第5話 怪獣の操り手
それから二週間、怪獣が出ることはなかった。何度か紫苑 レンに尋ねてみたけれど、何もそれらしいことは教えてもらえず、ニコニコと適当なことを言われただけだった。いつもの頻度から考えて、そろそろ出てこないとおかしい。そう考え始めたのは一週間前。しかし、怪獣が現れることなく、もう一週間が経っていた。怪獣が、あれで諦めたとは考えにくい。
「魔女が見られなくて、僕寂しい。」
碧が不満げに言う。
「わかる。すげぇわかる。」
良い理解者になっているのは、橘 大那。レンの友だち。常に明るくて、あまり男女間にも壁を作らないクラスメイトだ。どういうわけか、教室の隅で騒いでいた男の子三人組は、その行動拠点を私の隣、青木 唯月の席に移した。私たちも私の席で集まっていたから、気付けば六人で会話することも多くなった、というわけだ。
「やっぱりピンクこそ至高。僕の元気の源。星香とユイと一緒くらい好き。」
「いやいや、ブルーの方がかっこいいだろ。」
碧も、男の子とは気が合うようで、そんな言い合いをよくやっている。ユイとレンは、穏やかな独特とした雰囲気でその様子を見る。部外者は立ち入れない、兄妹の空気だ。
そういうわけで、私と唯月だけが取り残される。この間に花が咲くような話題はなく、
「怪獣出ないねえ。」
「はやく倒されてほしいけどな。」
といった世間話をするしかない。
「怪獣がいなくなったら、魔女はどうなるんだろうね。」
そんな話題を出してみる。怪獣が負ければ、魔女の存在意義だって無くなるわけで。魔女じゃなくなったら、ブルーとは会えなくなるのかな。
「ピンクに会えないのは寂しいけど。」
唯月もぼそっと言う。そういえば、唯月も魔女のファンって言っていたな。世界の運命がかかっている、なんて知ったら、こんなこと言っていられないけれど。やっぱり、魔女がいなくなることの寂しさもある。
「魔女がいなくなった世界か。考えたことなかったよ。」
碧がそう加わる。そうだねぇ、と紫苑兄妹は肯定とも否定ともとれない相槌を打った。レンのことを、ユイはどこまで知っているんだろう。双子とはいえ、協力関係とは限らないし、ユイの口からそれらしいことを聞いた覚えも無い。でも、ユイもレンと同じように、あまりヒーローに思い入れは無いような印象。よく分からない。
「でもさ、世界がこのまま無くなれば、魔女がいない未来も無いんじゃね。」
大那がブッソウな話を持ち出す。魔女が怪獣に負ければ、あり得る話だけれど。
「ファンタジーみたいな話だね。」
ユイが笑って流す。その笑い方とは、少し異なる感じの笑い方で、大那は自慢げに続けた。
「それが、そうでもないんだよ。」
そう言って、携帯電話を見せる。見慣れたアプリアイコンと、色違いのそれを押した。
地響き。
私は、知っている。これは、怪獣が現れるときの揺れ方。
「この怪獣がさ、魔女を倒したら世界は終わるんだって。そうしたらさ、皆が恐れている未来も来ないと思うんだ。」
大那が楽しそうに、窓の外を見た。その先には、怪獣の姿。いつもと違って、大きな翼が生えていて、足は地面からわずかに浮いている。
「改造するのに時間かかったんだぜ。これなら魔女も倒せるよな。」
教室には、この六人以外、誰もいなかった。皆、いつも通り逃げたから。私たちは逃げられなかった。身体が凍ったみたいに動かない。口も、開くのが精一杯で、舌は回らなかった。
どうしよう。
あの怪獣を倒したい。でも、そうしたら、大那はどうなるの。私は、大那のことを何も知らない。どうして怪獣を出すの。どうして世界を終わらせたいの。全く想像もできない。今、あの怪獣を倒したら、大那を否定することになってしまう。そんなの、良くないよ。何も知らないのに否定するなんて。
「俺は、世界の終わりなんて望んでない。」
唯月が声をあげた。
「いつも通りでいい。怪獣も魔女も存在しない世界に戻したいだけだ。」
ポケットから携帯を取り出す。唯月の指の動きに、心当たりがあった。私がいつも、怪獣が現れた時にやっていることと同じだ。ロックを解除して、例のアプリを立ち上げて。
「いくぜ、せいんとりぃブルー。」
小さな声で呟いたのは、見慣れた晴天色のロリータファッションの少女。
「ブルーちゃん。」
呼ばれた魔女は、一瞬こちらを向いて反応する。しかし、覚悟を決めたように前を向き、窓の向こうへ跳び込んだ。
レンとユイは、驚きもせずに、楽しそうに窓に近づく。
「大那の怪獣、よくできているね。」
「唯月くん、これは1人じゃ無理だろうね。」
他人事のように、そんな実況をする。私と、碧と、大那は、この事実の受け入れ方を迷っていた。
今まで一緒に戦っていたのが唯月だったなんて、全く気が付かなかった。ブルーの正体も女の子だろう、って信じて疑わなかったから。
どうしよう。
私も戦うべきだと分かっている。唯月だけに負担をかけて、これではいつも通りだ。また私だけ、安全なところにいる。嫌だ。でも、身体が動かない。私は大那も、助けられるなら助けたい。勝手に否定するだけなんて嫌だ。
窓を割って、ブルーが外から転がり込む。怪獣に飛ばされて、ここまで飛んできたということだ。
助けられるのは私しかいない。わかっている。わかっているけど、決心が付かなかった。
「どうして、大那は世界を終わらせたいの。」
この答え次第で、私のやるべきことが、きっと変わる。私は大那も助けるんだ。
「だって。」
大那が答える。
「俺は皆が思っているような、出来た人間じゃねぇ。俺にだって、出来ないことも苦手な子とも、嫌いなこともある。まるで何でもできるみたいに全部任されて。俺は辛かったんだよ。何度も死のうと思った。でも、残される人たちのことを考えたら、それもできなかった。皆、俺にありもしないものを期待して、勝手に信じるんだ。裏切るのは恐い。でも、応えようとするのも辛いんだよ。だから全部無くなればいいんだ。皆無くなればいいんだよ。」
心当たりがあった。大那は優しくて、信頼できる。そう思っていた。私は皆のことが好きで、大那も例外じゃなかった。大那の気持ちなんて考えたことなかった。大那が世界を終わらせたいと思ったんじゃない。私たちが、そう思わせたんだ。
じゃあ、私に世界を守る資格があるの?
私に大那を救えるの。無理だよ。私がここまで苦しめたんだよ。そんな資格ない。
「わかったよ。」
碧が言った。
「世界は魔女が守ってくれる。魔女は世界も、大那のことも大好きだよ。絶対に終わらせたりしない。」
そうだよ。大那は大切な友だちだ。私は大那を助けたい。それに、魔女の、魔法少女・どりぃみぃピンクの使命は世界を守ること。赤城 星香の資格なんて関係ない。私はこんな所で立ち止まっている場合じゃなかった。
「ごめん、ブルーちゃん。吹っ切れたよ。」
携帯電話を取り出す。碧は、私の手元を悲しそうに見た。いつからかは分からないけれど、碧はピンクの正体に何となく気付いていたと思う。黙っていたのは、申し訳なく思う。碧は、優しい子で、私の為に無理できる人だから、どうしても確定させたくなかった。巻き込みたくなかったから。
「今日も頑張ろうね。どりぃみぃピンク。」
携帯に映る魔女に、そう呼びかける。
私は、あの怪獣を倒す。大好きな人たちも、この世界も、終わらせたりしない。いつもの日常を取り戻すんだ。
「唯月。さっさと終わらせよう。」
倒れたブルーに手を伸ばして引く。
窓から外に出て、全速力で怪物に近づいた。前回まで無かった怪物の翼は、一度仰ぐだけで強風が吹き、それなりの距離があっても、身体が吹き飛ばされそうになる。
「魔法、ここから届くか。」
ブルーが体勢を低くして聞く。
「ギリギリ。威力は落ちるかも。」
「あの羽を止めたい。」
わかった、と言って、魔法陣を描く。大きな槍と横向きの矢印。
「どりぃみぃ串刺し!」
適当な技名と共に魔法を発動。想像通りの大きな槍は、怪物の左右に生える二枚の翼をまとめて貫く。やった、と思ったのも一瞬。翼は大きく抵抗し、魔法は光の粒子になって消えた。
「もう少し近づけば。」
魔法の威力は、発動する場所との距離も関係する。しかし、体勢を低くして近づくのも限界だった。建物の陰を縫って、風を避ける。
「どうすれば…。」
いつも作戦を考える唯月も、困ったようだった。とにかく、あの翼をどうにかしたい。その考えは同じだった。しかし策が思いつかない。
「星香。」
後方から声。ブルーのものではない。振り向くと、もう一人のロリータファッションの女の子が、森林色の剣を持って走ってきていた。魔法使いは三人いる。そうレンが言っていたのを思い出す。つまり、この子が三人目の魔女。
「今の魔法、もう一度お願い。あの翼は僕がぶった斬る。」
口の悪さに聞き覚えがあった。唯月も察したらしい。
「任せたよ、碧。」
建物の陰を利用しながら前へ進む魔女を信じて、私はもう一度魔法陣を描く。三人目の魔女・グリーンの位置に注意しながら、タイミングを合わせて魔法を発動させる。
「どりぃみぃ串刺し・アゲイン!」
翼が動かなくなった瞬間を、碧は逃さない。グリーンは建物の陰から飛び出し、その剣を翼の根元へ走らせる。嫌な音を出しながら、端から端まで走ると、翼は地面に落ちた。
「あとは、いつも通りの怪獣だな。」
「三人いれば問題ないよね。」
私とブルーも怪獣のもとへ走る。この距離なら、いつもの魔法でも、かなりの威力が出せると思う。
「もう少し後ろからでもいいぞ。」
唯月がいつものように、そう促す。大丈夫だよ、そう言おうと思ったら、その台詞は横取りされた。
「星香は僕が守るから大丈夫。そのために魔女になったんだからね。」
碧が自信ありげに言った。
「僕が尻尾を切り落とす。その隙に、あの技お願い。」
その案を、却下する理由はない。他の案があるわけでも無いし、今の状況なら十分な威力を出せる。まかせて、と唯月と声を合わせて、建物に跳び乗る。まずは低いところから、徐々に高くして、攻撃ができる高さまで。
「いくよ。」
例の魔法陣、低い円柱と矢印を描く。それを見たグリーンは、剣を構えて尻尾へ飛び込む。
「どりぃみぃタライ落とし!!」
今までで一番の至近距離からの攻撃。ブルーも負けない迫力で、下から怪獣を蹴り上げる。若干、怪獣の体が浮いた。尾だけは大きな音をたてて、地面にとどまった。そのまま怪獣は、錆びた鉄みたいにボロボロと崩れ去る。
「勝った…?」
確認するように二人を見た。二人も同じように目を合わせる。
勝った。魔女の勝利。レンの話が本当なら、世界は終わらない。いつもの日常に戻るんだ。
「あとは」
私の言葉に、唯月がつなげる。
「大那だけだ。」
私たちの使命はまだ終わらない。急いで教室に戻る。
「おかえり~」
窓から様子を見ていたユイが、そう迎える。大那の姿は見当たらなかった。
「大那くんは屋上に行ったよ。」
「飛び降りでもする気だろうね。」
窓から上を見上げるレンが続けた。そう聞いてグリーンは飛び跳ねるように、窓枠に足をかける。たしかに、階段を登っている余裕はないかもしれない。私とブルーも同じように、学校の外壁をかけて屋上へ向かった。
「なんだよ。トドメでも刺しにきたのか。」
大那は、屋上の柵の外にいた。淵に腰をかけて、足をぶらぶらさせている。
「違う。私たちは止めに来たの。」
「どうして。」
大那は寂しそうに言った。
「世界はまだ続くんでしょ。俺は、世界を終わらせようとした人間。たくさんの被害も出した。皆と一緒に生きる資格なんて無い。」
大那の目線の先は、瓦礫の山。怪獣が壊した町だ。
「まだ、やり直すチャンスはあるよ。」
そう言いながら、扉から屋上へ出てきたのはレンだった。後ろにはユイもいる。
「神様の力で、怪獣も魔法使いもいなかったことにする。関連する記憶をすべて消すんだ。最初からそのつもりだったから。大那が世界を終わらせようとしたことなんて、みんな忘れる。君自身もね。またいつもの日常に戻るんだ。」
「そういう問題じゃない。」
大那は不満げだ。
「俺は消えたいんだ。誰も悲しませない方法で、俺も消えたい。俺も一緒に消してよ。怪獣や魔女の記憶と一緒に、最初から無かったことにしてよ。」
そうだ。いつもの日常は、大那にとって辛いものなんだよね。私はこの世界が好き。大那がそれだけ説明しても、私はきっと理解できない。でも、大那が日常を嫌っているのは分かった。私には何も言えない。何を言えばいいのか分からない。
「不可能ではないけど。」
レンの言葉に、唯月が口を挟む。
「それは違う。大那のいない世界なんて、俺はそんなものを守るために戦っていたわけじゃない。大那とレンがいて、俺の日常が成立するんだ。」
レンと大那が黙る。親友が欠けたら嫌だ、って、その気持ちは皆が持っているから。唯月の思いも伝わったんだろう。生まれた沈黙を、碧が友達として破る。
「大那。君はまだやり直せる。もしも僕らのこの記憶がなくなったら、もう一度、君のことを教えてほしい。今度は魔女のいない世界で、もう一度友だちになろう。」
怪獣や魔女に関する記憶。きっと、この六人で過ごしたこの時間は、無くなってしまう。せっかく魔女の話題で盛り上がってできた友だちの関係も、ふりだしに戻る。
だから私たちは誓う。もう一度、友だちになろう。
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