何の術?

「奥さま、いえ、大奥さまは、領内の人びとを等しくお助けくださったんです、いつでも。病人だけではなく、争い事や悩みを抱えた人をも」


 フェイは涙をぬぐって、確かな口調で言い切った。


「母上には、病を治す心得があったのか?」

「薬草にお詳しいということもありましたが、それだけではないのです。癒しの手をお持ちでしたから」

「癒しの手」


 うむむと唸ったジロウに、フェイは慈愛に満ちた顔を向けた。


「大奥さまが優しく触れてくださると、痛みが消えたり、心持ちが穏やかになったりしたものです。それはそれは、お忙しく領内を飛び回っておいででしたよ」

「そんな母上と領主である父上が、突然長旅に出られたというのか」


 フェイは、自らの口元をはっと覆った。


「おゆるしくださいませ。ここから先は、お嬢さまのお口からお聞きください。出過ぎたまねをいたしました」


「そのようだな」


 いきなりリヤンの声がして、フェイは即座に平伏した。

 リヤンは扉に手をかけたまま、妙に冷たい表情でフェイを見ていた。


「父上、母上のことは、折を見て妾がお話しすると言ったはずだ」

「お許しくださいませ」


 頭を下げたままのフェイに、リヤンは「行け」と短く言い放った。

 小走りに部屋を出てゆくフェイを見送ったジロウは「らしくない」とつぶやいた。


「それは、妾のふるまいに対するお言葉ですか?」


 リヤンからひんやりした空気が流れ出すようで、メドウもジロウも首をすくめた。


「フェイは約束を守るべきなのです。主従関係にあろうとなかろうと、約束は守るべきです。違いますか?」

「いや、違わぬ」


 ジロウは苦いものでも噛んだかのような顔で応えた。


[苦しんどんのやったら、話してくれたらええのにて思うだけや]


「あ…」


 ジロウの横顔を見上げて、メドウは呆けたような声を漏らした。


[こういうときなんじゃないかな、タロウ?]

[あん? 何やて?]


 それぞれの独り言のような思念にぼんやりと反応して、父子は目を見交わした。


[[こんなときこそタロウ…]]


 目を見開いたジロウはメドウに向かって手を伸ばし、メドウは拒絶するように片手を上げた。


「だから、わらいかんけいなかったって!」

「はっ?」[笑い関係無い?]

「いきなりきてたの!」


「何の話だ、メドウ?」


 父と子の双方に警戒の眼差しを投げたリヤンだったが、屋敷のどこかで沸き起こった歓声に驚いて振り返った。驚いたのは父子も同じである。

 黙って部屋を出たリヤンを追おうとしたジロウを、メドウは大声で呼び止めた。


「つれてってよ!」

「お、おう。悲鳴ではなく歓声に聞こえたからな」


 妙に言い訳がましいジロウは、メドウを抱き上げて妻を追った。


「厨房の方だと思うが」

「おれ、やしきのことしらない」


 抱かれたメドウは、驚きの眼差しで長い廊下や沢山の扉を見やった。


[この家でっかいな!]

[屋敷な]

[屋敷、うん、そう。これが俺ん家だってんだから驚きだよ]


 やがて二人は、良い匂いに導かれるように厨房にたどり着いた。


「入るぞ!」


 ジロウが一声かけて踏み込んだとたん、二人してぽかんと口を開くことになった。


[なんだこれ][なんやこれ]


 そこには、座り込んで膝の上辺りの宙を丸く撫でる人びとの姿があったのだ。


「これは何としたことだ?」


「おやまあ、旦那さま!」

「いやいや、この方が坊っちゃまで!」

「おお、坊っちゃまですか!」


 至福の表情から我に返った何人かが声を上げ、全員がぱらぱらと父子に気付いていった。その中には、皆と同じく座り込んだリヤンの姿もあった。


「やっべえ」

「何たる光景だ…」

[ねえ、家ってこんなに人がいたんだね。知らなかったよ]

[いや、おれも知らなんだがな]


 数えてみると14人が座り込んでいる。フェイもマアルもダット爺もいた。


[あ、トックがいない]

[ちゅうことは、これで全員ちゃうんかいや]


 それだけの人びとが、崇めるような目つきでメドウを見つめている。


「坊っちゃま、ありがとうございます!」

「「ありがとうございます!!」」


「いや、なに?!」


 いきなりの合唱に、メドウはジロウの首っ玉にかじりついた。


「年端もゆかぬ坊っちゃまが、かような技をご伝授くださるとは」

「「ありがとうございます!!」」


 ダットが先導しての礼の嵐である。


「なんこれ」[タロウ、マジ分裂?]

「リヤン、これは何としたことだ?」


 土下座のような礼を繰り返す人びとの中で、リヤンは優雅に立ち上がった。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る