秘密

「旦那さま! 旦那さまっ!」


 屋敷の中に入ったリヤンは、金切り声を上げた。

 驚いた使用人たちが、わらわらと飛び出てくる。

 彼らをかき分けるようにして、フェイがまろび出た。


「どうなさいました?! 坊っちゃまに何か?!」

「おお、フェイ! メドウが、メドウがおかしい」

おあしうおかしくなーい」

「お医者さまを、すぐに」


「何の騒ぎだ?」


 混乱の中、急ぎ足でジロウがやって来た。


「うぇーい!」[よかったぁ! こいつら解散させて! 人目のないところに連れてって!]


「よし、わかった。落ち着け」


 ジロウは、さっとメドウを抱き上げた。


「われに心得がある。皆も仕事に戻れ」


 堂々たる口ぶりに、まずはリヤンが我に返った。


「ならば、旦那さまにお任せいたします。皆、持ち場に戻っておくれ。取り乱してすまなかった。フェイもだ」


 それでもついて来たフェイは、夫婦の部屋にも押し入りそうな勢いだったが、さすがに後を気にしながら下がって行った。




「さてと。メドウ、何があった?」


「戯れにくすぐっていたら、喜んで笑っていたのに、笑ったまま、何もないところを探し回るような仕草を見せたのです」


 リヤンがまくしたてるように言った。


「悪いな、リヤン。今はメドウに聞きたいのだ」


 ジロウは、この顔の持ち主がよくぞというくらい紳士的に微笑んで、きっぱりと言い渡した。


「申し訳ございません」


 リヤンは、顔を引きつらせて頭を下げた。


「いやいや、責めてはおらぬぞ。そうだリヤン。我々が思念を持って通じ合えることは覚えているな」

「はい」

「メドウの語りではらちがあかぬが、そなたを蚊帳の外に置きたくはない。われはこのまま語るとするが、メドウの返答は求めずにな」

「かしこまりました」


「では改めて、メドウ。何があった?」


 床に降ろしてもらったメドウは、ぺちぺちと自分の足や尻を示しながら教えた。


[ここら辺に、もふもふが、どっからどう見ても猫がっ、体こすりつけて通ったっぽい! いや、触ってないけど! 覚えてるし、あれ、覚えてるし! 餌くれサイン! 中庭に戻して! いるから、あそこにまだいるかもしれないから!]


 勢いで、あーうーと声を発しながら体をくねらせる様は、事情を知らないとかなり怪しい。


「おう、わかったわかった、少し落ち着け」

[逃げちゃう! 逃げちゃうから、早く!]

「いや、心配ない。そのとき、笑っていたのだな?」

「いくの! いくの!」

「あー、何なら、ここに呼べるかもしれんぞ」

[行こう、早く!]「…へ?」


 手を振り回していたメドウは、ぽかんと口を開けて固まった。

 それを見ているジロウは、困ったような気まずそうな表情になった。


「あー、あのな。だめであっても、怒るなよ? そこに座ってみよ」


 顔中に疑問符を貼り付けてぺたんと床に座ったメドウを見て、不安げな表情のリヤンがそろそろとにじり寄った。

 その動きを十分に察して、ますます気まずそうな顔をしたジロウだったが、意を決したように小声で「よし」と言うと、メドウの前に膝をついた。

 そして、いきなり脇の下をくすぐり始めた。


「うっきゃあ!」


 不意を突かれて叫んだメドウだったが、そのまま、うきゃきゃきゃと笑い転げ回った。


「旦那さま?」

 リヤンは不安というよりも疑いの眼差しだ。


[お前、くすぐったがりやのぉ!]

「いひゃっ、らって、むふんっ?」


 メドウのじたばたが突然止まった。


「あえっ? こえっ? うぼっ!」


 奇声を発しながら、メドウは短い両腕を広げて、勢いよく床に伏せた。


「メドウっ!」


 慌てて抱きとろうとしたリヤンの腕を、メドウは思わず払いのけようとした。


「ははうえ、だめ、にげる!」


 メドウはよっこいしょと座り直した。

 その手を宙で、左から右へと動かしながら。


[いないけど、いる! なんだ、これ?! いるのに触れない?!]


「うん、やはり成功だったのだな」

「どういうことでしょうか、旦那さま?」


 リヤンは、危ないものを見るような目でメドウを見、そのままの表情で満足気な夫を見た。


「うん。この右手を取り戻すため、元の世界に戻してもらった話はしたな?」

「はい」

「その際、あちらの神の祝福を得たと言ったな?」

「はい。であるからこそ、猫たちを救いたいのだと仰せでしたね」


「その決意に、神は贈り物をくださったようだ」


 満面の笑顔になった夫を見つめ、リヤンは言葉を失った。









 


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