訳ありな人
「なあ、ジロウ。タロウに兄弟はいたか?」
さんざん唸って何やら考え込んでいたマイナムは、やおら顔を上げた。
「はっ? いや、確かめておりませんが」
[そうか。まあ、いずれにせよ、それらを呼び寄せるわけにもいかんか…]
「えっ、タロウの兄弟を?」
[姿が見えない方が、いっそ受け入れやすかろうからな…]
「いやいや、それは。いたとしてもできるかどうか」
ジロウが声に出していることには気づかぬように、マイナムは考え込んでいる。
「あのう、マイナムさま。とりあえず、今日のところはこれにて。われも寺に引き返し、門前にて連れを待ちますので、その」
「ああ、そうだった。誰ぞに呼ばせよう」
二人は結局寺に引き返し、ジロウは供物を売る露店の客にまぎれて待つことにした。
だが。
高名な僧であるマイナムが、誰にも気づかれずに門内に入って行ったのに、ジロウは人びとの視線を集めてしまっていた。
「あのう、旦那さま。どこからいらしたんで?」
「失礼ながら、わしらの言葉はわかりますか?」
しばらくは遠巻きにされていたが、妙に神妙な顔つきの二人が、ようやく声をかけてきた。
「え? 遠い国から来たのですが、いまは」
「やっぱり他国のお方だった!」
じわじわと集まった人びとに、さざ波のように納得の声が広がった。
「このお寺のことをお知りになって?」
「は? いや、まあ、そうですが」
この寺は他国でも有名なのだという、誇らしげなざわめきが広がる。
「お身内は、誰も反対しなかったんですか?」
「はあ?」
「おい、そんなはずないだろう!」「そうだ。有り難がるに決まってんだろうが」
「は?」
ジロウが盛んに首をひねっていると、人垣をかき分けるようにしてトックが現れた。
その顔には、困惑と疑いが交互に浮かんでいたが、ジロウの背中で眠りこけるメドウを見た途端、眉を上げた。いささか腹を立てているように、小走りに駆け寄ってくる。
「よく見ろや、虫刺されじゃねえか!」
顔を赤くしたトックが周囲に言い放ったので、ジロウは何事かと首をひねる。
「あれ、そうなのか?」「本当だ」「いやあ、ぴったりと!」
軽い驚きの声と笑いが広がる。
「ささ、お待たせいたしました」
「ああ、いや、こちらこそ先に出てしまって、その」
「おまえトックじゃねえか」「トックだ。じゃあ、お屋敷のお客さん…?」
周囲から掛けられた声に適当に首を振り、トックはジロウを人混みから文字通り押し出した。
「車に乗らないのか」という声と「それほどの客でもないってことか」という納得、更にはそれをたしなめる声が聞こえたが、ジロウも押されるままに歩きだした。
「お子さんに幸せが来ますように」「無事に育ちますように」
主に女性のそんな声に送られて、ジロウとトックは早足にその場を離れた。
「あのな、先に寺を出たのは、その」
「いいです。もっと先に行ってから」
言い訳をしかけたジロウを遮って、トックはぶんぶんと首を横に振った。
そんな彼がようやく「旦那さま」と言ったのは、人通りが途絶えてからだった。遠くに農作業をする人の姿が見えるばかりである。
「ああ?」
「不用意だったのはマイナムさまだったんでしょうが、もうちょっと気をつけてもらいたかったです」
「ああ、その、何だ。今まで、あんな風に注目を集めたことはなかったと思うのだが」
「それは、お一人でいらしたからでしょう。それも、いかにも旅の人という服装で」
「うん? そうだな。初めて屋敷からでたときも、道士殿と連れ立って戻ったときも、旅装だったか。先にリヤンたちと来たときは」
「立派な身なりの方と車でいらしたんなら、いいんです。それなりのお客人とみなされますから。今日来たときも、俺がお供してたからいいんです」
「ほう」
「でも、さっきの旦那さまはお一人で、坊っちゃまを負ぶわれて、しかもその坊っちゃまの額に、
「え?」
話が見えずに首をひねっていたジロウは、背中て眠りこけているメドウの顔を見ようとしたが、頭を見るのが精一杯だった。
「額の印が何だって?」
「ここんところが、ぽちっと赤くふくれてるんです」
トックは自分の眉間の少し上を、指で押さえて見せた。
「それは、寺に入りたいという気持ちを表すもんなんです」
「えっ、そうなのか?!」
ジロウが驚いて大きな声をあげたものだから、さすがのメドウも目を覚ました。
「あー、あえうとおー?(あー、帰るとこ?)」
[こらっ、寝ぼけとんのか。トックがおるんやぞ]
「あうっ。あい、ちー」
「何だ、小水か」
「おお、坊っちゃまは賢い」
トックに手伝ってもらって背中から降ろしてみると、メドウの額には飾りのような赤いぽっちが出ていた。
[ははあ、仏さんのデコのほくろみたいなやっちゃな]
[え、何が?]
メドウはぷっくりした手を上げて、その辺りをぼりぼりと掻いた。
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