景色は良い

「くぅうま、おっしぇ…」


 水牛に牽かせた車に揺られながら、メドウはしょんぼりしていた。


 リヤンはあんなに走って来たというのに、水牛はゆったりのっそりと歩いている。

 さすがのリヤンも地団駄を踏みそうに脚を揺らしていたが、そこまではしたない真似はできないようだった。


 屋根はついているものの、随分と開放的な作りの車に乗っているのはリヤンと、メドウを抱いたフェイ、そしてじいやだった。


「ほーら、坊っちゃま、鳥さんですよ」


 膝の上でむっすりしているメドウに何を思ったのか、フェイは肩越しに外がよく見えるよう、抱き上げてくれた。

 首の長い水鳥が、牛車の脇をぺたぺたと歩いている。


 屋敷から出るのも初めてのメドウは、すぐに外の景色に目を奪われた。じいやのことなど気にも留めなかった。

 だが、じいやの方はメドウに釘付けである。


「お嬢さま、まことによろしゅうございましたなあ。坊っちゃまも、このように大きくなられて、可愛い盛りで」

「これ、じいや、そのように泣くでない」

 リヤンは上の空と言っていいほどそわそわしていたが、それでもたしなめた。


「まあまあ、ダットさん。わたくしも、もらい泣きしてしまいそうですわ」


 フェイが、リヤンの愛想のなさを補うように言った。


「なあ、フェイ。若旦那さまが、満足なお姿でお戻りになられたなら、こんな嬉しいことはない。お前も、このときに再びお仕えできて良かったものだ」


「え?」


 フェイは不安げに眉をひそめたのだが、ほかの誰もが気もそぞろだった。



 メドウはフェイの首っ玉にしがみつき、膝の上に足を踏ん張って外を見ていた。


 牛車は、屋敷から見える海側を背にして進んでいるらしい。

 屋敷の玄関前を出発してから、ちょっとした木立を抜け、しばらく進んだ後に門が見えたのにまず驚いた。そこまでが敷地だったようだ。

 どうやら、使用人たちも敷地内に点在している建物に住んでいるらしい。


 本当の意味で外に出てからは、見渡す限り水田と畑が広がっていた。


 赤子の身として月日を意識せずに過ごしていたが、稲の伸び具合を見るに、メドウの知る感覚では六月くらいだろうか。

 空は青く、ちょっと太いあぜ道という程度の道も土が乾いている。

 梅雨にあたるものはないのだろうか。


 水田は、よく見たような四角いものではなく、なんだか適当な曲線で区切られている。

 青々とした稲の間に、蛇のようにうねうねした川の水面がきらきら輝いているので、その流れに沿って田を作っているのかもしれない。

 

 人家らしい木造の建物も、てんでんばらばらに建っている。集落というように固めるつもりは、はなからないようだ。


 もう一つ、適当に散らばっているのが、山だ。

 おおむね平らな土地に、いきなりひょっこり立っている。

 緑の木々の間から見えるのは岩肌で、田畑との違いが際立つせいで、敷物の上におもちゃを散らかしたかのようだ。

 しかも、この山々、どれも形が似ている。

 幼児が描くような山の絵と違って、裾があまり広がっていない。円柱の上に半分に切った球を載せたような形だ。むやみに造形心をそそる眺めである。


「わうっ、わうっ」


 いきなりメドウが大声をあげたので、牛車の中の人々はびくっとして彼を見た。それぞれが、夢から覚めたような顔をした。


 道端から、わんっと一声、おざなりな鳴き声が聞こえた。

 いかにもやる気のなさそうな犬が一匹、べったりと腹ばいになったまま、上目遣いに見送っている。


「おおっ、坊っちゃまは犬のことをおっしゃったのですな!」

 

 ダットは興奮しきりである。


「お嬢さま、坊っちゃまを犬舎にお連れに? まだ早いのではありませんか」

 フェイは心配を顔中に表した。


「ああ、まだ早いか。気をつけよう」

 リヤンは気の乗らない返事をしたが、ダットは即座に否定した。


「お屋敷の犬たちは、しっかりとしつけられております。一匹部屋に置いたって、危ないことなんぞございません。肉を食べるとはいっても、猫なんぞとは違うのですよ、猫なんぞとは」


 メドウは、嫌そうな顔でダットを見た。


「わかった。その件はわかったから、もう言うな」

 リヤンも同じように嫌そうな顔を背けた。


「いーえ。そもそも、お嬢さまに猫のことなんぞ吹き込んだのは、若旦那さまでございましょう? どこでどんななされたか存じませんが、猫だけはなりません、猫だけは!」


「ダットさん、止めてくださいな。恐ろしい」

 フェイは、猫という言葉も耳にしたくない様子でぶるっと首を振った。


「ああ、すまんかった。…神様、どうか我らを猫からお守りください」


 ダットの祈りに、「ぼえええ」と抗議の声をあげずにはいられないメドウだった。

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