宴の前

 リヤンの決意表明から後、屋敷は高揚した空気に包まれた。

 使用人たちの縁者や勤めを退いた老人たちをも駆り出して、メドウの一歳の祝いの準備が進められる。


 メドウはフェイの背中にくくりつけられ、今まで見ることのできなかった屋敷の隅々まで立ち入ることができた。その代わり、父や母と過ごす時間はうんと短くなっていた。

 あの道士が庭の一隅に越してきたので、ジロウはそちらに入り浸り、と言うより呼びつけられ続け、リヤンは招待予定の家とのやりとりで大わらわだった。


 メドウは屋敷中の人びとに〈坊っちゃまは本当に言葉が早い〉と知らしめることに成功しており、母よりも長い時間を共に過ごすフェイとの意思疎通は格段に向上していた。


 それともう一つ。

 文字通り目の回るほどの忙しさである屋敷の人びとは【タロウ】を心の拠り所にするようになっていた。

 仕事に関しては口うるさいフェイであるが、使用人の疲れを見てとるとメドウと共に座らせて【タロウ】を行わせるようになったのだ。


[そうか、そうか。ほんならタロウを堪能しとるわけやな]


 久しぶりに夕食の席で一緒になったジロウは、幾分拗ねているようだった。強面が拗ねると見るに堪えないのだが。


[まあね。もしかして、ここのところタロウに触れてない?]

[せやねん。一向にいっこも来よらん。なんかな]

[タロウは庵には近づかないだろうしね]

[せやで。なんで知っとんのや?]

[うーん、なんだかさあ、猫ってああいうワチャワチャした人、嫌いだろ?]


 ジロウは食べ物に集中しているふりをしながら、わかるわかると頷いた。


[ところで、母上の兄ちゃんと両親のことだけど]

[またその話かいや。諦めの悪いやっちゃな]


 肩をぴくりと震わせたものの皿から目は上げずに、ジロウは不機嫌そうに応じた。相変わらず細く整えられた眉がつり上がっている。それでもその顔に大分慣れたメドウはひるまなかった。


[俺が血が繋がってるから聞かせられないって言われたろ? でもさあ]

[よっしゃ、もうはっきり言うたろ。の、ろ、い、や]


 ジロウは野菜が多く澄んだ汁のたっぷり入った深皿から、一切れの魚を箸でつまみ上げ、わざとらしいくらいしげしげと眺めた。

 メドウがつられて目をやると、何やら迷彩柄のような皮が付いている。脂ののった白身の魚らしい。


「それ、おいしー?」

「あら、坊っちゃまのお粥にも入っているお魚ですよ」


 食事の世話をしていたフェイが、即座に応じた。


「そう?」


 ついつい椀の中の粥を木匙でかき混ぜて探してしまってから、メドウははっと我に返った。


[ノロイって呪い? お主を呪ってやるーってやつ? 呪いって何だよ?]

[しつこいやっちゃ]


 ジロウは勢いよく白米をかきこむ。

 田んぼを見たときからメドウにも見当はついていたが、この辺りでは相当量の米を食べるようだ。年若い女性であるリアンでも、丼と言える大きさの椀に山盛りの白米を二膳は食べるのだから。


[兄ちゃんの話はな、血縁の者が聞いたらややこしいことになる呪いが掛けられとんやて。そりゃ俺は聞いたけどやなあ、呪い何たらが無うても、相当ややこしい話やったで]

[ええー、何それ]


 メドウはむくれて粥を更にかき回した。


「あらあら坊っちゃま。食べ物で遊んではいけませんよ」

「さかな!」

「まあ、お魚がもっと欲しいのですか? お待ちくださいな。骨を取らないといけませんからね」


 フェイが厨房に行ってしまうと、メドウは木匙を満足げに振り回した。


[兄ちゃん、俺にとっては伯父さんか。伯父さんが勇者だってのは本当の話?]

[勇者とは何ぞやっちゅう話やけどな。リヤンも言うとった通り、寄せ集めの軍隊をまとめる方法を思いついて頭角を現したわけやろ。本多忠勝っちゅうより黒田官兵衛やな]

[はあ? それじゃ勇者じゃないと思うけど?]

[それやがな。具体的に勇者っぽい話は確かめられんかったし。名前だけが一人歩きしとるんやないか?]

[そっか。情報の伝達については難があるもんね]


 メドウは少々残念そうに椀に向き直り、一口食べかけたところで顔を上げた。


[じゃあ、じいちゃんとばあちゃんは? 伯父さんを助けに行ったっぽい話だったっけ?]

[ああ、そっちな]


 ジロウは顔を背けて、ため息をついた。


[あかんわ。そっちは何としても教えてもらわれへんねん。ほんでもな…]

[何さ、どうしたの?]

[リヤンが健気でな。隠しとるんも辛いはずや。どんな事情か知らんけど、何とかならんもんかな…]

[そっか。思ったより大変なんだな、この家]


 メドウは高い天井を仰いだ。

 

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