3, ホルマリンとハムエッグ

 妙に早い時間に目が覚めた。

 枕元の目覚まし時計が指していたのはまだ六時半過ぎだった。メノウさんに紹介してもらった時計屋へ行って買った、アクアグリーンの目覚まし時計。昨晩、アラームを七時にセットして、鳴るのを楽しみにしながらベッドに入ったのに、結局その音を聞くことはできなかった。少し、残念。

 ベッドから起き上がって、カーテンを開ける。淡い色の光が窓ガラス越しに室内を照らし、私の輪郭を白く滲ませる。昨日と打って変わって、気持ちのいい晴れ模様だ。

 毛布を適当に畳んだ後、サイドテーブルに無造作に置いてあったヘアバンドで髪をまとめながら洗面台へ向かう。蛇口を捻ると色のない綺麗な水が流れ出し、陶磁製の桶に緩い流れを作りながら排水口へと吸い込まれていく。手に水を溜めると、ひんやりと心地よかった。

 顔を洗って、鏡を見つめた。水の滴る丸顔、薄い唇、黒い瞳。見覚えのある私の顔。

 鏡の中の私が問う。私は、誰だ?

「私は、ミカ」

 確かめるように、声に出して答えた。

 大丈夫、まだ覚えている。でも、いつまでこうして覚えていられるのか私には分からない。もしかしたら明日には忘れてしまうのかもしれないと思うと、少し怖かった。


 今日は、メノウさんのところへ水時計を取りに行く他は、これといって予定はない。少なくともベッドが届くまでは宿の部屋から引き払うわけにはいかないし、でも必要なものは昨日までであらかた揃えたし、あえてやることと言えば、仕事を探すことだろうか。幸いに金額の嵩む家具はツケ払いにしてもらえたけど、いつまでも好意に甘えているわけにもいかない。

 とは言っても、この町にどんなお店があって誰が雇ってくれるのかなんて全然知らない。ヤマネコさんに聞けば仕事も紹介してくれそうだけど、なんとなく、こういうのは自分の脚で探すべきだと思った。

 そんなことを考えながらぼんやりと宿を出てしまったものの、よく考えたら、メノウさんのお店が何時から開いているのかを私は聞いていない。昨日ちゃんと確認しておけばよかった。でも、早すぎるという時刻でもないし、もし開いていなければ大通り沿いにフラフラして暇をつぶしていればいればいいかな。

 メノウさんの店は、ドアに札を下げてるわけでもなく、遠目には開いてるのかどうか分からない。でも、店内の明かりは点いているようだし、窓にメノウさんの人影も見える。

「お店、もう開いていますか?」

 ドアを開けながら私が尋ねると、メノウさんはニコリと笑った。

「えぇ、ついさっき開けました。コレの水が落ちるのがやけに早いなとは思ってたんですけど、なるほど、あなたでしたか」

そう言って作業机の上の青い水時計を小突く。丁度水が落ちきるところだった。

「私のためにわざわざすみません……やっぱり来るの早すぎましたね」

「というか、うちはこの水時計のお蔭で来客があるかどうかで店を開ける時間を決められるので、別に何時から開いてるってわけでもないです。……今、水時計を持ってくるので、座って待っていてください」

 メノウさんは部屋の奥に引っ込み、小振りな紙袋を下げて戻ってきた。

「昨日言ったプレゼントの水時計です」

 差し出された袋には、薄い黄緑の液のガラス製の水時計が入っていた。手に取ると、大きさの割にずっしりと重い。窓にかざしてみると、容器の中の細かい装飾で乱反射した光が不規則にきらめき、私の網膜に影を作った。

「綺麗ですね」

 自然と、口から言葉が漏れた。

「気に入っていただけると嬉しいです。でも水が流れ落ちる速度はすごく遅いので、じっと見ていても楽しくはないですね。実用的なものはまた、依頼していただければ何でも作るので、これはあくまでインテリアとして楽しんでください」

 いえいえ、と首を振る。確かに水滴が油の中を進む速度はとても遅いけど、見ていて分からないほどじゃないし、例えば、陽気の割に肌寒い晩秋の午後なんかに、窓辺で陽の温もりを感じながらこの水時計を無為に眺めてダラダラとと過ごすとか、そういうの、きっと私は好きだ。

「ところで、今日ってお暇ですか?」

 水時計に見惚れて上の空だった私の意識が、メノウさんの声に現実へ引き戻される。

「あぁ、すみません。いつまでもここにいても仕事の邪魔ですよね」

「いえ、そういうわけじゃなくて。もう、今日は誰も来ないみたいで、一日暇になっちゃったんですよ」

 作業机の上の青の水時計はいつの間にかひっくり返されていた。色水は、ガラス容器の上側に蟠ってひどく緩慢とした速度でしか水滴を作らない。今日のうちに落ちきることがなさそうなのは、私の目でも分かる。

「ぼーっとしていても仕方ないし、久しぶりに知り合いの所に顔出そうかなって思って、よければ紹介しようかなと」

「いいんですか? 私、お仕事探したいんですけど、ツテとか全然無いのでどうしようかなって思っていたんです」

 見知らぬ町、見知らぬ人々の中に突然飛び込んだ身だ。仕事探し云々を抜きにしても、知り合いを増やしておいて悪いことはない。

「なるほど、仕事探しですか。じゃあ、挨拶ついでに聞いてみましょうか。‥‥ウチで雇っても良いよ、なんて言えれば僕もちょっとは格好がつくんですけど、見ての通り閑古鳥が鳴いてるので、お恥ずかしながら、この店はあまり余裕がないです」

「そう言う割には、なんというか、気ままにお仕事されてますよね」

 ちょっと失礼だったかなと思ったけど、メノウさんは軽く笑って流してくれた。

「気ままに、勝手にしていたいから、こんな店をやってるんですよ。特にギフトを生業にしてる連中は、大体みんなそうですよ」


 この町で暮らしていくなら、まず彼女の顔を知っておくべきだ、そう言ってメノウさんが私を連れて行ったのは、裏通りの端の陰鬱とした佇まいの店だった。外壁は黒ずみ、建物の影になっているせいもあって一際に暗く、冷たい。店の前の道の浅く窪んだ所に、昨日の雨でできた水たまりがまだ残っている。

 看板は上がっているものの、劣化が激しくて文字が読み取れない。

「あの、ここは何のお店ですか?」

「標本屋。本人はそう言っているし、きっとそうなんでしょう」

 メノウさんは扉を押し開けた。蝶番がギィと軋音をあげる。

 店に入って真っ先に気づくのは、臭いだ。アルコールのような臭いと、それ以上に鼻をつく、嗅ぎ慣れない嫌な刺激臭。私は思わず顔をしかめるけど、メノウさんは慣れているのか、あるいは気にならないのか、涼しい顔で店を奥へと進んでいく。

 外見にもあまり大きい店ではなかったけど、店内は所狭しと立ち並ぶ棚のせいでひどく手狭だった。床も物が雑多に転がり、うっかり躓けば棚を将棋倒しにしてしまいそうだ。

 標本屋、というだけあり、棚には何かの標本がずらりと並んでいる。無色透明のホルマリン液の満たされた標本瓶の中に、それぞれまちまちな形の影が浮いている。――鉛筆のように見えるものが視界に入った気がしたけど、見間違いかな。

 メノウさんは小馴れた足取りで散らかった店内を進み、隅の布の塊のようなものの前で立ち止まった。そして布の塊を二、三度揺する。ややあって、布の塊はもぞりと起き上がり、毛布を肩にかけた背の高い女性の形になった。

 女性は微かにうめき声を上げながら縁の太いメガネを掛け直して、黒檀のように黒いウェーブの長髪を無造作に掻きむしった。

「何だよこんな朝から」

「もう十時を過ぎてるし、昼に片足突っ込んでるよ」

「なんで太陽の運行にアタシの生活サイクルをを決めさせなきゃいけないんンだ」

「太陽には合わせなくていいから、せめて来客の生活サイクルには合わせるべきだと思うよ。前に水時計作ってやっただろ?」

 女性は心底怠そうな表情でメノウさんを睨みつけた後、彼の肩越しに当惑している私に気づいて、「顔を洗ってくる」と店の奥へと消えていった。

 座って待ちましょうか、とメノウさんは雑多な店舗のどこからともなく椅子を二脚引っ張ってきて、棚の前に並べた。

「なんというか……凄いですね、お店も、店主さんも」

「素直に言っていいですよ、酷い、って」

「いや……」

 流石に憚られるけど、言葉を選ばないのなら、確かにここは全てが酷い。特に臭いが。凄惨とすら言えるかもしれない。控えめに言っても、自分からここへ来ようとは思わない類の店だ。標本を作ってもらうことって無いだろうし。

「毎日ホルマリンの嗅いで寝起きしてるからああなっちゃうんでしょう。僕もあまり出来た人間ではないので、人のことは言えないですけど」

 メノウさんは棚に並んだ標本の隙間に手を伸ばし、何かを掴み取った。棚から取り出したのは、埃まみれの水時計だった。

「こんなところにあった。水時計はひっくり返さないと使えないんだけどな」

「こういうのは、アラームでも鳴るようにするべきだと思うンだけどネ」

 ウェーブの髪の女性がタオルで顔を拭きながら戻ってきた。前髪を上げずに顔を洗ったのか、毛先が濡れている。毛布の代わりに白衣を羽織り、先程までよりは幾分か、ちゃんとして見える。 

「容器の構造次第で、鐘くらいは鳴らせるようになるンじゃないか?」

「それは姐さんに相談しないと分からない」

 女性はフンッと鼻を鳴らした。メノウは肩を竦めた後、私の方に向き直った。

「彼女はアザミ。僕やあなたと同じように外から来た人間です。確か僕より一年くらい来るのが早かったと……」

「一年と二ヶ月、だナ」

 アザミさんはメノウさんの言葉を遮って強く言い切った。

「ここへ来たあとのことは他の連中よりよく覚えているが、来る前のことはトンとなにも思い出せない。まぁ、ヨロシク」

 彼女はニヤッという笑顔を浮かべ私の方に手を差し出した。仕草や口調の乱暴さと対象的に、彼女の指は細く整っていた。私は彼女の手を握り返し、軽く頭を下げた。

「私は、ミカって言います。先日、この町に来ました。よろしくお願いします」

 彼女は私の目を覗き込み、ヘェと声を上げた。

「まだ名前を覚えてるンだ」

「まだ、どうにか」

「この町へ来てまだ名前を覚えていられるのは、大方、自分の名前にあまり思い入れがない奴だ。普段は別の名前で呼ばれていたか、あるいは、そもそも誰にも名前を呼ばれないような生き方をしていたのか。どうだ?」

「どう……だったんでしょうね」

 どう、と言われても、ただ困惑するしか無い。もう覚えていないことは答えようがない。

 曖昧に笑うことしか出来ない私を見かねて、メノウさんが咎めるような声色で「アザミ」ときつく発した。

「彼女にあまり変なことを言うなよ」

「アタシはアンタ達と違って、純粋に興味があるンだよ、人間の過去について。外から来た奴の話なら尚更」

 アザミさんは周囲を一瞥したあと、溜息を吐きながらテーブルに雑多に積まれたものを押しのけて、空いたスペースに腰を下ろした。

「過去は重要だ。人格は過去によって形成される。だのに、ここの連中はみんな過去を、記憶を簡単に手放しちまう。忘れてしまったらしょうがないとでも言うようにネ」

 まぁ、アタシもそうやって忘れちまったんだけどサ。アザミさんは、そう自嘲した。

「過去を保存する手段は限られている。多くは、記憶するか、記録するか、だナ。だけども、この町で記憶なんて当てにならないのは、アンタももう知ってるだろ? 記録も同じ、誰かが紙に書いて本にまとめたって、そのうちボロボロになって風化しちまう。過去を完全に保存する手段はないし、保存しなかったものは、後になって喚いたって手に入らない。……標本は、過去を物質的に保存する数少ない手段の一つだ。勿論、標本だって劣化する、完全に保存することなんて不可能だけどネ。それでも、アタシの標本は他よりずっと劣化に強い。何より、大事なのは完全に切り抜かれた過去ではなくて、過去を再現できるかどうか、だしネ」

 アザミさんは白い腕を伸ばして手近な標本を一つ手に取った。

「これは……?」

「ガーリックトーストの標本」

 彼女は真顔で、標本のラベルを読んだ。

「二年前の五月九日、あまりに綺麗に焼けたので感激して標本にした、か。……あぁ思い出した。すごくいい匂いでサ、食べるのも勿体無いくらいに」

 アザミさんは標本瓶を撫でながら、遠い目をして恍惚とした表情を浮かべた。

「……ガーリックトーストの標本って初めて見ました」

「まぁ、アタシ以外に作ってる奴に心当たりはないネ」

「そもそも、この町に標本屋はアンタしかいないだろ」

「……それもそうか」

 アザミさんはガーリックトーストの標本を棚に戻した。

「勿論、アタシはガーリックトースト専門の標本屋じゃない。普通の、カエルとかナマズの生物標本とか、病理標本だって作る。頼まれればネ」

 確かに、私の背後の棚には、腹を切り開かれた魚が、内蔵を引きずり出されて浮いてホルマリン液に浮いている。その横には何か小魚の骨、更にその横は……どう見ても切り身だ。

「本当に、なんでも標本にするんですね」

「それがアタシのギフトだしナ。なんでも瓶に詰めて指で小突けば、なんでもホルマリン漬けにできる。過去を形を留めたまま残すには、この町じゃアタシの標本が一番確実だ。どうだい、何か標本にしてやろうか?」

「いや、いいです……」

 ホルマリン漬けにしてまで残したいほどのモノを、まだ私は持っていない。あえて、と言われれば、さっきメノウさんに貰った水時計は、壊れないように大事にしたいけど、標本にするものじゃないし、なによりメノウさんの目の前で頼むものじゃない。

「……メノウさんは、アザミさんに何を標本にしてもらったんですか?」

 えっ、とメノウさんは心外そうな顔をした。

「彼女に何かを標本にするよう頼んだことはないですけど、なんで?」

「だって、ここで暮らすならまずアザミさんに会っておくべきだって、言ってたので。てっきり、皆さんよく、アザミさんに何かを標本にしてもらうのかなと」

 あぁそういうことか、とメノウさんは頷いた。

「別に誰も彼も彼女に標本を作ってもらうわけじゃない。そりゃ、いつかはお世話になるでしょうけど、無節操になんでも標本にして、部屋中に飾るのはこの町でも彼女だけです」

「じゃあ、何故……?」

「昔、僕がこの街に来たばかりの頃、よく世話になっていたんです。こんなだけど結構面倒見のいいヤツなので、何かあったら頼るといいですよ」

「こんなって何だよ」

 メノウさんの言いたい「こんな」は、まぁ……分かる。

「それに、『死んだ天使』はアザミが管理しているんですよ。まぁこの話は、知っておいたほうがいいってだけですけど」

「……死んだ、天使?」

 あれ? とメノウさんは首を傾げた。

「『死んだ天使』、知らない? 教会にあるヤツ」

「知らないです……教会もまだ行ったこと無くて」

 あぁ、とメノウさんは声を漏らした。しまったな、じゃぁ先に教会に行くべきだったかな、と。

 別にいいだろ、アザミさんは半笑いで手をヒラヒラさせた。

「アレはアタシの仕事で、アタシの領分だ。なら、アタシがミカに教えてやればいい」

「……てっきり面倒臭がるかと思ったよ」

「なんでも面倒な訳じゃない。面倒なのは寝て起きて息をすることくらいだナ。でも、何も知らない子にアレを口だけで説明するのは、あー、それは面倒だな。実際に見たほうが早い」

「じゃあ、教会に行くか」

「いや、」

 立ち上がりかけたメノウさんを、アザミさんが静止した。

「空腹だ。先になんか食べに行こう」


 『草薮』は、大通りの角地にある、温かみのあるレンガ造りのこじんまりとしたレストランだ。駅の出口からも見えるし、ここ数日の買い物の際にも何度か店の前を通った。今日は晴れているからか、道に張り出したテラスでも幾人かが食事をしている。――時刻は午前十一時、アザミさんのように遅い朝食なのか、それとも、早めの昼食だろうか。

「いらっしゃいませ。……珍しい取り合わせですね」

 店に入ると、三十代くらいのコック帽の男性が、愛想の良い笑顔で出迎えてくれた。

「まぁネ、今日は三人いるしナ。ほら新しい子、まだ店に来てないだろ?」

「ミカって言います。初めまして」

「こちらこそ。私は『草薮』のオーナーのキイチゴです。どうぞよしなに」

 キイチゴさんは頭を下げ、どうぞ、と私達を窓際の席へ通した。

 深い色の木製のテーブルと、同じ材質の椅子。座面には品のいい緑の布が張られている。アザミさんとメノウさんは向かい合うように座ったので、それぞれ隣が空いている。一瞬迷って、私はメノウさんの隣の席を選んだ。

「メニューはこちらになります」

 キイチゴさんが、紙の貼ってあるボードを私に差し出した。メニューには、スパゲッティとか、ラザニアとか、ありがちなものが並んでいる。だけど、真っ先に目につくのは、メニューの最上段に大きく書かれた『キイチゴのプレート』という文字だ。

 私が訊ねるより先に、キイチゴさんが柔和な声色で説明を入れた。

「『キイチゴのプレート』は、私のギフトを使うメニューです。注文した方が、その時食べたいと思っている料理をご用意します」

 ギフトを使った料理かぁ、ちょっと、興味がある。

「アタシはいつもコレを頼んでる。自分が考えもしてなかったのに、見た途端にあ、自分はコレが食べたかったンだってモノが出てきて、結構面白いンだ。マスター、今日もヨロシク」

「じゃあ、私もそれで。メノウさんは?」

「僕は……コーヒーだけでいいや。朝が遅くて、まだお腹空かないし。あ、甘い物食べようかな。オペラってあるっけ?」

「オペラは無いですね。ティラミスであれば出せますけど」

「じゃあティラミスを」

「コーヒーとティラミス、キイチゴのプレートが二つ。かしこまりました。しばらくお待ち下さい」

 キイチゴさんはメニューを脇に挟んで一礼し、厨房へ下がった。

「面白いこと教えてやるよ。メノウは絶対に『キイチゴのプレート』は頼まないンだ」

「自分の食べるものは自分で決めたいとか、そういうのですか?」

 メノウさんはアザミさんを睨み、しばらく押し黙った後、

「ハムエッグしか出ないんだ」

 と小声で言った。

 不機嫌そうに口を歪めるメノウさんを見て、アザミさんは声を上げて笑った。

「メノウがまだこの街に来たばかりの頃サ、よくこの店に連れてきてやったんだけど、毎回ハムエッグが出てくるんだ。三回目くらいからキイチゴも首を傾げ始めて、十回目でとうとうメノウ、もう頼まないって言って。あの時は可笑しかったナ」

「キイチゴもキイチゴだ、いくらギフトだからって作ってる最中に気づくだろ? なんで毎回、申し訳なさそうにハムエッグを持ってくるんだ。しかもあのハムエッグ、大して美味しくないんだよ。妙にしょっぱくて」

「案外、アイツのギフト、皿にクロッシュ被せて、ポンッと外したら出来上がりとか、そういうのなんじゃないのか? まぁ前に聞いて、アイツは教えてくれなかったんだけどネ」

「ギフトの正体が分かったってハムエッグが出てくることに変わりはないし、大人しく他のメニューを頼むよ。……キイチゴの名誉のために言っておくけど、彼の他の料理は美味しいし、多分ハムエッグだってギフトを使わなければあんな味付けにはならないはずだよ」

 考えられるとすれば、実はメノウさんはしょっぱいハムエッグが大好物だった、とかだろうか。深層心理、というのだろうか。心理学はよく分からない。

 その後は、ギフトについてメノウさんとアザミさんが色々話すのをただただ聞いていた。メノウさんもアザミさんも、ギフトをどう使うかは感覚で分かるけど、具体的な効果については、自分でもあまり分かっていないらしい。色々試してみて、結果から推論するしかない。例えばアザミさんは、食べ物をギフトで標本にすると味も匂いも保存されて、数ヶ月とか経っても問題なく食べられるということについ最近気づいたらしい(メノウさんは「アイツはホルマリンの味と臭いを感じない体質なんです」と私の耳元で囁いた)。メノウさんも、砂時計と水時計は別々のギフトなのか、それともなにか統一する法則性があるのか、未だに納得のいく答えが出ない、と。アザミさん曰く「確かに二種持ちのギフト持ちギフテッドは、アタシもメノウ以外には聞いたことがない」らしい。

 ギフトを持たない私には、二人の話はどこか掴みどころがなく、分かるような、分からないような、という感じだった。曖昧な表情が浮かんでいたのだろう、アザミさんは私に、

「アンタもギフトを持てば分かるサ。この町の住人の半分はギフト持ちだ、アンタもチャンスあるよ」

 と、慰めかもよく分からない言葉を投げた。

「お二人は、この町に来てどれくらいでギフトを手に入れたんですか?」

「ひと月か、そこらだったと思います。あれ、二週間だったかな?」

「アタシはよく覚えてる。三日目の朝だった。寝ぼけてて何を思ったのか、コップを深鍋にぶち込んで、蓋をしたら中がホルマリンでいっぱいになってたんだ」

 アザミさんはケロッとした顔で楽しそうにそう言ったけど、私は言葉が見つからなくて苦笑を浮かべるしかなかったし、メノウさんははっきりと「酷い」と返した。

 微妙な空気になりかけた所で、幸い、キイチゴさんが盆を抱えて料理を運んできた。

「お待たせしました。コーヒーとティラミス、アザミさんのプレートはチキンのサンドイッチ、ミカさんは……偶然でしょうか、それとも何かの因果でしょうか」

 苦笑いを浮かべながらテーブルに置かれた白い皿には、淡桃のハムと、それに癒着するように焼かれた目玉焼きが乗っていた。

「ハムエッグ、ですね」

 私はひどく困惑した。ハムエッグを食べたいなんて自分では微塵も思っていないし、何なら、今しがたアザミさんに出されたチキンサンドの方がよっぽど美味しそうだ。

 メノウさんはというと、私の横で氷のような真顔をしたまま、キイチゴさんの顔と、私と、ハムエッグを何度も順番に見つめていた。

「キイチゴ、冗談でやってるなら質が悪いし、そういう悪戯はアザミにやってくれ」

「私も出来上がったものを見て思いましたよ、出していいのかなと。でも、これがミカさんのためにギフトを使った料理であることは、間違いないです」

「天使と悪魔に誓ってか?」

「誓って」

 重い雰囲気の私達三者に反し、アザミさんはチキンサンドを頬張りながらケラケラと愉快そうに笑った。

「ジョークとしては傑作だナ。最高だよキイチゴ、いいセンスしてる」

「……何か、別の料理をお出ししましょうか?」

「いえ、初めてここへ来た記念ですし、いただきます」

 フォークで白身を押さえて黄身を傷つけないようにナイフで一口大の大きさを切り出す。口に運ぶと、塩のジャリッとした感触と、塩辛さが舌に伝わった。

「……しょっぱいです」

 キイチゴさんは申し訳なさそうに頭を下げ、メノウさんは横目で私を見つめながら苦い顔でコーヒーを煽り、アザミさんは、チキンサンドを食べながら始終ニヤニヤと私とメノウさんを見つめていた。

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