第3話 来訪者と臆病者

 建物に入るなりクロイツは、外套を脱いだ。


 彼の本体である黒い籠手に覆われた左手と、十字の模様が浮かび上がる左目が特徴的な金髪の美しい女性が姿を現す。

 彼女……いや、彼は頭を軽く振り、手櫛で軽く髪を整える。



「やっぱり窮屈だったのね。それ」



「ああ、クリスベリルは髪も長いから余計にな」



「そこで切るって考えにならないのがアンタの良いところだと思うわ」



 銀のエルフ、アルシェが笑いながら後に続いて入ってくる。

 長く馬車に揺られて着いた町からまた歩き、ようやく辿り着いた国境付近の小さな村。


 その規模とは裏腹に村の中央に聳える建物は大きく美しく、貴族の館を思い起こさせる。

 大扉を潜った先、所謂エントランスの絨毯を歩く。



「これがギルド……」



「ギルドマスターとしてはこんな建物は金の無駄って考えらしいがな。俺やクリスベリルを抱えている以上、お偉い方の来訪も無くはない話になってくる」



 国の運営も一枚岩ではない。

 当然国の直轄でないギルドが活動している事、クロイツやクリスベリルという力ある個人を放し飼いにしている事を不満に思う人間もいる。


 円滑に組織を運営するのならば、可能な限り方々に良い顔を見せておくべきだ。

 元々はこの土地を治める貴族の屋敷として建てられた物であり、複数並ぶ扉の半数は来客用の寝室だ。


 しかし、所有権がギルドに移ってからは管理に掛かる人手が不足している為、急で使う予定の部屋以外はローテーションで手入れされているのが現状。



「この建物で働いてみたくなったか?」



「悪くないわね。森の草で肌を切る心配もないし、この際可愛いお洋服なんかも着てみたいし」



「お前のメイド姿か。確かに様になりそうだな」



「でっしょー?」



 ……詐欺にでも遭わねば良いが。

 数日を共に行動して分かってきたのだが、どうにもアルシェは頭が弱い。

 森番として対峙し、弓を構えられていた時はその戦況判断能力を驚異に感じたのだがこのエルフ、それ以外の事はさっぱりだ。


 朝は弱い。乗せられやすい。好奇心に負けてろくでもない事をしでかす。物の食べ方が汚い。等々、枚挙に暇がない。

 何となくあの森のエルフ達が何故あんな魔法を起動したのか分かった気がする。



「しかしお前はもっと人間を嫌っているかと思っていたんだがな」



「ええ、嫌いよ」



 語調が変わるでもなく、表情に出るでもなく、まるで天気が良いですねとの問いに、はいそうですねと答えるようにアルシェは当たり前に応答した。



「仲間も生活も奪われたんだし、嫌わない理由がないわ。だから私は人間を一纏めに考えるのはやめたの」



「不思議な考え方だな」



「自分でもそう思うわ」



 背後を歩く彼女の表情は見えないが、きっと苦笑いでもしているのだろう。

 曰く、森の中で標的を探す感覚なのだそうだ。


 家族を守るために泣きながら武器を持った者もいる。


 力も信念も無いのに銃を持たされた者もいる。


 悲劇に耐えられず心が壊れた者もいる。


 アルシェは彼等まで恨むことができなかったらしい。

 エルフは人間によって多くを失った。アルシェを遺し、住処も仲間も何もかもを。


 強い女だ。


 雷光のクリスベリルとは違う強さ。

 絶対的な暴力として振るう力ではなく、心持ちの話である。 



 ――あら? 寛容さの話でしたらば、わたくしも命を狙ってきた国に身を捧げた経歴があるのですけれど?



 そちらの場合、寛容なのはむしろお前を生かしておく方に話を進めてくれた国だろうに。


 呆れた様子は表に出さない。

 そうこうしている内に二人は執務室の前に辿り着く。

 両開き木製扉がなんとも厳かな雰囲気を醸し出している。

 クロイツはノックもせずに扉を開けた。



「ただ今戻った」



 扉を潜った先の部屋は広く、左右に本棚が並んでいる。

 中央には大きめなテーブルと、それを挟むように置かれた椅子が左右に二つずつ。


 さらにその奥、窓を背負う位置に大きな執務机がある。机の上には書類が積まれ、綺麗な姿勢でそれにペンを走らせる男性の姿が一つ。



「おかえりクロイツ」



 彼はクロイツの言葉にすぐさまペンを置き、立ち上がって声を掛けてきた。

 顔付きは30中頃に見えるが詳細は不明。クロイツ……いや、クリスベリルよりもさらに長身で、シャツとベストの装いがよく似合っている。


 そろそろ整えた方がよさそうな茶色の髪は左右に分けられ、眼鏡からは深緑色の瞳が覗いていた。

 長身な割に線の細い体つきではあるがその表情は柔和で、窓から差し込む優しい陽射しの中にいるのもあって何故だかとても安心する。



「そちらの彼女は? って、あー、いやすまない。僕はルクス。このギルドのマスターを任されている者だよ」



 クロイツが背後に視線を遣った。

 口数の少ない彼だけに、その目は口以上に饒舌だ。

 アルシェはその視線を受けると軽く頷いて自己紹介をする。



「私はアルシェ。貴殿方ギルドが調査に踏み入った土地にかつて住まっていたエルフの生き残りです」



「エルフ……」



 ルクスの緑の瞳にアルシェの長い耳が写り込む。

 ほんの短い沈黙は疑念の為の物ではなく、知識と実物との整合性を飲み込む為の物であったように思える。


 僅か開かれた窓からは穏やかに風が入り込み、カーテンとアルシェの銀の髪を揺らしている。



「まず謝罪しよう。結果とこちらの思惑はどうあれ、我々ギルドは君達の土地へ最も似つかわしくない人物を送ってしまった」



「エルフの代表として貴殿方の誠意は確かに受け取りました。……正直、感謝しているわ」



 眉間にシワを寄せていた表情から一変、アルシェはその口許を綻ばせる。

 肩を軽くすくめ、クロイツに一瞥だけする。

 必然、彼の十字の瞳と視線が交差した。


 口数少ないクロイツの目は饒舌だ。

 言葉も表情の変化もなくとも、彼が笑ったような気がする。



「あの森は優しくて、居心地が良くて、未来が無かった。ゆっくりゆっくりと幸せなまま死んでいく世界だったの……」



 知らずの内、手が震えていた。

 それが恐怖によるものなのかはアルシェ本人にも定かではない。


 何も分からない。


 分からないからこそ、あの森は間違っていたと胸を張って言えるのだ。



「夢より覚ましていただいた事に感謝を」



 流石に気恥ずかしくなったのか、クロイツは左手で頬を掻いている。

 ルクスは眼鏡の奥で瞳を丸くしていた。

 予想外の対応だったらしい。



「エルフは滅んだわ。……だから、ここに居るのはアンタ達ギルドに助けられた一人の小娘よ。クロイツを友人だと思っていて、その上司を悪しからず思っているだけのね」



 アルシェは背中で手を組みながら、軽い足取りで部屋を歩く。

 目は伏せられて、すこし恥ずかしいのか白い肌には朱が差している。


 片足を軸にくるりと回ると、組んでいた手を解いて部屋の中央にあるテーブルに添えられた椅子に深く腰掛けた。

 椅子の脚が僅か浮き、軽い音を響かせて床を叩く。



「お世話になるわ。戦後復興支援ギルド【グラース】の皆」



         ◆



「良い子だったね」



「あいつはバカだが考え方は人生の指標にもできる」



 アルシェを館の一室に案内した後、細かな報告も兼ねてクロイツは執務室に戻ってきた。

 窓を背負う位置にある机に腰掛けたルクスは書類に筆を走らせながらこちらに話題を振る。


 賑やかしが居なくなってしまったが、クロイツも外見だけならば大層な美女だ。部屋に華がなくなったというような事はない。



「魔物の発生についてはエルフがあいつを守るために発動させた魔法が原因だった」



「確証は?」



「無い。近隣の街に経過観察を頼んできたから、月の位相が三順する間に何事も無ければ解決と見ていいだろう」



「ふむ、その魔法を解除したから中核になっていたアルシェ君の保護が必要になった……と」



 短い返事を返す。

 淡々としたやり取りながら、二人の間に険悪さはまるで存在しない。


 と言うのも、クロイツとルクスはグラースことこの戦後復興支援ギルドの設立から携わっている初期メンバーに当たる

。クリスベリルを封じた実績を持つクロイツのお陰で、問題の解決能力に関しては何処からも文句を言わせず、また各地との連携についてはルクスの手腕が優れていた為に手際よくこなされて行った。


 たった二人の有力者が開設したギルドだったが、その実績と影響力は大きく、志願者も徐々に増えてきている。



「しかし凄い子を連れてきたものだね君は。大戦で滅んだと思われていたエルフの生き残りだなんて」



「迷惑だったか?」



「とんでもない。そう言った人々への支援も僕達の仕事だ」



 ペンを置いてルクスが立つ。

 大きく伸びをする彼の口からはあくびが漏れる。



「お茶をいれるけど、クロイツも飲む?」



「俺は結構。お前の煎れる茶は不味い」



 平和な男だ。

 日がな一日机に向かって仕事をし、気が向いたら安い葉で不味い茶をいれる。

 銃の重さも知らない。剣の重さも知らない。魔法も使えず、まして命など奪ったこともない。


 戦場を知らない男。


 まさにこれから世界が目指すべき場所に居る人物と言えるだろう。



「言うと思ったよ。単に君がお茶が苦手なだけだろう?」



「ああ、元の世界でもコーヒー派だったと思う」



「コーヒー……コーヒーねぇ……」



 ルクスには度々あちらの世界の事を話している。

 話しているとは言ってもクロイツには記憶がなく、知識にある物を話題として出しているだけなのだが。


 そんな中でコーヒーの話をしたこともある。

 煎った豆を砕いて、それを水や湯に通した苦い飲み物……としか説明できなかったのが悪かった。


 言ってしまえば葉の代わりに豆を用いる茶みたいな物なのだが、ルクスからの反応は見ての通りとても微妙なもの。


 嗜好品としての歴史も深い飲み物なだけに、機会があるならば飲ませたいが豆からコーヒーを抽出する方法は流石に知識の中には無かった。

 いつかそちらに明るい来訪者に出会える事を願うしかない。



「さて、クロイツ。僕からも一つ話しておきたい事があったんだ」



 湯気で曇った眼鏡を一旦外しながらルクスがそう切り出した。

 声のトーンは変わらない。

 世間話の続きでもしようかと言わんばかりの、いつも通りの様相。



「クロスアイズと思われる目を持つ者が現れたらしい」



「!?」



 今にも掴み掛からんばかりに身を乗り出す。

 クロスアイズはクロイツの意識が表に出ている場合に浮かび上がる。いや、正確にはクロイツの本体である黒い籠手を身に付けている時に現れると言うべきか。


 籠手を身に付けている限り、意識して主導権を渡そうとでもしなければクロイツにその身を支配される。

 以前、アルシェがクロイツを身に付けながらも半分以上支配から逃れていたのは極めて特異な例と言える。


 推測だが、彼女がクロイツ……と言うよりその力と相性が悪かったが為に起きた事象だろう。

 今回は見つかったとされるクロスアイズを持つ者は、はたしてどうなのか。


 もう一人のクロイツと言える人格か、あるいは力だけがその身に宿っているのか。



「まだ君の身体かは分からないけどね。それと似た目をしている以上、話さない理由はないだろう?」



 ――ふふふ、嬉しそうですわね。



 頭にクリスベリルの笑い声が響く。

 嬉しそうとはよく言う。

 体は正直と言うべきか、クリスベリルはクロイツ本人以上に昂っているらしい。

 呼吸が苦しくなり、胸が早鐘を打っている。


 それだけではない。


 全身が熱を持ち、頬が上気しているのが自分でも分かる。

 この体に劣情を抱いていた頃以来の感覚だ。



「だ、大丈夫かい?」



「あぁ……大丈夫ではないが……はぁ……問題はない……クリスベリルが……ん……一人で盛っているだけだ……」



 ルクスはさぞや目のやり場に困っている事だろう。

 目の前でスタイルの良い美女が頬を赤らめながら潤んだ瞳で荒い息をしているのだから。


 しかもその中身が男で、興奮しているのは中身の男性ではないということまで理解しているのだからなおのことどうすれば良いか分からなくなっている事だろう。

 ルクスは逃げるように執務机に向かい、その引き出しから紙の束を取り出した。



「目撃情報を纏めた資料。渡しておくから、落ち着いたら読むといいよ」



「感謝、する」



 受け取ったクロイツは背を丸めながら足早に部屋を出た。

 クリスベリルという怪物は、魂を削られて尚もクロイツの支配下の体に影響を及ぼす程に自我が強いという事か。


 相性が悪く影響を受けにくいアルシェとは違い、支配を受け入れてその上で主導権を取り戻せるといった様子だ。


 普段はクリスベリル本人が意識して自己を表層化させないようにしている為に完全に抑え込まれているように見えるが、本気で抵抗したらどうなるか分からない。

 二人との付き合いの長いルクスはそんな風に感じていた。



「しかしなんとも刺激が強い……」



 中指で眼鏡を直し、湯気が立たなくなったお茶を一息に飲み干した。

 クロイツにはもう少し、自分の体が大変な美人である事を自覚してほしい限りである。

 女性経験から疎遠なルクスは毎度毎度赤面させられる事が多い。


 中身が男、外側は美人だが怪物。この事実をしっかりと認識しているのがせめてもの救いか。

 間違っても間違いを起こす気がしなくなる。



「怪物ねぇ……」



 窓から外を見る。

 葉が色付き始める頃合いの景色が、まるで額縁に入れられた絵画のように広がっていた。

 煙もなく、死体もなく、ただただ平穏な自然の営みが繰り返される小さな世界が。


 クリスベリルは平和な世をどう考えているのだろう。

 否、クリスベリルだけではない。

 銃を握るための手しか持たないクロイツも、平和という物をどう考えるのだろうか。


 世界が完全に平和を享受したとき、兵士はその仕事を失う。

 そうなれば貧困の差が生まれ、不満は積もり、やがて再び爆発する。



「恒久平和なんて絵空事なんだろうね」



 窓枠の絵画を遠い目で眺めながら、ルクスはぽつりと呟いた。

 自らの存在意義を失うと知りながら平和を目指す同志がいる。

 誇らしく思いながらもその先の空虚は常にちらつき、目を逸らすことを許さない。



「……うん、先の事は後で考える方がいい。今は目先にやる事が山積みだ」



 カップに二杯目のお茶を注ぎ、ルクスは机に戻った。

 自分のできることをしよう。

 それが、平和な世界にしか居場所のない自分がするべき事だと信じて。




         ◆




「はあ……」



「浮かない顔してるわねー」



 溜め息を吐くクロイツの後ろからアルシェが顔を出す。

 無言のまま振り返れば、彼女の装いは大きく変わっていた。


 丈の短いスカートに黒いタイツを履き、革製の黒い上着を羽織っていた。

 右手首にはワンポイントなのか、赤い紐が巻いてある

 下ろした髪が上着に掛かっているが、銀と黒の色調はとても似合っている。



「センスがいいな」



「森じゃできなかった格好だから新鮮だわ」



「よく服があったな」



「流石に全部ぴったりとはいかなくて、ちょっと大きいけどね」



 言われてよく見てみればスカートは自分で合わせたのか、不自然な部分に縫い目があった。

 上着も少し大きいように見えたが、どちらもあまり気にはならない。


 黒い革製の上着は確かギルドの支給品と同様の物だ。大方、ルクスが余っていた物から大きさの合いそうな物を見繕ったのだろう。



「で、アンタは何を溜め息なんて吐いてたのよ」



 誤魔化されないぞと言わんばかり、半目半笑いのまま腰に両手を当てて下からクロイツの顔を覗き込む。

 手にしていた書類を渡そうかとも思ったが、はたしてアルシェは文字が読めるのか。


 バカにしているのではなく、この世界ではまだ言語教育が行き渡っていない。森での生活しか知らなかったアルシェでは、文字は理解できないと思っておくべきだろう。

 クロイツはその資料に視線を落とす。



「俺の体の一部が見付かったかもしれない。俺以外にクロスアイズを持った奴が目撃された」



「へえ、良いことなんじゃないの? なんでそんな落ち込んでるのよ」



「ドラゴンだ」



「へ?」



 資料をめくり、とあるページで止める。

 そこにはドラゴンの絵が描かれており、その瞳に十字模様が刻まれていた。


 流石にクロイツの様子と絵を見ればアルシェも理解できたのだろう。

 半目で苦笑いしていた。



「よりにもよってドラゴンって……少しは体選べよ俺……」



「クリスベリルの武勇伝聞いてると、アンタも大概人の事言えないわよ」



 ――照れますわね。



 アルシェの言葉に反応して頭に響く声に嫌気が差す。

 クロスアイズの他に分かっている特徴としては、そのドラゴンは濃い青色をしているらしい。


 紺色……あるいは群青色といった所だろうか。


 目撃例は一ヶ所に留まっていないので、最後に目撃された場所へ向かっても会えるかどうか。

 そも、会えたとして大人しく渡して貰えるのかも問題だ。


 相手もクロイツ同様に自我を持っていたならば、拒否される可能性も大いにあり得る。



「溜め息ばかりでも仕方ない。ひとまず、最後に目撃された場所にでも行ってみるつもりだ」



「いいじゃない! 前向きな方が人生楽しいわよ」



「あー……それって今日から出るつもりだった?」



 前方から眠たそうな声が聞こえてきた。言うまでもなくルクスの物だ。

 見れば目の下に隈を作り、眼鏡の奥に涙を湛えた彼が欠伸をしながら歩いてきている。


 顔立ちは整った方なのだが、どうにもこういった仕草はよく似合う。

 彼が異性から付き合うほどの好意を向けられてこなかった一因なのかもしれない。



「どうした?」



「確定じゃないけど多分来訪者。多分こちらへ来てから日が浅い奴だね」



 来訪者という単語にクロイツの表情が固くなる。

 神妙な面持ちのまま、先を促す。



「夕方くらいに大ケガしたギルドのメンバーが帰投してね。自分で回復魔法を掛けてたようで命に別状は無さそうだったんだけど、容態が変わったら困るから朝まで介抱してたんだ」



「そのメンバーを襲撃したのが来訪者って事?」



 アルシェの問いにルクスは軽く頷く。

 件のメンバーは館の一室で療養中とのこと。つい先程、気を失うように寝てしまったらしい。



「アルシェ君にこの件を説明するには、今居る場所について知ってもらう必要もあるね」



 現在地……つまりこのグラースの本拠地が存在する場所は、大戦時代に最も被害が大きかった地域に当たる。

 要するに長期に渡って戦場となり、人々の生活が蹂躙された地域だ。


 戦後復興支援ギルドと銘打つグラースは、まずこの地域の復興から着手した。

 家屋をはじめとする建物の復元、荒れた農耕地の整備、酒を始めとする飲食物の流通路の確保等々。年単位で活動した甲斐あり、ようやく戦前のように人々が暮らせる土地になった。



「けど問題はいくつもあってな。特に大きかったのが……」



「治安の維持だね」



 疲弊した国の公安部隊では、地方都市の治安までは守ることが難しかったのだ。


 グラースや住民の手によって表向きには復興したように見えるが、その実は後ろ暗い物を抱えたならず者が隠れ住むのにも適した場所になってしまっている。

 とは言え、追っ手を気にする必要のない土地にようやく流れ着いた者達が好んで目立つような事しでかしたりはあまりせず、ある程度を黙殺する事で住民の安全という意味での治安は守られている。


 何かしら事が起きた場合は自警団が対処に当たり、そちらでの対処が難しい場合にはグラースからも人員を派遣している。

 今回被害にあったメンバーは、この派遣された人員だった。



「ならず者達が集団を作っているなんて噂が流れててね。自警団に大きな被害が出ると後々が困ると思って、調査に出てもらってたんだけど……」



 その結果がこの有様だ。



「で、それが何で来訪者の仕業って分かるのよ」



「恐らくだが、ならず者を纏め上げるだけの力を持つ指導者が現れたという事だろう。来訪者というのは与えられたスキルのせいで万能感を覚える者が多い。未熟な人格の者がその力に溺れ、英雄ごっこを始めるのはそう珍しい話でもない」



「……僕の推測と同じだね。ならず者の集団化が始まってからの動きが速すぎる。もしかしたら、それを取り仕切ってるのが来訪者なんじゃないかなって」



「連中はバカだが無謀じゃない。自分達が束になっても敵わない相手なら、リーダーに据えて何かをしでかすのは大いにあり得るな」



 何かをしでかす。

 さて、では何を起こすのか。

 後ろ暗い過去を持ち、追っ手から逃げる者達が求めるものなど考えれば容易に想像がつく。


 安住の地と、そこでの平穏だろう。

 国が覆れば彼らはその罪を償うことなく消え失せる。



「……革命を狙っていると?」



「そこまでは発想が飛びすぎるとは思うけどね。……まあ、有り得る話じゃないかな」



 暫しの無言。

 瞼を閉じ、クロイツは何かを思案しているかのようだ。


 傍らではアルシェが二人の顔を交互に見ている。

 朝の空気の中、居心地の悪い静寂がその空間を支配していた。



「ルクス」



「なんだい?」



「来訪者の相手を俺にしろって言うのか?」



「…………ああ、そうだよ」



 僅か間を空けてのルクスの返答を聞くと、クロイツはゆっくりと瞼を開いた。


 十字の瞳が窓から射し込む光を反射し、吸い込まれそうな、しかしそれでいて何処か暗い輝きを放っている。

 黒い外套を着込み、クロイツは踵を返した。



「アルシェ君」



「え? な、何?」



「悪いけど、彼に同行してくれないかな」



 重苦しい雰囲気に呑まれていたアルシェだったが、ルクスの言葉に一度だけ大きく深呼吸をすると、笑顔で答える。



「悪くなんてないわよ。あんな雰囲気の恩人、頼まれたって放っておかないわ」



 それだけ告げるとアルシェもまた踵を返して走って行く。

 ルクスは大きな欠伸をしながら、二人の背中を見送っていた。




        ◆




 グラース本拠地の館は復興街から少し離れた場所に建っている。その為、大人が休まず歩いても時間が掛かる。流石に不便なのでいつもは馬車を利用する。


 ギルドには街までの足として専属で数台が配備されているのだが、今回クロイツは厩舎とは別方向へと足を運んでいた。



「何でお前まで」



「私は私の好きにするだけ。人間からの指図なんて受けるエルフ様じゃなくってよ」



「なら精々振り落とされるなよ?」



 館から少し離れた小屋の扉を開けると、そこには金属製の二輪車が置かれていた。

 元の世界ではバイクと呼ばれていた乗り物に極めて酷似したソレは、しかし明確に別の存在である。


 これは、この世界の人間からのクロイツに与えられた物……つまり、この世界で産み出された物だ。



「何これ。ガラクタ?」



「魔動二輪車。魔力を動力に走る鉄の馬みたいな物だ」



「魔力を……って、アンタ来訪者でしょ? 動かせないんじゃないの?」



 アルシェの問いにクロイツは小さく笑うと魔動二輪車に跨がった。

 ハンドルを握るとアルシェに後ろに乗るように促す。


 言われるがままアルシェはクロイツの後ろに乗り、弓が地面に着かないのを確認すると彼の腰に手を回す。



「どうするつもりよ?」



「こういたしますの」



 クロイツの口調がクリスベリルの物に変わると、その右手に電気が迸る。

 緑色の光が線のようにマシンのボディへ走り、その車輪が回転を始めた。

 クロイツが地面を蹴ると同時にソレは凄まじい速度で走り出す。



「うおあああああああああ!?」



「止まった瞬間に舌を噛むから静かにしろ!」



「無茶言わないでよ!? うわっ! 凄っ!? 速っ!? っていうかこれ多分パンツ見えてるわよね!?」



「クロスアイズでもなければこんな速度で見えやしない!」



「アンタには見えるって事じゃない!」



 ――賑やかでいいですわね。



 馬車の轍はこのマシンでも走りやすい。

 速度が出過ぎる為、前方に何かが飛び出してきたり馬車が来たりした場合は危険だが、クリスベリルの体の反応速度とクロスアイズの視力で危険を可能な限り排除できる。


 そうまでしないと常用には厄介な代物であるために量産化されなかったのかもしれない。

 というのも、これはクリスベリルと共に国から離れた際に与えられた物だった。


 大戦で使われる予定だったが、安全面での汎用化が間に合わずに計画その物が流れた試作品といったところか。

 元の世界の知識があるクロイツが口出しすれば実用化に漕ぎ着けただろうが、それでは銃と同じく悪戯に戦火が広がるばかりだろう。


 与えられたのならば、自分だけが扱えればそれで良い。



「気持ちいいわねコレ」



 あっという間に街へ着き、マシンを引いて歩くクロイツに上機嫌なアルシェが着いて歩く。

 風を切る感覚が気に入ったらしい。

 考えてみれば初めて会った時に扱っていたのは風の魔法だったか。


 弓に風を纏わせて速度と貫通力を調節する魔法は、連射機構の無い弓での時間差射撃を可能とし、着弾タイミングを非常に読みづらくしてくる。

 クロスアイズを使えない状況で苦しめられたのを思い出す。


「欲しいと言ってもやらんぞ」



「い、言わないわよ! たまに貸してくれればいいんですが」



「断る」



「何でよ!?」



 間違いなく人身事故を起こす。

 この世界にその概念があるのかは不明だが。


 騒がしいアルシェを連れながらマシンを引いて街を歩いているお陰か随分と人目を引けている。

 クロイツ自身の外套姿もあるだろう。



「しかし、グラースのメンバーを襲撃したというのは引っ掛かるな」



「どういうこと?」



「ならず者共を現行犯で捕まえようとしたのなら分かるんだがな。ルクスの話振りじゃあそんな風には聞こえなかった」



「…………?」



「はぁ……」



 さっぱり理解できていない様子のアルシェに、クロイツは頭を抱える。

 つまるところ、件のメンバーはこちらから手を出したわけでも無いのに被害を受けたという事だ。


 連中は嗅ぎ回られる事を嫌っている。

 そんな考えにクロイツは行き着いていた。



「それってやっぱり、革命を画策している奴等がいるって事よね」



「さあな。そこの真偽は不明だが……」



 フードが揺れ、赤く光るクロスアイズが僅か顔を出す。

 アルシェには覚えがあった。


 ウェアウルフを一撃で仕留めたあの夜だ。

 普段は緑色に光る彼の瞳だが、ソレが機能している間は赤く変色する。

 クロイツの眼は既に何かを捉えているらしい。


 道を曲がって路地に入る。


 人通こそ少ないが、マシンを引いて歩く必要があるために別段狭い道という訳ではない。

 そのままある程度を進んだ所でクロイツは不意にマシンのスタンドを起こし、背後へと振り返った。



「アルシェ、こいつを頼む」



「え? 乗っていいの!?」



「良い訳無いだろ!?」



 気の抜けるやり取りをしつつも、彼は振り返った路地の先に立つ三人の男に視線を向けていた。

 三者三様、それぞれがバツの悪そうな表情をうかべている。



「やたらと目立つ物珍しい物を持ちながら、グラースの名前と革命なんて言葉を使って歩いていれば釣れるとは思ったが……早かったな」



「け、計画通りね!」



 隣で胸を張るアルシェは無視。

 三人組は何やら小声で話したと思えば、その内で最も小柄な男が逃げるようにこの場を去った。

 恐らく、念のために増援を呼びに行ったのだろう。



「おいおい、俺達は別にあんたらの事なんて知りもしないぜ」



「そうさ、あんたらのその……なんだ? 何て言えばいいんだ? ソレ、珍しい物持ってるから気になったんだよ」



 痩せ形の男が魔動二輪車を指差す。

 奴等はバカだが無謀ではない。

 こんなやり取り、仲間が来るまでの時間稼ぎなのは目に見えている。


 数の有利が無いのならば挑まない。

 なるほど、卑怯だが確実だ。

 グラースに所属している以上、敵対者であるとの確証がない相手に手は出せない。

 さて、どうした物か。



「嘘だわ」



 アルシェが静かな、しかしハッキリと通る声で呟いた。

 腕に巻いてた赤い紐で髪を結う彼女は、あの夜に森番として立ちはだかった時と同じ表情をしている。


 エルフのアルシェは、その刃のように冷たい銀の瞳で二人の男をただ静かに捉えていた。



「クロイツ、アンタができないなら私がやるわ。正確にグラースの所属になっている訳でもないエルフの小娘が勝手に暴走したってんなら、喧嘩の延長線で片付くでしょ? それに……」



「それに?」



 背中の矢筒から、二本を手に取る。

 アルシェの手には風が渦巻き、番えた矢のそれぞれに伝播していた。

 矢の速度を操る風の魔法だ。



「こいつらからは嫌いな臭いがする」



「チッ!」



 二人の男が一気に踏み込んできた。

 それぞれ片手にはナイフを握っている。

 動じることもなく、アルシェは番えた矢から手を離した。


 本来、弓から放たれる矢は銃弾と比べれば視認できる程度には遅い。



「ぐ!? あ、脚が!」



「な、なんだ!?」



 だが、螺旋状に砂埃を巻き込む突風を纏った矢はまともな人間が視認できる速度を遥かに超えていた。

 彼女が矢を放つとほぼ同時に、片方の男は姿勢を崩して前のめりに倒れる。

 何が起きたのか理解もできないまま、遅れてやってきた両脚の痛みにのたうち回り始める。


 森の中、自由に移動できる空間ですらクロイツが苦戦したアルシェの腕だ。

 動ける先が限られる路地で、たかが一般人に毛が生えた程度の連中が敵う道理などありはしない。



「女だからって甘く見ない事ね」



「そうかよ!」



 アルシェに迫る男に、クロイツは手を出さない。

 万が一にでも本当に無関係な人間だったとしたならば、ここで手を出せば今後の活動の妨げになりかねない。

 弓という武器の特性上、攻撃と攻撃の間にはどうしてもラグが生じる。


 また、懐に入られた場合の取回しは刃物に大きく劣る。

 男は走り込みながら腰の辺りで構えたナイフを突き出す。


 アルシェは僅かに後方へ脚を運び、片足を軸に体を捻る。そのまま弓の握り部よりやや上、反りの大きい鳥打と呼ばれる部位でナイフの先端を軽く叩いた。


 遠心力の加わった弓の打撃は軽いながら、ナイフ伝に手先を痺れさせるのには十分だろう。



「弓使いが近接戦苦手な事くらい、誰よりも理解してるわよ」



 左に弓を持ったまま、空いた右手の平を男の胸元に軽く当てる。



「吹き飛びなさい」



「な!?」



 当てた手と男の間に風が渦巻き、僅かな隙間ができたと思えば凄まじい衝撃音が路地に響いた。


 男の体が水切り石のように跳ね、地面を転がる。

 即座に矢筒から取り出した矢を弓に番え、転がる男の脚に命中させた。



「おあああああぁぁぁ!」



 悶え転がるのは最初に撃たれた方。

 吹き飛ばされた男は肺の空気をほとんど押し出されたようで、悲鳴もあげられずうずくまっていた。



 ――あら、うふふふふ。アルシェちゃんってこんなに美味しそうだったかしら。



 恍惚気味なクリスベリルの声が頭に響き、クロイツは体が熱くなるのを感じた。



「吐いてもらうわよ。グラースを襲撃した理由と、アンタ達のリーダーの事」



「よ、容赦ねぇな……」



「エルフって種族についてお勉強してから寝言を言ってちょうだい」



 アルシェは脚を撃たれた男の側に寄ると、いつもの調子で――しかし語調はひたすらに冷たく――声を掛ける。

 そんなアルシェと額から汗を流す男を尻目にクロイツは路地の出口側に歩く。



「お前たちがやったの?」



 見ればそこには一人の青年が立っていた。

 黒髪と黒い瞳。

 クロイツよりもやや低い程度の背丈で、質の良さそうな腰布が印象的な軽装だ。



「か、頭……」



「辛いだろうし喋らなくていい……遅くなって悪かったね」



 頭と呼ばれた青年は吹き飛ばされた男の肩を軽く叩いくと、敵意を孕んだ目でクロイツとアルシェを睨む。

 質問の答えが帰ってきてないぞと言わんばかりに。



「ナイフ持って走ってくるんだもの。自業自得だわ」



「お前らが僕たちを嗅ぎ回るからだろう。何だっけ? 戦後復興支援ギルドのグラース?」



 刹那、青年がその場から消えた。

 いや、そう錯覚する程の速度でアルシェへと飛び込んだのだ。


 アルシェは反応どころか何が起きたのか理解すらできていない。

 腰から短刀を抜き、彼女へと振り抜こうとした矢先だった。



「スキルか?」



「何!?」



 クロイツが青年の腕を掴んでいた。

 驚愕したのも束の間、再度彼は消えるような速度でクロイツから離れる。

 ここへ来て、アルシェはようやく青年が短刀を手にしていた事に気が付いた。



「僕を掴むって……」



「聞き方が悪かった。お前は、来訪者か?」



 淡々とクロイツは問いを投げ掛ける。

 いつの間に形成したのか、手にはショットガンが握られていた。

 ゆっくりとそれを持ち上げ、銃口を青年に向ける。



「ああ、そうさ。僕は来訪者のナギト」



 名を聞くと同時にクロイツは引き金を引く。

 重い炸裂音と共に、散弾がばら蒔かれた。

 ナギトは即座に近くにいた部下を蹴飛ばして弾道から逃がすと、自身も姿を消す。



「血の気の多い人だねまったく」



 凄まじい速度で動くナギトだがクロイツの目はそれを捉え続けているのか、彼の出現位置に的確に弾丸を撃ち込む。



「形成・ショットガン」



 弾切れを起こしたショットガンを投げ捨て、左手に同じ形状のショットガンを作り直す。

 壁を足場のように飛び回り、まるであざけ笑うように弾を回避し続けられる。



「君も来訪者だね? アッハハハ! スキルは銃に関係するもの?」



「さあどうだろうな」



「見たところ、相性は最悪みたいだね! 目で追うのがやっとじゃないか!」



「よく喋る!」



 クロイツの背後に現れたナギトは、その短刀を振り抜いた。

 即座に身をかわしながら蹴りを放つも、浅く斬られた上にこちらの攻撃は当たらない。



「派手さは無いスキルだけどね。こういう分かりやすいのが一番強いんだ」



 速い。

 とにかく速い。

 面での攻撃が可能なショットガンで応戦してるというのに、発射を見てから避けられる。


 なるほど、確かに派手さは無いが強力だ。

 クロイツとの相性は、ナギト自身が言うように最悪だろう。

 アルシェはもう何が起きているのか理解ができていない様子だ。


 幸い、ナギトとしてもクロイツを無視して彼女に向かうのは危険だと思ってくれているようで被害はない。

 もう幾つ目かになるショットガンを作り出すと、即座にそれを右手に持ち変える。



「連続形成・ノーマルバレット!」



 左手を振り抜き、その手の平から無数の弾丸を宙に放る。

 何が起きるでもなくそれらは地面にばら蒔かれ、高い金属音を響かせた。



「まきびしか何かのつもりかい? そんな物で足止めにはならないよ!」



 再び肌を斬られる。

 今度は頬だ。

 血が伝い、口元を隠す布を汚した。

 そちらへ向かって引き金を引くも、再度背後を取られる。



「アルシェ! 風を起こして弾を巻き上げろ!」



「えらく急ね! 了解したわ」



 ナギトが移動した先は銃弾がばら蒔かれた地点。

 ショットガンを投げ捨てると、そのまま右手を前方に翳す。

 アルシェの魔法で小さな竜巻が起き、先程ばら蒔いた弾を中空に巻き上げた。



「行きますわ」



「――――ッ!?」



 一瞬だけクリスベリルが体を動かし、その手から雷を放つ。

 宙を舞う弾丸に次々と電流が迸り、熱を持った弾丸が誘爆し始めた。


 突風により移動を阻害されている中で広範囲への小規模爆破の連鎖。

 ナギトはすぐさま後方へと飛び退いた。



「ようやく直線に跳んだな」



 ナギトの視線の先、クロイツがライフルを構えている。

 貫通力の高い弾ならば、風の影響を受けながらもある程度は直進させられる。

 クロスアイズを僅か見開き、クロイツはその引き金を引いた。



「甘く……見るなぁ!!」



 ナギトは空中で上体を無理矢理捻り、急所への着弾をなんとか回避した。

 肩を貫かれた熱いほどの痛みに表情が歪むも、着地した直後に再び姿を消す程の加速を行う。


 右に左に壁伝いの上方にと連続で姿を現しては消えてを繰り返す。

 ただ無意味に移動してるばかりではない。

 姿を現す度にクロイツの外套が切られ、その下の肌にも傷が増えていく。



「クロイツ!」



 アルシェには視認すら不可能な超高速攻撃の応酬。

 彼の名を呼ぶ声はどこか震えていた。



「まだだ! まだ加速できる!」



 ついに声は聞こえても姿すら見えなくなる。

 クロイツは刻まれながら、ボロボロになった外套を脱ぎ捨ててその素顔を晒す。


 そして――



「僕の勝ちだ!!」



 凶刃を構えたナギトが、クロイツの喉元目掛けて突っ込んだ。




         ◆




 確かに相性は最悪だった。

 常人には視認すらできない速度での移動と、弾丸を見てから避けられるほどの反射神経。


 急所を狙わねば致命傷を与えるには至らない攻撃力ながら、搦め手やあるいは広域攻撃にさえ気を付ければまず負けはしない加速のスキル。



「常人以外には視認される時点で俺の勝ちだった」



 アルシェも、その付近で転がる脚を撃たれた男も、何が起きたか分からない様子で目を丸くしている。


 ナギトの刃はクロイツに届くことなく、彼は狂気的な笑みを浮かべたまま、空中に静止しているのだ。

 ナギトの心臓付近を中心に、人間大の十字の紋様が揺らめく炎のように浮かび上がっている。



「俺のスキルは銃を扱う為の物だ」



「……………………」



 クロスアイズがかつてない程煌々と輝き、その中心にはナギトが映っている。

 クロイツは手に大型のリボルバーを形成し、ゆっくりとナギトの前まで歩み寄る。



「銃を確実に当てるにはどうしたらいいか分かるか?」



 傷だらけの白い手で撃鉄を起こし、それを彼の額に押し当てる。


 彼は動かない。

 表情の変化もなく、地面に落ちることもなく、ただ飛び込む姿勢のまま止まっている。



「相手が動かなければいい」



 躊躇いもなく、クロイツは引き金を引いた。

 アルシェには、この光景に覚えがあった。

 普通、弓であろうと銃であろうと撃たれたのならばその反動で体がアクションを起こす。



「クロスアイズで暫く相手を見てロックオンし、その上で視線を合わせるなんていう面倒な手順が必要だが……決まればこの通りだ」



 だが、かつて一度だけ、倒れもせずに息絶えたウェアウルフを見たことがあった。

 再び撃鉄を起こし、引き金を引く。

 額に銃口を押し当てたまま、念入りに何度も何度も。



「来訪者なんて、この世界には要らないんだ」



 自分が息絶えた事にすら気付かぬ青年に向けて言い放った彼の言葉は冷たく、アルシェはそれがただただ怖かった。




        ◆




 外套がぼろ布にされてしまった為、クリスベリルの身体で街に出ればあらぬ混乱を生みかねない。

 アルシェの提案で一時的に彼女の身体を借りる事になったクロイツだが、以前と違ってアルシェが昏倒する事はなかった。


 クリスベリルには路地でマシンとならず者の一人、ナギトと名乗っていた青年の亡き骸を見張っていてもらい、アルシェとクロイツは自警団を呼びに行くことにした。



 ――あっさりあいつ殺したわね。



「来訪者だったからな」



 ――分かんないわよ……。



 クリスベリルの時と同様に、頭に響くアルシェの声と会話する。

 分からないと彼女は言う。

 左手、自分の本体である黒い籠手に視線を落とし、忌々しそうに歯を食い縛る。



「俺のスキルは銃を扱う為の物だ」



 ――そう言ってたわね。



「俺にはある時点より前の記憶が無いんだ」



 市街を歩く中で、怪しまれないように小声で話す。

 クリスベリルの時もそうだが、体の持ち主との意思疏通はこれで十分らしい。



「この籠手だけの姿になる以前の事が全く思い出せない」



 ――だから?



「俺の記憶が始まった時点で、世界は既に大戦の最中だった。つまり、何物かがこの世界に銃をもたらした後だ」



 ――それって、いや、でも考えすぎよ!



 頭の悪いアルシェでも察したらしい。

 銃を扱うスキルを持つ、つまり誰よりも銃に明るい来訪者であり、記憶を失っているクロイツ。


 銃という武器の普及により泥沼化した世界規模の戦争は、言ってしまえばその技術をもたらした者の責任でもある。

 英雄気取りで人々へ悪戯に知恵を与えた、最悪の結果。


 クロイツは、それが自分の責任なのかもしれないと思っていた。



「俺はなアルシェ……俺は臆病者なんだ……自分が本当に人間だったのかも分からない、仮に人間だったとしてこの世界に惨劇をもたらした者かもしれない……そんな重圧に耐えられない臆病者だ」



 ――……………………。



「俺は、エルフを滅ぼしたかもしれない……。グラースの活動だって、その罪滅ぼしのつもりでもある」



 ――バカね。



 珍しく弱音を吐くクロイツを、アルシェは一蹴する。

 クリスベリルの体だったのならば、それこそ文字通り蹴りの一つでもかまされていたかの様な言い方だ。



 ――エルフは弱かったから滅んだのよ。アンタ一人のせいで滅んだんだとしたら、所詮いつか誰かに滅ぼされていたってだけの話。



「…………お前は強いな」



 ――ふふ、嫌味にしか聞こえないわ。



「俺は全ての来訪者を問答無用で撃ったりはしない。しないつもりだ。ただ、平和へ歩み始めた世界を乱すなら、あっさりと引き金を引く」



 ――いいんじゃない? それで。向こうもエゴ振りかざしてるんだから、こっちもエゴを振りかざしてやれば。



 二人はそれ以上の言葉を交わさなかった。

 だが、銀のエルフとなっている十字の目の男は憑き物が取れたように小さく笑っていた。




        ◆




 路地裏の戦いの直後、アルシェに吹き飛ばされた男はその場から逃げ出していた。

 動きが止まった自分の所のリーダーに銃口が突き付けられ、発砲音が聞こえた辺りで彼はその場に居られなかった。


 捕まるのもお構い無し、なにせあの二人組の片割れの顔には見覚えがある。



「ク、クリスベリルだなんて聞いてねぇよ!」



 パニックを起こしたように覚束無い足取りで、ナギトに蹴られた腕と風をぶつけられた胸の痛みに耐えながら自警団の番所へ向かっていた。

 ようやく建物が見え、駆け込もうとした所で人にぶつかった。



「おっとすまない。随分と慌てているようだが、番所の者は今留守にしている」



 見上げれば、長身で非常に図体の良い男性だ。

 壮年という程ではないが、落ち着きのある顔付きと穏やかな声は青年のそれとはまた違う。

 装いを見れば、白い鎧を身に纏っている。



「お、王国騎士……!?」



「ああ、少し野暮用でね。君は……」



「た、助けてくれ! エルフを連れたク、ククク、クリスベリルに襲われたんだ!」



 白い騎士の目付きが変わったのに、男は気付かない。



「それは大変だった。一緒に来て話を聞かせてくれるかい?」



「ほ、保護してくれるのか!? は、話す! 全部話すから助けてくれ!」



「安心したまえ。私は、恒久平和の妨げになるものを許しはしないさ……」



 白い騎士に連れられ、男はこの街を去った。

 そして、以降彼の姿が目撃される事は無かった。

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