許さん!

 座を沈黙が覆った。


 最初にそれを破ったのはメドウだった。いかにも赤ん坊らしく、泣き出したのだ。


[魔物って、魔物って、作られたものなんじゃねえか! だから、だから消えるとき、元に戻って、あんなに可愛い顔して消えたんじゃねえか!]


 心の声が聞こえているはずのマイナムとジロウは、難しい顔で黙り込んだままだ。


「よしよし、猫の話だとわかったのだな。怖かったか。よしよし」


 リヤンだけが、そう声をかけて抱き上げた。


「さすが、異界の血を引くお子だ。話がわかったのかの」

「まあ、口調や雰囲気でしょうな」


 探るような目つきの道士に、マイナムがさらりと返した。


「ところで、道士殿。今の虎と猫の話ですが、どこから得た話ですか? われの知る限り、猫が人を襲うようになったのは、近年の話ではない」

「その通り。しかしながら、以前はそれほど多くはなかったはず。いかがかな、このところ忙しいのではありませんか、【猫封じのマイナム】殿。前世においても同じでしたかな?」

「今生で動けるようになったのは、最近ゆえ」

「なるほど。この世に戻って何年になられる?」

「六年になります」


「おや、もう少し経つと思っておりました」

 メドウと同じ思いを、ジロウが口に出した。


「まだ六年なのだ。封じる力は取り戻したが、遠くまで歩き回る体力はまだ足りぬ。われができることには限りがある」


「であるから、助けになる者を召喚しようと思い定めたのですわい」


 泣き止んだメドウを含め、皆一斉に道士を見た。


「壇を組み、いざ祈祷を始めるまでに数年。どこの世でも良い、猫を抑える力を持つ者をと祈り祈って、ようやくジロウ殿を見つけ出した次第」


「えーっ」


 メドウが非難を込めた驚きの声を上げたが、道士はそうと感じなかったようだ。


「われは前世の記憶など持たぬ身。今生での出来事がなければ動きませなんだ。王宮勤めの同輩が、虎となった姿を、み、見てしまったゆえ…お、教えてくれたのは、かの者で…」


「なんと」


 さすがのマイナムも、それきり絶句した。


[あれ、そういう話、学校で習わんかったか?]

[うん、あった、あった。漢文だっけ?]

[そうか? なんか小難しい小説やったろ]


 内容はかなり違うものの、二人が思い浮かべた中島敦の『李陵』も、確かに虎に変化する物語だった。


 道士は、干からびた体のどこからというほどに、ぼろぼろと涙を流した。


 ややあって、マイナムが口を開いた。


「ということは、ジロウ殿は、われより優れた猫封じということですな」


「いや!お待ちください、マイナムさま」

 ジロウは、手と首を激しく横に振った。


「確かに、道士殿は最初にお目にかかった折から、そうおっしゃいますが、あ、いや、マイナムさまよりということではなく」

 彼は汗をかきながら言いつのった。

 そして、リヤンの方に向き直った。

「これこそが、われが右手を失った話につながるのだ」


「え、どういうことなのですか?」


「召喚の瞬間、われは一匹の猫に向け、右の手に持った猫じゃらしを振っていた。メドウの猫で、うん? この世には存在しないのか?」


 首をひねっている彼に、メドウが問いかけた。


[何て言いたかった?]

[野良。野良っちゅう考えは無いんかい]

[ってことだね。ここにいるのは野生の猫か。野良と野生の違いってなんだろう]

[知らんがな]


[メドウ、メドウと何を話しておる?]

[ああ、お坊さんにはこれでも聞き取れないんだ]


「どこか特別な猫だったのですね。それが、旦那さまが力説なさった、愛らしい猫というものなのですね? まさに、この世のものならぬ存在の」

 リヤンは納得したように言った。


「まあ、そうとも言えるのか?」


 ジロウの目が泳いだ。


[ただの野良猫やで? 地元にようけおんねん。ぬくぬく暮らしとるやつら。あれは野良の楽園やな]

[なんだ、それ。あとで説明して]


「ともかく、そのとき体が強い風に押されたというか、吸い寄せられたのだろうか。そのときは突風だ、みいちゃんが危ないと、思ったのだが」

「ミイチャンという声、妾にも聞こえました」

「そうだったな、リヤン。そう。その猫をそう呼んでいたのだ。みいちゃんと叫んだら、驚いたのか、猫じゃらしを強く捕まえて、前足と口でな、離さなかった。そして、気がついたら猫じゃらしごと、右手の手首から先が無くなっていたのだ。失った感覚はないのに。もちろん、動かすこともできない。切り口などというものもなく、よく見ようとしても、何を見ているのかさえわからなくなってしまう」

「そうでした。あれは不思議なものでしたね」


 リヤンは夫の右手をそっと取った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る