第2話
トモの夢を見た日は目覚めが悪い。きっと私はまだ彼のことが好きなのだろう。私は、トモと一緒にいるときの私が好きだった。二十歳にしてはあまりに頼りない私を彼は慕い、頼りにしてくれていた。彼に甘えられるとなんだってできるような気になっていた。デートでは入念に下調べをして、二人が最高の時間を過ごせるように取り計らった。パソコンの使い方がわからない、と言われれば、一人ではワードの段組みすらままならないくせに、必死に検索し、対処法を調べ、物知り顔で説明した。どこかのロックバンドが愛してるの響きだけで強くなれる気がした、と歌っていたが、まさしくその通りだと思う。トモと過ごしていた三か月間の私はハイパーキラキラ最強モードだった。
―――今日最も悪い運勢は!残念!みずがめ座のあなた!何をしてもうまくいかない一日になりそう!
お天気お姉さんが本日の占い結果を告げている。ということは、もう七時前だ。早く準備をして駅に行かなきゃ、また怒られちゃう。ずぼらで気の回らない私に良く似合う、神経質でしっかり者の恋人に。
ヘアアイロンのスイッチを入れ、その間に洗顔と歯磨きを済ませる。冷蔵庫に常備してあるパックのコーヒーを一気に飲み干し、急いでメイクを始める、どんなに時間がなくたって、メイクにも髪の毛にも手を抜きたくない、恋人に少しでもかわいいと思われたい。でも、みっちゃんはいつもより入念にメイクしてたら遅刻しちゃった、なんて言ったら怒るだろうなあ。きっと彼はいつもの不機嫌そうな顔でこう言うのだ。
「マイ、準備に時間がかかるってことくらいわかってたよね?俺のために可愛くなろうとしてくれてるのは嬉しいけど、もっとちゃんと計画たてて行動した方がいいよ。人の時間を大切にできない人間は人から大切にされないからね。」
ああ、彼の言いそうな台詞が手に取るようにわかるよ。ごもっとも。おっしゃる通りでございます。なんて考えてたらもう七時二十分だ。三十分に出れば十分間に合う。もう一度マスカラを塗り直し、前髪をもう一度巻こう。最高にかわいい私を彼に見せたい。なんてしているうちに赤いプラスチックの秒針は三十五分を指している。私はため息をつきながら彼にスマートフォンから流れる音楽を止め、メッセージアプリを開く。ごめん!五分くらい遅れるかも!と、いつも通りの文言とともに、可愛らしいウサギが頭を下げているスタンプを送信する。あーあ、なんで私毎回遅刻しちゃうんだろ、寝坊してるわけじゃないのになあ。ツイてない。そういえば、私、みずがめ座だ。星座占いもあながち馬鹿にできないな、なんてことをふと思うが、こんなこと言ったら絶対怒られるな。素直に謝ろう。なんてたって今日は一カ月遅れの私のバースデー旅行なのだから、楽しい気分で一日を過ごしたい。
「みっちゃんおはよ!ほんとごめん!」
「いいよ。今日の服、可愛い。」
彼があまりに優しい顔で笑うので拍子抜けしてしまった。絶対怒られると思ったのに、どうしたんだろう。体調悪いのかな、なんて失礼な想像をしているうちに京都駅に着いた。
「みっちゃん、今日どこに行くの?」
「ん?まだ秘密。」
みっちゃんとは半年前にアルバイト先の飲食店で出会った。夏休みが終わりに差し掛かったころ、私はトモとのデート代や見栄を張って買ったペアリング、友達との旅行といった思わぬ出費が重なり、掛け持ちのアルバイトを始めたのだ。一学年先輩の彼と私は、同じ大学に通い、同じ学部で、同じゼミに所属していた。そんな偶然が重なったこともあり、私と彼はすぐに仲良くなった。もちろん、私には恋人がいたため勤務時間外に二人で会うことはなかったが、彼と趣味の話や就職活動の話をしている時間はとても心地よいものだった。そして、二カ月ほど経ち、私はあっけなく失恋した。世紀の大失恋だった。たった三カ月の付き合いで大げさな、と思われるかもしれないが、私は全力でトモに恋をしていたし、初めて本当に人を好きになるということの意味がわかった気がしていた。そんな、最愛のトモに振られたときの私といったらもう、年甲斐もなく、目も当てられないくらいに憔悴しきっていた。毎日泣いて過ごした。食事は喉を通らず、何か食べようとすると吐いた。空っぽの胃から吐き出せるものなど何もないのに。そんな私を見かねた彼が、勤務後に食事に連れて行ってくれた。その帰り道で、彼に抱きしめられ、キスをされた。私はトモのことを愛していたが、彼はトモを好きな私ごと守ってくれると言った。もう、それでいいか、と思った。なんて流されやすい女なんだと自己嫌悪しなくもないが、きっと、私にはそれなりの魅力があるのだろう。最愛の彼と別れた僅か三日後に、新たな拠り所を見つけられるくらいには。なにより私はお姉さんを演じることに疲れてしまったのだ。彼の前でなら、きっと私は年下の女でいられる。それが、私と彼の始まりだった。
偏愛 一ノ瀬 @mk23
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