グラデーションがあっていい

 何事も0か100かで結論づける人と接すると、しんどい。


 身近なところで言えば、実父がそうだった。

 今でいうごりごりのモラハラ夫でありモラハラファーザーだった父に、十代のわたしが意を決して苦言を呈すると

「あーそうかそうか! ぜーんぶお父さんが悪いのか! はいはい!」

とキレて話にならない。

「全部」とは言ってないよ、と伝えても聞く耳を持たない。少しだけ、一部だけ直してほしかっただけなのに、いつだって叶わずに泣き寝入りした。


 SNSで起こる論戦(あるいはそれ未満の何か)を見ていても、相手を欠陥だらけの単純思考であると印象づけようとするがゆえの0/100論法をとる人は数多く見受けられる。

「与党を批判するなら給付金は受け取らないんですね?」といったものもそれだ。

 誰もがあなたのようにひどく極端な思想の持ち主ではない、と言っても伝わらないだろう。前提としているものが違いすぎる。

「男が嫌いならなんで結婚してるんだよw」とフェミニストに絡む男性もよく見かける。

 巨額の税金を一瞬でごみに変え続けてきた与党を批判すれば、自分の納めてきた税金の一部を還元してもらう権利はないのだろうか。男性から受け続けてきた被害から人権について考え発信するようになった女性は結婚してはいけないのだろうか。否である。

 それはブレでも矛盾でもダブルスタンダードでもないのだ。

 人の思想にも感情にも嗜好にも、グラデーションがある。


 今朝、夫ががっくりと落ち込んでいた。

 購読している某メールマガジンの主催者が、反ワクチン派としての主張を延々と垂れ流してきたそうである。

 何の裏付けもない非科学的な言葉の羅列に、陰謀論。夫はメルマガを解除した。


 どうやらこの世には「行き過ぎたリベラル」の人たちがいるらしい。

 今まではその存在を信じていなかった。政治思想の合う人たちについては概ね近しく感じていた。直接のかかわりはなくとも、不条理を排し、この世を少しでも生きやすく良いものにしたいという共通の願いを持つ同志だと思っていた。

 しかし、「与党のやることすべてにけっして同意しない」と目盛りを0に振り切ってしまう人たちは、与党が推進するワクチンの普及にも徹底して反対するらしい。

 命にかかわることなのに。彼らもワクチンを接種した人々の恩恵を受けているのに。


 嫌いなものの一部を必要に応じて受け入れることは、何も恥ずべきことじゃない。

 好きなものの一部をどうしても受け入れられないことは、何も申し訳ないことじゃない。

 TPOに応じて臨機応変に態度を変えたっていい。グラデーションの中に己を置いていい。人間なのだから。

 芯があるかどうか、筋が通っているかどうかは、いつも見ていればわかるから。


 わたしの作品のすべてを好きと言ってくださる熱心な読者様にも、それは言っておきたい。

 瑕疵もたくさんあるので、それは「すべて」に含めなくても大丈夫。無理しなくていいのです。大好きの手前でいい。

 それでも完璧に好きと言ってくださるのなら、随喜の涙を流してその言葉を宝物にします。

 わたしにも完璧に好きな作品はあり、そういうときは100を超えるので。

 そして、それすらもグラデーションの一部なので。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る