第4話 Slav Connection

2019年 11月5日 ニューヨーク州ブライトンビーチ”リトル・オデッサ”


ウラジミール・ケレンコフは本日5回目の正拳突きを受けており、酷く辟易していた。

どれもこれもあの”女”のせいだ。

「ウラジミール、わかっているんだ。お前が白人の女に俺たちをタレこんだことはよ」

そう言いながらピョートル・ベレンはウラジミールの頬をもう一度殴る。

「ご、誤解だよベレンさん。俺はあのメス犬には何も話しちゃいねえ!」

「誤解もクソもねえ、ウラジミール!おめえはNY市警のあの女刑事に垂れ込んだんだ。じゃねえと俺たちの計画がバレるわきゃねえんだ!」


-6時間前-

ピョートル・ベレンはリトル・オデッサでは其れなりに名の通ったロシアンマフィアだった。

時代にそぐわぬ武闘派路線はロシアンマフィアの長老たちに受け入れられ、”実績”を伸ばしている。

ベレンはこの日も、ウクライナからやってきた貨物船からLSDを回収してニューヨークで売りさばく計画だった。


だがベレンは港に到着して早々、パトカーの大群に包囲される結果となっていた。

「お前たちは完全に包囲されてるぞ!おとなしく出てこい!」

決まりきった映画宜しくなセリフで包囲したNYPDのESUはベレンの部下たちを片っ端から逮捕していく。

ベレンはこの寒空、寒中水泳と洒落込むことになったのは言うまでもなく、無事逃げ出したは良い物をひどい風邪を引いてアジトに戻ってきたのだ。

「誰がNYPDに情報を漏らしたのか調べろ」

アジトに残っていた部下を片っ端から怒鳴りつけ、この事態を引き起こした張本人を探させ、それがウラジーミル・ケレンコフであるとわかったのは1時間前のことである。


-15時間前-

ウラジーミル・ケレンコフはベレンの使いパシリとして働いて一年になるぺいぺいであり、本人も下っ端であることを理解して働いていた。

つい先日、ようやく”仕事”につくお許しが出てその内容を聞き、度胸付にバーに寄ったのがこの男の運の尽きだったのだろう。


そのバーはベレンの小遣い稼ぎの一つであり、ウラジーミルもちょくちょく通っていた。

だから店に入れば何時もの酒がすぐに出てくるし、席もおおよそテレビの見えるカウンターと決まっていた。だが、今日は珍しくその席には先客が居たのだ。

肩まで伸ばした赤茶の毛、体はがっしりとしているが後ろ姿で見ても女とわかるような感じ。

「やぁ、ここらへんの子じゃないね」

迷いなくその子の隣りに座ったウラジーミルは顔を覗き込んだ。

20後半くらいの女で、額にオークリーのサングラスを引っ掛けている。顔立ちは美人までもイカないが、悪くない感じだった。

「ええ、初めてリトル・オデッサに来たの。よろしく、クレインよ」

差し出した手をウラジーミルは握り、

「ウラジーミルだ」

と朗らかに挨拶する。

話に聞けば彼女はボストンの出身で、仕事でニューヨークに訪れているのだという。

話はなかなか面白いし、よく酒を飲む子だった。

これは景気づけに”一発”だ、と思ったウラジーミルは

「なぁクレイン、店を変えないか。リトル・オデッサを案内するよ」

と切り出す。彼女は一瞬迷った表情をしたが

「ええ、お願い」

と答えてくれた。


-10時間前-

ウラジーミルは全裸で椅子に縛り付けられていた。

全く状況もわからず、ただ椅子に。

ホテルの部屋に入った直後、背後から衝撃を受けて目が冷めたらこの有様である。

理解するにも理解できない現実。

しかし目の前にクレインが立っている。これは現実だ。

「な、なぁ、クレイン。こいつは”プレイ”か?俺好みじゃないんだけどな」

ボストン女はこうなのか・・・?

しかしそう思ったのもつかの間、彼女が手にしていたのはムチではなく拳銃であった。

「ウラジーミル、あなたがベレンの手下なのは把握している」

先程までと打って変わってクレインの声色は酷く冷酷で、感情の起伏が無くなっていた。

ウラジーミルは背筋に冷たいものを感じる。

「ど、どういう・・・・・・」

「ベレンが次どこに現れるのか、聞きたい」

全く理解ができない。なぜこの女から”ベレン”の名前が出るのか。

「何を言っているのか分からない、本当だ!」

抜かった。浮かれていたんだ。そうでもなきゃこうも簡単に捕まるわけがなかった。

ウラジーミルは自分の不用心さにひどく後悔をしつつ、この女が何者であるのかを見極めようとするが、

「ベレンが明日覚醒剤取引をおこなうのは知っているし、お前がその取引に初めて誘われて浮かれているのも私は知っている」

と完璧に見透かされた言葉を彼女は発する。

「私は気が長くない。先に言っておくが、犯罪者相手には容赦しない質だ。拷問してでも明日の何時にどこで取引するのかを聞かせてもらう」

「く、口ばっかりだ。お前、お巡りだろう?お巡りが許可もなく傷つけられるわけが・・・・・・」

クレインは不敵な笑みを浮かべ、

「わたしが何時警官だと言ったんだ?」

それはウラジーミルにとって地獄の始まりだったのは言うまでもなく、

彼は酷い激痛を持ってしてそのすべてを打ち明けざるを得なかった。



そうしてウラジーミルは意識朦朧として路上で放置されているところを激高したベレンの部下に発見され、こうして7回目の正拳突きをベレンから受けていた。拷問のはしごである。

「言え、お前が言ったんだろう!」

「ベレンさん、信じてくれ!俺は、何も・・・・・・!」

突如としてその拷問部屋に暗闇が訪れる。

先程まで煌々と輝いていた室内灯が切れたのだ。

ベレンに満ちていた怒りはウラジーミルから明かりが切れたことへとシフトする。

「おい、ブレーカーか?早く明かりを戻せ!」

怒鳴りつけられた部下は返事をするとブレーカーのある部屋へと走っていくが、悲鳴とともに倒れるような音が聞こえた。

「お、おい何だ今の音は。見てこい!」

ベレンの声に、暗闇の中から部下の返事と足音だけが聞こえ、音のした方角へと向かっていったのがわかった。

そしてくぐもった破裂音と悲鳴がまた聞こえ、崩れ落ちるような音が部屋にこだまする。

「ちくしょう、誰だ!?」

ベレンはズボンのベルトに挟み込んだ拳銃を引っ張り出し、構えようとする。

だが、その際右手にひどい激痛を感じ取り落としてしまった。

ベレンがその銃を拾おうとする前に、背後から誰かに羽交い締めにされ地面に突き倒されてしまう。


電気が戻り、ウラジーミルはベレンが地面に突き倒され、クレインに拘束されているのを目の当たりにする。

「誰だ、てめぇ、くそ!NYPDか!?」

「あんたがそう思うならそう思えばいい。でもあんたを逮捕する気は私にはないよ」

ベレンは拍子抜けした顔をする。

「どういうことだ」

「それはあなたがピョートル・ベレンじゃなくてロシア対外情報庁所属のヴァレリー・クリヤモフ大尉だから」

ベレンは一瞬、表情を変えたように見えた。だがすぐにこう叫ぶ。

「わけがわからねえ!おれはピョートル・ベレンだ!」

「10年に渡る潜入は辛いわよね。それをこんな形でフイにされるのも」

ベレンは押さえつけられたまま更に叫んだ。

「それは俺じゃねえ、人違いだ!」

クレインは拘束したまま、ベレンの耳元で囁く。

「娘さん、今アメリカに留学している大学生だってね。お父さんに会えないまま10年もたっちゃって。かわいそうね」

娘の名前を聞き、ベレンは表情を変える。

「完璧だったはずだ・・・なぜわかった?」

声色は先程と一変し、粗暴な雰囲気は消え去り知的な言い回しだった。

「それは言えない」

クレインの言葉にベレンはうなだれるが、ウラジーミルには全く理解が及ばない話だ。

ベレンがまさかロシアのスパイだなんてことは。

「お前、CIAか・・・?」

不敵な笑いが聞こえ、クレインはベレン、もといクリヤモフをさらに押さえつける。

「私はあなたが持っている情報がほしい。大統領執行命令7789754号、オペレーションオチスカについて」

その言葉を聞き、押さえつけられたままのクリヤモフは高笑いした。

「その作戦は俺は知らない、別のやつを当たることだ」

「冗談。あんたは当時チェチェンで現地イスラム教徒グループと接触していたのは“我々”でも把握している」

そう言いながらクレインはクリヤモフの目の前へ写真を放った。

そこに写っていたのは今よりもかなり若いクリヤモフとイスラム教徒の格好をした初老の男。

「オペレーションオチスカはロシア政府によるチェチェンのハト派イスラム勢力の懐柔政策。当時長引いていた連邦軍と現地武装勢力の小競り合い終結を狙っていた。あんたはその作戦に政府側エージェントとして接近し、成功している。そして現在まで身分を変えた今でも親交があるのは把握している。この男に会わせろ」


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