第2話
僕は驚くほど肝が据わっていて映し出されている映像に対して特に違和感も抱かなかった。不思議なくらいすぐに受容できてしまった。僕は煙のスクリーンが消えぬよう、優しく彼女に声をかけた。
「ねえ、きみはだれ?」
僕は彼女に初めて会ったという感じがしない。昔どこかで会ったような気がしていた。でも実際に面と向かって話した感じはしない。僕と彼女の生きた時間が直接交わった感じがない。
ただスクランブル交差点ですれ違った、とか、どこかの歩道橋ですれ違ったとか、そんな感じ、だ。
彼女は僕の問いには答えない。ただスクリーン越しに見える彼女の背景は空だったからきっと学校の屋上にいるのだろう。フェンスも見えた。学校というのは推測だ。制服だったから。
話していると彼女と僕はよく似ていた。好きな食べ物、好きな漫画、好きなテレビ番組、好きな歌手。自分の名前は答えないのに趣味や身の回りのことはよく話す。
僕は話し続ける彼女の声を一方的に聞いていた。誰だかわからない相手と話す、僕は心に少し突っかかりを感じたが、自分に共感してくれる人がいるのは悪くない。
話している間に空は晴れてきて、湯気は薄くなってきた。彼女は消えてしまう。
「ねえ、連絡先教えてよ。続きが話したい。」
僕は自分から声をかけた。しかし彼女は前髪をいじりながら、
「有限な時間で話して、その時間が無かったかのように儚く消えるほうが素敵でしょ。」
と言って教えてくれなかった。
その代わりに、
「また明日、今度は○○公園の桜の下で。」
と言った。
○○公園は僕のお気に入りの公園だ。ただ単に家の近所にあって小さいころから遊んでいた、というのもあるが、僕はその公園にある一本の大きな桜の木が好きだった。何か考え事をしたいときやただ一人になりたいとき、何かと口実を作ってその木に登っていた。そこから見える景色はただの住宅ばかりだったけれど、僕のいない状態で回る日常を見るのは何となく滑稽で好きだった。
彼女は一言残して、湯気とともにあっけなく消えた。とても不思議な心地がした。
僕は湯気がなくなって冷めたコーヒーを一口含んだ。喉元がひんやりとした。コーヒーが体内をなぞるようにして胃に落ちた。
冷たいはずなのに、僕はとても暖かいと感じていた。
太陽が出てきた。先ほどより高い位置から、うっすらと日差しを注いでいる。
もう授業は始まっている。
僕はさっきの出来事が現実ではないように感じてしまって、僕を現実に引き戻す教室に行くのは嫌だった。夢見心地というか、ぼんやりした気持ちを、自分の中にあと少しの時間だけ取り込んでおきたかった。
僕は1限を図書室でやり過ごして公園に向かった。外はまだ寒く、学ランの黒ときれいな対称をなした赤いマフラーを結び直した。
学ランのポケットに手を突っ込んで足を速める。
いつ食べたかわからない飴玉の袋が指先に当たった。僕はそれをクシャクシャといじりながら冷たい空気をかき分けた。
まだぼぅっとした頭は氷のように刺す空気によって少しずつ現実に引き戻されていった。
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