第5話 邂逅、認識、理解

2019年 12月2日 ジョージア共和国 トビリシ

『ニューヨークでの件は見事だった』

「空疎な褒めは結構。待ち合わせのカフェに到着。それらしい姿なし、監視もない」

耳元の通信機にそう答え、私は会合ポイントに到着した。

通話の相手は了解、と返して通話を切断する。

クリヤモフの手引きで私はチェチェン人の男と”打ち合わせ”をする手はずになっていた。

もちろん彼が裏切る場合に備えては居たが。


時刻は午後二時過ぎ、平日ということありカフェ自体は閑散としている。

カウンターでカフェモカを頼み、一番奥のボックス席へ収まった。

途中キオスクで買った現地新聞を広げ、国際面を読む。

”アメリカ合衆国、メキシコ国境壁建築へ 移民排斥運動過激化”

”フランス軍、アフガニスタンへ増派。パリテロ事件の報復か”

時流は危険だ。

私の希望が吹き飛んだフランスでの事件以降、中東情勢を中心に世界は混乱している。

ヨーロッパの平和は冷戦後30年で綻びを見せている。

その綻びがあのパリの事件だ。

以前のフランスであれば防げたかもしれない。だが、冷戦後の放漫政策によって彼らは骨抜きになった。

だからこそEUは目覚めた。地続きの恐怖を、交通の自由を。


3口目のカフェモカを口にしたとき、店に高齢の男性が入店してきた。

男性を一瞥すると、彼もまたこちらに目線を送る。

暫しの邂逅の後彼はこちらへと歩んでくる。

「ストラドヴィーチェ、ミス・・・・・・?」

「ストラドヴィーチェ、クロサロフ師。私はエイミー・アダムスです。どうぞおかけください」

クロサロフは私の対面に座り、どっしりと構える。

さすがはロシア政府と渡り合った男だ。全く心揺らぐことがない眼差しをしていた。

「さすが、と言わせてください」

「何がだろう、アダムスさん」

クロサロフは好々爺らしく、朗らかな笑顔を浮かべている。こういうのも宗教には求められるのだろう。

「普通、ロシアのエージェントにアメリカ人エージェントを紹介されて現れる人はいません。その豪胆さをさすが、というわけです」

「ふふふ、自分でエージェントと言うわけだね。アダムスというのも偽名なのは君たちの世界をかじってしまったから理解している。君たちは仕事人だ。このような爺と楽しくおしゃべりしに来たわけではあるまい?要件を話し給え”アダムス”さん」

話しやすいお方だ。この場での交渉が無意味だと理解している。

「私達が提供するのはあなたが支援する反露チェチェン人テログループへの技術援助。もちろんロシアにはばれない方法で。そして私達が欲するのは”パリ”の真相です、クロサロフ師」

クロサロフはニコニコとしたままであるが、その目は笑ってなど居ない。心の奥底を覗いている。

「私とその話をするためにロシア対外情報庁のエージェントを脅したのか。大した能力だ」

「本題を、クロサロフ師」

「急かさないでくれ。・・・”パリ”の実行犯であるアブドゥル・ラフマーンはパキスタン人だ。それはもう君たちもご存知かとは思うがね」

アブドゥル・ラフマーンが実行した事実はDGSEが現場のDNA採取でようやく手に入れた情報。

それをクロサロフが知っている時点でこの情報は大当たりだ。

「アブドゥル・ラフマーンとはなにか、ご存知かな?アダムスさん」

「・・・彼は2年前までISIL構成員として中東各地で活動、米国では彼を固有名称として把握していました。ジハーディ・ジョンと同じように。フィリピン・マラウイでの足跡を最後に消失。そして先日のパリで木っ端微塵のDNAが採取された」

クロサロフはコーヒーを飲み、頷く。

「概ねそのとおりだろう。だが君たち、いや、CIAは誤解しているのだアダムスさん。彼がISILによって導かれたという都合の良い理解だ」

「都合の良い理解?」

「ISILなど、マラウイの戦いが終結した時点で今回のテロを起こせるほどの組織力は残っていない。無論、ラフマーンとて」

クロサロフは一通の封筒をこちらによこした。

「これはパリが起こる半年前、私のもとに届いたものだ。読み給え」

その封筒はなんと、1ワールド・トレード・センターからのもの。中身にはただ一言、こう添えられていた。

”あの成功を再び”

「”彼ら”は私がロシア人に心を売ったことを知らず、タカ派の宗教家だと思っていた。だからこそこのような賛同するよう贈り物をしてきたのだ。何という皮肉だろうな、その差出人は。君らの愛国心には酷い皮肉だろう」

「9.11をもう一度起こしたいわけか。実のところ、差出人に心当たりは?」

クロサロフはもう一度コーヒーを口に含み、にこりと笑う。

「ラフマーンをISILから引き抜き、そしてパリでの出来事を起こせるほどの力を持っているものとなると”ジェロニモ”しか居ないだろうが、”ジェロニモ”はアラビア海に君たちが沈めたからね。となると私が思い当たるのは一人しか居ない」

クロサロフがその名を口にしようとしたとき、カフェの入口に人影が見えた。


そう、手に何かを持ってその人物はカフェの入口に立つ。

かの人物はジョージア語で大きな声でこういう。

「裏切り者に死を。神に仇なす者に死を。米帝に崩壊を!」

私の記憶に、パリがフラッシュバックする。

「自爆だッ--」


酷い耳鳴りと頭痛は、あの光景を彷彿とさせた。

口中が埃っぽい。酷い嫌悪感、そして痛み。

カフェには人が居なかった、それが救いだがその他はどうだ?

自分に怪我はないことを理解し、クロサロフを探す。自爆犯は生きていても動けないだろうから、クリアリングは無用だ。


「ひどい、自爆だ。このようなものがいるから、我々の宗教は汚されるのだ」

彼もまた無傷に見える。どうやら爆弾は思ったよりも小型で威力も対してなかったようだ。

私が用心して店の奥に居たのもあるだろう。

体についたホコリを払っていると、耳元の受信機から通信が入電した。

『マザーからカナリアへ。爆発を確認、大丈夫か?』

「こちらカナリア、敵のカミカゼだがパッケージ共に軽傷」

『了解。ジョージア警察が急行中、到着まで3分。離脱せよ』

「了解、マザー。規定のポイントへ離脱する。アウト」

マザーめ、UAVで監視しているならテロリストが接近した時点で通知してくれればいいものを。


もとよりこの作戦は不確定要素が大きかった。クリヤモフが裏切らない確証はなく、クロサロフもまた然り。

ジョージア共和国はロシアの覇権域。それはロシアの南オセチア紛争以降も変わらずだ。

NATOが手綱を握ろうとも、国土の近さは変えることができないのだ。

アメリカにロシアは中露合作で挑む形をとっている以上、我々CIAの作戦はどういうイレギュラーが起こるのかわからない。そして過激宗教殉教者。

政治の話は辞めだ。

当初の計画通り、イレギュラーの発生には脱出を選択する。

”エイミー・アダムス”の名前で大使館職員の登録されている以上、私は歩く外交特権だ。

ジョージア警察にもある程度脅しが効くが、爆心地に居ては警察署連行は避けられない。

私はクロサロフを連れ、吹き飛んだ入り口ではなく裏口から外へ出る。

消防車の音とサイレンが近づき、野次馬の喧騒も聞こえるが裏口はクリアだ。

1ブロック先の路地に停めておいたボルボS60に乗り込み、車は街へと転がりだす。


「話の続き。唯一心当たりのある人物は?」

車はパトカーとすれ違い、市中心部へと向かう。

クロサロフは服についた埃を払い、少しの間をあけて答える。

「タリク・アル・ナザル。元イラク共和国防衛隊中佐」

「ナザル中佐の名前は知っています。私達の先輩が追った相手です」

「タリク・ナザル中佐は君たちが2008年にアフガンで暗殺しているのは知っている。だが生きている」

クロサロフは断言した。

「ナザル中佐はUAVではなく、我々のような工作員が直に暗殺したんです。それは、ありえない」

2008年のアフガン。バグラムから飛んだCIAのODA部隊が山岳部で武装勢力を襲撃。その標的がタリク・ナザルだった。お尋ねカードには漏れていたが、防衛隊の中でもかなり宗教的で過激な将校としてマークしており、その動向はイラクの敗戦後つかめていなかった。

そして偶然にも彼の情報はCIAにもたらされ、殺害し、DNAでもってその死を証明した。

「私は1999年にティクリートで、2017年にクラスノダールでナザル中佐にあっている。彼は生きていたし、影武者でもない。だが彼が何故生きていて今までアメリカに補足されなかったのかはわからない。そして彼は金を持っているようだった」

クロサロフは一枚の手紙を取り出す。

「その手紙にはナザル中佐が私に対して1千万ドルの融資をしたという内容が書いてある。17年の話だ。使っていないがね」

運転しながら見るわけも行かず、私は受け取ってカバンへ仕舞い込んだ。

「君たちも今一度調査することだ。ああ、ここで降ろしてくれ」

クロサロフが指示したのは古ぼけたアパートの前。見覚えのある男がその前で立っている。

「話は終わったか?」

クリヤモフとその取り巻きはクロサロフを直ちに別の車へ移動させた。

「ええ。それよりもジョージアで公然とあなた達が活動していいのかしら?」

「”グルジア”はロシアの地方に過ぎん。それよりもラングレーの連中がうろついている方が俺たちは気に入らない」

クリヤモフはそう言うとタバコを吸い

「”クレイン”、気をつけろ。これは同業のよしみだ」

吸い殻を道端へ捨て、スラブ人たちはジョージアの街へ消えていく。



-6時間後 ジョージア共和国トビリシ アメリカ大使館地下2階-

「タリク・アル・ナザル中佐は俺達の部隊が消した。間違いだと信じたいね」

ウィリアム・”マザー”・ウォルコット、私の上司。彼は思い出話をし始める。

「2008年8月のアフガンは酷い猛暑だった。バグラムから”撃墜認定”されたチヌークで俺達は飛び、5.56mmがナザルの頭、胸、喉を貫いた。死体はその場で検分し、サーメットで塵にした」

「だが2年前のロシア・クラスノダールに現れたとクロサロフは証言しました」

マザーはアゴヒゲを指で触りながら答える。

「その言葉は、俺の一つの疑問にひっかかった」

「と、おっしゃると?」

マザーは深いため息を吐き、答える。

「タバコのパッケージをナザルのアジトで発見した。ナザルは厳格なイスラム教徒で原理主義者。喫煙はご法度。当初CIAのお偉方はナザルの護衛のものだと判断をしたが、一つの情報がある」

「それは?」

「ハミド・ナザル、イラク統合情報局中尉。タリクの双子の弟だ。イラク戦争2週間目に海兵隊のハリアーがこいつの住居を空爆、死亡したと判断されていたが目撃情報があった」

マザーの手元のIpadにハミドの情報が表示される。

「ハミドは兄と比べ、宗教には傾倒していなかった。愛煙家で、愛飲家。だが能力があった。そして戦後の聞き込みで一つの可能性が出た。タリクとハミドは一卵性双生児だったんじゃないかというな」

ハッと気づく。2008年当時のDNA解析でそこまで見破れたのかという疑問に。

「明察だ。俺もその考えだ。CIAトップは久々の元イラク軍上級将校の殺害に湧いていたが、俺達ODAはあれがハミドだったのではないかという疑念があった。そして落ちていたタバコの銘柄も、ハミドの気に入っていたもの。これは、再考の余地があるだろうな」

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