身体と心の乖離
みいちゃんは猫じゃらしに戻らずに、オカイコサンと話しながら寺の外に出て行った。
[あっ。明日はどうしたもんやろ。祠に祀られとぉご本人、おおっと、ご本猫と会うたからには、またたび酒は供えんとあかんか]
腕を組んで考えていたジロウは、誰からも返事が無いことにがっかりした。
[タロウ? おもち? メドーウ!]
いつの間にか地べたに座り込んでいたメドウは、せっせと草をむしっている。
「メドウ。そろそろ中に入るぞ」
「だあ!」
[だあやないわい。おもちは居てないんかい?]
「ぱーっ、ぱーっ!」
メドウは楽しそうに、ちぎった草を撒き散らすのみだ。
[なんやねん。お前、ここんとこ愛想無いで。ちょっとはこの先のアイデア出せや]
少々凄むように語りかけても、メドウの様子に変化は無い。ジロウの
眉だけがひそめられることになった。
「ぱーっ、ぱーっ」[たのし、たのしーい、ねっ]
「なっ…お前」
ジロウは微笑みながら眉根を寄せるという難しいことをやってのけた。
「よし。そろそろきれいにして、晩ご飯食べる準備をしようか」
息子の小さな手をとって、草や土を払ってやる。
「育つにつれ、この世に適応してゆくのだな。俺はどうする? 俺は?」
独り言を呟くジロウと目が合った瞬間、メドウはスイッチが入るように表情が変わった。
「あれ?」[おもちがいない? タロウは? 今日のお知らせは?]
[ん。なんか皆んなで出かけよったで]
[猫の集会?]
[まあ、そんなんやろ]
おもちのいない夜、ジロウではゲームの話の相手にならないと知っているメドウは、珍しく機嫌が悪かった。それも、夕食を共にした盾と棍棒も気にかけるほどに悪かった。ついでに言うと、空井戸での面会について話したくても話さずにいるジロウも、悶々とした気持ちを抱えていた。
「ジロウ殿。子どものいないわれが言うのも何ですが、こういうときには、あえて動き回らせて疲れさせるのはどうでしょうか」
棍棒は、手ぬぐいを丸めて縛って、球遊びができるようにしてくれた。
「ジロウ殿もお疲れでしょうし、大人三人がかりの方が良いのではないでしょうか。無理にとは言いませんが」
「いや、お二人も疲れているでしょうに」
「われらの条件は同じです。明日のために、すっきりして寝るのがよろしいでしょう」
二人に勧められ、寺の僧たちにも笑顔で了承されたので、父子の部屋でしばらく遊ぼうということになった。
燭台が倒れてはいけないので、蹴ったり投げたりは無しの鬼ごっこもどきである。それでも、大人たちが思った以上に、メドウは喜んで駆け回った。
これでは、はしゃぎすぎて寝られないのではないかと心配し始めた頃、うまい具合にと言ってはなんだが、メドウが派手に転んだ。これまた珍しくぎゃんぎゃん泣いて、結果泣き疲れて眠ったのである。
ある種の達成感と連帯感を持って、大人三人は笑顔で就寝の挨拶を交わした。
扉を閉め、寝台の脇に立ったジロウは、指を咥えて眠るメドウを見下ろして長いため息をついた。
薄暗がりで見る我が子の寝顔は、幼い頃の自分の写真にそっくりだ。母親に抱かれた写真、家の庭でビニールプールに入った写真。ジロウは、しばらく思い出すことのなかった写真の情景を、次々に脳裏に浮かべていた。
[なんや、こんなこともあるんやな。頭ん中で、アルバムが勝手にめくられとぉみたいやんけ]
背後の暗がりをなんとなく振り返り、彼はもう一つため息をついた。
この夜、猫たちは誰も何も言って寄越さなかった。
だが、しかし。
「ジロウ殿、起きてください、ジロウ殿」
扉を叩く音で目を覚ましたジロウは、まだ朝の気配が訪れていないことに驚いて跳ね起きた。
「どうしたのですか?」
扉の外には盾と棍棒が立っていた。その後ろに、この寺の僧たちも見える。
「荒ぶった猫の声が聞こえると、訴えがあったのです。この近くの店の主人たちが逃げてきました」
「誰か襲われたのですか?」
「いいえ。それが、使われなくなった井戸の底から声が響くとのことで」
ジロウの片眉が上がった。
「どなたか、息子を見ていていただけますか」
寺の僧たちに向けて言うと、盾と棍棒が揃って頷いた。
「行かれるのですね」
「はい、行くべきでしょう」
「夜が明けるまでには、まだ時がかかります。松明を用意させましょう」
部屋の中を振り返ったジロウは、メドウが話し声にもかまわず熟睡しているのを見て、かえってほっとした表情を浮かべた。
「このお寺の方々は、猫封じをなさいますか?」
ジロウが尋ねると、僧たちは恐ろしそうに首を横に振った。
「問題ありません。では、我々三人で行きましょう」
盾が頼もしげな顔つきで言い、ジロウは枕元から猫じゃらしを取ってきた。
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