参上

「そもそも、猫を使った侵略を試みるなど、タイライ国のやり方は言語道断。侵略そのものも許し難く、猫を魔物化することも許し難い。その魔物化が何世代も前から始まっていたことなど、まだまだわからぬことも多い。だが、もしも、敵に気取られぬうちに魔物化を解くことができれば、おそらくだが、その後に一気に攻め込もうとしている大軍とも、まともに渡り合えるのではないだろうか」


 ジロウは、大きな身振り手振りと共に声高に訴えた。


「あの、旦那さま、それは王の軍隊が考えるべきことでは?」


 彼女としてはかなり控えめにそう言ってから、リヤンは膝立ちでメドウの傍に進んだ。


「メドウよ、大丈夫か?」

「だいじょぶってー。ははうえも、さがして。このへんに、いるかんじする。あっ、ほら! ここ!」


 すっかり見た目相応になったメドウは、ご機嫌で母を手招きした。


「何も見えぬぞ…?」

「みえない、かんけーない! さがして!」


 ほらほらとうながされ、リヤンは戸惑いながら宙に手を伸ばした。

 左手で何かを押さえるような手つきをしたまま、メドウは右手で母の指を掴んで引き寄せた。


「そーっとね」

「うん…ひいっ」


 びくっと引っ込めかけた手をすぐに戻して、リヤンは目を丸くした。


が吹いている?!」


 ぱちぱちと瞬きを繰り返しても、そこには何も見えない。


「ね? これ、ねこ。ぜったい、ねこ! けど!」


 メドウがやってみせるように、リヤンもおずおずと手を動かしてみた。

 【このくらいの大きさで】などと説明するときの手つきに似ている。


「おお、何と。何と…。何にも触れていないのに、触れているとはいかなることか?」

「ね?」


 妻の顔を見ながら、ジロウはうんうんと頷いた。


「これって、あのひかりねこ?」


 ややあって、メドウが可愛らしく首を傾げ、そう父に問いかけた。


「いや、違う。あれは神の御使みつかいだ。こちらはだ」


「「え?」」

 母と子の声がぴったり揃った。


「再び召喚されたときに、お連れになったのですか?」

「そうとも言えるし、そうでないとも言える。この件については、まだよくわからぬのだ」


 ジロウは、困ったように首を少し傾けた。


[でも、自分の猫だってわかるんだね? あっちで飼ってる猫なんだね?]

「ああ。それは間違いない。理屈ではなく、信じられるのだ」


「おふっ、ごろごろって! はどう? なんかごろごろなかんじ!」

「そうか、そうか」


 ジロウも母子の側に寄って膝をついた。

 それから、そろりと手を伸ばした。


「やはり、われの思い込みではなかったのだな。触れないのに触れる。とは言い得て妙だ」


 目を細める夫を見上げて、リヤンは小首を傾げた。


「いつ、この…猫に気づかれたのです?」

「屋敷に戻った夜だ。そなたの寝息を聞いていると、ふと、体の上に何か乗った気がした。気がしたとしか言いようがない」


 なぜだか顔を赤らめる夫婦である。


「そこ、から、こう。そ、それが、眠るときの癖のようなものでな。毎晩ではないが、われの脇の下に、こう、挟まるようにして寝るのが好きなのだ、タロウは」


「はい?」


 片腕を上げて脇の辺りを指し示すジロウを見ていたメドウは、不審げな声を発した。


「どうした?」

「いや。なまえ?」

「タロウだが」

「はあ?」


 二人のやり取りを、リヤンは不思議そうに見ている。


[俺の猫やけど。タロウ]

[それ、猫の名前かよ! 二百歩譲って犬ならわかるけど]

[二百歩も譲らんでええわい]

[つか、章次郎さーん、ジロウの猫がタロウって何だよ!]

なんかあかんか? 下僕としては、関係を表すええ名ぁや思うで]

[自ら下僕認定!]


 でれでれ顔とにやにや顔の無音のやり取りに、リヤンの目つきが険しくなった。


「もしや、旦那さま。猫ではなく、あちらの女子おなごの話でもなさっているのではありますまいか?」

「そんなわけなかろう!」

「ないない、だいじょぶ」


「男が言葉を合わせるのは、怪しいと言うぞ」


 リヤンはメドウの鼻をつついたが、表情は和らいだ。


「旦那さま。あの夜よりずっと、その猫はお側にいるのでしょうか?」

「まあ、猫だからな。好きに出歩いているさ」

「そのような習性、妾は存じません。では今日、メドウのところに現れたのはなぜでしょう?」

「それはな、おそらくだが、メドウが心の底から笑ったからだと思うのだ」

「…そうなのですか」


 リヤンは慈愛に満ちた眼差しで、戯れているメドウを見つめた。


「タロウは、楽しい気持ちを察するのですね。それに、メドウが旦那さまの血を分けていることも、察したのでしょうね」

「そうかもしれん。それにしても、だ。本当に気のせいではなくて、良かった」

「ええ。見えれば、もっと良いのですが。一人前に名付けられているのですから、そのうち姿を現わすかもしれないけれど」

「おお、そうか。この世の名付けとは、有難いものだな」


 ジロウは瞳を輝かせた。

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