2, 水時計
雨の日の憂鬱さは嫌いじゃない。
無造作な周波数にダイヤルを合わせたAMラジオの吐くノイズのような雨音が、窓ガラス越しにくぐもって耳孔をくすぐる。僕は無意味にアンニュイな表情を浮かべ、冷めたコーヒーを啜った。そうして焦点を合わせる気のない視線を窓の外に向け、もう思い出せなくなった記憶のモザイク画を幻視し、ある種の陶酔感に浸るのが、僕は好きだった。
あるいは、僕はこの陶酔感に浸ることに快楽を見出しているのであり、雨も憂鬱さも、単なるファクターに過ぎ無いのかもしれない。もっとも、そういう感情の発生と連鎖についてあれこれ考えるのは学者先生の仕事であり、僕には、雨は憂鬱で、だから心地いいという因果関係だけ分かれば良かった。
とは言え、こうも雨が続くと流石に気が滅入ってくる。来る日も来る日も同じ天気、日がな一日明るさも大して変わらないので、時間の感覚が狂ってくる。あと洗濯物がまるで乾かない。
僕はカップを置き、溜息を吐いた。午後はただでさえ気怠いが、こうシトシトと雨の降る日は、瞼が湿気を吸うのか、いつにも増して眠くなる。意識と体を重力に預けようと作業机に突っ伏すも、水時計の青い水がちょうど落ちきるのが目に入ってしまったので、止む無く、僕は体を起こして入り口のドアを注視した。
カランコロンと音を立て、ドアがゆっくりと開く。顔を覗かせたのは、まだあどけなさの残る面立ちの少女だった。
「あのぉ、」
おずおず、という擬音を引き連れているかのように、少女は遠慮がちに訊ねる。
「時計屋さん、で、合ってますか?」
「どんな時計か、にもよりますが」
僕はそう言って、壁に作り付けられた棚を見やった。
棚には、いくつもの砂時計と、水時計が雑多に並べられている。大きさも、形もまちまち、中に詰められた砂や水の色も一つとして同じものはなく、それぞれ、てんでバラバラで身勝手な速度で、時を刻んでいる。
「砂時計屋さん……?」
「まぁ、雨も降ってますし、中へお入りください」
僕は彼女の質問には答えず、少女を店内へ招き入れた。
少女は傘を折りたたみ、僕に促されるままにそっと店に入る。
「今、温かいものを出しますね。ちょっと待っていてください」
僕は少女に座面にクッションの貼ってある椅子を勧め、奥のキッチンへ向かった。
わずかに饐えた臭いの漂うキッチンは、まだ昼食の後片付けがされておらず、シンクの中にはコレールの食器が無造作に積まれている。コンロには、昼食に食べたオニオンスープの残りが入った鍋が置かれたままになっている。
僕はスープの残量を確認したあと、コンロに火を付けた。少女を待たせているので、中火でさっさと温め直す。沸騰する直前に火から下ろし、小さな取っ手のついたカップに注ぎ、調理台に出しっぱなしになっていたクルトンとバジルで仕上げる。
少女は、店中に飾られた砂時計と水時計を、ぐるぐると見回していた。彼女の表情は、好奇心と緊張が入り混じって、どこかぎこちない。
僕は彼女の前のテーブルにカップとスプーンの乗ったトレーをそっと置いた。
「少し味が薄いかもしれませんが、よかったら召し上がってください」
「あ、ありがとうございます」
少女は湯気の立つカップを手に取り、スープを一掬い、口に運んだ。一瞬間をおいて、僕に柔らかく微笑んだ。
「おいしいです」
「よかった」
僕は、さっきまで自分が座っていた椅子を引き寄せ、彼女の向かいに腰掛けた。少女はちらりと僕を見て、スープに視線を戻した。
僕は黙々とオニオンスープを咀嚼する少女を、頬杖をついてぼんやりと観察した。
見覚えのない顔だし、おそらく外から来た子だろう。特段可愛いというわけではないけど、彼女の大きな黒い瞳は、不思議と僕の心を引きつける。眉の上できっちり揃えられた亜麻色の髪も、彼女によく似合っている。
絡繰人形のように、少女は一定のペースでスープを口に運ぶ。カップとスプーンの当たるコツコツという規則正しい音に誘われ、思わず居眠りしそうになったところで、そういえばと、眼の前の少女が客であったことを思い出した。
自分の「商売をしている」という自覚の薄さに苦笑が漏れそうになるのをこらえつつ、僕は少女に訊ねた。
「時計を、探しているんですよね?」
「あ、はい」
少女はスープを掬う手を止めた。
「自分の部屋に置く時計です。置き時計にするか、掛け時計にするか、そこはまだ悩んでたんですけど」
「じゃあ……砂時計は、なんか違いますね」
「……そうですね」
少女は気まずそうに苦笑した。
「私、最近引っ越して……あの、自分でもおかしなこと言ってると思うんですけど、何も持たずに、この町に来て……住もうかなって」
「よくあることですよ。僕も似たような感じです」
僕は三年前のことを思い出そうとした。電車に乗って、気づいたらこの町で降りていた。何をしたのかは思い出せるのに、自分が何故そうしたのか、何を考えていたのかは、まるで思い出せない。感情の伴わない記憶は、モノクロの無声映画のようにどこか他人事じみていた。
「もう、家は決まったんですか?」
「一昨日、部屋を借りました。まだ家具とか何もなくて、寝泊まりはヤマネコさんのところにお世話になっているんですけど、色々なもの、少しずつ買い揃えてる最中で……」
僕は周囲の棚を見渡し、首を横に振った。
「見ての通り、僕が作れるのは砂時計と水時計だけなんですよ。外の看板、紛らわしくてすみません」
「いえいえ」
少女は否定してくれたけど、正直、これに関しては僕が悪いと言わざるを得ない。わざわざ『砂時計・水時計屋』なんて看板に併記するのが面倒で『時計屋』と看板を上げている。こんな店だし、こんな町だし、どうせ知り合いしか来ないと高をくくっていたものの、何も知らない他人が見たら、掛け時計や置き時計を売ってる店だと勘違いするのは当然だ。
「同業のツテ、って言うのは少し怪しいですが、知り合いに時計職人がいるので、紹介しますね」
僕は作業机の引き出しから便箋を取り出し、雑な地図を鉛筆で書いて少女に渡した。
「偏屈な爺さんだけど、時計屋のメノウの紹介、って言えばちょっと良くしてもらえるかもしれません」
「メノウ……」
「僕の名前です」
「本名じゃ……ないんですよね」
ええ、と僕は頷いた。
「本名はもう、覚えてないです」
少女は、どこか憐れむような、あるいは寂しそうな表情を僕に向けた。
彼女の表情の意味はなんとなく分かる。でも、外の人間の考えそうな事だなと思ったし、僕には共感できなかった。もう忘れてしまったことを、懐かしむことはあっても、悲しむ理由は何もない。何を悲しんでいるのかすらどうせ分からないのだから。そういうどうでもいいことに気を取られて、人はしばしば、大事なことを見落とす。
僕は棚から小ぶりな砂時計を一つ取り上げ、少女の前に置いた。
「せっかく店に来ていただいたので、そのお礼と言うことで、これ、差し上げます。ちょっと変わった砂時計です」
少女は砂時計を手に取り、回したり、ひっくり返したりしてしげしと眺める。中の淡いグリーンの砂が、彼女の手の動きに合わせてサラサラと流れ、電灯の光にきらめく。
「普通に見えますけど……時間は……一分くらいですか?」
「数えてみると面白いと思いますよ」
少女は砂時計を逆さにし、テーブルの上に置いた。
「一、二、三……」
木組みの枠にはめ込まれたくびれたガラス容器の中を、上から下へ、砂が流れ落ちる。砂はすり鉢状に窪み、崩れていく。そして円錐を描くように積み上がり、時間の流れを物質化する。上と下の砂はやがて釣り合い、逆転し、最後には全てが流れ落ち、過去を可視化する。
「すごい、ちょうど六十秒でした」
こういうの、初めてぴったり合わせられました、と少女ははしゃぎ声を上げた。嬉しそうな彼女には悪いが、これにはタネがある。
「これは、そういう砂時計なんです。僕の作る砂時計は、正しい時間は計れなくて、使用者の……まぁ、砂時計をひっくり返した人の数える時間ぴったりに、砂が落ちきるんです」
少女は、僕の説明を聞いてキョトンとした顔になった。僕は彼女の手から砂時計を取り上げ、ひっくり返した。
「こうして僕がひっくり返したら、僕の数える一分ちょうどで砂が落ちきります。一秒一秒数えて無くても、大体一分かなと僕が思う時間で、砂が落ちきるんです」
少女は不思議そうな顔で僕と砂時計を交互に見つめ、「なんで?」と訊ねた。
「ギフト、ってご存知ありませんか?」
「……贈り物?」
僕は首を横に振った。
「いわゆる特殊能力の事です。超能力って言ったほうがわかりやすいかな? この町に来て、見聞きしたのは初めてみたいですね」
ヤマネコの婆さんはギフトを持っていないし、この町に来たばかりの彼女が知らないのも無理はない。
「そのうちあちこちで目にすると思いますけど、この町には、こういう不思議な能力を持つ人が珍しくない。能力自体は人によってまちまちなんですけど、例えば、その奇妙な砂時計を作るのが、僕のギフトです」
「ギフト……」
少女はポツリと呟き、改めて砂時計を手に取り、食い入るように見つめた。
「ギフト、気になりますか?」
「それは……もちろん、興味あります」
「そのうち手に入れられれるかもしれませんよ。僕も、この町に来てからギフトを使えるようになったし」
「ここは、他にもギフトが使える人がいるんですよね。その……やっぱり、地味な能力が、多いんですか?」
精一杯言葉を濁したのだろうが、横目に僕のあげた砂時計をチラチラと見ており、暗に、こういうしょうもなくてつまらない能力だったら嫌だなと言いたいのがはっきりわかる。実際、それは僕自身が一番思っていることだ。砂時計は、作れるから作っているだけで、ありがたがって買ってくヤツなんてアザミくらいしかいない。もっとも、彼女の言い分も「この世界が止まってもアタシの感覚さえ正常なら動く時計ってのは、アンタが思う以上に重要なンだよ」と、いまいち何が言いたいのか要領を得ないので、彼女がこの砂時計のどこに魅力を感じているのか、結局よく分からないままだ。
「その砂時計より使い勝手の悪いギフトは、そうそうないですよ」
自然に、柔和な声を作ってみたつもりだけど、どうにも小馬鹿にするような雰囲気が乗っている気がする。
「僕も、もう少し実用的なギフトが使えるんですよ」
僕は作業机の上の水時計を、テーブルの砂時計の隣に移した。直方体をねじったような透明な容器の中に、複雑に絡み合うガラス管が組み込まれ、油と、青に着色された水が封入してある。僕のお気に入りで、仕事道具の一つでもある。
水は全て落ちきっているので、僕は容器を逆さに置き直した。
「水時計を作ると、砂時計とは全然違う性質になるんです」
むしろ、砂時計のギフトと水時計のギフトは全くの別物だとさえ思っている。でもそうすると、僕は二種類のギフトを持っていることになる……複数のギフトを持っているという話はあまり聞かないので、結構それだけでも自慢できるくらいには珍しいのかもしれない。まぁ、ギフトをさっき知ったばかりの少女にそれを自慢しても仕方ないので、僕は素直に水時計の説明をすることにした。
「この水時計が計れるものは……」
「待って、」
少女は唐突に、僕の言葉を遮った。
「ちょっと、当ててみたい」
僕は思わず笑い声を漏らした。
「難しいですよ?」
水時計は、砂時計と違ってかなりクセのある挙動をする。店内に飾ってある水時計の中にも、作った僕が挙動を覚えていないものがいくつかある程だ。
「じゃあ、ヒントください」
当ててみたいと言った割に、彼女はあっさりと自力で当てるのを諦めた。
「うーん、ヒントねぇ……」
僕は思案した。わかりにくいヒントは論外だけど、かと言ってあまりあからさまなヒントでもつまらない。物事の本質を示唆しつつ、それでいてどうとでも捉えられるようなヒントが、良いヒントだと思う。そういうヒントは、出題者の思いもよらない面白い回答を回答者から引き出すことがある。別に彼女に意地悪をしようというわけではないけど、正解を教えたときに、あぁ、と悔しがる表情が見たいわけでもないと言うと嘘になる。
しばらく考えたものの、結局、いいヒントは思いつかなかった。そもそも僕自身、水時計のギフトは本質を理解していない節がある。
「この砂時計は、計る人の主観とはいえ、概ね同じような時間で砂が落ちきるはずです。これをひっくり返して、丸一日経っても砂が落ちきらないなんてことは、ほぼほぼあり得ない。でも、水時計はそういうことがあり得ます。この水時計も、計るたびに、ものの数秒で落ちきったり、一週間経ってもまだ落ちきらなかったり、そういうことが起こります。ちなみに今のペースだと……早くても明日の朝かなぁ」
少女は腕を組み、目の前の水時計をじっと睨みつけたが、すぐに視線を外し、キョロっキョロとあたりを見回し始めた。他の水時計からも、ヒントを得るつもりなのだろう。
「わかりやすいのは……窓際の水時計ですね、オレンジの水の入ってるやつ」
水時計の向こうに、ぼんやりと淡い色の雨景色の映る窓がある。水時計とのコントラストは、無数の砂時計と水時計の並ぶ店の中でも一際に目立っていた。
少女は眉間にシワを寄せ、窓際の水時計を凝視する。
「何か……天気と関係がある? 晴れたら水が落ちきる、みたいな」
「惜しい、と言いたいけど、まぁ、おまけで正解にしましょう」
多分、今のヒントではこれ以上正解に近づけるのは無理だろう。
「窓際の水時計については殆ど正解です。正しくは、次に雨が止んだら水が落ちきる水時計ですが。僕がギフトで作る水時計は、作るときに予め決めた出来事までの時間が計れます」
僕はテーブルの上の水時計を指し示した。
「別に天気に限らなくてもいい。こっちは、次にお客が来店するまでの時間が計れる水時計です。あなたが来店することも、この水時計を見て気づきました」
砂時計よりは使い勝手がいいだろうと、僕はちょっと得意げに説明したのだけど、少女は微妙な顔をして首を傾げた。
「お客さんが来る瞬間に分かってもあんまり意味が……あ、確かに、砂時計よりは便利だと思います。でも……、その、天気も、天気予報とかでだいたい分かるような……」
オブラートに包みきれてない、少女の明け透けな言葉に、僕は苦笑した。
「まぁ、そういう妙に使い勝手の悪いところが、僕のギフトらしさ、ということで。水の落ちる速度は一定なので、慣れれば大体わかるようになりますよ」
僕は窓際の水時計の、水の具合を凝視した。容器の上部には、もう水は小指の先ほども残っていない。
「……あと五分とか、それくらいで雨が止みますね」
「結構分かるものなんですね」
眠くなりそうなほどゆっくりと落ちる水泡を見て、少女は不思議そうな顔をした。
「自分でも一つ持ってみるといいですよ。水時計のギフトを当てた景品ということで、お一つプレゼントしますよ」
少女の瞳が一瞬、チラリと光る。
「どんな水時計ですか?」
「折角なので、そこはクイズということで。何が起こるまでの時間が計れるのか、それは落ちきったときのお楽しみです」
少女は視線をふらふらと揺らし、逡巡した。
「ヒントは……もらえませんか?」
「じゃあ、特別に」
今度は、ちょっと気の利いたセンスのあるヒントを出したい。運命的で、胡散臭いくらい叙情的だと、彼女も愉快な勘違いをしてくれて、楽しいことになりそうだ。
僕は大仰に一拍溜めた。
「人生において、重要な意味を持つ出来事は、そう何度も訪れるものではありません。もちろん、人生で何度も転機を経験する人もいれば、割と平坦な人生を歩む人もいる。それでも、多かれ少なかれ、人生には節目があります。あなたに贈る水時計は、そんな転機の訪れを示してくれるでしょう」
少女はゆっくりと首を左右に揺らした。手元の水時計に落ちていた視線は、やがて部屋をぐるぐると彷徨い、水時計の並ぶ棚のあたりで止まった。
「時計屋さん……メノウさんは、それと同じ水時計、持っていますか」
「勿論」
少女は押し黙ったあと、何かに気づいたようにハッと顔を上げた。
「分かったかも! えっと」
僕は彼女の唇の前に、人差し指を立てた
「答えを確認しちゃ、面白く無いじゃないですか」
あっそっか、と少女は口を手で抑えて顔を赤くした。
「明日の朝までには作って置きますよ。暇な時に取りに来てください」
少女は頭を下げた。
「ありがとうございます。あと、スープ、ごちそうさまでした」
「いえいえ、あまり用のない店かもしれませんが、僕も暇してるので、いつでもお越し下さい」
窓際の水時計の水が、落ちきった。
†
明日の朝までに作る、とは言ったが、どうせ今日は暇だし、さっさと水時計を作ってしまおう。
僕はスープカップを下げ、洗い桶に放り込んだ。洗い物は……夕飯を作る前に洗えばいいや。
その後、奥の部屋に向かい、暇な時に作り置きしたガラス容器を二つ手に取り、店の方に戻った。
ガラス容器はとりあえず並べて作業机に置いておき、まずは油と水をビーカーで丁寧に量り取り、水は染料で色付けする。水と油を、水泡がむやみに出来たり、変なところに入り込まないよう慎重に容器に注げば、水時計は出来上がる。
実は、わざわざ水と油を計らなくても、ギフトを使えば液体で容器を満たすことはできる。でも僕は、あまりその方法で水時計を作ることはない。どうせガラス容器は自分で作らなきゃいけないし、中途半端に手抜きな感じがして、どうにも気分が悪いからだ。
鮮やかな早苗色の水時計と、深い藍色の水時計、二つの水時計が出来上がった。見た目はまるで違うけど、どちらもあの少女について、同じ出来事を指し示す。見栄えもいいし、早苗色の方は少女に渡そう。藍色の方は……アザミに、聞くだけ聞いてみるか。
僕は電話帳を開き、アナクロなダイヤル式電話の回転盤を回した。アザミがすぐに電話を取るとは思っていなかったけど、彼女が受話器を取ったのは二分近くベルを鳴らし続けた後だった。
『ウルサイ、切るぞ』
開口一番、アザミは不機嫌そうに吐き捨てた。
「そういうのは、せめて誰からの電話か確認してから言うべきだと思う」
『二分も電話を鳴らし続ける奴がアンタ以外に居てたまるか』
「アザミも二分鳴らすだろ」
『するけどさ』
アザミは、それがさも当然とでも言わんばかりにあっけらかんとそう答えた。やっぱ電話切ろうかな。
『で、要件はなんだ? 今暇つぶしに忙しいンだ』
「あぁ、最近この町に来た女の子知らない?」
受話器から、あぁー、と気怠い声が聞こえる。
『見慣れない、十五、六歳くらいの子、店の前通るの見た気がするナ。亜麻色のボブカットの子』
「そう、その子」
僕が言葉を続ける前に、アザミの大きな溜息が会話を遮った。
『つまり、そういう要件なのネ。久しぶりだから失念してたよ。アタシは要らないよ。前にも言ったと思うンだけど』
「でもやっぱり、あの水時計は全部アザミが持ってるべきだと思う」
『作らなきゃいいだろ。私は標本屋であって教会でも葬儀屋でもないンだ』
アザミの反論を、僕は鼻で笑った。
「どのみち死んだ人間を標本にするのはアンタの仕事だろ。なら仕事の予定は分かってたほうが色々楽だろ」
『頼まれるからやってるだけで、死んだ人間の標本を作るのは本業じゃないンだよ』
「どうせみんな依頼するんだから、同じようなものだろ」
『何にせよ、アタシは死期が分かる水時計なんて一個も受け取るつもりは無いンだよ。ああいう薄気味悪いモノは、アンタのコレクションになって飾られてるくらいがちょうどいいナ』
標本に囲まれて暮らしてるやつに薄気味悪いと揶揄されるのは心外だったが、僕が文句を言う前に、電話は切れてしまった。
僕は短く息を吐き、作ったばかりの水時計を、逆さにして棚に並べた。宵闇のような藍に着色された水が、少女の終わりへ向かって、音もなく流れ落ち始めた。
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