到着の地
実際には何が起こったのか、ジロウにはわからなかった。しかし、まぶたを開いて目の前のメドウが消えたのを知ったとき、胸の奥が温かくなった気がした。
「よし。それでは、そなたからだ。
「あなたの本当の名前を全部言うのよ」
黒猫が口添えしてくれて、ジロウはしっかりと頷いた。
「黒田章次郎」
「ネコテラスオオミカミ」
ジロウは、体がとてつもなく軽くなったのを感じた。それと同時に、自分の足下から空中に向けて、三毛の子猫から始まる一直線に整列した猫たちを見た。
一本の長い帯の端を持って、二つに折るように重ね合わせて滑らせてゆく、その動きだ。それも大変な速さで。
「バステト」
「ゲオルグ二世」
眼下に連なる、毛色も大きさもまちまちな猫たち。長い尻尾、鍵尻尾、ふわふわの太い尻尾、全ての尻尾が持ち上げられ、後ろの猫が前のそれに向けて右前足を上げている。
タマ、ミケ、シロ、オカイコサン、レオ、デイジー、オモチ、ソックス、ルナ、アレクサンダー、クロ、フィリックス、トム、タオタオ、ソラ、ワーシカ、マオマオ、延々と名乗りは続く。
[折り返し地点の猫はどんなんなってんやろ。くるっと体ひねってんやろなあ。見たいなあ]
猫以外何も見えず、超高速で飛ばされていることしか感じられなかったジロウも、少しだけ物を考えられるようになった。
[ここ、どこやろか?]
周囲の景色は認識できない。ただ、ほのかに明るい。朝方の濃霧の中に似ている。湿り気も寒さも感じないのだが。
マロン、キナコ、ミミ、キト、ポピー、マックス、ココ、パシャ、ミア、カリン、マイケル、コテツ、トラ、チビ。名乗りはまだまだ続く。
[手ぇ動かしたいなあ。なんで動かへんねやろ。ここは右手の拳を前へっちゅうとこやろに]
ジロウは気をつけの姿勢で、頭を前方が見えるように傾けている。そのままどこかに着地したら痛い目を見そうであったが、心配してもしょうがない。
そして、その時はいきなりやってきた。
ジロウは、自分が真っ直ぐに立っており、足の裏に地面の感触があることに唐突に気がついた。
触感が戻ると同時に、土と植物の匂いが鼻腔になだれ込み、小鳥の鳴き声が耳に届いた。そして、ひんやりした空気に身震いをした。
自分の両腕を抱き込んで震えたジロウの目の前には、一本の木が立っていた。
[なんや、この木? うーん、見たことあるような…。テンジクヤナギ…?]
両の手のひらで掴むより少し太いほどの幹に、深い縦皺が入っている。ひょろりと伸びた高さは塀を超えるくらい。
そう、気づけばそこは石積みの塀に囲まれた庭園で、池の向こうには縁が反り返った赤瓦屋根に赤い柱、白い漆喰壁の豪勢な建物が何棟か建っている。
[この葉っぱ、柳で間違いないな。
相当大きな屋敷であるにもかかわらず、庭園にも建物にも人の気配は無い。
[柳…。まさかここ、タイライの王宮か? それにしても寒いがな。いや! こっちゃ、我が子を抱き込んどんねん! これほど温いもんがあるかっ!]
半歩踏み出したジロウは、葉陰の幹に違和感を抱いて止まった。縁が丸く盛り上がった穴が開いているようだ。そして、その中に。
「みっ、みいちゃん!」
みいちゃんの顔が半分ほどのぞいていた。二つの瞳と鼻先くらいだ。
「いや、みいちゃん! そんな狭いとこに、どんなんして入った?」
駆け寄ろうとしたジロウの目の前で、まるでまぶたを閉じるように穴が閉じた。
「なんやねん! くそっ! みいちゃん!
ジロウは幹を力一杯平手で叩き「
「どないなっとんねん! 誰でもええから出て来いやぁ!」
思い切り怒鳴っても、鳥の声しか返ってこない。一緒に来たはずの、後ろに連なっていたはずの猫たちの姿も、一匹も見えないのだ。
「なんやこれ? 夢ん中か? ああっ!」
ジロウはかっと目を剝いた。
[俺、頭ん中そのままで喋っとぉ? なんで? こっちでこんなことなかったやんけ!]
必要以上にどすどすと足音をたてて、ジロウは柳の周辺をせわしなく歩き回った。真っ直ぐ前を向かず、あっち見こっち見して歩いていたせいで、低木の植え込みに突っ込みそうになった彼は、思わず悪態をついて横手を向いた。その瞬間、鼻先をかすめるものがあって、飛び退いた。
それは、ふわふわと頼りなさげに飛んでいる、白茶色の蛾だった。
「いやっ! いやいやいや、まさか、もしかして、道士?」
ジロウの見る前で、蛾は柳であろう木の幹に、へたりと留まった。その翅はところどころ破れていて、ジロウの記憶にある道士の
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