毛づくろいと指しゃぶり

 強い日差しの下、半分透けたように見えるみいちゃんは、前足を上げて顔を洗い始めた。メドウは前のめりになって、黙ってその様子をじっと見ていた。


『うーむ…。何故かはわからんのだが、出たいと思ったら出ていたのだ』


 みいちゃんは続いて後ろ足を上げ、丁寧に毛づくろいをする。


『まあ、あれだ。タロウのおかげだな。これも血のなせる技というやつか。本猫はそうと知らぬところが愛おしいわ』

[???]


 みいちゃんは全くこちらを見ないのだが、メドウが睨むような顔つきで注視しているのは分かっているようだった。


『どうした。思念をまとめる余裕もないようだな。その頭の中には何が入っているのだ? 小石か?』

[うー、ひどいや。でも、自分でもそう思うよ。この体が大きくなったっていう実感はあるんだけど、頭の中の方はときどき霞むんだ。せっかく色々思い出せるようになったはずなのに。俺ってば、一歳ちょっとでボケ始めてるのかって、怖いときもあってさ]

『ふむ。それはこの世に順応してきたということだ』


 みいちゃんは腹を舐め始めた。


『マイナムのように前世の記憶を継がず、新たなせいを生きるのもまた良いではないか。そもそもほとんどの人間は、前世の記憶を持たずに転生するのだから』

[え、転生ってみんなしてるもの?]

『今更わかりきったことを聞くな。強制的に消されぬ限り、魂が滅びることはない。自らの意志で転生を止めるものもいれば、否応無しにまた送り出されるものもいるが』

「ほえー」


 メドウは目を丸くして、みいちゃんの動きを追った。


『いつにも増して間抜け面だな』

[何をっ、見てないじゃん]

『目ん玉など使わんでも見える』


 みいちゃんはごろんと仰向けになり、背中を草にこすりつけた。


[あ、もしかして背中がかゆい? 掻いてあげようか?]

『要らぬ世話だ。これはいつだったか、馬に教わったのだ。草の香りが染み入ってなかなか良いものなのだぞ』

「へえ」


 赤子らしく指をくわえたメドウは、しばらくぼんやり見ていたが、いきなりみいちゃんを真似て転がってみた。背中を左右に揺するのは難しいが、頭ならごろごろとこすりつけることができる。

 離れて見守っているフェイはとっさに動きかけたが、大丈夫と見たのか足を止めた。


『それより、タロウの連れてきた連中はどうだ?』


 ごろごろしながら、みいちゃんが問う。


[連れてきた? 何を?]

『仲間に決まっておるだろうが』

[何の?]


 メドウは手足を上げたまま動きを止め、首をひねってみいちゃんを見た。


『だから、タロウが連れてきた我の仲間だ。馬鹿者めが』

[馬鹿者は余計だよう。でも、でも、タロウが、みいちゃんの、仲間を、連れて、来た?]

『んっ? 集団生活地の話を聞いておらんのか、ジロウから?』

[あー、集団生活? あ、墓地の野良猫の話か]


 メドウは右手だけを下ろして、人差し指と中指をくわえた。しばらくちゅぱちゅぱしゃぶっていたが、勢いよくすぽんと引き出した。


[え、え、待って? タロウがその猫たちをこっちに連れて来てる?]

『何だ、反応も頭の回転も遅いぞ。気付いていなかったのか? だったらどうして、何人もの人間が撫でられたと思ったのだ?』

[えー? あれって雰囲気で伝染うつってるんじゃなくて、本当に空気猫撫でてたの?]

『空気猫か。言い得て妙だな』


 くるんと体をひねったみいちゃんは、起き上がって香箱を組んだ。つられてメドウも起き上がった。


[あー、なんか神の祝福とか言ってた! 思い出したぞ。墓地の猫たちがきらきら光ってたって]

『ふん、そうか。そのとき、連中は世界の層を抜けかけたのだろう』

[世界の何だって? そもそもタロウはどうやってこっちに来たの?]

『ジロウの中に入って来たのだな』

「ええっ!!」[中に入ったあ?!]


 大声を出したせいで、フェイが伸び上がってこちらを見た。


『人のここには、小さな物入れがある。特別なものをしまっておくところだ』


 立ち上がったみいちゃんは、メドウの腹の真ん中を前足で指し示した。


[え、え、それって例えじゃなく?]

『あるのだ。ただし、使いこなせる者は少ない。ジロウの鍵は我がこじ開けた。開けるべき気がしたからな。だが、タロウを入れたのは我ではない。タロウ自ら飛び込んだのだ』

[ごめん…話についていけない…]


 メドウは空を仰いでひっくり返った。草の上なので全く痛くなかったが、うっかり叫んだ直後でもあり、流石にフェイがすっ飛んでくる。


『おお、見られては面倒だ。われはちょっとあちらへ行くぞ』


 ひらりと身をかわしたみいちゃんは、茂みへと消えていった。


[鍵か…鍵…。なんか鍵の話があったような…?]


 みいちゃんの言葉を思い返し、首をひねりまくるメドウだった。


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