温かい風
軽い興奮状態のトックとメドウとは対照的に、ぐったりと疲れた様子のジロウは帰路の残りをほぼ無言で歩き通した。
「お帰りなさいませ、旦那さま」
メドウの部屋で脱力していると、ようやくリヤンが顔を見せた。
「おお、まだ仕事があるのではないか?」
「今日はもう、よろしいのです」
元気なメドウは寝台の上に足を踏ん張って立ち、ぷくぷくした両腕を振り回して母を歓迎した。
「にいちゃんのこと、はなして!」
[おまえ、いきなりやの]
片手で顔を覆ったジロウと、はしゃぐメドウを見比べて、リヤンは片眉を上げた。
「トックが、何かお話しましたか」
「兄上が勇者殿であると」
「いつかお耳に入るとは、思っておりました」
リヤンはゆっくりと首を振りながら、入ってきたばかりの扉の方へ数歩戻った。
「旦那さま、あちらへ」
「ちょっと! なんでよ! ここで、はなしてよ!」
「ならぬ。血の繋がるそなたには、まだ聞かせる話ではない」
常には無く厳しい表情の母を見て、メドウはぺたんと尻もちをついた。
「ということだそうだ」
出がけに振り返ったジロウは、困ったようなためらうような顔をして言い置いた。
「なんだよう」
ぶつぶつと、はた目には赤子らしくつぶやいたメドウはしかし、尖らせていた唇をぽかんと開いた。
「あれ? タロウ? タロウなの?」
寝台の上、側から見れば代わり映えのしないところを、両の手のひらで撫で回す。
「タロウ、おいで。タロウ?」
小さな指の先に、温かな風がまとわりついた。
「やったあ、タロウ!」
メドウは見当をつけた辺りで宙に手を這わせ、タロウの体であろう場所を特定した。座り直して、両手を当てがう。
「あー、これこれ」
うっとりと目を閉じて、ゆっくりと手を動かす。
「こっちあたま、こっちしっぽな」
大きさを確かめるような具合に手を止めて目を開けたメドウは、じっとこちらを観察しているフェイを見つけて、びくっと体を震わせた。
その動きが強く伝わったせいか、手の下で風がすり抜けた。
「ああん」
「坊っちゃま。なんだか舞のような動きでしたわね? それとも、もしや、ご祈祷でも…?」
妙にへりくだった笑みを浮かべて、フェイは寝台にちょいと腰をかけた。そして、何を思ったか、メドウの先刻の動きを真似し始めた。
「こんなのでしたね? こう、手を丸く、静かに…あ、あら?」
フェイは、びくっと手を体の後ろに隠した。
「何でしょう? 温かい風が?」
フェイの動きを見て、メドウは一本指を突きつけた。
「あーあー!」
「え? もっとやれということですか?」
こくこくと頷くメドウを見て、フェイは首をひねりながらも手を戻した。
「こう、こうして、丸ーく、丸ーく、あら、あら?」
フェイは今度は動きを止めなかった。
「坊っちゃま。これは、手の中に風を起こす技ですか?」
「ちゃうの」
「違うとおっしゃってますか? あらやだ。わたくし、何かに開眼してしまったのかしら、とうとう!」
[とうとうって、何だよ]
メドウの密やかなつっこみは無論届かず、フェイはだんだんと蕩けそうな顔になった。
「何でしょうね。お湯に浸かっているような心持ちですわ。両手が幸せに絡め取られたかのようです」
「おおー」
メドウは思わずぱちぱちと手を叩いた。
フェイは、その拍手も聞こえぬほどにうっとりと手を動かし続けている。
しばらくその様子を眺めていたメドウは、何とはなしに自分も再び手を動かしてみた。
「あん?」[どうした? タロウ、ここにいるのか? じゃあ、フェイのは?]
びくっと手を止めたメドウは、その下の宙を睨みつけるように見つめた。
それでも結局二人は、ジロウが再び部屋に入ってくるまで、傍目には奇妙な空気撫でを続けたのだった。
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