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「大変申し上げにくいのですが、あなたの余命は持ってあと一年です」


 大病院のある面談室。そこには僕と母親と医者の三人がいた。


 医者は淡々と告げた。上っ面では申し訳なさそうに、こちらを気遣うように、そう演技をしていたが、何故だか僕にはわかってしまった。


 いつものことなのだろう。そう珍しいことではないのだろう。余命を宣告するということは。


 僕自身もそう告げられた当初は何の実感も得られなかった。


 切っ掛けはほんの一寸したことに過ぎなかった。何となく体が怠いなと思い、僕は町医者を受診した。そう大きくない昔からの掛かり付けの医者。顔馴染みの医者に僕は症状を告げた。


 子供の頃は結構小さな病気や怪我であっても受診することが多かった僕であったが、最近は大学生にもなり、専ら医者とは縁の無い生活を送っていた。


 そんな久しぶりの来客であった僕を快く診察してくれていた馴染みの医者は、「風邪かもしれないね。一応検査しようか」と対応してくれていた。


 馴染みの町医者は穏やかな笑みを常に浮かべている蛭子さまのようなおじいちゃん先生であった。その笑顔はどんなことがあっても崩れることはなく、常にニコニコとしていた。


 しかしながら、僕は初めてその先生の驚嘆する顔をみてしまったのであった。


 僕の検査がある程度終了した後、待合室で待っていると蛭子さまは息を荒げながら、ドアを蹴破るかの勢いで入ってきた。


 その顔は僕の知っている蛭子さまとは全く違っていた。


 驚嘆というのか悲壮というのか、様々な感情が入り混ざった表情、しかしながら割合的には哀れみの方が大きかったかもしれない。


「すぐに大きな病院で検査を受けなさい!」


 開口一番そういった彼はそのまま僕に紹介状を持たせ、兎に角はやく検査を受けるようにと念を押してきた。


 そんな勢いに押され後日検査をうけた結果、僕は冒頭の状況にたたされるのであった。


 しかし、そんな僕は先程も言ったように何の実感も得られなかった。


「病名は―――――で、このような症状で、治療は……」


 医者は僕と母親に説明をしていた。しかしながら病名はおろか、話している内容の大半を聞いていなかった。馬の耳に念仏どころの騒ぎではなかった。僕にとっては何の意味の無い言葉の羅列に過ぎなかった。


 僕は薄暗い面談室から窓の外を眺めた。大病院ということもあり、かなり高い階層に位置するこの場所からは、僕が知らない町並みが一望できた。


 時刻は既に八時を周り、秋口に差し掛かったこの季節では夜景というにはちっぽけな民家の灯火を見ることが出来た。


 この一つ一つに暮らしがあり、生きている人々がいてとか何とかというセンチメンタルな気持ちになるのかと思っていた僕であったが、やはり余命を告げられても僕は僕であり、そう大きな進歩も退化も変化もなかった。それがもの凄くつまらなく感じた。


 医者から目をそらす僕の横では、母親が真剣な眼差しに若干の涙を浮かべ、食い入るように話を聞いていた。


 そんな状況が数十分続き、僕の余命宣告の時間は終わりを迎えた。


 医者との面談が終わったその瞬間、母の目から涙が溢れるのが見て取れた。


 僕はこの時、初めて自分があと一年で死ぬのだろうと実感した。



 ※



 残り一年の命とはいえ、意外と元気な僕は学校に登校している最中であった。


 普通であればそんなことはせず、治療に専念し、少しでも余命を伸ばすように努めるものだろうが、僕の病気はどうやら手の尽くしようが無いらしいかった。故に、学校に登校するしかやることの無い僕は、それが治療の一貫だと思い、甘んじて受け入れたのであった。


 吉祥寺駅から出発するバスに揺られ、僕は昨日、一昨日の出来事を想起していた。


 なんというか怒涛の情報量が詰まった二日間を過ごした僕は、頭がこんがらがっていた。


 余命宣告をうけた次の日に、参拝した神社で妙に態度のデカい少女に説教を受けるという普通の人間では一世紀生き抜いて一回体験するかどうかのことを体験してしまったと自負している(余命宣告を受ける時点で一世紀は生きることは出来ないかもしれないが)。


 バスは吉祥寺の町並みを後ろへと追いやっていく。どんどんと。どんどんと追いやっていく。窓の外を眺める僕は、視界を一瞬で過ぎ去るその町並みを無感動に見つめていた。


『次は、◆◆◆八幡宮、◆◆◆八幡宮……』


 無機質な車内アナウンスが鳴り響く。その無生物的な声は、昨日の出来事を尚更想起させた。


 窓の外で昨日いた神社が過ぎ去っていく。僕はそこに確かに少女の姿を見ていた。


 程なくしてバスは大学へと到着した。


 比較的交通量の多い通りに面した大学であるのだが、その実校内は案外静けさに包まれている。


 売りは自然に包まれたキャンパスらしいが、自然を感じる要素と言えば、秋に転がる銀杏並木下の大量の銀杏くらいのものだろう。しかもそいつは今現在、悪臭を漂わせんと片鱗を見せはじめていた。


 そんな僅かに配置された銀杏地雷を踏まないように避けながら、僕は一限目が開講される1号館の教室へと向かった。


 気持ち的には元気なのであるが、やはり余命宣告を受けてみると階段を上ることも億劫になるものであって、これが命の灯火が消える前兆なのかもと思ったり思わなかったりした。


 僕のたどり着いた教室、1302教室はまだ授業開始三十分前ということもあり、がらんどうの状態だった。


 僕は背負ったリュックサックから学生証を取り出し、出席確認のためのカードリーダーにかざした。


 ピロリンッという安物の玩具のような音と共に、今日も僕がこの授業に出席しているという確たる証拠が確定した。


 それなりの大教室である1302教室は、だいたい詰めて座れば二百人程度は講義を受けることが出来た。


 学習意欲がそこまで高いわけではない僕は、後ろ過ぎず前過ぎない、適度な位置の座席にリュックサックを置いた。


 いくらがらんどうと言えど、ちらほとらと生徒を見ることは出来たが、皆別に特段親しい生徒ではないため、僕が挨拶をすることはなかった。


 交遊の和を広げようとか、もっと社交的になろうだったり、人間性を上げていこうなんて大層な思想は僕は持ち合わせていなかった。決まった面子に決まった席、決まった行動と無難な人生が僕にとってのアイデンティティーなのであった。


 しかしながら、思い返せばそんな保守的な、いや退廃的な思想を持つようになってしまったのはいつ頃からなのだろうか。


 小学生の自分、僕は常に挑戦を求めたチャレンジャーのような男であったと自負していた。立ち入り禁止と書かれた場所は「立ち入り禁止だと思うから立ち入り禁止なのだ」とかいう訳のわからない理屈で踏破し、やってはいけないと言われることは「ルールを決めるのは自分自身」というまるで独裁者のような行動規範のもと生きていた。


 それだけではなく、出来ないことに挑戦してみたり、あまり友達が多いとは言えない子を遊びに誘ってみたりと恩着せがましさ満載ではあるもののクラスの中心といった役割を担っていたように感じている。あくまで自己判断に自己分析であるが。


 そうして僕は、その当時の僕は言わずもがな気持ち悪い程の正義感の元に生きていたため、いじめやそれを見て見ぬふりをする教室やクラスメイト、それに類するものに噛みついていた。


 それだけではなく自分の信念に反する行いや事象には、形振り構わずに突っ込んでいた。


 そんな当時の僕の夢はであった気がする。


 昨日、少女に告げた夢はそれであった。僕はヒーローになりたかったのだと。


 しかし、そんなヒーロー候補生(自称)であった僕は現在存在せず、余命わずかな退廃的文科系大学生へと変貌を遂げてしまっていた。


 何時からそうなったのであろう。僕にもわかりません。


 僕は時計を見て、授業開始まで残り二十分ほどあることを確認し、机に顔を突っ伏し、リュックサックを枕にし、仮眠を取ることにしたのであった。


 僕は意識を手放した。


 それからそのあと。


「おい、死にそうなんか? 授業はじまんぞ」


 ゆさゆさと大きな手が僕の体を揺さぶった。


「やめとけ、いつも初めは寝てるんだからそっとしといてやろうや」


 その手を制止するように声が続く。僕はパチリと目を覚まし、突っ伏した姿勢のままで教室入り口付近の時計を確認した。


「ほら、目覚ましちまったじゃん」


「いや、授業はじまるんだから起こしてやるだろ普通……」


 時計が示す時刻は、既に八時五十分を過ぎていた。


「おはよう……朝から騒がしいな」


 僕は彼らに声をかけた。


「おす! また、お前が授業開始にも関わらず寝てて、怒られる姿が見たかったのによー」


「おはよう。だから可愛そうだろ? 友達なら起こしてやれよ」


 僕の腐れ縁である大学一年からの友人達は軽口を叩いていた。


 僕を起こそうとしていた体の大きなはざままもるは、バスケ部に所属するナイスガイだ。性格は先程の行動から見て取れるように優しくお人好しだ。


「わかってねーな。人が不幸になってんのが一番面白いんだろ?」


 そしてこの問題発言をぶちかました男がみき孝則たかのり(通称ミキタカ)である。顔は俗に言うイケメンであるが、その実中身は飲酒、喫煙をこよなく愛する生粋の大学生。ルックスのため非常にモテるが、発言と思考が阿保のため付き合った女の子は一ヶ月続いたことはない。


「なんだお前、なにニヤニヤしてんだ?」


 守が僕に声をかける。


「女でも出来たか?」


 相変わらずの合いの手を入れるミキタカ。


「いや、なんでもないよ。いつもと変わらないなぁと……」


 どうやら僕は彼らの変わらないやり取りを見て、す少し顔をほころばせていたらしい。


「なんで急にしみじみしてるんだよ。気持ち悪いな」


 ミキタカがケラケラ笑っていた。


 そしてその後チャイムの音に促され、授業が始まった。



 ▲



「だるい授業の後は、カレーに限るよな!」


「授業なくてもここでカレー食ってるだろ」


 守のため息混じりの突っ込みをものともせず、ミキタカはビーフカレーセット(550円)をむさぼるように食っていた。


 僕たちが今いるのは、大学から程近くにある喫茶店であった。一年の頃から来ている僕らは、既に常連といっても差し支えの無いほどの客へと成り上がった。


 店主は寡黙なおっさんのため、あまり会話したこと無いが、多分良い人だと思う。多分ね。じゃなきゃ常連になるまで通わないし。


 因みに僕と守は明太子スパゲティ大盛(600円)を啜っていた。


 店内には僕ら三人しかおらず、ミキタカのバカ笑いと食器の音くらいしか響くものは無かった。


「あ、そういえばお前、授業始まる前になんであんなにニヤニヤしてたんだ?」


 守がスパゲティを食べる手を止め、僕に質問を投げ掛けた。


 先程(ミキタカのカレーの感想の前)までは、一、二限で受講した講義の内容について下らない議論をしていた。


 講義の内容は自己実現の方法とか何とか。講義自体は心理学基礎であった。


「なんでって……」


 僕自身心当たりは大有りだが、ここはすっとぼけてみることにした。


「俺も気になるわそれ!」


 ミキタカもカレーライスを食べる手を止め、口にスプーンを加えたまま喚いた。


 僕はどうやらいい友達を持ったらしかった。


 これは誰かに打ち明けるべき問題では無いかもしれない。自身の内に秘めておき、気付いたら死んでるみたいな落ちの方が面白いかもしれない。そう思わなくもない。しかし、しかしながら僕は、


「皆に言わなきゃいけないことがあるんよね」


 自分から質問したくせに、僕が答え始めると守とミキタカは目を丸くして驚き始めた。無理もないかもしれない。僕は誰かに何かを詮索されて話し始めたことなど殆ど無かった。今の今まで。付き合いの悪い男のように思えるだろうが、そんな僕に付き合ってくれた彼らには感謝がつきない。


「おい! おっちゃん! ただしが何か話すぞ!」


「黙って聞いてやれや」


「あてっ?!」


 守が騒ぐミキタカの頭をはたく。


 寡黙な店主は黙々と皿を洗っていた。


 時計が時を刻む音が段々と大きくなるように感じた。


 今まで感じなかったような期限リミットを感じていた。どうせ死ぬ。そう区切りをつけていたのにも関わらず、ここに来て僕はそんな気持ちに悩まされる。


 ミキタカと守は明らかに顔色が変わった僕を見つめていた。


 先程まで熱々だったカレーライスとスパゲティは、誰かに奪われたかのように熱気を失っていた。極寒の地で、息も吐かぬ屍のように。それから白い吐息が上がることはない。


 僕は口を開いた。


「実は僕……」


 そこから再び沈黙が店内を包んだ。彼らは(ミキタカ以外は)静かに僕を見つめていた。


「言いたくなきゃ言わなくていいぞ」


 ふとミキタカが言った。


「別に言いたくないことは誰にでもあるし、詮索するつもりで聞いた訳じゃないしさ」


「そうだな。また話したくなったら話してくれよ。それでも全然問題ないぜ」


 守も同意見のようだった。


 僕は心のなかで何かが切れる音を聴いた。


 僕はどうやら強がっていただけなのかもしれない。どうせ死ぬ。だから別にどうでもいい。アルビオン突然に宣告された余命を受け入れることなく、ただその事実自体に無関心に生きようとしてきただけなのかもしれない。ここで誰かに打ち明けなければ、本当に誰にもこの事を告げずに死んでいく。きっとそうなってしまうのだろう。


 それはダメだ。そう。それはきっとダメなことなのだろう。


「いや……話す」


 僕は掠れる声でことばを紡ぐ。


「話すよ」


 そして再び守とミキタカに向き直った。体だけではなくて。心までもを。


 そして何故だか僕は、このタイミングであの謎の少女、神社で出会った少女について思い出した。


 彼女は慈悲に溢れた美しい顔をしていた。


「僕はどうやら、余命一年らしいんだ」


 静寂は取り払われた。

























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