9, 悪魔の嗤い声が聞こえる

「悪かったねホント、急に呼び立てて」

「姐さんの頼みじゃなければ断ってましたよ。でも、とんだ災難でしたね」

 アザミからかと思って受けた電話は、カモシカのガラス工房からだった。今朝工房を開けたら、炉の温度管理に使う三台ある水時計が、三台とも全部割れていたのだそうだ。このままじゃ仕事にならないから急いで代わりを用意してくれ、という用件だった。

「全くだよ。なにかの弾みで割れたのか、それとも誰かのイタズラなのか」

「ガラスですからね、割れる時は割れますよ」

「それはあたしが一番分かってるよ」

「……ガラス職人にガラスを説くのは野暮でしたね。忘れてください」

 カモシカはカラカラと快活な笑い声を上げた。

「この後、あんたはどうするんだい? こんなところまで態々来てもらったんだし、時間があるなら菓子くらいなら出すよ」

 どうしようかな、と僕は逡巡した。

「店はもう閉めちゃったんで、暇といえば暇なんですけど。でも姐さんは今から忙しいだろうし悪いですよ。水時計の代金も多めにいただきましたし。邪魔しても仕方ないので今日はもう御暇します」

「そうかい、また暇があった来ておくれよ。あんたのとこに入った新しい子も連れてさ。まだ顔を見てないんだよ」

「そう言えばまだ連れてきたことなかったですね。今度、品物の受け取りのときにでも連れてきますよ」

 帰りがけに、水時計の容器に使う細いガラス管の残りがもう少ない事を思い出して、ここまで来たついでに適当に注文して行こうと事務所を覗いたら、事務員のナナカマドの姿がなかった。風邪でも引いたのだろうか。それとも案外、余計なことをして邪魔だと追い出されたのかもしれない。何れにせよ彼女がいないことには仕方がないし、注文はあとで電話で済ませよう。

 ガラス工房を出たものの、バス停で時刻表を確認すると、次のバスまでまだ二十分近く時間があった。この路線のバスが定刻通りに来るとも思わないし、三十分は待つことになるか。

 ガラス工房のある工業地帯と、町の中心街を結ぶバスの利用者の多くは工業地帯の労働者だ。当然、昼間のバスの本数は少ない。バスの所要時間は概ね十分。バスを待ってる間に歩いて戻れなくもないけど、工業地帯は丘陵地にあるので、実際に徒歩で行き来する人はまずいない。僕も今日はこれ以上急ぎの用件は無いと思いたいし、三十分くらい、ベンチに寝転んで空を見上げて暇をつぶせばいい。

 バスは定刻から五分ほど遅れてやって来た。案外早かったなと乗り込むと、乗客は僕の他に誰もいなかった。一瞬迷って、僕は一番後ろの席に座った。

 丘陵地を走るバスの車窓に、中心街が俯瞰気味に映る。こうして遠目に眺めると、あの寂れた雰囲気の町並みも、雑多な色合いが混ざって賑やかな場所に見える。ゆっくりと目を細めると、名前も思い出せないどこかの町の景色が滲んで重なった。

 バスが中心街に着いた。僕は店に一番近いバス停でバスを降りた。いつもの癖で正面の入り口から店に入ろうとして「営業終了」の看板に気づいて、そう言えばミカに戸締まりまで任せたんだった、と思い出した。

 気怠さに溜息を吐きながら裏手に回って、裏口の鍵を開けた。中に入ると店舗の方から微かに、電話のベルの音が聞こえる。今日はやけに電話の多い日だ。明日から三日間くらい休業にしてやるか。

「メノウです」

『遅い、何分待たせる気だ』

 電話の主は、今度こそアザミだった。

『あと三コールで出なけりゃ諦めてた』

「用があって出掛けてたんだ。さっき戻ってきたところ」

『ミカも居ないのか?』

「いないよ。客も来ないし、店は午前で閉めたから」

 電話の向こうで、アザミは小さく舌打ちした。

「ミカに何か用?」

『ミカが居ないなら、マズいナ』

「マズい、って何だよ」

 アザミは僕の問いに答えず、代わりに『水時計にに変わったことは無かったか?』と訊いてきた。

『特にミカの水時計と、あとは……ヒタキの』

 嫌な汗が背筋を伝った。

「おい、どういう意味だよ」

『何もないならそれで良いんだ。今すぐ確認して欲しい』

「何が起きてるんだよ」

 分からない、とアザミは無責任に吐いた。

『憶測だけだ。マズいことが起こるか、最悪が起こるか、多分、どちらかだけどナ』

 僕は受話器を投げだして、二階へ駆け上がって一番奥の部屋に飛び込んだ。

 その部屋は書斎によく似ている。壁は全面、作り付けの棚になっていて小さな読書机のほかは何もない。ただでさえ北に面している窓は極端に小さく、日中ほとんど日の光の入らない、埃っぽい部屋だ。

 ただ、この部屋に本は一冊もない。棚に並んでいるのは無数の水時計だ。僕が勝手に作り溜めた、人の寿命を刻む水時計。アザミには事あるごとに悪趣味だと言われるけど、僕は必要だと思ったから作っているのだし、実際、今も彼女はこの水時計をアテにしている。

 僕は棚から迷うことなく水時計を二つ見つけ出した。この間作った藍色の水時計と、毒々しい朱色の水時計――ミカと、ヒタキの寿命だ。

 どちらの水時計の水も、昨日と変わりなく、じっと見ないとわからないような速度油の中を落ちていく。今日明日で落ち切るようには到底見えない。アザミの言う『最悪』はなさそうだ。

「どちらの水時計もいつも通りだ」

 下に戻ってそう伝えるとアザミは少し安堵した声で『そうか』と言った。

『でもマズいことに変わりはない。今すぐ教会へ向かって欲しい。いや、教会じゃなくて地下の墓地かもしれない』

「アザミは?」

『アタシはジギタリスを呼んでから行く。アイツがいればどうにかなるだろ』

 確かに大概の状況はどうにかなるだろうけど、そもそもジギタリスのギフトが必要になるような状況はあまり考えたくない。

 僕は電話を切った。走って教会まで息が持つだろうか。いや、それでも走らなきゃいけない。


 教会に入ったところで、僕は倒れ込んで嘔吐えずいた。呼吸が乱れてうまく息が吸えない。

 教会はガランとしてヒタキとミカの姿はなく、アザミもいない。じゃあ、下か。僕は長椅子の背もたれを支えにどうにか立ち上がって呼吸を整え、重い足を引きずるように地下墓地へ降りた。

 墓地へ入ったものの、どこまでも広がる地下墓地の中からどうやって二人を見つけ出せというのか。途方のなさに悪態を吐きかけてすぐに、答えは存外に簡単なことに気づいた。二人が通ったらしい通路だけ電灯が点いたままになっている。明かりを辿れば二人の元に辿り着くはずだ。

 僕は電灯を頼りに二人の元へと急いだ。

 案の定、仄々と光る裸電球を追った先に人影があった。

 良かった、と思えたのはほんの僅かな間だけだった。二人の有様に、一瞬で血の気が引いた。

「メノウが先でしたか。予定外ですけど、まぁ悪くないタイミングです」

 飄々としたヒタキの口調が、普段より冷たく聞こえた。

「ミカに何をした?」

 尤も、答えは聞くまでもなかった。

 その場に立っていたのはヒタキだけだった。ミカはヒタキの足元に倒れ伏し、脇腹を押さえて蹲っている。断続的なミカの呻き声が地下墓地に反響する。薄暗い裸電球の下でははっきりとは見えないけど、床には暗色の液体が溜まって、大きな染みを描いている。それに動じる様子のないヒタキの手には、グロテスクに光るナイフが握られている。

「そこを離れろ」

「そんな怖い顔をしないでくださいよ。もう彼女に何かするつもりは無いですから」

 ヒタキは冷めた目でミカを見下ろした。

「ええ、何もするつもりはないです。彼女ではなかったから」

「何がだ」

 ヒタキは口だけで歪な笑い顔を作って僕に向けた。

「彼女ではないのなら、答えは、ぼくだ」

 それだけ言うと、彼は持っていたナイフを自分の腹に突き立てた。

 ナイフを刺した瞬間、彼の傷口から何かが吹き出した。血……ではない。もっと黒くて粘度がある。まるでコールタールのようだった。

「やっぱり……ぼくでした」

 絞り出すような声でそう言った直後、彼は何かを吐き出した。腹から吹き出たのと同じ、コールタール様の液体だ。

「何なんだよ、これ……」

 状況が飲み込めず混乱する僕に、ヒタキは何も答えないまま、その場に崩折れた。

「遅かったか」

「……多分、な」

 ようやくアザミとジギタリスが現れた。二人とも髪を乱し、肩で息をしている。ジギタリスは口に手を当てて動揺しているけど、アザミはある程度この状況を予想していたのか、あまり取り乱す様子はない。

「と、とりあえず、二人の手当をしないと……」

「待って」

 倒れたまま動かない二人に駆け寄ろうとしたジギタリスを、アザミが制した。

「何か……動いてる」

 ヒタキの吐いた黒い液体が、まるで意思でもあるかのように波打ち、ゆっくりと僕たちの居る方へと迫りだした

「メノウも下がれ」

「どうするんだよ、アレ」

「捕まえる」

 アザミはそう言うと白衣を脱いで、それを蠢くコールタール様の液体に被せようとじわじわと近づいた。

 刹那、黒い液体は一箇所に集まったかと思うと、アザミめがけて勢いよく跳ねた。迫る液体を、彼女はどうにか白衣で受け止めた。

「ジギタリス! こいつを白衣にしてくれ!」

 黒い何かを包むように白衣を抑え込んで、アザミは叫んだ。

「えぇ……それ触って大丈夫なんですか?」

「白衣の方に触ればいいだろ」

 ジギタリスは恐る恐るアザミの白衣に触れた。

「液体の接着は得意じゃないんすけど。五分持つか分かりませんよ?」

「問題ない。ここですぐに標本にする」

 そう言って小脇に抱えていた鞄から、彼女の店でよく見る標本瓶を出して床に置いた。

 ジギタリスが白衣に数秒触れると、蠢動していた黒い謎の液体の動きが止まった。

「とりあえずは、これで」

「ありがとナ。二人の手当をしてやってくれ。どっちも死にはしないはずだ」

 ジギタリスはまずミカに駆け寄って、彼女を仰向けに寝かせ直した。姿勢を動かす度に、ミカは苦しそうに呻いた。

 ジギタリスはミカのコートのボタンを外し、服を捲りあげた。傷の状態を見て、難しい顔をする。

「メノウさん、ちょっと手伝ってもらえますか?」

「何をすれば?」

「ちょっと彼女の体を押さえていてください。暴れると大変なので」

 言われるがまま、僕はミカの肩をの辺りを腕で押さえた。ジギタリスはミカの脚に馬乗りになって、彼女の動きを封じる。

「麻酔がないからね、ちょっと痛いけど我慢してね」

 そう言うとジギタリスは傷口に指を突っ込んだ。

 瞬間、ミカは喉を潰さんばかりの声で吠え叫んだ。捩って暴れようとする体を必死に押さえつける。

「やっぱり、内蔵まで達してましたね。一応接着します」

 数秒、傷口に指を突っ込んだままじっとして、その後、ゆっくりと引き抜く。心做しかミカの出血が減ったように見える。

 ジギタリスは血まみれの指で、今度はミカの腹をそっと撫でた。傷口が接着されて出血が止まる。

「とりあえずはこれで。でもあくまで応急処置です。このままだと内出血で血が溜まるので、できるだけ早く病院に連れていきましょう」

 ジギタリスは馬乗りの姿勢から立ち上がった。僕もミカの肩から腕を離す。叫び疲れたのか、ぐったりとして動かない。微かに瞳が揺れて僕を見たので、意識はまだあるようだ。

「次はヒタキさんですね」

 こんなやつどうでもいいでしょう、という言葉を僕は既の所で飲み込んだ。

 ヒタキはインクのような黒いアレを吐き出した後、意識を失っていた。ジギタリスが名前を呼んでも反応を示さない。

 ミカと同じように、傷を見るためにヒタキ仰向けにする。液が吹き出たときに勢いで飛ばされたのか、ナイフは抜け落ちて無くなっていた。

 ヒタキの服を剥いで、ジギタリスは「うっ」と鈍い声を漏らした。気になって覗き込むと、彼の傷口は黒い液に侵され、内側からグチャグチャに崩れていた。傷口から溢れる血の量もミカよりはるかに多い。

「これ、わたしのギフトでどうにかなりますか? 内蔵とかもうどうなってるか分からないし、下手に表面だけ固定しても腹部に血が溜まるし」

「血をダラダラ流し続けるような奴を担ぎたくないんで、皮だけでも塞いじゃってください。死んでもこいつの自業自得です」

 そしてどうやらヒタキが当分死なないらしいことは水時計が示している。

 ジギタリスは納得していないような顔だったけど、かといってヒタキの傷を放置するわけにもいかないと思ったのか、腹に手を当ててギフトを使った。

「とりあえずこっちは終わりました。アザミさんは?」

「アタシも終わった。ほらこの通りサ」

 アザミは得意げに標本瓶を掲げているけど、墓地の薄暗い電灯のもとでは瓶の中の様子は全然分からない。

「で、そのコールタールは何なんだよ」

「さぁネ。アタシもよくわからない」

 訳知り顔で捕まえるだとか息巻いていたのに、あっけらかんとアザミはそう宣った。

「ただ、ヒタキが言うには、コレは悪魔らしい」

「本気かよ」

「何を根拠にそう言っていたのかも含めて、全ては彼に直接聞かないことには分からないネ」

 アザミは倒れたまま動かないヒタキを顎で指した。

「まぁ、詳しいことは後で話す。水時計の御神託が狂って死なれても困るし、まずは二人をさっさと医者に担ぎ込もうゼ」

 アザミは悪魔とかいう何かの標本で手が塞がっているので、ジギタリスがミカを抱き上げた。僕は渋々、ヒタキの腕を掴んで肩に担いだ。


 医者のヤドカリが言うには、二人共命に別状はなし、でも当面は安静にしておけ、とのことだった。

「俺のギフトは親父のほど強力じゃない、あくまでそれっぽく治すだけだ。一見完治したように見えても、内部組織までちゃんと治癒するかは本人次第だ。しばらくはベッドから起き上がらないほうが良い」

「素人目には、もうすっかり治ったように見えるんですけどね」

 ギフトで治療された二人の患部は、そこに刺傷があったとは思えないほどに滑らかだ。

「特にヒタキは分からん。俺のギフトを使って良いのかと躊躇うほどに傷口の損傷が酷かった」

 ミカは治療直後も意識があったし今は寝ているだけだろうけど、ヒタキはあれから未だに意識が戻る様子がない。

「訳あり、って様子だから、何があったのかまでは詮索しないがな」

「お気遣いどうも。でも僕たちも殆ど何も知らないんですよ。肝心なことは全部、ヒタキの回復待ちです」

 ヤドカリが病室を出ていったので、僕はミカのベッドの横で気味の悪いコールタールの標本を指で揺すっているアザミに切り出した。

「今日何があったのか、アンタはどこまで知ってるのか、話してもらえる約束だったよね」

「それ、今聞いちゃう?」

 アザミは標本瓶を覗き込んでニヤニヤと笑いながら言った。

「話してもいいけどサ、憶測の部分が多すぎる。せめてミカの話とくらいすり合わせたほうが良い気がするナ」

 恐らくミカも大したことは知らない。それぞれに断片的な話を聞き出しても二度手間三度手間になるだけなのは想像に難くない。

「……わかった。明日聞く」

 アザミに良いように逃げられた気がしない訳ではないけど、僕は彼女の言い分を飲み込んだ。


 翌日は店を休業にした。

 昼過ぎに家を出て病院へ行った。ミカの見舞いに、道すがらリンゴを二つ買った。ナイフは家から持ってきている。

 ミカの病室にはもうアザミが居た。ミカも目を覚まして体を起こしている。

「おはよう、ミカ」

「……おはようございます」

 少し顔が青白いけど、それなりに元気そうだった。

「見舞いにリンゴ、持ってきたけど、食べられそう?」

「多分、大丈夫です」

 紙袋からリンゴを取り出して、皿がないことに思い至った。

 リンゴをアザミに押し付けて、食堂へ中皿を一枚、借りに行った。皿を持って戻ると、アザミが見舞いのリンゴを品定めでもするかのように眺めていた。

「アザミはずっと居たの?」

「いや、アタシもちょっと前に来た」

 アザミは紙袋にリンゴを戻して、僕に渡した。そして足元に置いていた鞄から、昨日見たものと同じ、黒いドロドロしたモノの標本を引っ張り出した。ミカがヒッと小さく悲鳴を上げて慄く。

「態々持ってきたのかよ」

「というより、コレの正体がわからない以上、目の届かないところに置いておきたくない」

 アザミは「見なヨ」と少し瓶を掲げた。

「黒いの、瓶の中で少しずつ動いてるンだよ。今の所、漏れ出すとかそういう様子はないけど、アタシのホルマリンで固定できないものなんて初めて見た」

 彼女の言う通り、コールタールもどきは標本瓶の中でじわりじわりと不定形な姿を揺らめかせている。

「黒いの、って、悪魔って話じゃなかったっけ?」

「多分ヒタキはコレのことを指して悪魔と言っていたんだろうな、って程度でしかない。確証はないし、実際のところヒタキ自身もどこまで分かっているンだか」

 アザミはポケットから四折になった白いメモを出した。

「昨日の二時頃だったかナ? ナナカマドがうちの店に来たんだ。珍しいなって思ってたらら、ヒタキから伝言だって言ってこのメモを押し付けていた」

「ナナカマドさん、昨日、町で会いました」

 ミカが口を開いた。

「ヒタキさんも、ナナカマドさんを見かけるの珍しいって言ってました。工房を追い出されちゃったとかなんとか」

 工房にナナカマドが居なかったのは、やっぱり追い出されていたのか。

「それで、アザミさんに伝言を頼みたいって、そのメモを渡してました」

「ヒタキは、ナナカマドに何か言ってたか?」

「確か……さっき行ったら店に居なかったから伝言を頼みたい、と。それと……あぁ、念を押すように、アザミさんは一時間くらいで店に戻るって、言ってました。一時間したら渡しに行って欲しいって」

「アタシは昨日はナナカマドが来るまでずっと店にいたし、勿論ヒタキも来ていない」

「ヒタキが一時間って言ったのは多分、時間稼ぎ……いや、調整か。あの時、アイツは僕に、悪くないタイミングだ、って言った」

 合点がいったように、アザミは頷いた。

「誰かに止められても困るけど、でも、ミカを刺して自分も腹を切った頃には見つけてもらいたかった。コレを捕まえるために。自分じゃ捕まえる算段がつかなかったから、アタシのギフトを頼った、そんなところかナ」

「それが、アンタが受け取ったヒタキからの指示?」

 うんにゃ、とアザミは首を横に振って、メモを開いた。

「アイツからの伝言はこれだけだった」

 メモには「悪魔を捕らえる。悪魔は人の内に巣食う」とだけ書いてあった。

 僕はメモをミカに回しながら、「これだけ?」と思わず訊ねた。

「ナナカマドに勝手に読まれることも考えて、かなり限界までボカしたんだろうナ」

「抽象的すぎて僕には何も分からないけど」

 メモを見てミカも首を傾げている。

 考えれば分かるサ、と、なんてことはないかのようにアザミは言った。

「アイツがミカにかなり嫌疑の目を向けてたのは、流石にメノウでも分かっただろ。とりあずヒタキの言い分を信じて、メモにある通り誰かに悪魔が巣食っているとしたら、ヒタキが真っ先に疑う相手は当然ミカだ。まぁ、ミカの腹刺した挙げ句自分の腹も掻っ捌くなんて短絡的な手段を取るのは、アタシもちょっと想定してなかったけどサ」

「場所も教会とは限らなかっただろ」

「ヒタキはあれでかなり形式主義的な人間なンだよ。悪魔を捕まえるってのはアイツにとって儀式だ。儀式とは然るべき場所で執り行われるから意味と効力を持つ。ヒタキはそういうことを考える奴だヨ。何より、アタシに見つけてもらわなきゃ困るならそう捻った場所には行かない筈だ」

「それはまぁ、そうか」

 流石にそれは納得がいく。

 アザミは、ミカからメモを回収した。

「ってのが、ヒタキの考えそうな一番尤もらしい筋書き。……ところで、リンゴは切らないのか?」

 そう言えば、皿まで借りてきたのにすっかり忘れていた。僕は袋からリンゴとナイフを取り出して、皮を剥き始めた。

「問題は、メノウが吐き出したコイツだナ。アイツの言う通り人に巣食ってた、悪魔。これが悪魔? 分からない」

 アザミは標本瓶を手に、頭を振った。

「ヒタキさんが言ってました。悪魔は最初から『壊れた悪魔』の外にいた、って」

「初めから外に居た? コイツが?」

 訳がわからない、とアザミは髪を掻きむしって唸った。

「ヒタキだけが握っている話が多すぎる」

「リンゴ、半分剥けたよ」

 リンゴを乗せた皿をミカに差し出したら、横からアザミが一切れ掠め取っていった。

「一応、ミカの見舞いなんだけど」

「別に良いですよ、リンゴを二個も一人じゃ食べきれませんから」

 ニコリと笑ってミカも一切れ摘んで、小さく齧った。

 我が物顔でリンゴを咀嚼するアザミの横顔に溜息を吐いて、僕も、じゃあ、と一旦リンゴの皮を剥く手を止めて一切れ口に運んだ。色と形だけで適当に選んだ割には、悪くない味だ。

「他にヒタキは何か言ってたか?」

「あとは……ヒタキさんのお父さんが悪魔のことを色々調べていたそうです。悪魔が『壊れた悪魔』の外に居るっていうのも、元はヒタキさんのお父さんの推察だって。それと……すみません、思い出せないです。刺された直前のことは、記憶が曖昧で」

 ミカは項垂れる。アザミは首を振った。

「そもそも、あの時のことを思い出せってのが酷な話サ。悪かったネ、リンゴ食って楽にしナ」

 そのリンゴ、持ってきたのも剥いたのも僕だけどな。

 もう半個分のリンゴが剥き終わったので、アザミの持っている皿に並べた。並べたそばから、アザミが一切れ取っていった。

「分かってはいたけど、あとはヒタキの回復待ちかぁ」

「喜べ、アイツが目を覚まさなきゃ迷宮入りだ」 

 僕はアザミの抱えている標本瓶を見やった。瓶の中で『悪魔』は、まるで対流でもしているかのようにゆっくりとうねっている。平然と触れていられるアザミの神経が理解できない。

「気持ち悪……」

 思わず、口を突いた。

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ホルマリンの中に眠る 遅晴 @hallelujahdrive

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