



 アルシェは本能的に悟る。

 こいつからはエメリスやあの赤い騎士のような危険性を感じない。

 なのにも関わらず、こいつから感じる異様なまでの重圧は一体何なのだろうか。

 空気が重く、肺への侵入に抵抗しているかのような感覚すら覚える。



「どうした? 余に話があったのではないのか?」


「アンタ、なんでグラースを潰しに掛かるのよ」


「危険だからだ」



 さも当然であるかのように、まるで問いが分かっていたかのように、一切の思考も無くレーヴェフリードは言い放つ。



「危険だから!? どこがよ! 何がよ! クリスが!? それとも私が!? クロイツが!?」


「いいや、怪物ではない。エルフでもない。ましては来訪者でもない」


「じゃあ何が――」


「平和が、だ」



 薄緑の瞳が僅か見開かれる。

 声はあくまでも淡々と、それでいて何処か怒りを感じる。


 金属じみた冷たさを覚えるのに、目の前のそれは間違いなく同じ生物だと。

 理解はできる。

 しかし納得を頭が拒む。



「余は平和を愛する。先の大戦によって失われた数多の命を見て、二度と過ちは犯さぬと……犯してはならぬと心より思うたわ」


「それなのに……平和が危険って……」


「ああ、危険だ。世界よりあらゆる争いが失われたならば、次にその火種になるのは何か分かるか? ――兵士だよ。戦いの場でしか生きられぬ者達が居る。彼奴等から戦場を奪えば、力を持つ彼奴等は必ず自分達の生きる場を作るために戦火を欲する」


「――――」



 言葉が出ない。

 この男、レーヴェフリードは見ているものがあまりにも違いすぎる。


 平和を愛する。

 きっとその言葉に偽りはない。

 だが、こいつが見ているものは完全な平和ではないのだ。



「世界は血を流さねばならぬ。流し続けねばならぬ。……でなくては膿が溜まり、やがて四肢が腐り落ちよう」


「……そうかもね……」


「故、グラースのような傷口を塞ぐ者達が力を持ちすぎてはならぬのだ」


「小さな戦争を定期的に起こすために、それを止めてしまうグラースから力を奪ったって事……?」


「如何にも」



 世界に血を流させる。

 大を救うために小を切る選択だ。

 それは正しいのだろうか。


 レーヴェフリードの声には、言葉には、不思議とそれを受け入れてしまいたくなる甘い響きがある。

 魔法やスキルの類いではない。

 真に平和を愛するが故に、愛しすぎているが為にその言葉はまるで呪いの様に聞くものを蝕むのだろう。



「なによそれ……! 嫌に決まってるじゃない!」


「ほう? では何か代案でもあると申すか?」


「あるわけないじゃない! こちとら頭悪いのよ!」



 流石のレーヴェフリードもこれには面食らったらしい。

 怒鳴るアルシェをただただ見つめていた。



「大を救うために小を切るなんてね! 私達エルフはまさにその被害者よ! 私が寛容だから問題も起こさないで過ごしてるけどね! 本当なら反乱軍でも立ち上げてるところよ!」


「故にこそ、切るのならば後腐れ無く、一切の容赦もなく消し――」


「できてないじゃない! ほら! 見なさいよ私を! 禍根残してるじゃない! それを何よ! 自分の語る理想は達成できる綺麗事みたいな物言いして! できてないじゃないの!」


「然り。だが先にそなたが自身で申した通り、反乱を起こそうとして然る所を、逆に異分子の征伐に協力したそうではないか」


「それは……」


「故に余はそなたへ……最後のエルフへの温情を与える事としたのだ」



 だから拘束されたのはクリスベリルだった。

 赤い騎士も言っていた通り、アルシェは庇護を受けるに相応しい立場であると認められたという訳だ。



「余の考えは変わらぬ。兵の、騎士の剣を預かる者として、彼奴等の生きる場を失わせる訳には行かぬのでな」


「いいえ、それはきっと逃げてるだけだわ……」



 アルシェの視線は冷たい。

 銀色の瞳は無機質に、鋭くレーヴェフリードを捉え貫く。


 代案などはない。


 そんなものが考え付くのならば、きっとエルフは滅びてなどいなかった。

 だからこそ、レーヴェフリードの言葉に頷くことはできない。


 駄々をこねる子供の戯れ言であろうとも、ここで引くことだけはできないのだ。

 滅び去ったエルフの、最後の一人として。




        ◆




 地面の血溜りの上、鎧にいくつもの穴を穿たれたエメリスが立っていた。

 口からも血を流し、息を上げながらも決して膝だけは突いていない。



「殺す気で……来るのではなかったのか……」


「気になった事が聞けないままってのは気分が悪くてな」


「甘い男だな……」



 盾を振りかぶろうとして、即座に腕を撃ち抜かれる。

 満身創痍どころではないだろう。

 来訪者でもない人間が、限界を越えている肉体を精神力だけで突き動かしている状態だ。

 もはや痛みの感覚すらも無いのかもしれない。



「騎士は……王に剣を預ける者……」



 自らを奮い立たせる為にか、まるでうわ言のように呟く。

 槍を地面に突き立て、血走る黄金の目でクロイツを睨みながら震える足で立ち上がる。



「私の剣は王に預けた……」


「!?」



 ボロボロになった鎧はついぞ限界だったのか、破片となって崩れて落ちた。

 その下から現れたエメリスの肌に、クロイツはこめかみに汗を流しながら苦笑を浮かべる。



「では部下の剣を預かる私は何者なのか」



 身体中にびっしりと紋様が刻まれていた。

 黄色い光がそれに走り、穿たれた穴が見る間に塞がって行く。

 力なく震えていた足が地面を強く踏み、地面に突き立てていた槍を引抜き、空を払う。



「騎士の剣を預かる以上、私は騎士にして王でなくて何なのだ!」



 目に光が戻り、盾も持たずに槍を振る。

 鎧を失った事で速度が先程までの比ではない。


 槍の動きに合わせるように銃を撃つ事で軸をずらすが、動作から動作までの間隔が短すぎる。

 エメリス本人に向けて引き金を引くも、体に穴が開くのも気に留めず槍を振るい続ける。


 止まらない。


 体に刻まれた紋様は回復魔法の物だろうが、あれに痛みを和らげる力は無いはずだ。

 捨て身の覚悟を決めたエメリスに、流石のクロイツも押され始める。



「レーヴェフリード様は騎士達の、兵達の生きる場を失わせぬ理想を語ってくださった! 世界は血を流し続けねばならぬ! そうでなくては戦う事しかできぬ騎士達は、いずれ自らが戦火となってしまう!」


「それはてめぇらの心が弱いだけだろうが!」


 槍を掻い潜り、握り締めた拳をエメリスの頬に叩き込んだ。

 よろめくエメリスの胴体に向かって引き金を引く。



「俺の知ってるエルフのバカはな! 同胞を全て滅ぼされても復讐も考えねぇで笑おうとしてんだぞ!」


「心の強い者ばかりではない! それは事実だ! 故に弱き者を守ってやらねばならぬのであろうが!」



 喉笛を噛み千切らんばかりの勢いでエメリスが迫る。

 槍を地面に刺し、クロイツの顔面にエメリスも拳を叩き込む。



「それに! あのエルフとていつまで笑っていられるか分からぬではないか! 何かの拍子に復讐心に駆られるか、貴様に分かるのかクロイツ!」


「ああ分かる! あいつはいつまでも笑っている! 誰にも復讐なんてせずに、ひっそりと死んでいける! そういう奴だよアルシェは!」



 武器もない、技術もない。

 兜もなく、互いにノーガードで顔面を打つだけの殴り合い。


 正論と理想論。


 善も悪も分からず、ただただ二人は自分の主張をぶつけ合う。



「美しい限りだな。それが孤独な者同士の信頼という奴か!?」


「美しさの欠片も無いな! それが騎士団の信頼か? ええ!?」


「私は騎士にして王だ! あらゆる者を守らねばならぬ!」


「俺は追放者で化け物だ! 誰かに守って貰うなんて御免だな!」



 どれ程そうしていただろうか、とても長かった気もするし、ほんの刹那の出来事だった気もする。

 エメリスが地面から槍を抜き、クロイツの手には銃が握られる。

 息の上がった二人はそれぞれ得物を構えた。



「平行線の戯れ言じゃあ……」


「時間の無駄――だな!」

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