第2話 パリは燃えているか?
『大きな爆発が起きました!パリ、シャンゼリゼ通りで爆発が起きました。詳細は不明ですが、シャンゼリゼから離れたこちらのテレビ局でもその揺れがわかりました。政府当局からの発表はまだありませんが、多数の負傷者が出ています!』
酷い耳鳴りだ。身体中が酷い激痛で、首を上げることもできない。
多数のうめき声、叫び声、泣き声、サイレン、ヘリ、怒声が耳の中を駆け巡る。
体を動かそうにも、痛みがあるし何かが覆いかぶさっているようで、身動き一つ取ることができない。
「リーナ……?リーナ…!」
私はひたすら彼女の名を叫ぼうとした。だが、口は開こうとしない。
言葉は口の中で反芻され、外に飛び出ることはない。
私は朦朧とし、混濁する意識に呑み込まれていった。
『フランス大統領府は今回のシャンゼリゼパレードにおける爆発をテロと断定、対外治安総局に対し早急な調査を命令しました。またパリ警視庁は市内の警官に治安維持に対して最大の努力を図るように指示しており、市内は厳戒態勢となっています。一部では暴動も発生しており、警官隊が威嚇発砲を行なったと言う情報も入っています。爆発による死者数は現在も分かっておらず、多数の米国人が巻き込まれたと言う情報もーーー』
耳鳴りが続いている。
重い瞼はまるで金縛りのように開くことを拒んだ。
あの爆発から数時間、いや数日だろうか?
時間感覚が失われ、意識のみが覚醒していく。
やがて身体に対して、脳からの指示がゆきとどいていないのではないかと思った。
私の中の脳細胞は、まるで冬眠したかのように体へと動きを伝えることはない。
ただ悪戯に時間がすぎていく気がした。
リーナは一体どうなったのか、それだけが心配だった。
人の話し声が聞こえる。
「全身火傷の患者さん、昨日亡くなったわ」
「うちの病院だと何人目だったかしら」
「15人目かな……」
ここは病院らしい。だが依然として目を開くことも口をきくこともできない。
私はただ無限と続く暗闇の中を漂っているようだった。
このまま目覚めることはできないのだろうか?
『パリ警視庁は先程、爆発にはTATPと呼ばれる爆薬が使用されたと発表しました。また大統領府は今回のテロ事件で死者数は現時点までに57名が確認され、340人以上の負傷者が発生しているとプレスリリースを出しました。死者数は増えるとみられているほか、行方不明者も多数存在していることから大統領府は引き続き情報を発信していくとしています』
瞼は開かないのに、眩しいと感じる。
理由は分からなかった。
ただ意識の中に眩しいと感じたのだ。
光が差し込み、私の前にリーナが現れた。
「マリア、平気かい?」
彼女は私にそう問いかけると手を差し伸べてきた。彼女のしなやかな指に触れ、私はとてつもない安堵感に包まれる。
「平気だよ、リーナ。あなたは?」
私の問いに彼女は困った顔をする。
「どうかした?」
彼女は首を振る。
「わからないの」
「わからない?」
握っていた手が恐ろしく冷え込んでいく。まるで生気を失うように。
「私の腕はどこ?」
リーナの手が彼女の体から腐り落ちる。
蛆虫が彼女の落ち窪んだ眼窩から這いずり、私の手にもびっちりとまとわりつく。
想像を絶する嫌悪感で、私は叫べない喉で無声を叫んでいた。
ただその喪失感と恐怖を打ち消さんとするがために……
まぶたの向こうが明るく見えたような気がした。
私の意識は未だはっきりしていないが、脳味噌にかかった靄が晴れていくような気持ちだ。
徐々に耳に音が流入してくる。電子音、人の話し声。
手に触れられたような気がした。トントンと一定のリズムを取って腕のあたりを叩かれ、その後鋭い痛みが一瞬体を走る。
「ッ・・・・・・ァ」
その痛みに思わず声が出る。
「・・・・・・さん!シュ・・・・・・さん!」
私の声に反応して、誰かが話しかけている。
「シュヴァイツァーさん!」
私の名前を誰かが呼んでいる。
「大丈夫ですか?意識はありますか?」
口を開こうとしても、それは出来ない。
思うように動かなかった。ただ馬鹿みたいに、口から息が漏れるだけだ。
「先生を呼んで来ます!」
そう言うと、何者かは走り去った。私はまた意識が霧散していく。
私の意識が覚醒したのはその数時間後だっただろう。
目が覚めたとき、不思議にも体は普通に動くことが出来た。
私は今、フランスのパリ郊外の病院に入院しているということらしい。
医師が私の状況を聞き取りやすい英語で説明し、外傷は特にないこと、爆発の後地面に後頭部をぶつけたため昏睡状態にあったこと、そして今日が事件から1週間後ということ。
「なにかご質問はありますか、ミス・シュヴァイツァー」
医師の声に私は答える。
「私の連れのリーナ・スミスは死んだんですか」
私が唯一知りたい情報だ。
「あなたと同行していたミス・スミスは生きています。ですが、ひどい怪我を負ったと聞いています。そのためアメリカの病院で治療を受けている事までしかわかりません」
彼女は生きている。
それだけで私は涙がこぼれた。
自分が生きているということにも喜ばない私が、彼女の生命があるということには涙をこぼすことができる。
病院はしばらく検査ということで入院を余儀なくされた。電話は破壊されてしまったため、院内の公衆電話で親や職場に無事は伝えることが出来、ひとまずリーナのこと以外は大丈夫そうである。
退屈な日々を過ごす中で、テレビでは爆発事件についての情報が次々に更新されていった。
犯人は過激派の原理主義者、シリアで戦闘を行っていた傭兵で危険主義者だったこと、そして移民だったこと。数年前から欧州は冷戦後の左派的政治思考に終焉を迎え、右傾化していた。世論は移民に対して非常に厳しい目を向けることになるだろうと、ニュースのコメンテーターは締めくくる。
後世の歴史家はここが欧米世界のターニングポイントであったと語るだろうが、ここは私の人生のターニングポイントでもあった。
目を覚ましてから1週間、私はようやく外に出ることを許された。否、追い払われた。
外傷も特になく、体も動くとなればそれは健常者だ。
被災時に持っていた所持品をすべて検めたが、お金などはそのままで助かった。だけど指輪は見つからなかった。リーナが持っているのかもしれない。
リーナが入院するのは本国アメリカで、私は帰国するために大使館で手続きをした。
当時フランスは厳戒令が敷かれており、入出国には大使館を通さねばならぬほどだと先に病院内で聞いていたのだ。事実、シャルル・ド・ゴール空港にはフランス軍警察が大量に配備され、許可のない旅客を追い払っているのを見た。
シャルルドゴール空港からロス行きの飛行機に乗った時、客室乗務員には私の情報がしれていたのか、配慮でファーストクラスへと通された。
窓から見えるフランスの景色は希望に満ちてやってきた日とは違い、陰鬱に映った。
パリから立ち上る炎は、私の心を表すようだった。
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