第13話

 福岡さんの助言に従って、河西さんに小倉さんに電話を入れてもらった。そのような用件であるならば待っているとの返答であった。

「お菓子か何か、買っていきましょうか」

 河西さんが訊いてきた。そのほうが良いと一瞬思ったけれど、

「いや。やめておきましょう。気をつかうべきは、もっと別のところにあるはずです」

 私は腕を組んで目を閉じた。

 これから戦いに向かうのだという思いが心の中に確かにあった。


 まだ新築かと見まがうほど白い外壁を持ったマンションの最上階に小倉さんの自宅はあった。

 チャイムを鳴らすと、じきにチェーンキーを外す音が聞こえ、光物が混じった黒っぽいワンピースを着た細い体型の婦人が現れた。来意を告げると「お聞きしております。主人もお待ちいたしておりますので」と招きいれられた。

 リビングルームに通された。十二畳ほどの長方形の部屋であった。特に高価なものが並んでいるわけではないが、ひとつひとつに思いが込められていることが一目でわかる家具類が規則正しく配置されてあった。

 待つほどもなく、奥の部屋から小倉さんが出てきた。栗色のカーディガンを羽織っていて、自宅でくつろいでいるにしてはきちんと調った服装であった。普段からそうであるのか、私たちが訪問の電話を入れておいたから着替えたものか、判然としなかった。けれども、自宅でも小倉さんは弱みをみせまいと、普段から服装も正しているように思われた。

「おくつろぎのところおじゃまいたしまして申し訳ありません」

 河西さんの口上に合わせ、私も同じように頭を下げた。

「よく引き受ける気になったものだね。恥ずかしいとか思わなかったのかな」

 いきなり皮肉が飛んできた。それから、いかにも傲岸な態度で私たちの前のソファーに腰をかけた。ここでも、友好的ではないにしろ、十二年の隔たりは感じさせない応対である。

「思わないでもありませんでしたが、お引き受けして得られるかもしれないものへの期待の方が勝ってしまいました」

 私は、卑屈になり過ぎないように、かといってけして尊大にはならないようにと注意しながら答えた。

「まぁ、鈴木君が引き受けなかったら、私が引き受けなくちゃならないところだっただろうし、出版は私の作品で決まりだろうから、自分で自分を選ぶのもちょっとという部分もあるからね。これも仕方ないか」

 ここまで自分に自信が持てるというのは、ある意味賞賛に値する。いっそ才能と言ってもいい。

 同人誌の関係者で私のことを戸籍上の名で呼ぶのは、小倉さんだけであった。あえてそうするのは、和瀬としての活動を認めないという思いが込められているのかもしれない。

「そう言えば事務局から依頼が来て、選考対象者についてのアンケートには答えたけれど、その集計結果をまだ聞いていなかったな。鈴木君、結果を持っているのだろ。見せてくれたまえ」

 私は河西さんの顔を見た。河西さんはひとつ大きくうなずくと、手提げバックからリストを取り出して、天板が透明なガラス製のテーブルの上に置いた。小倉さんはひったくるようにそれを取り上げると目を通し始めた。

「なるほど。松田さんはやはり辞退したか。となると敵は宮崎、岡山、山瀬あたりだな。賞を獲っていると言ったって、彼らのものは小さな賞だし、筆力は私の方が断然上だろう」

 小倉さんは、自分の優位性を誇示するためか、思考の流れをわざわざ言葉にして、私たちに聞かせた。

 ティーポットとティーカップをトレイに載せて、小倉さんの奥さんが近づいてきた。

「なんだ、お前。茶なんぞを用意したのか。そんなものを饗する相手でもなかろうに」

「すみません。勝手なまねをいたしました」

「いい、いい。出しかけて引っ込められては私の顔がつぶれる。置いていきなさい」

 テーブルの上にカップを並べると、奥さんはふたたびキッチンの方へ下がっていった。

「まぁ、そういうわけだ。せっかく淹れたんだ、遠慮せず飲んでくれたまえ。酒食ではないので賄賂にはあたらんだろう」

 小倉さんは口の中で、くぐもった声をあげて笑った。なんとなく、茶を出すことはあらかじめ命じておいて、実際に出してくると、わざわざ叱ってみせたように思えた。他の誰かから似たような動きがあったときの牽制のつもりだ、と。あまりにもうがった見方であろうか。しかし、そのくらいのことは、小倉さんならば平気でやりそうに思えた。

「遠慮せず、いただきますわ」

 挑むような調子で河西さんは宣言すると、敵でも討つかのような勢いでティーカップに紅茶を注ぐと、口に運んだ。

「で、どのような方法で選考する気かね」

 小倉さんが私の顔に真っ直ぐ視線を向けて訊いてきた。

「はっきりとは決めておりませんが、普段の執筆姿勢と志、それと選考対象作品の内容とを合わせた総合評価となると思います」

「思います、って。選考基準も決めずに選考する気か。なんとも横着な。単に個人の好き嫌いで決められてはかなわん」

「けしてそのようなことはいたしません」

「どうだかな。まぁ、いい。私は作品をあらかじめ提出しておくことにする。それでかまわないね」

「はい。それでけっこうです」

 小倉さんは奥の部屋に入ると、すぐに紙封筒を持って戻ってきた。

「これだ」

「確かにお預かりいたします」

 封筒は、ずっしりと持ち重みのするものであった。


 小倉さん宅を出ると、三輪先生のお宅を訪ねてみようかとの話になった。しかし直接うかがうにはすでに遅すぎる時間でもあり、今回は電話で済ますことにした。同人誌の選考委員を受けたことを報告すると、

「大変な仕事でしょうがよろしく頼みます」

 やわらかな口調の言葉が染みた。

「遅くまでご苦労様でした」

 河西さんは、小倉さんのことでの怒りが収まっていないためか、眉間にしわを寄せた険しい表情で、あさっての夕方にまた会うことを約束して帰っていった。

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