見せられた記憶

 ジロウは腰が引けていたが、眉間に皺を寄せながら蛾に顔を近づけた。


[そう言うたら、道士とは思念で通じ合えへんかったわ。そや、タマはどないしたんやろ? カンリョウさんの御大切の中、見れたんやろか]


 そんなことを考えながら蛾と柳を睨んでいたジロウは、んっと急にしゃがみこんだ。

 ジロウが覗き込んだところには、樹皮とは違った茶色い粒の寄せ集めのような瘤があった。がっちり固まって、てらてらとした光沢もある。


[ここに虫が入っとんな。ん? これって蛾の幼虫が作るやつやん? 道士が雌にされたっちゅうんも妙な話やし、関係はないか。いや、そんなん言うてる場合ちゃうわ!]


 ジロウは幹を何度か叩いた。


「みいちゃん、聞こえてるか? 出したるよって、待っててな!」


 返事は無い。

 ジロウは少し下がってから腕組みをして、木の全体を観察した。


[池のほとりいうたら、枝垂れ柳の方が絵になるけどなあ。まあ、言うたら思い込みか。ほんでも、これは樹形がよろしゅうないわ。ちょっと手ぇ入れたいなあ]


 ジロウの目は、建物に向いた。


[ここがほんまもんの王宮やったら、誰も出て来ぉへんのはあり得んやろ。生きた人間のおらん世界か?]


 彼は周囲に目を配りながら、こそ泥のような足取りで手近な建物に向かいかけたが、何気なく振り返って木を見た。


「ややっ!」


 そして、そのまま木のそばに駆け戻った。


「こら、あかん! あかんわあ。うわ、どないしょう」


 ジロウは、手の届く範囲を丁寧に調べ始めた。先ほど見つけたのと同じような糞塊をいくつも見つけて、甚だしいしかめっ面になる。


[参ったなあ。針金があったら幼虫に刺すんやけど、無いわなあ。これだけど太さの木やし、すぐには枯れんやろけど。薬も無いし…]


 幹に優しく手を当てたジロウは、木に向かって話しかけた。


「こんだけ穴開けられたら、しんどいわなあ。なんとかしてやりたいんやけど。そんでも、道士を蛾にした祟りちゃうんけ。蛾のお仲間が集まって来よったんやろ。なあ、わかってて、やったんか? 俺が言うとるんは、そこにおるカンユウさんのこっちゃで」


 ジロウは、蛾が留まっている側を覗き込んだ。蛾はそこにいたが、翅がほんのわずか動いた。その動きで、鱗粉がこぼれ落ちたのが見えた。


[え? 鱗粉て、こんなふうに飛び散るもんやったっけ?]


 首を傾げたジロウは、不意に立ちくらみがして幹に腕を押し付ける形になった。と同時に、目の前の景色が歪んだ。


          ※※※※※


 二人の少年が向かい合って立っている。

 一人がカンリョウで、もう一人がカンユウなのが、ジロウにはすぐにわかった。


(ユウ、絶対に誰にも言わないと約束したじゃないか!)

(だって、リョウのこと助けなきゃって思ったんだよ。猫なんかに取り憑かれたら、死んじまうだろ!)

(だから、あの猫はそんなんじゃないって言ったじゃないか!)

(それが取り憑かれるってことだよ。騙されてるんだ)

(あの子はそんなんじゃなかったってば!)

(喰われてたかもしれないんだぞ!)

(だからって、火をかけるなんて! 小作の家も二軒焼かれた!)

(誰も死んでないだろ! それに、決めたのはお前のお父上だ!)


 幼いカンリョウは、ぼろぼろと涙をこぼした。


(泣くなよ、みっともない! 猫なんかに心を奪われちゃいけない。われらは立派なお役人になって、この国を支えるんだ。このタイライは、この世のすべてを統べる国なんだぞ。人を喰らう猫は敵だ。敵には情けをかけちゃいけないって習っただろ。殺すか…使役するしかない。他国の兵士と同じだ。殺すか、奴隷にするか。それが正しいことなんだ)


 幼いカンユウの顔は、語るにつれて興奮のあまり薔薇色に染まってゆく。

 映画の一場面に入り込んだように見入っていたジロウは「あーあ」と小さなため息をついた。


 途端に場面が変わった。


 新入りの役人然とした若きカンユウが、上司らしい中年男の話をかしこまって聞いている。


(…というわけで、これを軍の係りの者に分配するのがお前の仕事だ。在庫管理をしっかりな)

(はい。その魔石というのは、どこで手に入るのですか?)

(そんなもの、われらに知らされるわけがなかろう。ただ、これはとても貴重なものだ。これのおかげで我が軍は圧倒的優位に立てるのだぞ。繰り返し言うが、納入の係りには返答を求めてはならん。数を確かめて記帳が済んだら丁重にお見送りせよ)


 再び場面が変わった。


(七つ、確かに受け取りました。お役目ご苦労様にございます)


 カンユウは、目のすぐ下から顔を覆うような布を垂らした人物に頭を下げていた。その人物は中年の女性か、質素な身なりがジロウには医療従事者のように見える。感染症を防ぐための対策に見えたからかもしれない。


          ※※※※※


『われは! われは、魔石を持つものを生み出す手助けをしていたのだ! リョウを傷つけ、小作のわずかな持ち物を失わせた! 立派な仕事を成していると思い込んでいた! このような姿に成り果てて、ようやっと突き止めた。魔石はこの中にある。この柳の妄執から生み出されておる。蛾の姿になった者たちが教えてくれた。この姿になってようやっと、教えを聞くことができた。この場において、われの真名を呼んでくれたことに御礼を申し上げる。おかげで真実を伝えることができたのだから』


 ジロウは、あの道士、カンユウの悲痛な叫びを聞いた。


「カンユウ殿! どうしたら、お姿を元に戻せますか?」


 蛾に向かって思わず怒鳴ったジロウは、木がぶるぶると震えるのを見て飛び退った。

 彼の目の前で、翅のぼろぼろな蛾はゆっくりと地べたに落ち、仰向けになったまま動かなくなった。




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