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彼らは呆気にとられたような顔をしていた。ポカーンという擬音がここまで合う表情はないだろう。僕はそんなことを思っていた。
まぁ、それもそうだろう。いきなり目の前で友人がもうすぐ死にますなんて言ったら、僕だって同じような反応をしてまうだろう。
「お前冗談だろ?」
ミキタカはへらへらと笑いだした。
流石にへらへらと笑い出すことはないが、守も冗談を受け流すように問いかけてくる。
「どうしたんだよ。お前。何をいってるんだ?」
ミキタカのケタケタという笑い声が店内に響き渡っていた。
しかし、その笑い声は段々と収束していった。余韻を残すように、店内の静寂が耳を刺す。ジーという油蝉の泣き声のような音が鼓膜を連打する。
僕は黙って下を向いたままだった。特にこれといった感情はないが、兎に角下を向いたままでいた。
そんな僕の様子にミキタカと守も流石にといった表情になってきた。
辺りに暗雲が立ち込める、きっとそんな表現が正しい雰囲気に包まれた。
「まさかと思うが……本当なのか?」
守が神妙な面持ちで問いかけてくる。
店主が皿を洗う音だけがカチャカチャと無機質に、無慈悲に響き渡る。まるで何かの鳴き声のように。まるで何かの泣き声のように。
僕は静かに頷いた。
すると、ガンッという音を立てながら、ミキタカが勢いよく立ち上がった。
「冗談で言って良いことと悪いことくらいわかるよな?」
明らかに憤怒を圧し殺したその震える声音は、ミキタカから初めて聞くものであった。
「そんなつまらない冗談で俺が笑うと思ってるのか? おい」
今にもつかみかからんとする剣幕のミキタカ。僕はそんなミキタカの様子を真剣な眼差しで見つめていた。
きっといつもはちゃらんぽらんなミキタカのこんな姿は、今にも後にもこれが最後なんじゃないかなと思う。いや、そんなことはない。思えば高校時代からの友人であるミキタカは、実は情に熱い男だったことを、大学での言動、彼の一挙手一投足によって忘れていた。退廃的でとても情という言葉には無縁そうなこの男は、実は情に熱い熱血漢であるのだ。適当の体現のようなこと男は、ルックスだけで人望を気づいているわけではないのかもしれない。
僕はそんなことを思いながら、彼の目を見つめた。
ミキタカは大きなため息をついた。その後ボソッと喋った。
「冗談きついぜ……」
ガタンと椅子を鳴らしながら、彼は再び腰を下ろした。アイディアが浮かばず意気消沈した詩人のように、12ラウンドを終えたボクサーのように。
ふと守のほうに目をやると茫然自失といった感じであった。
僕は自身の余命を通して、友人たちの優しさを知った。
いつも一緒にいた彼らの優しさを知った。
正に、後の祭りだった。
■
僕は再びバスに揺られていた。運転の荒い大型バスに身を任せ、慣性の法則に逆らわず、重力の働く方向へと体を任せていた。
埼玉県の自宅へと帰宅するべく、向かうバスの先、吉祥寺の駅を目指して僕は揺られていた。
あのカミングアウトの後、僕たちは微妙な空気のまま残りの授業を終えた。彼らは何だか僕の一挙手一投足に注視するようになり、とても気遣いを感じた。個人的にはそんな風にしてもらいたくてこの事を打ち明けた訳ではないが、彼らの優しさを無下にするのも心苦しく、甘んじてその慈悲を受けていた。
しかし、そんな微妙な気持ちとは裏腹に打ち明けることによってどこか心のどこかにあったモヤモヤは何処かに霧散したようであった。そして、代わりに現れたのはある種の解放感と生への執着だった。
もうほぼ完全に助からない、現代医学の限界を突きつけられた僕は所謂諦めというものがついていた。しかしながら彼らの優しさに触れ、平凡だと思っていた人生に一種の希望を見いだし、そして謎の少女に夢を促され、僕はこの絶望的な状況に、いやこの絶望的な状況だからこそだろうか、夢を抱き始めたのだった。
バスは相変わらず吉祥寺の町並みをすいすいと追い抜いて行く。後ろへスクロールされた景色が一瞬で過去になって行く、そんな錯覚とらわれた。
『次は◆◆◆八幡宮、次は◆◆◆八幡宮』
本日二回目のそのアナウンス、僕は窓の外を眺めていた。
そしてその姿を目に捉えた。
咄嗟に降車ボタンを連打し、僕はバスを止めた。まるで何かに取りつかれたかのように、僕は衝動的にその行動をとった。周囲にいた乗客は何か異常に慌てる僕を奇異の目で見ていた。
突然の降車ボタンにて急に停車させられたバスから駆け降りた僕は、そのままの足取りで境内へと駆け出した。
僕の頭の中には様々な感情が入り混ざっていたが、それよりもあの日の情景が想起させられていた。
整った顔立ちに生意気な口調、それでいて慈悲を含んだかと思えば、悪魔のように歪む相貌。そしてなにより僕の下らない夢を肯定してくれたあの少女を。
僕はいきる希望を失いたくなかった。いや、いきる希望を失いたくなかった訳ではない。生きる希望は失っても別によい。ただ、ただ、最後に何かを残して行きたいと思ったのだ。この世に生まれたからには何かを残したい。そんな大層なことでなくていい。もっと原物的で欲望に忠実で、自分のエゴを満たすような、そんなことかもしれない。僕は死という制約によって自身の夢を制限されたくなかったのだ。
そして、僕は彼女ならその欲望を叶えてくれるのでは、そう考えたのだ。
咄嗟に、そう思ってしまったのだ。
必死に駆ける僕は、いつの間にか境内の新緑に包まれていた。そこには都会の要素は一切見受けられず、荘厳な自然が僕を包んでいた。
少々苔むした鳥居に古びた手水舎、悠然と佇む燈籠、そこには変わらぬ景色があった。
息も絶え絶えに、出ない声を振り絞って僕は叫んだ。
「話を聞いてほしい……」
勿論境内には人の姿は見えない。全くの無人といっていい状態だった。しかし、それは上部だけ。そこには確かに気配を感じたのだ。僕を余命宣告されてイカれちまってるのではと思うかもしれない。それはあながち間違いではない。何故なら僕だってそう思う。でも、僕は確かに彼女を感じたのだ。
「僕には諦めたくない夢があるんだ」
一見すると無人の境内の中、僕は独唱を続ける。勿論のことだが誰からの反応もない。
「僕は死にたくないんだ……」
「僕は、僕は……」
夢を諦めたくないんだ。正義のヒーローになりたかったんだ。現実味のない夢でもいい。僕は本当にヒーローになりたかったんだ。誰かを助けたい。本当に小さな動機だけれど、誰かを救いたかったんだ。自己満足でもなんでもいい、僕はヒーローに、いや、誰かの役に立ちかったんだ……
どうして? どうして僕が余命宣告を受ける。僕が一体何をした? 僕は出来る限りの善を尽くして生きてきたと自負してる! 僕には、僕には、なにも残せないのか? どうして僕がこんな目に遭う!何故……
その声は言葉になっていたのか。きっとただの嗚咽と果てただろう。
僕は地面に膝をついて崩れ落ちた。
絶望が僕を包んでいるように感じた。何かをとてつもなく大きな、黒い闇が僕を包んでいるように感じた。
とても背中が重かった。崩れ落ちた僕に何かがのし掛かっているような、そんな錯覚に襲われた。
しかし、そこで僕は違和感を感じた。そののし掛かる絶望に質量を感じたのだ。決して感じることのない重さ、その心の闇とも呼べる精神的な事象の筈のものに、確かな形を感じたのだ。そしてそれと同時におぞましい程の嫌悪感と恐怖を感じた。
僕は背後を振り返った。その行動は本当にに咄嗟のものだった。
そこには何か異形としか形容出来ないものがいた。
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