第3話 指輪ノ怪

「ザンバラ神社って知ってる?」

「ザンバラ?ザンバラ髪の?」

「違う、神社の名前」

 今まで携帯をいじっていた姉が、急に神社の話を始めた。

「そこで御守り、売ってるらしいのよ」

「御守り。売ってるだろうな」

「普通のじゃないのよ。指輪型の御守り」

 指輪型か、たしかに御守りの種類では今まで見た記憶がない。

「それが欲しいの」

「買いに行けば」

 ザンバラ神社がどこかは知らないが、欲しいなら買いに行くしかないだろう。

「行きたいんだけど、人気だから入荷日当日に配布なのよね。SNS見たら、今日配布らしいんだけど」

「今日日曜だろ、バイトじゃなかったっけ」

「そーなのよ。代わりに買ってきてくれない?一応隣の隣の隣町だから近いわよ」

「近くねーよ、バイクで一時間くらいかかんじゃん」

「お願い。社員割引であんたの欲しがってたやつ買って来てあげるから」

 姉は本や漫画、映像作品等を販売する大型チェーン店で働いている。社員割引は三割引。特装版が欲しいけど、どうしようか迷っていた映画パッケージも安価で手に入る。

「しょーがないな」

 よっこらしょ、と立ち上がった俺に姉が笑顔でパチパチと手を叩いた。

「頼れる弟がいて嬉しいわー、よろしく!」

 うんざりした顔を姉に向けた。指輪の代金を貰い、姉の欲しい指輪のサイズを聞き、玄関に向かう。寒空の下ため息をつきながらバイクにまたがった。


「本日、指輪の販売はなくなりましたー!繰り返します、本日指輪の配布はー」

メガホンを持った袴姿の男が、列に並んだ人に叫んでいた。

「マジか」

 姉ちゃんになんて言おう。というかせっかくここまで来たし、せめてどっか旨い昼飯食える店ないかな。

「あ、門馬」

 列の人から離れた所に、知っている顔を見つけた。

「なーなー門馬、なんでいるの」

「こっちのセリフだ」

 意外そうな顔をしたクラスメイトの門馬は、登山家のような格好をして立っていた。リュックに撥水性の良さそうなジャケット、ニット帽、マフラー、手袋と完全装備だ。よく見るとトレッキングシューズまで履いている。そしてその横には門馬の守護霊である灰色の小さい狼がおとなしく座っている。前に巻き込まれた事件後、そういう見えないものが見えるようになってしまった俺は、大人しく座っている狼に手を振った。

「その狼なんて名前?」

「タロ」

「映画に出てくる犬からつけた?」

「そう。子供の時に見て絶対犬にはタロってつけようって思った」

「俺はジロ派かな」

 タロの頭をなでると、鼻にしわを寄せ、歯をむき出しにしてうなられた。

「噛むぞそいつ、手離せ」

 慌てて手を引っ込めた。

「そういえば守口、指輪もらいに来たのか。こんなのに興味持つとは意外だな」

「姉ちゃんに頼まれてさ。で、門馬は?」

「仕事」

「ここで何かあったの」

「ここの神社、山の怪異を抑える役割してるんだけど、その力持ってる御神体が盗まれた」

「御神体?」

「神社によって、鏡とか石とか色々あるけど、ここは指輪だな」

「あー、じゃあ指輪型の護符ってそっから来てんの」

「そう。多分その指輪の護符の人気に目を付けて、御神体ならそれこそもっと高値で売れると踏んだんじゃないか」

「ありそー。でもそれ解決するのって警察の仕事じゃない?」

 窃盗事件である。

「だから指輪は警察に任せた。俺の仕事は山の怪異を抑えること」

「あぁ。なるほど」

 こいつゴーストバスターだもんな。

「お前今から暇?」

「超ヒマ」

「手伝え」

 二つ返事でうなずいた。学校での怪異を目にして以来、俺はゴーストバスター業の虜になっていた。怪奇中毒である。

「山は後ろのやつ。あれに登る」

 神社の後ろに黒い山がそびえ立っていた。

「冬の山登りってヤバくない?」

「神社の人も時々登るから、登山セットは一式ある。お前の分も予備借りたらいけるだろ」

「いや、初心者二人は危ないでしょ」

 その時、上から野太い声が降ってきた。

「安心しろ、俺も一緒だ」

「ガマゴウリ」

 門馬が俺の背後を見上げ、そう言った。俺が振り返ると、ガタイのいい壁のようなおっさんが立っていた。

「俺は蒲郡一真。ここの神主だ」

 さっきメガホンで叫んでいた人だ。赤い三角の安そうなプラスチック性のメガホンが、ゴツイ手に握られていて、破裂するんじゃないかと心配になる。

「俺、守口です」

 上を見上げながら名乗った。

「門馬の友達か?」

「助手」

 うなずこうとした俺に被せるように門馬が素っ気なく言った。助手か。まぁ、まだ付き合い浅いもんな。助手だな。

「そうか、お前の分の装備も俺の予備を出せばある。説明したいこともあるし、社に一旦戻ろう」

「はい」

 三人でまだたむろしている人混みをかき分け、社の中へと進んでいく。

「いやぁ、助かる。神主とか言っても普通の人間だからな。俺は霊能力ゼロでなぁ」

 ガハハ、と蒲郡が豪快に笑った。

「ここは御神体が力持ってるから、神主はそれくらいでちょうどいいんだよ」

 門馬が面倒くさそうに相槌を打っている。

「そうなの?両方強い方が良くない?」

「相性良くない力は反発するんだ。磁石みたいに」

「へぇ。弾かれんの」

 面白い。

「人間でも相性の良し悪しはあるだろ。あぁいう時って、大抵エネルギーが反発してる」

「目に見えるの?」

「絵の具混ぜて、あぁ、これ濁ってんなって時あるじゃん。あんな感じ」

「なるほど。世の中提唱される友達百人は無理なのか」

「そうでもない。合わない相性の時は適切に距離を置くことで対処出来る。誰とでも距離を詰めて、無理に近づくことだけが良い人間関係ってわけじゃない。あとは、そうだな。稀に誰とでも反発しない人間もいる」

「何色にでも染まる白色、みたいな?」

 本屋で立ち読みした、就職活動の面接本に載っていた「自分を色に例えるなら何色ですか?」という面接官からの質問に対する、回答例の一つだ。これはベタすぎるのでやめましょうとあった。

「黒もいる。誰でも影響下に置いてしまうやつ」

「怖そう」

「そういう奴は無自覚な事もある。でも絶対に相手に悟らせない。いい奴も悪い奴もいるけど、怖いと思うなら、その頃にはもう手遅れだ」

門馬はシュッと首をはねるジェスチャーをして、そう言った。


 靴を脱いで社に上がり、蒲郡は図体の割に足音を立てずに進んでいく。そういえば柔道をやっていた祖父は、普段から摺り足で生活していて、家の中では全く足音がしなかったことを思い出した。もしかしたら蒲郡も有段者かもしれない。

 蒲郡は襖を開け、入っていった。最後に入った俺は静かに襖を閉めた。

 社の中には祭壇があり、その真ん中に観音開きの扉を備えた、小さな箪笥のようなものがあった。蒲郡がその小さな扉にゴツイ指を通して、開いた。

「これが御神体だ」

 薄暗い社の中では中身が遠目からではよく見えない。近寄って顔を近づけた。

「うわ、ミイラ?これ本物の手?」

 中には乾燥してミイラ化した黒い手が、何かを掴もうとするかのように手のひらを上に向け、立っていた。手首にはくすんだ丸い金色の台座がはめられており、側面には細かく文字が刻まれている。その下では植物のツタのような装飾を施された台座の脚が、箱の底に接地していた。

「本物だ。ただし人間じゃない」

 蒲郡は驚いている俺のリアクションに満足した顔をしながら、もったいぶるように言った。

「何?」

 いい加減焦れた俺が訊くと門馬がネタバレした。

「河童」

「尻子玉集めてる奴?」

「普通、頭の皿の話しないか?」

「尻子玉って結局実在しなかったし、結局何だったんだろうって気にならない?」

 門馬は渋い顔をした。

「たしかにそうだな」

 蒲郡が自分の髭を撫でながら同意した。

「まぁ、その河童だ。で、この手に御神体の指輪は嵌っていた」

「御神体って、この手は違うのか?」

「これは、指輪で封じていたものだ。指輪型の護符の役割は、なんだと思う?」

 急に訊かれて戸惑った。

「えっと、厄除け?」

「そうだ。そして跳ね除けられた厄は、全部御神体の指輪が肩がわりする仕組みだ」

「へぇ。消えるわけじゃないんだ」

「あぁ、押し付けるだけだ。それで押し付けられた厄は、この指輪に集まり河童の手を封じる。溜まりに溜まった、大厄でもってな」

「毒でもって毒を制すって言うだろ。あれを地でやってる」

 門馬が顔をしかめた。

「だから持ち出された指輪は、盗んだ人間に災厄を呼ぶ。周りも巻き添え食わなきゃいいけど」

「その辺は神のみぞ知る、だな。とりあえず、河童だ問題は」

 蒲郡は鼻の頭をかいた。

「この手の持ち主の河童は、まだ山にいる」

「生きてるの?」

 生の河童に会える。そんな機会滅多にないだろう。

「長生きだからな。多分まだ生きてるだろ。手の封印が解けたから、それを感じて取り返しに来るかもしれん」

「じゃここで待ち伏せしたらよくない?」

「ここオフィス街だぞ。色々まずい」

「なんでそんなとこに神社建てたんだ」

「昔は田んぼしかなかったんだ」

「じゃあ手、もう河童に返せば?」

 別に持ってていい事もなさそうだし。

「いや、そうすると手を無くして弱っている河童が、力を取り戻して元気になってしまう」

 元気な河童、良いことでは。

「元気になると、人を食う」

 良くなかった。

「あと、もし指輪が見つかっても河童の手がないと、指輪に集めた大厄の行き場がなくなる。下手に指輪だけ祀って、ここに隕石落ちてきたりしたらシャレにならん」

 呪われた指輪、軍事利用できそう。

「とりあえず、河童を指輪が見つかるまで抑える作戦だ」

「ザックリしてんなー。見つかるの?指輪」

「見つけるしかない。それに災厄に懲りた犯人が、そのうち警察なりなんなりに助けを求めるだろ」

 門馬がめんどくさそうに言った。

「自分から、警察に?」

「前の奴はそうだった」

「二回目かよ」

 ちゃんと警備会社と契約しとけ。

「とにかく、河童の巣に向かう。準備するから俺の家に行こう」

 蒲郡がまぁまぁと俺ら二人の背中を押しながら廊下へと押しやり、俺たち二人は先に外へ出た。


 それから神社の横手に回り、三人でそこにある家に入って行った。家の作り自体は今風の、ちょっとモダンな和風建築だ。


「蒲郡さん、もっと小さい服ないの」

「似合ってるぞ!安心しろ」

「彼シャツ通り越してネグリジェみたいになってるぞ」

 門馬は引いた顔でダブダブになった俺の着ている上着を見ている。装備のない俺は蒲郡の予備を貸してもらうことになったが、服のサイズが絶望的に合わない。

「やっぱそうだよな。もう服はこれでいい」

 蒲郡の登山用ジャケットを返して、元々着ていたダウンジャケットを羽織った。

「そうか?んじゃ、行くか!」

 蒲郡の号令で俺たちは山へと向かった。


「ロープウェイあるんだ」

「昔はわざわざ登ってたんだぞ。現代っ子は楽でいいよな」

 蒲郡はのしのしと受付に行き、三人分のチケットを買って戻ってきた。

 ロープウェイはゴンドラ型の乗り込むタイプではなく、スキー場とかでよく見る、足が宙ぶらりんのまま進んでいく椅子型のタイプだった。受付から出てきた監視員に案内され、蒲郡が乗り込む。続いて俺も門馬と待機場所に立ち、タイミングに注意しながら座面に座った。

「これ乗ってる時、物落としたらどうしよう、っていっつも考えるんだけど」

「俺は金具壊れたらどうしよう、っていつも考える」

 門馬は錆びた金具を見上げた。

「ここのロープウェイ、人居なさそうだけど採算どうなってるんだろうな」

「市営なんじゃない」

 どうでもいいことを喋りつつ、俺たちはロープウェイにどんどん山奥へと運ばれていった。


「着いたー」

 無事に地面に足を下ろし、伸びをする。

「門馬、大丈夫?」

「生きてる」

 生きてる実感を噛みしめるように門馬は言った。さっき降りるときにリュックの紐がひっかかり、危うくロープウェイに引き摺られながら下山しかけていた。

「危なかったな!始まる前に終わるところだった」

 その時の光景を思い出したのか蒲郡がガハハと笑った。結局紐は門馬の守護霊が食いちぎって難を逃れた。霊感ゼロの蒲郡の目には引っ張られて千切れたように映っただろう。

「このままこの山道を登って行くぞー、紐には気をつけろ。一列になれ」

 俺たちは蒲郡、門馬、俺の順番で並び、山道を進んだ。

「この先に本物の社がある」

「下のやつって偽物なの」

「中継地点だ。本物の社は遠いからな。下の社で祝詞上げてこっちに飛ばして封印してる」

「そんなハイテク」

 先取りしすぎじゃないか。

「まぁ、先人たちが色々試行錯誤した結果そうなったんだろう」

 蒲郡がガッサガッサと進みながら梢を押しやり、それを門馬が首をすくめてかわした後、俺の顔面にぶつかった。

「痛っ。それでその社どのへん?もうすぐ?」

「山頂」

「山頂?」

 一気に脱力した。

「どうせなら山頂までロープウェイ引っ張ってくれよなー」

「メンテナンス大変だろ。若いんだから歩け歩け」

 蒲郡に激励され、のろのろと歩く。

 頂上に着くころには息が切れ、荷物がずっしりと重くなっていた。しかし頂上からの眺めはすがすがしい。

「頂上!眺めいいな」

 門馬と二人で下を見下ろした。

「俺の家あのへん」

「適当言っただろ」

「ばれた?」

「お前ら、こっちだ」

 蒲郡が頂上に作られた小さな祠から離れ、歩いてきた。

「ここがゴールじゃないの?」

「置いてあったもん取りに来ただけだ。門馬」

 蒲郡は門馬に細長い、巾着に入った何かを手渡した。

「いざとなったらこれ使ってくれ」

「了解」

 門馬はその巾着を大事そうにリュックにしまった。

「じゃ、河童の巣の近くまで、行くぞ」

 蒲郡が号令をかけ、三人で山道へと入っていった。


 せっかく上り切った頂上から、下へ下へ。うっそうといた木々をかき分け、進んでいく。

「ここが河童の巣だ」

 蒲郡が腰に手を当てて立ち止まった。目の前の開けた場所には、濁った緑色をした沼が広がっている。

「これか、沼だな」

「沼だ」

 俺のコメントに蒲郡がうなずく。

「どこにいんの河童」

「さぁな」

「さぁ、って」

 この沼広いぞ。

「向こうから来る。それまでそこに小屋あるから、休憩」

 蒲郡がずんずんと、ちょっと離れたところに見える、木でできた掘っ立て小屋に向かって歩いていく。

「向こうから来るって、なんで?」

 人間イコール餌として認識して、襲ってくるんだろうか。

「手、持ってきたから」

 蒲郡がカバンからタッパーを取り出した。中にはさっき見た河童の手が台座ごと入っている。

「なんでそんなもん持ってきたの?」

 河童、手取り返しに来るじゃん。

「すれ違って社に先行かれたら大変だろう。はい、門馬くん」

 門馬は黙って今度は嫌そうにそれを受け取る。上着をまくり、腰につけた小さめのウエストポーチに入れた。

「えーと、これを守る?」

「そうだ」

 物々しく蒲郡がうなずく。

「期限、犯人捕まるまで」

 既に疲れた様子の門馬が言う。

「前回は丸一日だったな」

 蒲郡が門馬の肩をたたきながら言った。

「今回はもうちょっと短ければいいけど。犯人の根性がないことを祈る」

 門馬はため息をついた。


 蒲郡は小屋の入り口に俺たちを案内した。小屋は木製で簡素な造りだ。こんな場所で河童を相手に粘れるんだろうか。

「奴はあまり目が良くないから、身代わり人形を使う」

 門馬は荷物をリュックを床に下ろした。そしてその中から、手帳サイズのファイルを取り出した。開いてパラパラとめくっていたが、一つのファイルページから白い紙を取り出す。

「これに名前書いて」

 渡された紙は、着物を着て両手を広げたような人型に切り抜かれていた。

「これ自分で切って作ったのか」

 丸っこくて可愛い。

「通販だ」

「既製品か」

 感心して損したな。がっかりしながら渡されたボールペンで名前を書いた。

「髪の毛を一本、その首のとこに巻きつけて。って長さ足りないな守口。これで貼って」

 短髪の俺を見た門馬がセロハンテープを押し付けた。 セロハンテープで髪を貼り付け、同じく長さが足りなさそうな蒲郡に渡す。

「それに息を吹きかける」

 ふっと息を吹きかけた。

「これで身代わり人形の完成だ」

「えらく簡単なんだな。血で名前書いたりしないの」

「別にやりたきゃやっても良いけど、体の一部さえ使えばいいから。髪の毛貼り付けるのやめて血で書くか?痛いぞ」

「言ってみただけ」

 唐突に、ガリガリと戸を引っ掻く音がした。門馬の横で、タロが警戒して唸っている。

「来たな。今、河童に小屋を包囲されている。安易に出たら死ぬ」

 門馬は焦った様子もなく淡々と告げた。

「紙で作った身代わり人形で河童の目をくらます。その隙に逃げる。俺ら三人で手を守りながら、しのぐ。途中鍾乳洞の洞窟を通り抜けて移動していく。作戦は以上だ」

 言い終わった門馬に続いて蒲郡が言った。

「この辺りには天然の鍾乳洞が多い。あまり深くに入り込むと迷って危険だが、俺は大体把握してる。はぐれないよう気をつけろ」

「でも、どうやって逃げるの?河童に見つからないようにって言ったって、出口そこしかないじゃん」

 入ってきた入り口のほかは、窓一つ見当たらない。

「ここだ」

 蒲郡が絨毯をまくり上げた。

「地下室?」

 正方形の扉が床にはまっていた。おばあちゃんが梅干しを漬けるのに使っていた、地下室の扉にそっくりだ。

「この下から、山に出る通路が続いている」

 門馬がさっき用意した身代わり人形を床に置き、リュックサックを背負いなおしながら言った。

「なんかお前と地下道ばっか探険してる気がする」

「今度は怨霊いないといいけどな」

 蒲郡が扉を開け、門馬を先に促す。それに俺が続いて地下へのはしごを降りる。上から蒲郡が降ってこないか心配だ。

 地下道は鍾乳洞を利用して作られたもののようで、壁の表面はなめらかで、冷たかった。ひたひたとに水が滴る音が反響している。俺と蒲郡は登山セットの中の懐中電灯をつけた。門馬は今日はヘルメットと一緒に頭に取り付ける形のライトを持ってきていた。本格派だ。

「虫とかいない?」

 足が六本以上の虫は苦手だ。

「山にきて今更だな」

 涼しい顔で門馬が言う。

「安心しろ、真冬の鍾乳洞なんて、虫の一匹もおらんわ。でも俺は虫好きだぞ。意外とうまい」

「どんな生活してんの」

 虫食ってたから、そんなにでかくなれたのか?と思いながら蒲郡に尋ねた。

「若いころ、山籠もりにあこがれてな。この山に住んでた。自給自足でな。当時の神主にそのサバイバル精神を認められて、俺はこの神社の神主になったのだ」

 サバイバル精神。たしかに河童相手にこんなサバイバルしなきゃいけないなんて、普通の人間なら務まらないだろう。

「虫ってどんな味するの?」

 これは純粋な興味だった。

「コオロギはな、エビみたいな味だ。芋虫はクリーミー」

「聞いてたらおいしそう」

 そしてそれを確かめる勇気は俺にはない。感想だけ聞いて満足した。

 

 しばらく水音を聞きながら洞窟内を進んだ。その時、少し離れた暗闇で甲高い声が響くのを聞いた。しかも、どんどん近づいてきている。

「なんか聞こえる」

「河童だ。思ったより来るの早かったな」 

 門馬と蒲郡が身構える。俺は反響する音の方向を確認しようと、周囲の枝道を見まわした。急に音が大きくなり、振り返る間も無く、肩に激痛が走る。

「痛っ!」

「くそ、離れろ!」

 門馬が数珠をはめた手で河童を掴んだ。すると触れている端からジュっと煙が上がり、河童は甲高い悲鳴をあげ、肩から離れた。しかし再び襲い掛かろうと、身をかがめている。

「こっちだ!」

 蒲郡の声が聞こえるが、河童の向こう側だ。ひとまずここは逃げよう。そのまま河童と蒲郡とは反対の方向へ動いた。そして枝道に入り、そのまましばらく走った。

 ここまでくれば、大丈夫だろう。そう思いながら耳を澄ました。

「守口」

 後ろに門馬が立っていた。

「びっくりした、居たの」

「居たのじゃないだろ。一人で走り出すから追いかけたんだ」

「蒲郡は?」

 あの巨漢の姿が見えないはずはない。ここにはいないみたいだ。

「完全にはぐれた」

「マジか。道わかる?」

「わからん。河童に殺される前に餓死するかもな」

「ミイラ取りがミイラ」

「ミイラ絡みだけどちょっと違う」

「疲れた。とりあえず休もう」


 洞窟の壁に背中を預け、並んで座った。肩の様子を見るが、ダウンジャケットが破れただけで、中の身は無事だった。

「なぁ門馬、いつもこんな事やってんの」

「そんなわけあるか。身体保たん」

 鍛えてはいるのだろうが、やはり見るからに華奢な体躯だ。蒲郡ほどのマッチョなら別だが、毎回こんな体力仕事では辛いだろう。

「お前は足早いな。何か中学の時やってたのか?」

「あー、俺バスケ部でさ。わりとバスケ好きだったんだけど、骨折して引退した。その後高校入ってから戻ろうか考えたけど、一回やめるとなんか他のことしたいなって思って」

「それで新聞部」

「そう。門馬は?」

「俺?写真部入ってた」

「それで初めて会った時、カメラ物欲しそうに見てたのか」

「物欲しそうに見てたか?」

「めっちゃ気になるって顔してた」

「まぁ、カメラは好きだ。でも結局面倒になって、最近は撮ってない」

「飽きた?」

「いや。俺が撮ると、撮った写真が全部心霊写真になるから。後で画像編集ソフトで加工しないといけないのが面倒」

「お前そんなオプション機能ついてたの」

「オフにしたい」

 門馬はため息をついて頭をそらし、上を見た。

「自動で顔認証して、心霊写真補正してくれるカメラ欲しい」

「それ生きてる奴も消される」

 グダグタとしゃべっている俺らの横をタロがタッタッタッと早足で歩いていた。何かの匂いを嗅ぐように、洞窟の地面に鼻を近づけると、一本の脇道に入っていった。

「タロほっといていいの?」

「俺の居場所はちゃんと分かるから、そのうち帰ってくる」

「賢いんだな」

「神様だからな」

「そういや、式神ってあんまり見ないな。そういう動物っぽいの連れてる人、お前しか見たことない」

 霊が見えるようになってから人の多い場所で、人間ではなさそうな、妙な形のものに気づくことはあったが、門馬のように式神を連れている人間はまだ見たことがなかった。

「別に式神全部が獣の形してるわけじゃないけど。式神とは契約を結んで、対価と引き換えに守ってもらうのが普通だからな。俺はほかに何人か知ってるけど、ほぼ同業者だ。仕事で必要だから契約してるけど、対価も必要だし一般の人間が契約するメリットは薄い」

「でもお前のリュックの紐、噛み切って助けてくれてたけど」

 ロープウェイでの事を持ち出した。

「あー、そうだな。訂正する。居てくれると何かと助かる」

 その時トッタッタとタロが脇道から帰ってきた。

「おかえりタロ」

 俺が声をかけたのをタロは華麗にスルーし、広げた腕の間をすり抜けた。そして門馬が伸ばした手に鼻を近づけた後、頭をすり寄せた。しかし、耳を立て前へ向けると、洞窟の奥に向かって長い鼻に皺を寄せ唸り出した。

「タロ、もしかして」

 俺も立ち上がり、洞窟の奥に目を凝らした。

「来た!」

 髪を振り乱した四つん這いで走る姿が暗闇から飛び出した。甲高い金属質な悲鳴がその口から響きわたる。

「来い!」

 門馬が俺の手を掴んで左の洞窟に入った。

「こっちであってるの?」

「タロがそう言ってる。あいつに付いて走れ!」

 俺たちより先に走り出していたタロが、目の前に居た。そのまま走り抜け右に曲がると、風を感じた。

「出口だ」

 飛び出すと、日の光が目に刺さった。木立の向こうから、熊のような影が近づいてくる。

蒲郡だ。

「良かった、探したぞ!ってうわ!」

 河童が洞窟から飛び出した。

「警察から連絡が来た。犯人捕まったそうだ」

「やった!」

「これから下山する。走れ!」

 三人は息を切らせながら、山の道なき道を走った。河童のうなり声は常に後ろから付きまとう。

「ロープウェイがもうすぐだ」

 蒲郡が言い終わる前に視界が開け、見慣れたロープウェイ乗り場に出た。

「先に乗れ。これ返す」

 門馬は走りながらウエストポーチから河童の手が入ったタッパーを取り出すと、蒲郡に投げた。それを受け取り、蒲郡がロープウェイの座席に乗った。ロープをたわませながら、徐々にその大きな後ろ姿は遠ざかっていく。

「河童を足止めする。酒を撒け」

 門馬は俺に小さな瓶を渡した。その蓋をあけ、俺と門馬の前に撒く。そこに門馬がマッチで火をつける。

「これで大丈夫なの?」

「ただの足止め。河童にはこれを使う」

 リュックの中から蒲郡からもらった巾着を取り出した。手を入れ引き出すと、その中にはおそらく手製と思われる河童の木彫りの人形が入っていた。

「かわいい」

 ヘタウマというのだろうか。絶妙に特徴をとらえつつ零れ落ちていく感じ。流行りそうだ。

「蒲郡の手作り。頂上の祠の中に置いといて、山の精気を吸わせて力を持たせる」

 門馬は登山用ジャケットのポケットから、何やら水草のようなものをずるりと取り出した。

「え、なにそれ」

「河童がお前にかみついた時引きちぎった。多分髪の毛、だよな」

 自信なさげに語尾をつぶやくと、そのかわいい河童の人形に河童の髪の毛を巻き付けた。

「身代わり人形?」

 俺たちが小屋で作ったのに似ている。

「そう。でも河童に息吹き込んで貰うわけにはいかないし、完全版じゃない。それでも俺らが下山する間、保ってくれればいい」

 そしてその人形をタオルで包んで、結んだ。さっき使ったマッチの箱を取り出し、火をつけた。 

 茂みの中から叫び声が聞こえ、河童が飛び出してきた。しかしのたうち回るように暴れ、地面をはいずっている。明るい場所で見ると、頭は頭蓋骨がむき出しになったかのような白い皿が乗っており、その下に海藻みたいな髪が垂れ下がっている。皮膚は全体的に青く、黒い血管が網目状に透けて見えていた。

「これが河童」 

 呆然と立ち尽くす俺に河童は這いずりながら近づこうとするが、火に阻まれ悲鳴を上げて手を引っ込めた。

「これでしばらくは動けない。帰るぞ」

「あ、あぁ」

 門馬は燃える人形と河童を、舗装されたロープウェイ乗り場のコンクリートの地面の上に残し、椅子に乗り込んだ。俺も横に座る。

「今日は早めに終わってよかった」

「半日かかったけど」

「江戸時代の記録までさかのぼると、最長は一週間だったらしい」

「そんな昔から盗まれ続けてたのか、あの指輪」

 警備会社はないにしろ、いろいろやれることもあるだろう。

「もっと昔からあったよ、あの指輪は。でも逃げるようになったのはそのころからだ。指輪自体が、人をそそのかして逃げ出すんだと」

「へ?」

「溜まりに溜まった厄を、どこかで吐き出したいんだろう。河童だけじゃ足りなくなってきてるみたいだ」

「指輪、配る数減らせばいいじゃん」

 そうすれば、受ける厄は減る。

「災厄って、人数で量が測れるものじゃないんだ。一人でえらく大きい厄を受ける人もいれば、軽い人もいる。だから指輪出し惜しみして、厄が減りすぎて河童抑えられなくなったら困るし。それはできないってさ」

「そう言ってもなぁ」

「こうやって定期的に逃げ出して吐き出してれば、しばらくは収まるから。まぁ、今回は前回からのスパンが短すぎるし、普通に盗まれただけだと思うけど」

 盗まれただけなのか。やっぱ警備会社と契約したほうがいい。

 社に戻ると警察が二人立っていた。一人は焼肉で使うような長いトングで、直に触らないようにジップロックに入った指輪を持っている。

「毒が付いてるから触るな、って言ってある」

 ジップロックに入った指輪を蒲郡が受け取り、白い手袋を嵌めるとゴツイ指でつまんで、そっと河童のミイラの指に嵌める。

「これで終わったのか?」

「あぁ、そうだ。河童は可哀想だが、一件落着だ」

 まぁ確かに、襲われて殺されかけたけど、河童からすれば生きてるだけで許されないっていうのは、可哀想というか理不尽だわな。そう考えていると、蒲郡は門馬に向き直った。

「謝礼金だ。今日はありがとな。次も頼む」

「しょうがないことって知ってるけど、できれば頼まないで済むようにしてくれ」

 門馬が蒲郡から差し出された封筒を受け取った。

「こんなに貰えるの」

 手渡された封筒の厚みを見て驚いた。

「命がけだからな。こういう仕事の相場は高い」

 門馬はその中から札を何枚か数えて俺に手渡した。

「俺貰っていいの?」

「働いたからな」

「やった!これで欲しかったやつ買える」

「お前普段、何に金使ってんの」

「映画。円盤集めてる」

「コレクターか」

「そう」

 俺の部屋はレンタルビデオ店ばりに映画のパッケージで埋め尽くされている。動画配信もいいが、やはり気に入ったものは形として手元に置いておきたい。

「門馬は?」

「俺はゲーム」

「面白い?」

「面白い」

「俺あんまりゲームしたこと無いんだよな。今度家行っていい?」

「いいけど」

「俺もおススメの映画持っていくわ。確かゲーム機で再生できたよな」

「できる。あの機能のおかげで自分でデッキ買ったこと無い」

 門馬の家に遊びに行く約束を取り付けた後、ふと思い出して蒲郡の方に向き直った。

「あ、そうだ蒲郡さん。お願いあるんだけど」

「ん?なんだ?」


「姉ちゃん、指輪の御守りゲットしたぞ」

 疲労感から玄関に倒れ込み、蒲郡に頼んで手に入れた指輪型の護符を掲げた。リビングから姉がウキウキと駆け寄ってきた。

「やるじゃなーい。そういえばあんた遅かったのね。どこか寄ってたの?」

「山登ってた」

「なんで?」

「山登りに来た友達にたまたま会ってさ。で頼んでたやつは?」

「じゃーん」

 姉ちゃんが、黒い怪物に取り憑かれた男が前面に印刷されたパッケージを見せる。

「サンキュ。映画館で見て、絶対欲しくなったんだよな円盤」

「それじゃ、物々交換タイム」

 パッケージと指輪を取り替える。割り引いた後の値段を聞き、代金を支払った。

「そういえばさー、あの神社の御神体が盗まれたってさっきニュースになってたんだけど、ちょうど捕まったみたいよ」

「へぇ」

「転売屋が指輪の転売で儲けてたんだけど、御神体の指輪も高値で売れると踏んだらしいのよね。でも実際盗んでみたら、詳しくは報道してなかったけど、いろいろあったみたいで」

「皆が指輪のお守りで厄除けした災難が、御神体の指輪の持ち主に降りかかったんじゃない?」

 盗んでから半日しか経っていなかったが、どれだけの厄を受けたんだろう。

「そうかもね。錯乱状態で警察署に飛び込んできたみたい」

 いい判断だ。毒をもって毒を制す。そんな仕組みを考え作り出された指輪なのだから。持ち主が手放すまで災厄が降り注ぎ続けるだろう。

「ところでこの指輪、効くと思う?」

 姉の指で指輪が銀色に光っていた。

「バッチリ効く」

 河童可哀想だけどな、と考えながら俺は保証した。

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