5, 喪失

 アザミもヒタキもただその瞬間を見ていた。僕だから動けたというわけではなく、衝動とタイミングと、あとはほんの些細な偶然が重なっただけなのだと思う。

 気づくと、僕は呆然としているミカの肩を抱きかかえていた。

 何が起きたのか、自分が何をしたのか、記憶にある断片的な光景をつなぎ合わせて追想し、ようやく、理解と実感が現実に伴う。

 ミカが天使の標本瓶に触れた瞬間、ガラスに無数のヒビが入って瓶が割れたのだ。それは、彼女が瓶を押し割ったと言うよりはむしろ、内側の圧に耐えかねて自ら破裂したように見えた。

 僕は彼女の腕を引っ張って標本瓶から遠ざけようとした。咄嗟に彼女の身を案じて動けた訳ではなく、手が無意識に伸びていた。急に腕を引かれて勢い余る彼女の体を抱き止め、僕はようやく我に返った。

「怪我は?」

「だ……大丈夫です」

 ミカがか細い声で答える。僕は安堵に溜息を吐いた。

 ホッとしたのもつかの間、次に僕たちは咽返るような酷い異臭に襲われた。ちょうどアザミの店の空気を掻き集めて煮詰めたような、鼻の曲がる刺激臭。標本瓶が爆ぜて撒き散らされたホルマリンの臭い。

 思わず鼻を手で覆う。息を吸う度に胃の底から湧き上がる吐き気をどうにかこらえる。

 ミカを抱きかかえた腕に、彼女の肩の小刻みな震えが伝わってくる。見やると、彼女はホルマリン臭を気にする様子はなく、いや、むしろ臭いなど意識の埒外であるかのように、白い顔をして放心していた。標本瓶の方を指差して「なんで……」と言葉を漏らす。

 彼女の指差す先に視線を向けて、僕もまた、その光景に言葉を失った。

 さっきまでミカの立っていたところには無数の鋭いガラス片が飛び散り、ぶち撒けられたホルマリンが床板を浸して、薬液の水たまりは僕の爪先に届くほどにまで広がっている。天井から下がった鎖には、標本瓶の蓋の残骸が吊るされている。

 それだけだった。無いのだ、そこにあるはずのものが。さっきまで確かにあったはずのものが。

 ほんの数秒前までそこにあった、ホルマリンに浸かり揺蕩っていた天使の姿が、どこにもなかった。

「何があった?」

 ミカは「知らない……知らない……」とうわ言のように繰り返すだけだった。

「消えた、そうとしか言えないです」

 普段、表情をあまり崩さないヒタキも、流石に動揺の色を隠しきれていなかった。

「ぼくは見ていました……えぇ、確かに、標本瓶が割れる瞬間を。でも、天使がどこへ行ったのか、何が起きたのか分からなかった。あの瞬間に消えたとしか、そうとしか思えない」

 彼はそう、上ずった声で捲し立てた。

「ミカさん、今、何が起きたのですか? あなたは何をしたのですか?」

 ミカは小刻みに首を横に振るだけで何も答えない。ヒタキの声が聞こえているのかすら定かじゃない。

「話すのは後で、だ。とりあえず、まずここを出るべきだネ」

 低い声でアザミが言った。口元を白衣の袖で抑え、彼女の声はくぐもっている。

「ホルマリンは毒だ。吸わないうちに外へ出た方がいい」

「標本は……?」

「考えるのは外でだっていい。急げよ」

 狼狽し、混乱する僕たちに対して、アザミの態度は落ち着いてた。自分の管理物が破損し、標本にされていた天使が消失したというのに取り乱すようなことはなく、冷静というか、平然というか、目の前で起きた出来事にあまり興味がないようにすら見えた。

 アザミはホルマリンを避けるように側廊を通って足早に外へと向かう。靴底を濡らす液に顔をしかめつつヒタキもその後に続く。

 ミカはまだ焦点の定まらない目をしていて、散らばった標本瓶の欠片を見つめたまま立ち尽くして動こうとしない。心ここにあらずという感じで、強く肩を揺すっても視線を瓶の残骸から外そうとしない。止む無く、腕を掴んで強引に教会から連れ出した。

 教会の外に出て、やっと満足に呼吸が出来た。ホルマリンの臭いのしない空気を深く吸い込む。ミカはまだ茫然自失の有様で、とりあえず扉口の小階段に座らせた。

 扉を閉めながら中を覗き込んだアザミが

「酷いナ。しばらくは入れそうにないネ」

 と零した。

「どうするんですか、アレ」

 ヒタキがアザミに訊ねる。アザミは淡々と答えた。

「そりゃ、片付けなきゃだけどネ。でもあのホルマリンは結構厄介だナ。ノイバラのギフトってああいうのにも使えるんだっけ?」

「知りませんよ。それより、そうじゃなくて、天使の標本が割れた上に、天使がどこかに消えちゃったんですよ。知らぬ存ぜぬで放置するわけにはいかないでしょ」

 『天使の標本』という語に反応して、ミカの肩がビクリと小さく跳ねた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……私が勝手に標本に触ったから……天使が……」

「落ち着いて、あなたは悪くないから」

 僕は膝を抱きかかえて蹲るミカを宥めた。

「あの瓶は簡単に割れたりはしない。それに天使だって……あなたがなにかしたわけじゃない。大丈夫、アザミとヒタキがどうにかしますから」

「どうにかなるかネ?」

 アザミはヘラヘラと笑って吐き捨てる。

「どうにかしなきゃでしょう、天使はあなたの管理物ですよ」

「だから、だよ」

 ヒタキの糾弾を往なし、アザミは長い髪を手ぐしで掻き上げた。

「この町で一番『死んだ天使』に詳しいのはアタシだ、誇張でも驕りでもなくネ。そのアタシでも、ホルマリン漬けのアレが何だったのか知らないんだ。開けて確認すれば分かるものかなとか思ってたのに、確認はおろかそもそも標本瓶が割れるなり天使は消えちまって何も分からずじまい。何をどうすれば元通りになるのか見当もつかない。それともアレか、適当な少女を標本瓶に詰めて精霊への祈りでも捧げさせるか? 御伽噺みたいにサ」

「それは……」

 ヒタキは言葉を詰まらせた。

「幸い、天使と悪魔の管理者は二人ともここにいて、何が起きたのか全部見てた。有耶無耶にして誤魔化そうっていうのなら、適当な理由でっち上げて教会を封鎖して、アタシらが黙ってるだけで済むんだけどネ」

「誤魔化すにしても限度があるだろ。いくら管理者の指示でも葬儀のときには開けなきゃいけないし、いつまでも封鎖しておくのは無理だろ」

 アザミは鼻で笑った。

「そのいつまで、ってのはメノウ、アンタが一番知ってンだろ?」

 聞き返され、僕は一瞬、素直に答えるか迷って、階段に座り込むミカに視線を落とした。ミカは先程よりは大分平静を取り戻したようだったけど、まだ僕たちの会話が頭に入るほどでは無さそうな、余裕と落ち着きのない顔をしていた。

「……長めに見積もって二週間、それが限度だ」

 意図したわけではなく、声のトーンは普段より数段落ちていた。

 二週間かぁ、とアザミは僕の返答を反芻した。

「散らかったガラスだのホルマリンだのを片付けるのはどうにかなるとしても、二週間で天使の代わりを手配するのは無理だよナぁ。大人しく長老連中に報告するしか無いか」

 アザミはミカの隣にかがみ込んで、付け加えた。

「長老連中にはアンタの事は黙っておくよ。アンタが何かしでかしたわけじゃない。それに自慢じゃないけど、アタシのほうがよっぽどあの天使とやらを雑に扱ってたサ」

 ミカはぎこちなく首を傾けてアザミの顔を見て、無言でコクリと頷いた。



 死んだ天使の標本が喪失した。

 今日、この町に来て間もない少女を連れて教会へ赴いた。『死んだ天使』と『壊れた悪魔』を彼女に見せることが目的だった。その折、死んだ天使の標本瓶が破裂した。突然の出来事であり、原因は不明――ただ、瓶は少女が触れた瞬間に割れた。

 標本瓶の破裂とほぼ同時、瓶の中でホルマリン漬けにされていた、天使の標本が忽然と消失した。あの場には僕と少女を含め四人いて、その全員が標本瓶の破裂する瞬間を目撃していた。それにもかかわらず、天使がどこへ消えたのか誰も把握できなかった。

 教会内は気化したホルマリンが充満してしまったため、詳細な調査は清掃をして後日行うと、天使の標本の管理者は言っていた。正直、調べて何かが分かる期待は薄いと思っているが、報告が聞けるまでにはまだ時間がかかるだろう。


 天使の喪失は、何を意味するのか。

 今言えることは、この町に古くから存在する奇妙なオブジェクトの一つが損なわれた、それだけだ。しかし、この事象の本質はもっと別のところにある気がしてならない。

 御伽噺を信じるのならば、標本瓶の中で眠る天使の祈りが悪魔を封じる力であり、天使の喪失はおそらく、歯車の塊に閉じ込められた悪魔が解き放たれる結果を招く。

 悪魔など結局はこの町に伝わる他愛のない伝説の一つで、御伽噺は所詮、御伽噺に過ぎない。勿論、そう言い切って片付けてしまうことも一つの考え方だ。しかし、ずっと伝説だと思ってきた手記はここに存在し、僕は観測者オブザーバーの役割を与えられた。今や僕自身もまた、その御伽噺の一端を担っている。ややもすると管理者たち以上に、僕は天使と悪魔の存在を信じ、それを考察しなければならない立場にあるのかもしれない。

もっとも、悪魔と呼ばれる存在については天使以上に実体が不明だ。『悪魔』とは一体、何を指すのか、恐らくはこの町の誰も知らない。


 十月十五日



 僕はペンを置いた。

 これ以上、何かを書いていいのか判断しかねた。

 前任者は「手記はあくまで手記である」と最後に残した。僕はそれを、手記と観測者という役割に求められているものは僕自身の見聞きした、主観の記述だと解釈した。

 では、求められる『主観』はどこまでか。僕自身の解釈と言葉で書き綴れば、全て主観と言えるか。

 今日、教会で、天使が消失するその瞬間に居合わせた。教会へ行ったのは成り行きであり、あの出来事を目撃したのは本当に偶然だった。だから、それを手記に記すのは僕の役目の範囲のうちと考えていいだろう。

 その先は、僕の仕事なのか。例えば、消えた天使の始末をどうつけるのかアザミから根掘り葉掘り聞き出して手記に纏めることは僕に求められているのか。

 僕には、それは違うように思えた。ある出来事に深入りして、あれやこれや調べて回るのは歴史家や研究者、あるいは記者の仕事であって、観測者という役にはそぐわない気がした。僕にできるのは精々、ここに自分の論考を書き添えておく程度で、それ以上はでしゃばりなんじゃないか。

 ……自分一人でいくら考えたところで答えなど出るはずもない。あるいは、前任者に直接訊いたとしても明確な答えがあるものでもないのかもしれない。嫌な言い方だけど、ケース・バイ・ケース。前任者の曖昧な言い回しも、そういう理由からなのだろうか。

 インクが乾いたのを確認して、僕は手記を閉じた。今はまだ、僕は傍観者でいられる。


 翌日はまた天気が崩れて、朝から小雨が降っていた。

 青の水時計の水は十時過ぎに落ちきった。でも、入り口のドアが開く様子はない。

 訝しんでドアを開けると、店の前にミカが座り込んでいた。傘も差さず、髪と肩をしっとりと濡らしている。

 ミカは僕と目が合うと、バツが悪そうに苦笑した。

「……ごめんなさい、邪魔ですよね」

「雨も降っていますし、とりあえず中へ入ってください」

 ミカは少し躊躇って、でも、ゆっくりと腰を上げて店に入った。

 店に入ってもミカは、暗い表情でドアの前で立ち止まってしまった。やや強引に彼女を椅子に座らせた後、薬缶を火にかけ、奥からタオルを持ってくる。

「これで髪を拭いてください。お湯が沸いたら紅茶をお淹れします」

「ありがとう……ございます」

 ミカはタオルを受け取ると、俯いたまま消え入るような声でそう言った。

 やがて薬缶が鳴き出したので一度キッチンに戻り、ポットに茶葉と湯を注いで、二揃えのカップとトレイに載せて店舗に運んだ。

 ミカはタオルを握りしめ、虚ろな目でテーブルに視線を落としていた。雑に拭いたのか、まだ毛先から水が滴っている。

 品のいい作法ではないけど、ポットを揺すって紅茶を煮出す。湯が朱く色付いたのを確認してカップに注ぎ、ミカの前にそっと差し出した。

「どうぞ」

 ミカは軽く頭を下げたものの、カップを凝視するだけで手を付けようとはしなかった。

 僕は自分の紅茶を淹れ、椅子に腰掛けた。そうして、彼女が自分から口を開くまで待った。「どうしたのですか?」と僕から訊ねても、彼女は曖昧に笑みを浮かべて誤魔化してしまう気がした。

 重い沈黙だった。お互い一言も発さず、部屋空気が徐々に凝固していく。微かに聞こえるシトシトという雨音だけが僕の聴覚がまだ機能していることを教えてくれる。

 やがて紅茶もすっかり冷めて、湯気も殆ど立ち上らなくなってきた頃、

「一人で居るのが怖くて」

 と、ミカはポツリと言った。

「でも、アザミさんのところだと、ホルマリンの臭いが、その……」

「昨日のことを、思い出しちゃうから、ですか」

 ミカは押し黙った。

「……昨日のことは、ミカさんが気にすること無いですよ。アザミの問題だ」

「ありがとうございます。でも……そうじゃないんです」

 ミカは弱々しく微笑んで、唇を噛んだ。二、三度、僕の方を縋るような目で見つめる。

「あの……何を言っても、笑わないで聞いてくれますか?」

「……勿論」

 確かめるように、双眸がじっと僕に刺さる。僕は彼女の瞳を見つめかえした。彼女はふっと目を伏せ、掠れた声で言った。

「天使が、私に語りかけてきたんです。……瓶に触れた時に」

 言ったあとで、おかしな事を言ってますよね、とミカは苦笑した。

「僕は……それには気づきませんでした」

「ですよね。アザミさんもヒタキさんも、多分。やっぱり、私がおかしかったのかな」

 彼女の妄想だという可能性を否定しきることはできない。実際、今の彼女は神経衰弱気味で、全くの正気とは言い難い。でも、瓶が割れる直前、あるいは天使が消えるまで、彼女にそういう様子はなかった。彼女の様子がおかしくなったのは恐らく、瓶が割れた後だ。

 それに、まず天使が消失したこと不可思議な事象であり、おかしなことを言っていると彼女を疑うなら、僕は自分が見たものと、アザミやヒタキの正気も疑わなければならない。……何もかも疑っても、何もわからないままだ。

「天使は、ミカさんになんて言ったんですか?」

 ミカは口を開いたが、酸欠の観賞魚のように口をパクパクさせるだけで、声が出ない。唾を飲み込み、深く息を吐いて、やっと、言葉が声になる

「……『全て、あなたが背負うんだ』と」

 声が震えていた。

「……だから、天使が消えたのは私のせいなんです」

「落ち着いて」

「私が、責任を取らなきゃ」

「落ち着け」

 ヒステリックに上ずっていく彼女の声を強引に遮る。思いの外、脅迫的な言葉が出てしまった。ミカはわずかに飛び上がり、一旦は黙ったものの過呼吸のように胸が上下している。

 僕は、すみません、と威圧的な物言いを詫びた。

「……天使は、あなたに具体的に何を背負えと言ったわけじゃない」

 でも、その慰めは気休めとしても白々しかった。あのタイミングで「全て背負え」と言われたら、標本瓶が割れたことか、天使が消えたことへの責を問われていると受け取るのは彼女に限った話ではないだろう。

「それに、……言い方は悪いですけど、責任を感じたところであなたに何が出来ますか。アザミが言うみたいに、標本瓶の中で精霊に祈りを捧げますか?」

「それは……」

 ミカは口籠った。

 自分が狡いことを言っている自覚はある。アザミですら為す術がないと言っていたのに、ミカになにかできるはずもない。正論の押しつけで、彼女の不安の解消には微塵も役立たない。

 だからと言って気にするな、というのも無理な話だ。耳障りの良い軽薄な慰めを誰がどれだけ並べたところで彼女の感じている負い目を拭い去ることは出来ない。それは彼女自身も薄々わかっているはずだ。結局は天使を元に戻さなければ彼女は昨日の出来事と、天使の言葉をいつまでも引きずるしかない。いくら記憶が薄れても、教会の、何も吊り下がっていない鎖を見る度に彼女は思い出すだろう。

 彼女に何が必要なのかは分かる。でも、僕はそれを選んでいいのか?

 冷めきった紅茶を一口、唇を湿らせる。逡巡と葛藤を、紅茶と共に飲み込む。

「僕も、できる限りのことはします」

 誰だって言うようなその一言が、僕にはとても重かった。

 僕が言うと、ミカの沈痛な表情が微かに和らいだ。

「あの場に居合わせた以上、僕も他人事という訳にはいかないですから。砂時計と水時計を作るしか能のない人間ですけど、多少はコネもあります」

「……ありがとうございます」

 ミカは微笑んだ。ぎこちないけど、今日初めて見た曇りのない笑顔だった。僕は少し胸が痛んだ。

 もし僕が本当に一介の時計屋だったなら、慣れない町で訳も分からず怯えている少女を前にした人間として当たり前の善意と責任感だけを感じて、行動すればよかった。でも、僕は観測者だ。傍観するだけならまだしも、自分から問題ごとの解決に首を突っ込む行為は、果たして許されるのか。

 結局、僕に決断をさせたのは義侠心ではなく、自分だけ逃げることへの後ろめたさだった。

 アザミとヒタキにとっては管理者としての彼らの領分だし、ミカはある意味では事の当事者だ。対して、僕はあの場でただの傍観者でしか無かった。逃げようと思えばなんとでも言えるし、アザミとヒタキ相手ならそれで良かった。でも、ミカにも同じことが言えるか? 僕は関係ないので、傍から見守っていますなんて、そんな無神経なことを彼女に言えるはずもなかった。

「紅茶、入れ直しましょうか」

 どことなく嬉しそうな彼女の顔に耐えられなくなって、僕は立ち上がった。

「それとも、コーヒーがいいですか?」

「紅茶で、お願いします」

 カップをトレイに戻したちょうどその時、店の奥で電話のベルが鳴った。

「すみません、電話の応対をしてきます。紅茶はちょっと待って下さい」

 ミカに断りを入れ、受話器を取る。

「はい、時計屋のメノウです」

『あぁ、アタシだ』

 電話線のノイズの乗ったアザミの声だった。

「なんだ、アザミか」

『なんだ、じゃないだろ。客商売なら態度ってものがあるだろ』

 どの口が言うんだか。

「で、要件は?」

 アザミが答えるまで、ほんの一瞬、間があった。

『……ミカに連絡がとれないか?』

「ちょうど今うちにいる。何か用なら伝えるけど」

 なにか嫌な胸騒ぎがする。

 ちょいどいいや、とアザミは言った。

『ミカを連れて教会に来て欲しい』

「急ぎか?」

『できれば。それにアンタもどうせ暇だろ?』

 実際、暇だけどさ。

「彼女もあの一件でショックを受けている。昨日の今日で教会へ来いってのはどうなんだ。それに、まだ標本の残骸の片付けも済んでないだろ」

『片付けをしようと教会へ行ったら、マズイことになってた』

「何が?」

 しばらく、アザミは無言だった。

「……どうかしたか?」

『いや、今言うべきか考えてた。でも、隠しても仕方ないナ』

「なんなんだよ」

『悪魔が、逃げ出した』

「……は?」

『詳しいことは教会で話す。待ってるから。じゃあナ』

 僕の返事も待たず、通話は切れた。

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