第8話 遊園地ノ怪


高校三年生になると、自分の通う学校では選択授業が増える。これは理系や文系でクラス分けをしない代わりに、自分たちで必要な科目を取れ、という方針らしい。

 理系でも文系でもない、必要最低限の単位だけ取っていた俺と門馬は、自然と同じ科目を選択する事が多かった。たまたま今週の金曜の午後は先生が休みだったため授業がなくなり、時間を持て余した俺たちは近くのショッピングモールのフードコートで昼食を堪能し、平日の昼間に正々堂々とフラフラできる解放感を楽しんでいた。

「そういえば守口、これ」

ラーメンを口に運んでいると、目の前でカレーライスを食べていた門馬が机の上に二枚の紙切れを置いた。

「えっ、遊園地のチケットじゃん。どうしたの?」

それは市内から少し離れたところにある某遊園地のチケットだった。その遊園地には数度、子どものころに家族で行った記憶がある。

「懐かしいな、最近行ってない」

 門馬は横の椅子に置いていた鞄から園内地図の載ったパンフレットも取り出す。この遊園地は未だ人気が衰えず、休日になると人が多い。事前に並ぶ乗り物を決めておこうということだろう。準備の良い奴だ。

「次の仕事。ここなんだけど」

 仕事。続けられた言葉に浮かれた気分がしぼむ。

「仕事の話かぁ」

 遊園地、どうせ行くなら遊びに行きたい。

「お前の好きな怪異だぞ」

 門馬は横に置いていたコーラの入った紙コップを取り上げ、ぐびぐびと煽っている。平日昼間からコーラなんか飲みやがって。

「もう遊園地で遊ぶ気分になってたからさ」

 カレーもラーメンも好きだけど、ラーメンを食べるつもりだった口にカレーライスを放り込まれた気分だ。

「遊園地の中で親子連れが事故にあったのをきっかけに事件が続いている」

「この前ニュースで見たかも。照明が落ちてきて怪我をしたっていう話」

「そうだ。その後も営業を続けていたんだが、今度は数日前に子どもが一人行方不明になった。園内でも原因不明の電気系統が壊れるとかの現象が続いてるらしい。それでその調査を依頼された」

 コーラの入ったコップを置くと、門馬はスプーンを取り上げ美味そうにカレーライスを頬張った。

「それ心霊案件なの? 誘拐とか、刑事事件じゃない?」

「いや、警察の捜査も入ったけど、結局手がかりの一つもつかめなかったらしい」

何か考えているのか、スプーンを握ったまま半分ほど無くなった皿の中をじっと見ている。

「それに、元々曰く付きの土地だからな」

「曰く付き?」

「昔から入ってはいけない土地として扱われていた場所だ。あの世と近すぎるから」

「あの世と」

 地下に三途の川でも流れてるんだろうか。

「元々大きな湖で、それを埋めたてたらしいんだけど。それでもあの世とこの世が繋がった穴は塞げない」

 水辺という発想は間違っていなかったらしい。

「小さい子どもはまだ魂があの世に近いところにいる。少し引っ張られるだけでバランスを崩して転げ落ちやすい」

 門馬はパンフレットの中を開いて地図を指した。そこは水色に塗られていて、水遊びをする親子のイラストが描き込まれている。

「真ん中に湖があるだろ。これは埋めてもまた水が湧いてくるから仕方なくそのまま残したんだ。海辺の街って設定に変更して、上手くごまかして」

「詳しいな」

「昔、親がこの遊園地を建てる時に仕事で呼ばれたんだ。その時俺も少し手伝いに行った」

「その時って小学生?」

「そうだけど」

 俺が友達と公園で遊んでいた時に、こいつはもうゴーストバスターしてたのか。

「その時は土地に空いている穴を、祠を建てることで封じた」

 門馬はもう飲み干したのか、コーラの入っていた紙コップを物足りなさそうに覗き込んだ。

「で、明後日の予定だけど」

「行く」

「ごねてた割には即答だな」

「いいじゃん。まぁ、遊園地の雰囲気くらい楽しめそうだし」

 遊園地独特のポップコーンの香りが鼻の奥に蘇る。それに華やかな建物と非日常的なにぎやかな雰囲気は好きだ。

「わかった。じゃあ遊園地前に十時集合で」

「了解」

 遊園地の怪異。子どもが消える遊園地の話は都市伝説で聞いたことはあるが、確かオチは人身売買組織の暗躍だった。

 事実は小説よりも奇なり、というのはどうやら本当の話のようだ。


 ラーメンとカレーのトレイを店の返却棚に返してフードコートを後にした。門馬は通り過ぎざまにアイス屋の方をじっと見ていたが、生憎自分はアイスの気分ではなかったので気づかなかったふりをする。

フードコートを無事に脱出して出口を目指して歩いていると、ゲームセンターに差し掛かった。ちょうどクレーンゲームが立ち並ぶ区画で、その景品の中の一つが目についた。

「門馬、ゲーセン寄らない?」

「お前ゲーム下手だろ」

「クレーンゲームは別」

子どもの頃は母親が買い物をしている間、姉と二人でよくこういうゲームセンターで遊んでいた。クレーンゲームの腕は、幼き日の修練の時代にさかのぼる。まだ子どもだった姉に『あれ取って』と命令されるたびに限られたコインを使い、その命を遂行すべく頑張っていた涙ぐましい努力の末、習得した能力だ。ちなみに失敗すると姉は泣いた。それはもう盛大に。忌まわしい子ども時代の記憶だ。

クレーンゲームの台を見て回ると、大きな黒い熊のぬいぐるみがちょうど落ちそうな位置で止まっているのを見つけた。あと一押しでいけそうだ。

 門馬はじっと熊を見ている。こうして見てみると黒い熊と門馬は少し似ているような気がした。

「よし」

硬貨を入れ、ボタンを押し込みクレーンを横向きに動かしていく。手を離すとちょうど熊の少し横あたりで止まった。

「行き過ぎじゃないか」

「これでいいの」

 もう一つのボタンを押し、奥へとクレーンを移動させる。開いたアームが熊の尻を押し出した。バランスを崩した熊は転がり落ちる。

「へぇ、上手いな」

門馬は感心したように腕を組んだ。そして俺はその腕に今取れたばかりの熊を押しつける。

「えっ」

とっさに受け取った門馬は呆然と、腕の中の巨大な熊のつぶらな瞳と見つめあっている。

「俺が持って帰んのかよ」

「取るのは楽しいけど。放っとくと溜まる溜まる」

 既に衣装用クリアケース一杯のぬいぐるみが家には蓄えられている。これ以上増やしたら「要らない命(ぬいぐるみ)は取るな」と母親の雷が落ちるだろう。

「これから電車とバスで帰るんだけど」

「バイクで送ろうか」

 学校からショッピングモールまでは二人乗りで来たので帰りも門馬を送ってから帰るつもりだった。どっちにしろ今日は時間が余っている。

「これ持ってバイクの後ろって、危ないだろ」

 じとっとした目で門馬と熊がこっちを見る。やっぱり似てるな。

「ごめんごめん、そこまで考えてなかった」

「いいよもう」

 門馬が熊といっしょにため息をつく。

「じゃあ仕事の詳細は後で携帯に送るから。明後日だからな。寝坊するなよ」

門馬は大きな熊のぬいぐるみを腕に抱え、外へ通じる自動扉の方へと歩き出す。大きなぬいぐるみのおかげで、学生服は着ているがまるで子どものようだ。全体的に黒っぽい一人と一匹はショッピングモールから繋がる廊下を渡り、駅の改札に消えていった。



 日曜に待ち合わせの場所に行くと、門馬はすでにそこにいた。愛犬、いや狼のタロも足元で丸まっている。

「おまたせ」

「ん」

 門馬は頷くと入り口のゲート受付の方へと歩き出す。タロも尻尾を立てて後に続いた。

「会長の京橋さんと待ち合わせているんですが。門馬と申します」

「少しお待ちくださいね」

 受付のお姉さんはにこやかに応対すると、受話器を取った。

「門馬さんがお見えになりました」

 しばらくそのままやり取りしていたが、受話器を切って隣の係の人に声をかけると席を立った。

「ご案内しますので、こちらに」

 園内に入った後はお姉さんを見失わないようについていくと、ある建物の一角のドアにたどり着いた。プレートには「従業員専用入り口」の文字が見える。

「この中になります。足元お気をつけて」

 いわれるままにその中に入っていく。前を歩くお姉さんは足が速い。歩いているだけなのにこっちは駆け足に近い。遊園地に勤めている人は健脚なのだろうか。

 俺と門馬、タロは置いていかれないように駆け足で急いだ。みるみるうちに階段を降り、一行は地下へと下っていく。

「こちらになります」

 これだけ歩いても息を乱さず笑顔を崩さないお姉さんは、俺たちを地下の一室に案内した。

「あ、ありがとうございます」

 俺は息を整えながらなんとかお礼を言って扉を開けた。

「それでは私はこれで」

 お姉さんは笑顔のまま廊下の暗闇に消えていった。それを見送ってから俺達は開いた扉から部屋の中に入っていった。

「ようきてくれたな。まってたで」

 部屋の中は煌々と蛍光灯の白い光で照らされていて、恰幅のいいおじいさんがパイプ椅子に座っていた。この薄ら寒い地下で扇子で仰いでいるところを見ると、相当な暑がりらしい。周囲には段ボールの山や書類が雑多に積み重なっていて、本棚に囲まれていて部屋全体は見渡せなかった。

「はるばるおおきに。会長の京橋です。どっちが門馬さんや?」

 おじいさんはよっこらしょと言って立ち上がる。

「自分です」

 門馬は一歩前に出ておじいさんに歩み寄った。

「そうかそうか。若いのにしっかりしとるな。よろしく頼むで」

 おじいさんは門馬に握手を求めた。

「ご依頼の件ですが」

 握手した手を振られながら、門馬が単刀直入に切り出す。

「それなんですわ、警察沙汰にまでなってもうたし、いろいろ難儀でね」

 おじいさんは首を振る。

「行方不明の子どもの件ですね」

 門馬の言葉におじいさんは渋い顔をする。

「行方不明の子もそうやけど、この一番下の階、このオフィスでも怪奇現象が続いてな」

「ここってオフィスだったんですか」

 思わず口をはさんでしまった。てっきり倉庫か何かだと思っていたが、ここで仕事をしているのか。

「そうや。遊園地の仕事するんやったら、近くにオフィスあった方が便利やろ。せやから地下にある」

 合理的といえば合理的なのか。それにしても地下過ぎて不安になる。

「それにほれ、地下にあると、なんか秘密結社みたいでかっこいいやろ」

 おじいさんは得意げにそう語る。

「本題に入りますが、封印の効力が弱くなったんでしょう」

「それです。ほんまにどうしようかと」

 おじいさんは心痛を露そうとしたのか、前かがみになり胸に手を当てた。一瞬その動作を見た時、心臓発作か何かかと思って焦ってしまった。

「祭壇を祀る手順は守っていましたか」

「それが、その仕事してた人が定年退職してもうて。誰もおらんのですわ」

 おじいさんはため息をつく。

「私も先代からこの仕事引き継いで転勤してきたばっかりで、正直お化けなんか出るもんかって半信半疑でしてな。でもしばらくして若いもんが、あの祭壇の近くでバケモノ見たって騒ぎおって。こんなもん祀ってても意味ないって、何人かで解体してしもたんですわ」

「それは、まずいことをしましたね」

 依頼主の手前、無表情を装っているが門馬はかすかに眉をひそめた。

「その解体したものはどこに」

「一応倉庫にはあります。見ます?」

「解体した時点で効力を失っています。建て直すには業者を呼ばないといけませんし、後にしましょう。まずは行方不明者の捜索から始めます」

「どのくらいかかりますやろか」

「どこまでやるのか、にもよります。根本的に解決するには立ち退きしかないでしょうし、封印しなおすのならまた後日。行方不明者の安否だけならおそらく今日中には」

「立ち退きは出来んな。できたら解決してほしいねんけど」

「でしたら、壊した祭壇を立て直してください」

「それでなんとかなるのか」

「根本的には解決していませんけど、これ以上の被害を抑えることはできます」

「分かった。それでたのむ」

「わかりました。では本日中に行方不明者の安否確認、来週に業者の手配をします」

 おじいさんは頷いた。

「それでは失礼します」

 門馬は振り向いて俺を見た。

「それじゃ、行くぞ」

「おう」

 ようやく怪異探しに出発だ。

「まずは地上に戻らないとな」

 あの降りてきた階段、そういえば一体どれくらいあっただろう。

「あの、エレベーターとかは」

「怪奇現象の一環で、電化製品が軒並みダメになってもうて。明かりくらいしかつかんのですわ」

 おじいさんが後ろから申し訳なさそうにそう言った。

 電化製品が軒並み壊れる。怪奇現象って、台風にも等しい被害が出るのか。


 何とか地上に戻り膝に手をついて息を整えていると、体勢を整えた門馬が早々に歩き出そうとしていた。

「どこいくの」

「昨日送ったメール読んでないのか」

「一応読んだけどさ。鏡のゾンビ迷宮?」

「そうだ。行方不明者はそこで消えた」

 送られてきたメールには行方不明者の情報と、姿を消したというアトラクションのデータが張られていた。鏡を主に使った迷宮になっており、参加者は中をさまようゾンビから逃れつつ歩いて出口を探すという仕様になっているらしい。

 その名も『鏡のゾンビ迷宮』。迷宮の文字の上にはご丁寧に『ラビリンス』と読み方が当てられていた。

 ゾンビは必要だったのだろうか。

「そういえば、遊びに来たことはあるけど入ったことないな」

「そんなに中は広くない。見つからなかったってことは、引きずり込まれたのかもな」

「鏡の中に?」

 門馬はうなずいた。

「そんなことってできるの?」

「鏡は違う次元とつながったり、あの世とこの世の境目になったりすることがある。それに」

「なに?」

 門馬は土産物屋のショーウィンドウの前で立ち止まった。店内に明かりはついていなかったため、暗いガラスに俺たちの姿が反射している。

「亡霊の中には、鏡に映った鏡像と現実の区別がつかないらしいやつがいるらしい。この話を聞いた時、湖から来た良くないものを鏡の中に閉じ込めたんじゃないかって思った」

「よくないもの」

 ショーウィンドウに映った俺がこちらを見返している。背を向けた後も、この鏡像がそのまま俺の背中をじっと見ているところを想像した。

 こういうことを考えるのはよそう。

「そういえば祠には何を祀らせてたんだ? 人を守る役割ってことは、お地蔵様とか」

「鬼」

「お、鬼?」

 童話に出てくる、泣いた赤鬼の、あの鬼か?

「そう。一口に鬼といっても、人に害する奴や、逆に人を守るもの、神として崇められているもの、それぞれ色んな性質を持っている」

 やっぱり泣いた赤鬼で合っていたらしい。

「祀らせてたのはどんなやつ? 良い鬼?」

「まぁ、そうだな。前ここに祠を建てた時は、ちょうど取り壊し予定の神社で祀っていた鬼をどうにかしなくちゃいけなかったから、そこの鬼を移したんだ」

「そんなに簡単に引っ越しってできるの」

「本人が同意してくれたらな。着いたぞ」

 足を止めた門馬の前に、鏡のゾンビ迷宮の入り口があった。『点検中』の札が掛けられていて、事件現場のような黄色いテープが巻かれている。

実際、行方不明者が出ているのだから事件現場と言っていいだろう。そのテープを躊躇なく取っ払って門馬は振り返った。

「行くぞ」

「なぁここ、やばくないか」

 閉じられた扉から、なんだか黒い煙のようなどんよりとした雰囲気が流れ出している。

「今頃気づいたのか?」

 門馬はタロを指さした。

「今日はこいつもいる。何かあったらタロについて外に逃げろ」

「わかった」

 尻尾を巻いて逃げ出したくはないが、いざっていうときはそうしよう。タロが励まそうとしてくれているのか、威勢よく吠えた。白いふかふかの毛並みを見ていると少し安心する。

 踏み入れた建物の中は外よりひんやりとしていた。薄暗い照明は灯っていたが、鏡にかこまれたその迷路は幻想的というより不気味だ。

「お化け屋敷とかだとリタイアできるけど、今日はアリ?」

「案内してくれる職員はいないから、リタイアは無しだ。代わりにもし一人で迷ったら地図見てがんばれ」

 門馬は折りたたんだ紙を手渡してきた。

「おっけー」

 地図の中はまるで迷路クイズのような入り組んだ迷路が描かれている。こんなに本格的な迷路だったのか。地図を見ても攻略できるかは怪しい。

「今日ってゾンビいるの?」

「いない」

「そっか」

 鏡を見てびくっとした。一瞬迫り来る大量のゾンビたちの姿が映し出される。すぐに元の迷路に戻ったが、心臓がまだバクバクいっている。

「門馬、ゾンビいるじゃん?」

「そういう仕掛けになっているらしい。それよりも油断するなよ」

 怪異よりこっちの方が油断ならない。というか調査するだけなのにこんな仕掛けの電源、入れとく必要なくないか。

「あれ、ここって音流してる?」

 今、確かに子どもの笑い声が聞こえた。入り口を封鎖しているから客はいないはずだ。

門馬は足を止めて俺を見た。

「子どもの声が聞こえた」

「今も聞こえるか」

「ん? 今は静か」

 耳を澄ましてみたが何も聞こえない。

「演出かな」

「とりあえず様子見る。はぐれるなよ」

 そう言われて門馬の後ろについて歩いた。タロは足早に先頭を歩いている。迷路を右、左、右に曲がると、もう出口の方向が分からなくなった。

「あれ?」

 角を曲がると鏡にぶち当たった。強くぶつけたせいでじんじんと痛む額をさする。前には通路がない。門馬はこっちに曲がってなかったか?

「お兄ちゃん、どうしたの」

 後ろから声を掛けられる。子どもの声ってこういう場所で聞くとなんで怖いんだろう。ゆっくり振り向くと、確かに人間の子どもが立っていた。なんだ本物か。

「一緒に遊ぼう」

 無邪気な笑顔にすこしほっとする。親とはぐれて迷い込んできたんだろうか。

「ごめん、仕事中なんだ」

 断ると子どもは悲しそうな顔をした。

「どうしても?」

「うーん」

 すがる手は小さくか弱い。無理に振り払うのも躊躇われた。

「少しだけなら」

 そう言うと子どもは嬉しそうな顔をした。 

「おにいちゃん、こっちだよ。追いかけて」

 言われた通り、迷宮の中を逃げるその子を追いかけた。

「足速いな」

 角を見え隠れする姿についていくのが精いっぱいだ。小さい子ってこんなにすばしっこかったっけ。

 そうは言っても基礎体力はこちらのほうが優勢だ。なんとか逃げる子どもを角に追い詰める。

「よーし、俺の勝ち」

「まだだよ」

 子どもは鏡の前で楽しそうに笑う。

 その時ポケットの中が震えた。携帯を取り出してみると着信履歴とメッセージが入っている。

『今、どこにいる?』

 門馬からだ。そういえば、見失ってからどれくらいたったっけ。

 返信しようとしたが、間違えて一つ前のメッセージを開いてしまった。そこには昨日送られてきた事件の詳細がつづられていた。その中には行方不明者の写真が添付されている。一度タップして添付された画像を開く。ひろき君、六歳。

 今目の前にいる子どもとそっくりな顔が表示されていた。

「行方不明になっている子だ」

 昨日確かに見たはずなのにどうして忘れていたんだろう。

「君、ひろき君だね」

 俺が尋ねると、ひろき君は顔をこわばらせた。

「おうちに帰らなくちゃいけないんだよ。ほら、お兄さんと外に出よう」

「やだ」

 俺が伸ばした手を振り払って、ひろき君は首を振った。

「お兄ちゃんも一緒にいよう」

 そう言うと、ひろき君は行き止まりの鏡に手を伸ばした。触れた表面から波紋が広がって、徐々に中に吸い込まれていく。

「ひろき君!」

 手を伸ばすがあと一歩届かない。そのうちに完全に中へ吞まれてしまった。

「遊ぼうよ」

 くぐもった声でそう言うと、ひろき君は鏡の中を走り出した。

 鏡の中も現実と同じく、反転した迷宮の通路が続いている。ひろき君が角を曲がるのを見て、逃げた方向へ鏡を見ながらその姿を追いかけた。それでもさっきと同じように、なかなか追いつけない。

それに鏡の迷路ではあちこちに俺を惑わすようにほかの子どものような姿が見え隠れしていた。

「待てって!」

鏡に映った他の子どもたちは時々鏡から飛び出して、俺の行く手を横切っていく。この子たちは幽霊なのか? 試しにその子を捕まえようとしてみたが、手をすり抜けて鏡の中に逃げられてはきりがない。

「門馬、いないのか!」

 はぐれてしまった門馬とも合流できないままだ。

 すると、目の前に大量のゾンビの像が一瞬現れた。さっき門馬と確認した迷路の仕掛けだ。一定時間が過ぎると表示されるようになっているんだろう。そのせいで立ち止まってしまった。

 もう一度、像が映し出される。今度はゾンビじゃない。

 交互に明滅する黒い影の群れと鏡に映し出された迷宮。そのうちに、黒い影の正体が分かった。

 黒い子どもたち。汚れているとかではなく、ただ顔も判別できないくらい黒い液体を全身にまとっている。その液体を滴らせながら、子どもたちは映し出されるたびに俺の方に迫ってきていた。とうとうその黒い影たちはゆっくりと手を伸ばし、実態を伴って鏡の外に出てきた。

 目の前を黒い影の子どもたちに囲まれて後ずさった。

逃げないと。その思いにはじかれたように駆けだした。でもどれだけ走っても、ぱたぱたという小さな足音がついてくる。息を切らせ、ついてくる方向を振り返ってまだ追いつかれていないことを確かめた。

「おにいちゃん」

 そのあどけない声にさっきまでの前を見た。すぐそこにひろき君が立っていた。

「走って!」

ひろき君の小さな手を掴んで走った。相変わらずパタパタと響く子どもの足音に追われながら出口の見えない迷宮を逃げ回った。

「お兄ちゃん、こっち」

 ひろき君が俺の手を引いて曲がり角に入った。それに続こうとして、硬いものに頭をぶつけた。

鏡だ。俺の姿が映ってる。

子どもの姿をした俺が。

「ゆっくり。そしたら入れる」

 ひろき君の声が聞こえた。妙に頭がぼんやりする。

「ゆっくり?」

 手を表面につけ、ゆっくりと押した。すると鏡は波紋を立てながら手を飲み込んでいく。

一瞬迷ったが、息を止めて鏡面の中に顔を突っ込んだ。障害物にぶつかる痛みはなく、ただ生ぬるい空気を感じた。

「こっちだよ、こっち」

鏡の中は広く、無限に広がっているかのようだ。硬いものにぶつかることもなく、回廊の中を自由に走ることができる。でも俺の姿はなぜか鏡に映らない。そのせいで何度も鏡にぶつかりそうになった。

「楽しいでしょ。遊ぼうよ」

「う、うん」

なにかを忘れている気がする。俺は何をしていたんだっけ。でもここは、とても楽しい。

しばらくの間、無限に広がる迷宮の中で二人で無心に駆け回って遊んだ。俺たち以外の影を見たような気もする。しかしどの影も一瞬姿を視界の端に見せるだけで、すぐに消えてしまう。

「お兄ちゃんが鬼ね」

「うん」

 嬉しそうに笑い声を上げて逃げるひろき君を追う。捕まえると今度は俺が逃げる番だ。

「つかまえたー」

あっという間に追いつかれ捕まってしまった。

「い、痛い」

 その手に込められた強い力に引っ張られた。

「どこ行くの」

「もっと楽しいとこ」

 ひろき君は嬉しそうに言った。もっと楽しいところって、どこだろう。

 周囲の暗がりが濃厚になってくる。これじゃ道もわからない。引っ張られるままに進んでいく。


 しばらく進んだところで前方の暗がりから声が聞こえた。

「そいつから離れろ」

 真っ黒な影が歩いてくる。俺は正体の分からない影を警戒した。

「やだ」

 俺の手を掴んでいるひろき君は妙に平坦な声でそう言った。

「離さないと、痛い目見るぞ」

 暗闇から、犬のうなり声のようなものが聞こえた。その脅しに俺の手を掴んでいた力が強まる。

「やめろよ、お前、誰だ」

 俺はひろき君を守るように前に回り込む。

「あっ、ひろき君」

 握っていた手が振りほどかれた。振り返るとその子が通路を走って逃げていくのがみえた。

「追うな」

 暗がりから現れた影は明りの中に姿を現した。

「守口、はぐれるなって言っただろ」

俺の名前を呼ぶその子どもは、黒い髪に白い肌の小柄な男の子だった。足元に白い犬を連れている。

その黒い瞳は落ち着いていて、敵意は感じられなかった。

「なんで俺の名前を知っているんだ?」

呆気にとられた俺に呆れたように子どもは言う。

「俺だ。分からないか?」

 子どもは腕を組んだ。そう言われてまじまじと姿を見直すと、たしかによく知っているはずなのに、名前が口から出てこない。黙っている俺にそいつはため息をついた。

「守口はじめ」

 急にフルネームで本名を呼ばれ、なぜか身体が動かなくなった。

「お前、年いくつだ」

 年? 俺はいくつだっけ。俺の意思とは関係なく、口が勝手に動いて問いかけに応えた。

「十七、だ」

 そう声に出すと、霧が晴れたかのように唐突に目の前の子どもの正体に思い至った。

「門馬?」

 ようやく口から名前が出てくる。それから芋づる式に今日に至るまでの経緯が蘇った。子どもの姿をした門馬の目鼻立ちには見知った面影がある。

「お前、小さいな」

門馬は腕を組んでそう言った。

「お前よりかは大きい」

今俺たちの年齢は同じくらいだろうか。でも目線は俺よりも低い。 その言葉に門馬はぶすっとした顔をした後、組んだ腕をほどいて目を閉じた。一瞬煙のように揺らいだ後、元の高校生の姿に戻る。

 そして数歩近づくと黒い瞳で俺を見下ろした。

「このままだと動きづらいだろ。戻りたかったら、目を閉じて元の姿を思い描け。こっち側は現実じゃないから想像した通りの姿になれる」

 言われた通り、目を閉じた。 しかし、自分の姿なんて普段鏡で見るくらいなので、意外と正確に思い出せない。ぼんやりとしたイメージが揺らいでいる。まだ家族か友達の方が思い出せるかもしれない。

「ブレブレだな」

 門馬の苦笑混じりの声が聞こえた。どんな姿になっているのか気になる。いっそブルース・リーを目指そうか。

「ほら、手伝ってやるから」

 片手が俺の肩に置かれ、そこからじわっと暖かい感じが広がった。輪郭がなぞられてはっきりとした像を結んでいくのがわかる。

「よし、目開けていい」

 目を開くと、目の前に門馬の顔があった。目線の高さは俺の方が高い。ということは成功したのか。

「元に戻ったな。ここから逃げるぞ」

「門馬、あの子、ひろき君さがさないと」

 せっかく捕まえたのに逃がしてしまった。黒い影のことも心配だ。早く見つけないと。

「もうダメだ」

門馬が俺の手を掴んで強引に歩き出す。

「どういうこと?」

「手遅れだった」

「なんで、そんなことわかるんだ」

「服に書かれていた文字、見たか」

「えっ」

 思い出せないが、確か英字で何か書かれていた。

「それが鏡に映ったみたいに左右反転していた」

「気づかなかった」

「気づけないようにしてたんだろう」

「そんなことできるのか」

「強い奴が背後について力を貸している。あいつの足首から一本の黒い紐が伸びていた。それが親玉に通じているんだろう」

「親玉?」

「悪霊の元締め、って感じだな。おそらく一体の強い怪異が他の犠牲者を使役しているんだ。まぁ、でもとりあえず」

 門馬はぐるっと肩をまわしながら振り返り、再び迷宮の中を歩き出した。

「自分の身体に戻らないとな」

「え、俺たち今どうなってんの」

 慌てて確かめてみたが、自分の身体の感覚はある。地面についた足の感覚も。

「魂だけ抜けてる」

「どういうこと」

「こういうこと」

 門馬は足を止めてこちらに向き直ると、いきなり俺の頬を指でつねった。

「痛った!」

「本当に痛いか。なんとなく鈍いだろ」

感覚はあるけど、確かに痛くはない。間に膜を一枚挟んだかのように鈍いものだった。今まで気づいていなかったが、意識し始めると逆にその違和感を無視する方が難しい。

「幽体離脱?」

「お前、急に鏡に頭ぶつけて倒れたからびっくりしたぞ。よくよく見たら魂抜けてるし」

「そうだったの?」

 全く幽体離脱した時の記憶がない。

「なんか男の子に声かけられてそのままついてったんだけど」

「その時に身体から抜け出したんだろ。気をつけろよ、あんまり繰り返してると癖になるぞ」

 そう言われて、ふと子どものころのことを思い出した。怪力な姉に腕を強く引っ張られたときに腕の関節が外れてしまい、以来それが癖になってしまったことがあるが、そんな感じだろうか。

それにしても、気をつけろと言われてもどうすればいいんだろう。

「分かれ道だ」

「次はあっち」

「なんでわかるの」

「タロは鼻が利くから」

 相変わらず先頭は白い毛皮の名犬タロが歩いている。

「こいつ賢いんだな」

 ふかふかの毛皮を撫でようとした手をするりと器用にかわされた。

「お前より賢いぞ」

「えっそうなの」

 タロがふんっと鼻を鳴らした。こいつ、人間の言葉分かってるんじゃないか。

「急ぐぞ」

「急がないとどうなるの」

「元に戻れなくなる。魂は本来、あまり身体から離れるべきじゃない」

 それはなんとなくわかる気がした。今こうやって考えたり話したりすることは出来ているが、腹が空いたとか眠いとか身体的な欲求はない。今まで当たり前にあった感覚がすっぽりと抜け落ちているというのは、なんだか自分じゃなくなったみたいだ。

 歩いているうちに広場のような場所に出た。円形に鏡が囲んでいて、中央には泉のようなモニュメントが置かれている。

「お兄ちゃん」

 小さな手に服の裾を引っ張られる感覚と聞き覚えのある声に振り返ると、ひろき君がいた。無表情な顔を俺に向け、再びつかんだ服の裾を引っ張る。

「おいていくの」

「ごめん、そっちは行けない」

 俺がそう言ってもひろき君は聞こえていないみたいに虚ろな目をしている。

「こっち。みんな待ってる」

 そう言って強引に引っ張る先に眼を向けると、そこには大量の黒い子どもたちが並んでいた。よく見るとその大半はどこかしらが欠損していて、腕のないもの、首のとれた影もいる。黒い影は口々に俺を呼んだ。

「おにいちゃん」

「あそぼ」

「ねえ」

「一緒に」

 その声を聞いているとぐらりと地面が揺れた。ひろき君は俺から離れ、黒い子どもたちのもとへ走っていく。中央に置かれた泉のモニュメントが揺れ、中からさらに大量の黒い影たちがはい出てきた。いくつもの影が寄り集まり、一つの人型になる。うごめく小さなパーツは一つ一つが瞬きをしたり、指をうごめかせたりしている。その大きさは俺たちの背丈を優に超えていて、高い天井に頭部がつきそうなくらいだ。

「デカいけど、悪霊を核にして自我の弱い子どもの霊が集まってるだけだ」

 門馬の冷静な声が聞こえる。俺は巨大な敵を前にして思わず門馬の方を振り返った。

「門馬、これどうしたらいい?」

「何かにほころびがあるはずだ。そこを突けたら、ばらけて元に戻る」

「ほころびって?」

「弱点みたいなものだ」

この巨体のどこかに埋もれてる弱点を捜さないといけないのか。

『邪魔をするなら、殺してやる』

 しかも早く身体に戻らなくちゃいけない制限時間付きだ。影は俺たちに巨大な見た目から予想していたよりも素早い動きで足を踏み出して迫ってきた。

「門馬!」

「守口、後ろに回り込め!」

 門馬の指示に従い、俺は人影の背後に回り込んだ。いくら素早い動きとはいえ人間の全力疾走の方が速いらしい。俺の動きに追従するように人影の塊は首を巡らせ方向転換をしたが追いつけていないらしく、巨大な身体が揺らめいた。

「なんか武器になるようなもの想像しろ。威力高いやつ」

「武器って」

 急に言われて殺傷能力の高い武器として真っ先に頭に重い浮かんだのは釘バットだった。重量を感じて手を見ると、しっかりと釘バットが握られている。

「武器出せた」

「もっといいもんあっただろ」

 そう言う門馬が構えているのはいつもの日本刀だった。

「刀でいいならそう言えよ」

「囮用にもっと火力強いやつ期待してたんだ」

「俺が囮?」

「俺が弱点探すから頼む」

「分かった」

 門馬の指示にしたがって囮として声を張り上げた。

「こっち見ろ! デカブツ!」

 影は俺の方に向き直ると巨大な手を振り上げた。たたきつけられる地点を予測して走り抜ける。間一髪で避けた後、釘バットをその腕にたたき込んだ。

「ごあああ」

 呻き声が鳴り響き、ぼたぼたと黒い塊が地面に落ちる。

「いいぞ! その調子だ」

 裏側から門馬の声が聞こえる。

「弱点見つかった?」

「まだだ! もう少し粘ってくれ」

 門馬の声に体勢を整えた巨大な影が振り向こうとしていた。

「こっち向け!」

 釘バットを足にたたき込むが今度は固い。黒い塊がいくらか弾けただけで影そのものは微動だにしない。

「くそっ」

 何か使えるものがないかと後ろを振り返ると、周囲を取り囲む鏡が目に入った。そのうちの一枚に駆け寄り、バットで思い切り叩いた。

 鏡が割れる音がすると同時に、黒い影が身をよじった。散らばった破片には黒い影が映し出されたままだ。

「門馬! 鏡に映った像に攻撃が効く!」

「分かった! そのまま攻撃してくれ」

 バットを振り上げ、二、三枚目の鏡をたたき割っていく。人影はばらばらと黒い塊を地面に落としながら崩れていった。

「よっしゃ」

 しかしこちらのたくらみに気づいた影が、巨体を揺らしながら近づいてきていた。間に門馬が滑り込む。

「残りの鏡!」

「分かってる!」

 門馬が時間を稼いでいる間に四枚目と、隣の五枚目の鏡を割った。

 後ろを振り返ると、長い腕に門馬が吹っ飛ばされるところだった。投げ出された先で一枚の鏡にぶつかり、その拍子に鏡が砕け散った。唸り声とも悲鳴ともつかない叫び声が黒い影から上がった。

「大丈夫か?」

 駆け寄ると門馬はうなずいて立ち上がった。

「痛くはない」

 そう言えば今は霊体だから、痛みには鈍いんだったっけ。

「でも死んだら身体に戻れない。気を付けろ」

「霊体って死ぬの」

「死んだと思えば死ぬ」

 それって生きてる時よりハードル低くない?

 そんな疑問を口にする前に黒い影が腕を振り下ろした。横に転がってよける。残りの鏡の枚数は三枚。

 反対側に避けた門馬が足に切り付けると、影はどくどくと黒い液体を流した。今度は攻撃が通ったのか。今度は金切り声の女のような声が影から上がった。同時に子どもたちのすすり泣く声が聞こえる。

 ふいに悲しくて仕方がないような気分になった。気づくとだらだらと両目から涙がこぼれ、身体から力が抜けていく。手からバットが落ち、床に膝がついた。

「守口!」

 門馬が名前を呼ぶ声で我に返った。

「流されるな!」

慌てて涙をぬぐった。身体を起こして立ち上がる。見渡すと釘バットはまだ床の上に転がっていた。まだ悲しい気分は続いていたが、耐えられないほどじゃない。バットを拾い上げると、近い方の鏡に駆け寄った。

「やめて、しにたくない」

 くぐもった女と子どもの声が影から背後から上がった。とてつもなく悪いことをしているような気がして、意思に反して手が震える。

「守口、早く!」

 振り返ると門馬の首に黒い腕が巻き付いていた。刀は地面に落ち、足は宙に浮いている。

 助けなきゃ。

迷いを振り切って向き直ると、思い切りバットを振り下ろした。黒い影を移した鏡は細かい破片になって床に落ちていった。

 うめき声が止まり、周囲に静けさが訪れる。振り返ると、黒い腕が門馬を地面に放り出していた。

黒い影はだらんと両手を下げ、よろよろと数歩動いた後、轟音を立てて崩れ落ちた。

「門馬!」

 駆け寄ると門馬は喉に手を当てながら起き上がった。

「結局俺が囮か」

「俺が弱点見つけたからな」

「威張るなよ。俺なんて二回も吹っ飛ばされた」

「ん? あれって」

地面に落ちていた黒い塊が解け、中から足を黒い縄でつながれた子どもの姿が現れ始めていた。

それを見た門馬は立ち上がって日本刀を拾った。子どもたちの間を回ると、その足につながった黒い紐を刀で切り離していく。

「その釘バット、ナイフか何かに変えて、この黒い縄切ってくれ」 

 言われた通りに釘バットを手にして目を閉じる。いつも使っている幅広のカッターナイフを想像した。目を開くと、たしかに想像した通りのカッターナイフが手の中にあった。さすがに見慣れている日用品だけあってそっくりだったが、そのメーカーのロゴだけが思い出せず、なぜかモザイクがかかっていた。

「ま、いいか」

 切れ味には問題ないだろう。

 子どもたち間を回り、縄を切っていった。縄が切り離されると子どもたちの口から黒い液体が地面に流れ落ちた。せき込む声が辺りに響く。生気の抜けたようになっていた子どもたちの顔に表情が戻り、泣きわめいたり、驚いた顔であたりを見回す子もいる。

「門馬、この子どもたちって、どうしたらいい? 連れて帰るのか?」

「いや」

 門馬はじっと掌を見た。刀がなくなってなぜかパーティー用のクラッカーが握られている。

「これで」

 門馬が端から出ている紐を引っ張るとパァンっと弾ける音がして、銀紙とカラフルな紙吹雪が舞った。子どもたちはその音にびくりと身体を震わせ呆然と門馬の方を見つめた。

「上を見ろ」

 門馬の声で、子どもたちは一斉に上を向いた。

「光が見えるだろ」

 子どもたちはぼんやりと上を見上げていたが、やがて口々に叫んだ。

「光だ」

「光が見える」

「明るい」

 その声に門馬がうなずいた。つられて俺も上をみあげていたが、暗い天井しか見えなかった。

「そうだ。それを見てるとだんだん身体が軽くなってくる」

「ほんとだ」

上を見ていた子供たちが風船のように宙に浮かび始めた。きゃっきゃと笑い声をあげ、皆一様に上を見上げながら昇っていく。

「とんでけ。下を見るな」

 その言葉が届くころには子どもたちの姿は薄れ、消えていた。

「天国に行ったの?」

「いや、外に出ただけだ」

 門馬は首を振った。そして俺の背後を見ると手を振ってクラッカーを消した。

「後ろに下がってろ」

 振り返ると一体の黒い人影がよろけながらこちらに歩いてきていた。女の形をしているが、水面がゆらめくように顔が揺らめいていていて印象が定まらない。

「わたしのこどもたち」

 人影は長い手を前に伸ばす。

「あんたの子どもじゃない」

 門馬は一歩ずつ近づいていく。

「その姿も、借り物だろ」

 そう言われると、人影は声を震わせた。

『私は生きている。ここに居るんだから』

「いつまでもここに居てもしょうがない。それはわかってるだろ」

「いやあああああ」

 人影の悲鳴が大きくなる。

「どうして、私はここに居たい。子どもたちと暮らしたい」

「子どもを親元から引き離して、自分の手元にとどめ続ける。それはこいつらの幸せじゃない」

「この子たちは幸せよ。愛情を与えているもの」

「子どもは成長していく。お間は閉じ込めてその機会を奪っただけだ」

「そんなことないわ!」

 女を中心にどろっとした黒い液体があふれ出した。見る見るうちに周囲を呑み込んで床を沼のように変えていく。

「これ、沈む!」

沼のような地面に足を取られてもがいたが、もがくほど体は沈んでいく。

「す、進めない」

 ぬっちゃぁとまとわりつくその黒いものから、それでも何とか逃れようとした。

「大丈夫か、門馬!」

横の門馬に目を向けると、妙に冷静な表情のまま沈んでいっている。

「お前、腕組んだまま沈んでるぞ」

「うるさい、俺たち今は霊体だって言っただろ」

 門馬は煩わしそうに地面のぬかるみを見ると、タロの方を振り返った。

「タロ、これ持って走ってくれ」

 門馬に投げ渡された組紐をタロはくわえ、残り一枚になった鏡の外へ走り抜けていった。

「これ」

 紐の端を投げて渡され、空中でキャッチした。

「ちゃんとつかまってろよ」

 紐がピンと張られ、それから強い力でぬかるみから引きずり出される。危うく地面に顔面を打ち付けるところだった。

「紐の方向、鏡の外に走れ!」

 門馬は俺の腕をつかんで立ち上がらせると、紐が出ている鏡の方向へ走った。おいて行かれそうになった俺は慌ててその背中を追う。

「にがさないいい」

 後ろから聞こえる女の怨嗟の声。それがどんどん近づいてきて、とうとう首筋にぬめっとしたものが触れた。

「うわっ」

 声を上げると横を走っていた門馬が振り返って俺の肩越しに何か粉末のようなものを投げた。背後で上がる悲鳴を聞きながら、鏡に向かって体当たりをするように突っ込んだ。


 次の瞬間感じたのは、額の痛みと冷たい床、こわばった身体の関節の痛みだった。

「間に合ったな」

 横で門馬の声が聞こえた。

「さっき何投げたの」

「塩」

 塩って万能だな。

 横で門馬が身体を起こして前髪を払うように首を振った。その隣では門馬を心配するかのようにタロがスンスンと鼻を鳴らしている。

「タロ、ありがとな」

 這いずるように近寄って白い毛皮に手を伸ばすと、やはりすり抜けるようによけられた。猫は流体という説があるが犬の背中もそんな気がする。

「とりあえず、封印しとかないと。ここまで弱ってるならいけるだろ」

 さっさと立ち上がった門馬は服についたほこりを払っていた。

「封印って祠がないとだめなんだろ?」

「祠ができるまで数日保てばいい。簡易式の封印だ」

「レトルト封印術」

「おいしそうだな」

 カレー好きの門馬はそう言ってポケットから赤い紐を取り出した。

「さっき投げてたやつ」

「これでこの建物を結ぶ」

「外周ぐるっと?」

「あぁ。でもまず、この迷路出ないとな。ほら守口、早く立てよ」


 それからは地図と格闘して、なんとか出口を探し出すことができた。現在位置を割り出して出口までたどるのは悪霊退治よりも手ごわかったが、とりあえず黒い影や女には出くわさなかったことにはほっと胸をなでおろした。

「これ普段はゾンビに追いかけられながら脱出するんだろ。無理じゃない?」

「脱出率五パーセントが売りらしい」

五パーセントの中に入れたのは嬉しい。人間追い詰められればやれるものだ。

「この端持って」

 外に出ると門馬が赤い紐の端を手渡してきた。

「外周走ってこい」

「部活かよ」

 てこでも動こうとしない門馬を起点に迷宮の建物をぐるっと走っていく。紐はどういう仕組みになっているのか分からないが限界がないんじゃないかと思うぐらいするすると伸び続け、なんだかんだで三周は走った。

「もう無理」

「お疲れ」

 門馬は涼しい顔で紐の端を回収し、複雑に紐を組んでいく。

「この鈴つけてきて」

「もう一周すんの?」

「これで最後」

 掌に二十個ほどの鈴を落とされ、それをなるべく均等な間隔になるように各所にぶら下げていった。

「もう走らないから」

「お疲れお疲れ」

 軽くそう言うと門馬はパンっと掌を合わせて経のようなものを唱えていく。その声に合わせるように、鈴の軽い音が鳴り響く。チリンチリンと涼やかな音に合わせて、空気が澄みわたっていく。

 門馬が口を閉じて鈴の音も止んだ時、迷宮を包んでいた嫌な雰囲気が消えていた。

「これで終わり?」

「とりあえず。祠作るのは業者の仕事だから俺たちは帰ろう」

 

「せっかく来たのに。遊びたかった」

 遊園地の建物を見上げながらぼやいていると、門馬にパーカーの端を引っ張られた。

「仕事で来てるんだ、会長に報告行くぞ」

 そう言っているうちに向こうから、当の会長が歩いてきた。巨体を揺らしながら大きく手を振っている。

「お前、門馬の坊主やろ。大っきなったな。前に会ったのは十年くらい前か?」

その言葉に門馬は不審そうに眉をひそめた。

「わしやわし。地下の祭壇に祀って貰ってた鬼。お前、親に連れられて手伝ってたやろ」

「あぁ、あの時の」

 門馬が驚いたように目を開いた。

「あんた、消えてなかったんだな」

「祭壇壊されたときはどうしようかと思ったけど。こいつと相性良かったみたいでな」

 鬼は会長の巨体を両手の親指で示した。

「会長に憑依できたのか」

「行くとこなくてな。祭壇直ったら出て行くわ。動きにくくてしゃーない」

 相性が良いと言っていたが、確かに会長と話し方も雰囲気も似ている。入れ替わってもだれも気付かないだろう。

「出て行ったのかと思って代わりの鬼、手配してたんだけど」

「そいつも呼んだらええ。仕事が多すぎてかなわん。手足りんかったからちょうどええわ」

「分かった。ところで今後の封印は大丈夫そうか?」

「わしが見とる。心配ないわい」

 ガハハと会長、いや鬼は笑った。

「さ、仕事仕事。身体乗っ取ったはいいけど仕事せなあかんのが難儀や」

 真面目な鬼だ。給料払うべきじゃないのか。

 そんなことを考えていると、くるっと鬼はこちらを向いて片手の親指を立てた。

「お前らは遊んでいき。今日は貸し切りにしたる」

「ほんと?」

「並ばずに乗り物乗れるで。それと、あとちょっとしたらパレードの練習時間やし、見て行ったら」

「やったー! 門馬、なんか乗りたいものある?」

「んー、じゃああれ、新しくできたやつ」

「あぁ、あれか」

 新作アトラクション。ゴーグルをかけて魔法の世界にダイブする最近の話題作。

「じゃ、楽しんでって」 

 鬼はひらひらと手を振りながら歩いていった。


 並ばずに遊園地の新作に乗れるなんて。

目的のエリアに着くとがらんとした無人の待機用スペースが待っていた。

「遠いなー」

 入口が見えない。

「近道したら」

 門馬が長い待機列を仕切るベルトをショートカットしながらくぐり抜けていく。

 後に続こうとしたが途中でベルトはまたいで乗り越えた方が早いことに気づいた。

「や、背が高いもんで」

 振り返ってこちらの様子に気づいた門馬にそう言うと、なぜか門馬は不敵に笑った。そして不安定なポールに片手をつき、軽やかに最後のベルトを飛び越えて行った。なんて嫌味な奴だ。

入り口に到着すると最初に案内してくれた、やたらと健脚だったお姉さんが立っていた。

「こんにちは。ようこそ魔法の世界へ」

「お姉さん、クルーの仕事もしてるの?」

「遊園地は万年人手不足で」

 にっこりと笑うその顔はさすがプロ。疲れの色を感じさせなかった。

「どうぞ中へ」

 案内されたアトラクションに乗り込み、ゴーグルを掛けた。

「それでは、行ってらっしゃいませ」

 笑顔と共に送り出され、俺たちは魔法の世界に旅立った。

中で見たことは割愛するが、結果的に俺たちはアトラクションを満喫して出口を出た。感想としては『魔法の世界はそこにあった』だ。

「もう一回乗りたい」

「頼んだらいけるんじゃないか」

 門馬はそう言いながらちらちらと入り口の方を見ている。

「あっ、でもだめだ。パレード始まる」

「見て帰るのか?」

 門馬は相変わらず魔法の世界の入り口の方を見ている。

「だってもったいないだろ」

名残惜し気に振り返る門馬の袖をぐいぐい引いて、大通りの巨大アーケードまで走った。音楽と歌声が近づいてくる。

「おおっ、さすがだな」

 練習とはいえ本格的だ。建物に映像がプロジェクションマッピングで投影され、移り変わる背景の中にきらびやかなキャラクターたちがゴンドラに乗って通りすぎていく。

「あ、あれ見て」

 一つの馬車に子どもたちが並んで座り、こっちに手を振っている。

「ひろき君だ」

門馬はため息をついた。

「さっさと成仏してほしいんだけど」

「楽しそうだし、しばらくは良いんじゃない?」

子どもたちは馬車から飛び上がると、光の中を舞う妖精のように浮かんでいた。飛ぶことを覚えた子どもたちは皆楽しそうだ。

「そうだな。ほっといても、そのうち成仏できるだろう」

「そんなものなの」

「死んだ子どもは遊び足りないとか寂しいとか、そんな理由でなんとなくこの世にとどまってしまうことがある。ある程度満足したら行くべきところに行く」

「そんなものか」

 キャラクターが火を噴くパフォーマンスをする。きゃっきゃと上がる子どもの声。生きてるものも死んでいるものも、皆が一緒になって行進していた。

「あれ見ろよ」

 門馬の指さす先を見ると、いつの間にか現れたスーツを着た人影が屋根伝いに霊体の子どもたちに近づいていた。

「迎えが来たな、あの世から」

「迎えに来る人ってスーツなんだ」

「色々だけど、スーツだと分かりやすくていいんじゃないか」

 わかりやすいって、仕事で来てることがってことだろうか。

しかしそれは子ども達には受けが悪かったようで、警戒するように遠巻きに見つめている。それを見たスーツの人はしばらく何かを考えるかのようにパレードの方を眺めていたが、やがてその姿が煙のように揺らいだ。そして今まさにパレードで火を噴いている竜の形に徐々に作り変えられていく。

呆気に取られてそれを見ていた子供たちは、一瞬のうちに笑顔になると喜んで駆け寄っていった。

「あんなこともできるんだな」

 子どもたちは竜によじ登っており、竜の方も上りやすいように身をかがめている。

「俺たちも霊体の時は姿変えられたろ。見本があればやりやすいし」

「絵描くみたいな感じ?」

「あぁ。そういやお前、絵心なかったな。子どもの姿から作り変えるときひどかったぞ」

「慣れてないんだからはじめはそんなもんだろ」

「練習しとけよ」

「どうやるんだよ」

 そんなことを話している間に、子どもたちが竜に乗って空へ飛んでいく。日の光の方に飛び去り雲の間に消えていくのを見送った。




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怪奇中毒 柴山ハチ @shibayama_hachi

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