第4話
かつて中原は、その全域が瑞々しい緑に覆われ、三十六の門と十二の塔によって世界の秩序が保たれていたという。
いったい何が起こり、どのようにして、それらが失われたのかは記録が残っていない。
今では、この広大な中原の多くは乾いた赤土の大地と化している。
この地では水がすべてに優先する。
緑河、赤河、蛾江、南貴江の四つの大河と、その氾濫の歴史から生まれた湖沼が、中原のいたるところに点在している。また中原のはるか北東にある、雲を突く崑崙山脈の悠久の氷河からの雪解け水が地中に潜り、伏流水となったものが思いもよらない遠方の地で地中の岩盤にぶつかって、地上に湧き上がっている場所もある。
今では、緑ある地は、そのような水の恵みのある場所に限られていた。そしてまた、人々が生きてゆけるのもそのような土地でだけである。
中原のほぼ中央、大きな七つの湖沼に囲まれた地域。人はそこを蓮華座と呼ぶ。蓮華座は緑あふれた地だ。命の輝きに満ちている。中原の中でも最上級に美しい。
その蓮華座の中心に位置するのが京成である。城壁に囲まれた街だ。この中原に在って、自らの身と持ち物を守るためには、そのような城壁が必要だと気づいた最初の人々の住む街が京成であった。今ではその回りに新たな街が生まれ続け、都市国家として大きな力を持つものに成長している。
京成から西に早馬で二昼夜半。まるで中原の中に浮かぶ島のような場所がある。京成という名がこの中原で暮らす人々に知られるようになってから、その島のような場所は元成と呼ばれるようになった。
元とはものの始まりという意味である、成は街という概念を指す言葉であるから、合わせて、最初の街というほどの意味か。
だがその島のような場所に、我々が街という言葉から連想するようなものはない。鬱蒼と繁る樹木に覆われた台地があるばかりである。崑崙山脈からはるばる旅してきた地下水がこの地に湧き上がって、中原でも特異な地形と環境を作り出している。
いかにも島と呼ぶにふさわしく、回りを囲む赤土の大地が大海原のそれであり、簡単に人をそこにたどり着かせない。離れているように見えても、もっとも近い街である京成を経由しないと過酷過ぎる旅となる。それ以外の道程でたどり着くには、奇跡とでも呼ぶべき幸運が必要である。
その元成の台地の上、京成側となる東の山林の中の、とある高い広葉樹の上に、竹で編んだ籠が吊るされてあった。籠は大人が五人はゆうに入れる大きさのものである。
まさに今、その籠の中に、超沙と卯鴻のふたりがいて、このひと月というもの毎日話し続けてきた、この元成から旅立つという話を、また話し合っていた。
超沙と卯鴻、ともに十五。まるで兄弟ででもあるかのように、幼きときから時を同じくしてきた。その年齢にしてすでにふたりとも六尺、百八十センチはあろうかという堂々たる体躯である。柔らかな筋肉に包まれてはいるものの、まだ肉付きの方は、この地の大人たちほどには発達していない。もっともこの地の大人たちが通常では考えられない強靭な肉体を持っているからそのように言えることで、一般的な大人と比較するならば、同等の筋肉はすでに備えていた。
「やはり俺は、おかぁにだけは知らせて行きたい」
言ったのは卯鴻である。目の鋭さが只者でないことを物語っている。その発する気配も見るものに向かって突き刺さってくるように感じられた。頭髪はいかにも硬そうで、束ねていても、本来の癖毛からのうねりを隠しようもない。太い首筋にうっすらと汗も光っている。
そんな卯鴻から、母を思う言葉がこぼれだすのは、釣り合いがとれていないとも感じられる。けれどもそれだけ母を大切に思っているということの証であろう。
長い足を胡坐にかいて、その脇に、すぐ手に取れるように標準的な長剣の七分ほどの長さで反りの大きい半月刀を置いている。基本的に林の中で活動するために、自然と動きやすくて使いやすいその大きさと形状になったものだ。
卯鴻は半月刀の使い手としてこの地で名高い。
「だからそれは手紙でよかろう。おかぁに話せば、必ずおとぉたちに知られる。そうなれば旅立ちを止められるは間違いない」
超沙が応える。卯鴻とはまるで反対の柔らかな瞳の輝きがある。その発する気配も落ち着いていて、何者であろうとも懐深く受け入れてくれるように感じられる。真っ直ぐな頭髪は黒く艶がある。色白の顔には際立った表情が浮かんでいない。細く引き締まった、そこだけ意思の強さを示す唇が紅い。
母のことを思う言葉は、先の卯鴻ではなく、この超沙の方から発せられる方が自然に思われる。互いの発言が真逆であれば、ひどくしっくりとくるものを、超沙の方は、情よりも志を、と意見している。
超沙も胡坐をかいている。ただし、卯鴻のそれが型にはまったきっちりとした胡坐であるとすると、超沙のそれはかなりくだけたものである。そもそも胡坐自体がくだけた座り方であるのに、それをさらに崩し、身を半身に開いてさえいる。体の左側に矢の詰まった矢立てを置き、半身で向けている籠の面に弓を立てかけている。半身のまま一歩踏み出せば、弓に手が届くであろう。この弓もまた短弓である。半月刀と同じく林の中で使うためにその大きさと形状になった。普段は背に負っていることが多い。
超沙の得意はこの弓である。
超沙も卯鴻も幼き時から、それぞれの父に、どんなときも自分の身が守れる体勢でいることをしつけられてきた。
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