第6話

 「死んで、ってどういうこと?」

 僕は彼女に尋ねた。

 彼女は僕を見つめて、

 「私の話を聞いてくれるかな?」

と言った。

 その顔は笑顔だったけれど、月明かりに照らされた顔には少し影がかかっていた。

 「私は君の中の性格なんだ。昔、君には友達が少なくて、一人でよく遊んでいたでしょ。幼稚園の時とか。その時にね、君は私と一緒に遊んでいたんだよ。心の中で会話していたの。」

 そういえば、思い当たる節があるかもしれない。僕は友達と一緒にいることが少なかったはずなのに、常にだれかと話していた記憶がある。

 「その友達がね、私なの。」

 僕は黙って彼女の話を聞く。桜が咲く季節なのに、夜はまだ冷える。指先が赤くなってきた。

 「でもね、君が大きくなるにつれて私のことなんか忘れちゃって、なんか寂しくなって。」

 彼女が手をすり合わせる。彼女も指先が赤い。

 「そしたらね、自分のことが嫌いで、今に不満を抱いている君がいつの間にか出来てて、なんか、嫉妬しちゃったんだよね。あなたが生きてて、なんで私が消えなきゃいけないの、って。」

 彼女の吐息が見えた。気温は想像以上に下がっていたようだ。

 「だからさ、私は考えたの。君の人生、残りは私が生きてやろうって。とても都合がいいでしょ。だって君は、時々死にたい、とか思ってたから。だからね、あの交差点で私は押したの。君の背中を思いっきり押したの。」

 久々に動いたから筋肉痛になっちゃった、と彼女は無邪気に笑う。こんな時でさえ、彼女の一つ一つの仕草が愛おしく感じてしまう。

 「君と私はね、昔から互いを中和しあって生きてたの。何もかも中途半端なのはそのせいかもしれないね。私が著しくできないものを、君はできて、君ができないことを私ができる。なんかとっても理にかなってる。」

 また彼女は笑う。なんか言ってよ、と彼女は僕を肘で突く。危うく桜の木から落ちそうになる。

 僕は学ランのポケットに開封していない使い捨てカイロがあるのを思い出して、おもむろに開けた。シャカシャカと振って彼女の膝に置いた。

 彼女はそれを何にも言わずに両手で握った。

 「そういうところだよ。」

 彼女は真正面を見ながら言った。

 「私はさ、本当は君の身体を奪うために来たの。でもさ、素直に乗っ取ったんじゃつまらないから、君を見てみようって思ったの。それで今に至るんだ。」

 僕は彼女の話を呆然と聞くしかなかった。僕を品定めしていた、と思うと少し寂しい気がしたけれど、僕はなんとなく、彼女に残りの僕を譲ってもいい気がしていた。

 僕よりも彼女のほうが、言葉にうまくできないけれど、いい気がした。

 あ、今自分居なくなってもいいって思ったでしょ、と彼女はまた笑う。

 「けどね、私はやっぱり居ちゃいけない。気付いたんだよね、君は、とっても良い人!気付いてないだけだよ。いい友達にも恵まれて。こんな幸せ者の君の人生を奪っちゃいけないって分かったの。」

 カイロくれる気配りとか、と誇らしげに熱を得たカイロを僕に見せて付け足す。

 「気付いてない…だけ…。」

 身の回りの小さな幸せに気が付かない、ってこういうことなのだろうか。他者から見ると、僕は幸せ者なのだろうか。

 学校に行けば話しかけてくれる、僕の話に笑ってくれる友達がいる。家に帰れば美味しいご飯を作ってくれるお袋がいる。

 「僕は…幸せ者だ…。」

 自然と涙が溢れてきた。僕は、いつも僕のそばにいてくれる人たちを疑い、陰で嘲笑していたのだろうか。それってとっても嫌な奴!!!

 小さな幸せを、当たり前に感じてしまうような幸せを、彼女は僕に気付かせてくれた。

 「ようやく気付いたね。君は幸せ者だよ。しかもさ、自分のこと、少しは肯定できるようになってるよ。」

 彼女は僕に少し近寄って僕の手の甲に手を重ねた。

 カイロを持っていたからか、僕より少し暖かい。自然と頬が赤くなる。

 「私のこと、好きになるっていうのはね、自分のこと好きになってるってことだよ。だって、私は君なんだから。」

 彼女は得意げになって、照れ臭そうに笑う。

 なんだそれ、回りくどい、と言って僕も笑う。

 僕はもう、自然に笑えるようになっている。彼女が僕を温めてくれたかのように、僕の作り笑いという癖は跡形もなく消えていた。

 「あとね、私が背中を押して君は事故にあったけど、本当はあの時、君は自分で横断歩道に飛び込んだんだよ。私が押したのはその後。」

 なんか先越されたのが悔しくなっちゃって押しちゃったー、と笑う。

 「僕が、自分で…。」

 「君は本当は芯が強い人。でも弱気になりやすい人。自分の価値は他人と比べないと分かりにくいかもしれない。けどね、君の価値は私が知ってる。君自身が良く知っているんだよ。」

 僕は彼女の言葉を聞いて、今までの自分を恥じた。本当に、とことん嫌な奴だ。

 「ほら、またー!自分を嫌いになってる!あのね、これから君に必要なのはね、自分のことが嫌い、の一点張りで完結しないこと。嫌いな自分も含めて受け入れることができた時、君はもっと素敵な人になるんだと思う。」

 彼女はそう言って、今も素敵だけどね、付け加えて木から少し身を乗り出す。

 僕は、危ないよ、と言って彼女の制服の袖を握る。

 「本当は君になるためにここに来たけど、私は君にはなれない。そのまま大人しく君の元へ帰るよ。」

 少し寂しそうな横顔に髪が垂れた。

 「僕、

 「私、

 声が被った。そしてそのまま

 「「君に会えてよかった」」

 また一つの星が燃え尽きた。

 僕らはそう言って続きの星空を眺めることにした。

長い時間が経っていたのだろう。違う星座が見えたり、さっき説明してもらった星座が身を大きく乗り出さないと見えないところまで動いたりしていた。

 彼女はさっきまでの話が無かったかのように再び星座の話を始めた。嬉々として語る彼女の話を聞きながら空を眺めていると、膝に冷たい感触を感じた。

 「雪…。」

 彼女が星の話を止めて呟いた。

 いつの間にか僕たちが座っていた桜の木から桜の花は消えていて、代わりに雪が積もり始めていた。

 まるで歯車が逆に回りだしたかのように、季節が戻っている。

 「じゃあ私、そろそろ行くね。」

 彼女は枝から飛び降りた。

 「待って、」

 僕は彼女の後ろ姿に声をかけた。

 彼女は何も言わないし、振り向かなかった。

 けど、

 「ありがとう。」

 と静かに言った。

 その言葉は彼女の耳に届いたのか、彼女は笑った。(ように感じた)

 空を一度見上げて視線を戻すと、彼女はもういなかった。何となく予感はしていたけれど、それが事実となると、何となく寂しかった。

 でも、彼女はずっと生き続ける。僕とともに、生き続けるのだ。

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