乱入

 朝が来た。

 化粧道具もない朝が来た。

 素顔を見慣れているメドウには、リヤンの嘆きっぷりが理解できなかった。

 

 というわけで、彼女のことには拘わずに、まだまだ思うようには動かせない手で、与えられた白米のご飯と格闘していた。


「じきに服も乾くだろう。なあ、お坊さま? 道士殿に会う前に着替えられるぞ、リヤンよ」

「そうでしたね。取って参りましょう」


 世話係の青年僧は微笑んで、部屋を出て行った。

 幾分機嫌を直したリヤンは、椀の底に残っていたご飯をメドウに食べさせ始めた。


 そのとき、どこか外から複数が言い争う声が聞こえてきた。


「まあ、お寺であんな騒ぎがあるなんて」

「いや、昨日も騒ぎならあっただろう」

「あんなこと、何度もあっては嫌でございます」


 箸を手にしたまま、リヤンは眉をひそめた。


「何やら、こちらに近づいておりませんか?」


 確かに、声と足音が大きくなった。


 止める声がはっきりと聞こえたが、部屋の扉は開いた。


「おお、ジロウ殿、ここであったか」

 聞いているこちらが、へろへろと力が抜けそうな震え声がした。


「道士殿。元気になられましたな」


 鶴のような老人という表現を目にしたことがあるのを、メドウは唐突に思い出した。

 数人の僧たちに囲まれて立っている爺さんこそ、その表現にふさわしい。

 丈の長い貫頭衣を着て、腰に紐を巻きつけているのだが、骸骨に適当に皮を貼り付けたような痩せっぷりだ。

 肌の色は、ここいらでは見かけない白さで、一つにまとめられた長い髪も真っ白。その分、着ている衣の長く使った雑巾のような色合いが目立つ。


 それよりも。


[ジロウって名前なんだ]

[まあ、ちょっと縮めてんけどな]

[え?]

[言いにくいらしかってん。ほんまは章次郎や。お前は?]

[メドウ]


「メドウ?」[今、この世界に無いこと言うたんか?]


[いや、ここでの俺の名前。元の名前は思い出せなくて]


「おお、この赤子がジロウ殿のお子か。いやあ、そっくりだ」


[ええーっ]

[何や、随分と嫌そうやないかい。まあ、大丈夫や。お前はリヤン似や]


 はははと笑いながら、ジロウは道士を卓に招いた。

 困り顔で出入り口に固まっていた僧たちの中から、世話係の僧が進み出て茶を淹れてくれた。


「領主さまのお食事を邪魔致しましたこと、お詫び申し上げます」


 ほかの僧たちは、そう言って立ち去って行った。


「道士さま、どうぞお気になさらず」

 リヤンはすぐにそう言って、軽く頭を下げた。


「これはこれは。世俗を離れて長いせいで、とんだ無礼を働いたようだ」

 道士も深く頭を下げた。


「いえ、そのようなこと。我が旦那さまのお手を取り戻してくださった、いえ、そもそも、旦那さまとわらわを引き合わせてくださったお方ではありませんか」


「まあ、の」

 道士は、見た目に似合わぬ鋭い目つきでメドウをちらりと見た。

「そうと狙って、お招きしたのでもないですがの」


「それはそうでございましょうね。では、そもそもなんのために旦那さまを召喚なさったのか、なぜ旦那さまのお手が失われていたのか、なぜ我が屋敷だったのか、お聞かせ願えましょうか」


 眼光の鋭さにおいては、全く引けを取らないリヤンが、微笑みを浮かべて迫った。


「あのう。お話でしたら、マイナムさまがお越しになるのをお待ちいただけませんでしょうか」


 乾いた洗濯物を持って戻って来た青年僧が、おずおずと口を挟んだ。

 それを見た瞬間、リヤンは自分の今の服装に思いが至ったらしい。胸元の布をかき寄せて赤くなった。


「こうとなっては、着替えることもかなわぬな…」


 メドウもかわいそうに思ってしまうほどの、しょんぼりぶりだった。


はぁうぇ、きゃわい母上、可愛い

「おお、利発なお子だ」


 思わず声をあげたメドウに、またもや道士の視線が刺さった。


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