父上は何処に?

 赤子の一日はやたら眠い。しょっちゅう眠気に襲われる。


 この日も湯浴みの途中で眠ってしまったらしく、はっと目を開けたら寝台の上だった。

 白い蚊帳の向こうに、リヤンらしい人影が髪を梳く後ろ姿がぼんやり見えた。


「あーうぇえ?」


「おお、これから寝ようとしておったのに。起きてしまったのか」


 夜着に着替えたリヤンは、笑いながら蚊帳をくぐってきた。


「ああえーあ」

「それはそうだろうな。わらわも胸が張って、張って。どれ」


 リヤンは夜着の胸元をはだけた。

 赤子の目の前に、大きな乳房が現れる。


 血管が青く透けているし、張りすぎて固いし、男心をくすぐるものとは言い難い。

 しかしながら、赤子心は鷲掴みである。即座にむしゃぶりついて、んぐんぐと喉を鳴らしてしまう。


 ようやく口を離すと、乳房を仕舞ったリヤンが背中をとんとん叩いてくれる。

 げふう、と満足しきったげっぷが出た。


「今に始まったことではないが、そのげっぷはなあ。どうにもいただけぬ」


 リヤンは苦笑いである。


「そもそも、年はいくつであったのだ? 仕事は何をしておった?」


「…おえ、いーちゃーあゆ?」


 メドウと名付けられることが決まったらしい赤子は、この際もうメドウと呼んでいいだろうが、彼女の胸から顔を背けた。

 かと言って、抱かれたままなので限界がある。


「…おーゆぅーあーうぇーあ?」

「そなた、女子おなごに年を聞くか? まあよい。明けて18になる」

「え? おぅああーいお?」

「若い? 一人目の子を産むには、まあまあの年であろう?」

「おんなぁおーなあ。あんにゅーうあーっ」

「何とな? そのような場所もあるのか…」


 言いさしたリヤンは、遠い目をした。


「あーちゃ、ちーうぇーお?」

「うるさい」


 リヤンは、冗談めかしてメドウの低い鼻をつまんだ。ほとんど力の入らないその手を振り払って、メドウは言い募る。


「おーおーおーいぇ?」

「うん?」

「あーうぇー、いっお、あぇあおいっちょ」

「う、うん」


 リヤンは頬を染め、やたら早口になった。


「屋敷の中だ」

「へ?」

「旦那さまは、湯殿に現れたのだ」

「ゆあぁおおい?」

「ああ」


 メドウは、しばしぽかんと口を開けたままでいた。


「…にゃんえ?」

「知るものか。旦那さまも何故か解らぬと申されてな。何者かによって召喚されたことに、間違いはないのだが」

「にゃーあ、おえ」

 メドウは、ぱたぱたと手足を動かした。


「え、おーまあおーい、おにょったお」

「馬鹿なことを申すな!」


 リヤンはメドウを揺さぶりかけ、さすがにまずいと気がついたらしく、手を止めた。

 

「知っておろう。湯殿では、体を洗ってくれる侍女が一緒なのだぞ」

「あ」

「わらわは湯浴み着も着ておったし、旦那さまもきちんとした身なりだったわ。まあ、妙なものを持っておられたがな」


 リヤンは、思い出そうと目を細めた。


「あれは、ジャーラ、ジャラ何とかといったな。旦那さまの手の中で、ふうっと消えてしまったが」


 リヤンと一緒に、なぜかメドウも首を傾げた。


「細く、よくしなる棒の先に、こう、ふんわりしたものがついていて。旦那さまは片膝をついて、どこか低いところに向けて、それを振っておられた。ミイチャンと一声叫んで振り返ったときの、旦那さまの驚いたお顔が」

「にゃあったお!」


 メドウは、リヤンの夜着をはっしと掴んだ。


「何?」

 勢いに押されて、リヤンは軽くのけぞった。


「みーっちゃ、にゃあいいあってあ!」


「うん? もしや、そなたと旦那さまは、同じ世界に住んでいたということか?」


 興奮して唾を飛ばしているメドウに対し、リヤンは恐ろしく静かな声で話しかけた。

 あまりにも静かすぎたので、メドウはひくっとしゃっくりのような音を立てて、いっぺんに黙ってしまった。


 しばらくの間、二人は目を見合わせて黙っていた。

 ややあって、恐る恐る口を開いたのは、メドウだった。


「ちーうぇーいうーゆ?」

「さあ? そなたが良い子にしておれば、来てくださるかな」

「こーおじゃーい、あええ!」


 この夜、メドウはかなり頑張った。

 それでも、思う通りにならない舌で喋りまくったせいか、やがて眼前に突きつけられた乳房の魅力に屈してしまった。


 つまり、おっぱいを飲みながら寝落ちてしまったのだった。



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