いざ始めん

 赤子もいびきをかく。これは新米親父には意外な発見だった。

 実体のない光であっても、猫は眠る。眠ってしまえば光は消える。つまり姿が見えなくなる。これも新たな発見であった。


「ひとまず、今日のところは帰ろうと思いますが、よろしいでしょうか?」

「そうだな。われも、いつまでもこうしてはおられぬ」


 見た目の厳つい男と、僧衣に包まれた少年は、妙に疲れた眼差しを交わした。

 やれやれと腰を上げ、経蔵を出て僧たちが暮らす建物へと足を向ける。

 そのとき。前方から何やら騒ぐ声が聞こえてきた。


「しまった。道士殿か」


ジロウの腰が引けた。


「庵の話は、供の者がしたのであろう?」

「そうです。われが話をしたところで、大して役には立ちませんから」

「そうか。では、このまま帰ってしまえば良いのではないか?」


 マイナムは、建物の外、塀との間を指し示した。


「しかし、それでは連れが困るでしょう。マイナムさまに伝言をお頼みするわけにもいかぬでしょうし」


 そう言いながらも、ジロウは期待の眼差しを向けた。


「いや、後でよかろうよ。われもそこいらまで共に行こう」


 マイナムは、先に立って歩き出した。


「われも、このように混乱しているときに、道士とは話したくない」

「マイナムさまでも、そうなのですか?」

「今生の経験も浅いのでな。老獪な道士につけ入られるのも業腹だ」

「ははあ」[案外人間臭いもんやな]

「当たり前だ」

「あっ、これは失礼いたしました」


 植え込みを抜け、石像の間を抜け、二人は通用口から寺領の外に出た。

 マイナムはしおらしい顔でジロウの後ろをついて行き、さもお供のようなふりをした。


[参拝の人々に囲まれるのかと思いましたが]

[まだ人前に出ることは少ないから、そうそう姿形を知られてはおらん]


 進む方向へと顔を向けたまま、二人は念で語り合った。


[まずは、どうするつもりなのだ?]

[さあ、どうしたものでしょう]

[道士はそれこそ、そなたが国中の猫を召喚して、いっぺんに魔石を抜くくらいのことを考えておるぞ]

[いや、そんな期待は勘弁願いたいです]


 ジロウは、大きなため息をついた。


[そもそも、なんで召喚なんぞされたもんやら。何の断りもう]

[断りを入れぬのが召喚というものだ。ある種の暴力と言っていいほど、一方的なものだ]

[かといって、猫じゃらし振っとった程度で、猫を扱えると思われたんも。いや、そこやろ! みいちゃんだけ召喚したら良かったんちゃうんけ!]

[師匠がこちらに戻ってこられるのは良いとして、それでは不十分だったろう。道士も人の姿が無ければ、失敗したとしか考えなかったはずだ。そなたが来て、メドウが生まれて、タロウもおってこそではないのか]

[そうでしょうか]

[世の中には、それ一つだけで立っているものなどないのだ。そこにある石一つ、草の一本でも、必ずや何かと結びついている。出来事も同じだ。それに]


 マイナムは立ち止まって振り返ったジロウに向けて、いたずらっぽく笑いかけた。


[リヤンに出会わず、メドウが生まれない世界に戻ってやり直したいか?]

[いやっ、それはあかん!]

[だろうな]


 マイナムの、いかにも少年らしい笑みにつられて、ジロウもほどけるように笑顔になった。


[よっしゃ、道士殿もみいちゃんも納得のやり方で、こっちの猫も皆幸せにしたろやないかい! それこそ一人の膝に一匹ずつ、猫乗せたんでぇ!]

[一人の膝に一匹の猫…?]


 マイナムは、むうと唸って腕を組んだ。


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