第16話 6月の花嫁

 噂には聞いたことがあった。それは、雨の日に丘の上から街を見下ろしているのだと。

私はそれを一切信じようとはしていなかった。それもそうだろう。考えても見て欲しい。雨降る日、曇天で視界が悪い中、そんなところからわざわざ街を見下ろす数奇者がいるだろうか。いくら晴れた日は見晴らしがいい高台だとはいえ、視界の悪い日にわざわざ。

 だが、私の目の前には確かにそれがいた。人が去って久しい教会を背に、その娘は立っていた。真白いウエディングドレスに身を包み、ヴェールをかぶってそこに立ち尽くしている。確かに、その姿は街を見下ろしているようにも見えるだろう。私はその得体の知れない娘に気づかれぬよう、教会に入り掃除を始める。石造りのそこは、雨の音の音に満たされていた。激しいその音に私の存在すら消されてしまいそうな、そんな雰囲気があった。私は消えて行く足音をいくらか不気味に感じながらも掃除を始める。月に一度決まった日にこの場所の清掃をすることになっている。住人は順番にその当番を回して行く。決して違わぬように気をつけながら。……以前、誰かに聞いたことがある。なぜ他の日ではいけないのかと。するとそいつはこう答えた。

「花婿が街に降りてくる」

私にはその意味がよくわからないでいた。それもそうだ。先ほどの花嫁のことを信じていなかったのだから。きっとあの花嫁は誰かを待っているのだ。そしてきっとその相手はここにいる。この場を綺麗に保つことで––この場所を風化させないことで––それはこの場所にとどまり続けることができるのであろう。それがいつからか形骸化したのかも知れないが、それでも住人は守り続けているのだ。あの娘が何者か知らぬまま。

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