おもち

 宴の果てた夜、メドウは夢を見た。


     ※ ※ ※ ※ ※


 屋敷の自分の部屋。

 机に向かって問題集やノートを広げ、勉強をしようとしていたらしい。

 椅子に座っても足がちゃんと床に届き、机の上の手も大人のそれのようだ。

 身につけた衣服は水色のカッターシャツに濃い灰色の長ズボン。


「駄目だぞー、おもち。俺は今度こそ合格しなきゃいけないんだからな」


 机に被さるように頭を下げると、顔中がふにゅっと柔らかく温かいものに包まれる。ノートの上に、真っ白な猫がごろんと横たわっているのだ。人差し指と同じくらいの長さ、くの字に折れた尻尾が申し訳程度に動く。そこにだけ茶色い縞模様が入っている。


「おもちぃ。ここから退けてくんないかなあ。だから、今度はどうしても合格しなきゃなんないんだよ。合格したら、思いっきり構ってやるから。な。あと半年もないんだよぉ」


 白猫は動かないし、閉じた目も開かない。彼は遠慮がちに尻尾の付け根をとんとんする。


「勉強しなくていいニャーさんが発動ですかぁ?」


 彼はよっこいしょっと白猫を持ち上げにかかったが、ぐにぐにと抵抗されてちゃんと抱えられない。


「あー、ノートがぐちゃぐちゃになっちゃうじゃないかよ。あっ、いててて!」


 腕の中で体をひねった白猫の爪が、彼の肩先に引っ掛かった。


「これ、まだ家にいたのか? 早くしないと遅刻するぞ」


 振り返ると、水色系の花柄のエプロンをつけてフライ返しを握った母が、戸口に立っている。エプロンの下、紺色のスカートからのぞく足が、ふっくらした体型なりに美しい。


「おもちにも困ったものだ。✖️✖️を早く離してやれ。今日のカリカリは抜きにするぞ」

「いや、母さん。カリカリじゃなくて猫缶を開けてやらなきゃ。おもちも年なんだから」

「何を言う。✖️✖️は、おもちが鳩を捕えるところを見なかったのか? まだまだ甘やかす年ではないぞ。それ、おもち。外に行って狩をしてこい」


 歩み寄って来た母は、フライ返しで白猫の尻をぱしっと叩いた。

 抗議するように「フミャア!」と鳴いた後、体をひねって床に飛び降りた白猫は、戸口の反対の壁に走って行った。


「あ、タロウが来てる」


 彼は大きく開いた窓の下に、猫の姿を認識した。しかし、何色でどのくらいの大きさの猫なのか、細部をきちんと見分けることができない。なのに、その口元から、トカゲの尻尾が垂れていることだけはわかるのだ。


「おお、タロウは自ら餌をまかなっているではないか。おもちも見習わぬか」

「いや、だからさあ」


 腕組みをする母に抗議しかけた彼を、白猫は細い目をしてじろりと睨んだ。

『狩りもできぬ年寄りと、我を見くびるな』


「あれっ、喋った?!」


 彼は驚いたものの、考えてみれば明らかに知っている声だ。


『今更何を驚くことがある。図体ばかり大きくなりよって』

「おもちよ、わらわの愛する✖️✖️を愚弄すると放り出すぞ」

「いやいや、止めてよ母さん」

「なぜおもちの肩を持つ、✖️✖️よ。そなたには大切な鍵を渡したというのに」

「え、鍵? 何の鍵?」

「命に代えても守らねばならぬ鍵だというに、✖️✖️は何と心得ておったのだ」


 矢継ぎ早に繰り出される言葉に、彼は目を白黒させた。


「それ、そなたがちゃんとしておらぬから、鍵が自ら出歩いておるわ」


 母の言葉と同時に、ちゃりんちゃりんと金属の触れ合う音がする。


「わあ、どうしよう。母さん、ごめんなさい、ごめんなさい」


    ※ ※ ※ ※ ※


 ちゃりんちゃりんと音は鳴り止まない。

 振り返ると、引き手に金属の輪が付いた小箪笥にかがみ込んでいる背中が見えた。


「わあ、めんちゃいっ!」「わあっ!」


 口から飛び出た言葉の滑舌の悪さに自ら驚き、さらには振り返った人物の口から飛び出した押し殺した悲鳴に驚いて、メドウは夢がすり抜けてゆくのを感じ、急速にその内容を忘れた。


「まーる?」「むっ」


 灯明の灯り一つだけの部屋で、メドウが見分けたのはマアルに間違いなかった。


「はっ、そんなはずはない、わよね」


 低く呟いた彼女は、苦く笑って立ち上がった。


「坊ちゃん、あんたが今見ているのは夢なのよ。朝になれば全てを忘れるよ」


 そう囁いて部屋を出ようとした背中に、メドウは「ゆめちゃう!」と、きっぱり言った。


「まさか…。いや、しかし【タロウ】のこともあるか…」


 ぶつぶつ言いながらメドウの寝台に近づいて来たマアルは、突然膝の辺りを払うように大きく手を振った。


「何よっ?!」


「むし?」と首を傾げたメドウの目の前で、マアルはしばらく一人で格闘していた。しかし、しばらくすると「ああっ、もうっ」と言い捨てて、逃げるように出て行った。

 取り残されてぽかんと口を開いたメドウは、こてんと体を横たえた。難しいことを考えようとして、しかめっ面になると妙に疲れた。そうしてそのまま、再び眠りに落ちたのだった。




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