第5話
「行ってきます」
あの日僕はいつものように家を出て学校に向かった。
いつもは仕事でいないはずの母がたまたま家にいたから、いつもは食べない朝食を、今日は食べてから家を出た。
白米、味噌汁、卵焼き。そして塩鮭。久しぶりの純和食は美味しかったな、と自分の舌の感覚を思い出しながら歩く。
今日も寒いが、家から学校までは歩いて10分。寒がっている暇も十分に無く、すぐに着いてしまう。
最近の学校に僕は少し生きづらさを感じている。人間関係ほど厄介なものは無い。そして、自分ほど面倒くさいものは無い。
登校時間10分の間に僕の脳内は3次元的に広い空間を創り出す。少し考えすぎていたのか、気づいたら学校の前の交差点まで歩いていた。
道路の向かいにはサッカーボールで遊びながら登校している小学生がいた。僕より一回り弱は年が離れているだろうか。
3人でパスを回しながら楽しそう振舞う彼らに微笑ましさを感じつつも、羨ましさも感じていた。
僕はとことん嫌な奴、とか思いながら彼らのボールを目で追う。すると、赤の歩行者信号にもかかわらず、ボールが横断歩道を渡り始めた。
「あっ。」
という声とともに、黄色い帽子をかぶった、一番小さな少年がボールを追いかけ始めた。
僕の左目の端にはトラックが見えていた。
「危ない!!」
僕は足が棒になって動けない。
他人のことだ。僕が助けに行かなくたって良いではないか。
僕は動かなかった。
はずだった。
僕は誰かに背中を押された。
突き飛ばされて、僕は何かに導かれるように少年の前に立った。そして、少年の背中を平手で精一杯押した。
ドン、という鈍い音が早朝の空に響く。
バキ、という嫌な音も聞こえた。
気付いたら僕は、灰色の空を見上げていた。何となく天を仰いだ右手には、赤い液体がべっとりと付着していた。痛いはずなのに、苦しいはずなのに、僕の胸にはかすかな誇らしさがあった。
何を言っているのかはわからないが、女性の甲高い声が耳に届く。
ドクンドクンという心臓の鼓動を身体全体で感じる。僕は死ぬのだろうか。不思議にもやり残したこと、未練を感じていない。
そんな自分を心の中で笑った。希望を持てよ、生きたいと思えよ、と。
僕が目を閉じる寸前、制服姿の少女が遠くから僕を見つめているのに気が付いた。
彼女は赤いマフラーをなびかせながら、僕の身体を置いて歩き去った。最後に振り返って、意地悪く少し笑った。
それを最後に、僕の意識は暗闇に吸い込まれていった。
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