全肯定されたから、生きる

「読み終えてしまうことがこんなにも寂しくて、スクロールする指を止めたくなった本は初めてです」


「不安の絶えない日々で、泣きたくなるような世の中で、毎日戦いながら生きる人達の救いになっていると思います。支えになっていると思います。私もその一人です」


 編集部から転送していただいてわたしの手元に届いた、2通のファンレター。

 近況ノートにも書きましたが、もう全身全霊で感謝を捧げながら読みました。わたしの作品のみならず、わたしという人間の生を全肯定する内容でした。

 全文引用して世界中に自慢したいような、自分と読者様だけの魂のやりとりとして胸の深いところにそっとしまっておきたいような、なんとも複雑で甘美な喜びをもたらしてくれました。

 迷いに迷って、冒頭の文章のみ引用しております。


 あちこちでぽつぽつ書いている気がしますが、わたしは自己肯定感の低い人間です。

 育ってきた環境、というか家族、にその原因のほとんどがあるかもしれません。


 物心ついて、うちの親きょうだい、どうやら普通と違う……と気づいた頃には、歌やダンスや人を笑わせることが大好きだった子ども時代の自分はひっそりと影を潜めていました。

 親からは歳相応の娯楽を遠ざけられ、なのに感謝を要求され、母の日をスルーしただけでねちねちと嫌味を言われました。地雷原を歩くように、両親や姉の機嫌をうかがわなくてはならない日々でした。

 現代の定義でいえばモラハラそのものの父親や、妹をモノのように扱う情緒不安定な姉も大問題ですが、わたしの感性やプライベートに土足で踏み込み、人権を奪ったのは母親でした。

 髪型もなぜかショートカットを強要され、少し伸びたらすぐに美容院に行かされました。これは今思うと虐待だったのかもしれません。

 話題のテレビも漫画も見られず、TVゲームすら持っていないのですから、同級生と話が合うはずもありません。子どもらしい「普通」の生活を送る同級生たちへの羨望や劣等感を募らせてゆきました。

 それでも仲良くしてくれた旧友たちには感謝しかありませんが、「仲良くしてくれた」などとへりくだっている時点でどこか対等ではなかったのかもしれません。


 文章を綴るのも幼い頃から大好きで、オリジナルの物語を綴ってノートを何十冊も消費してきました。

 思春期になると、クリエイター気質のある友達と交換日記ならぬ「交換小説」や「交換漫画」をするようになり、それらはもちろん恋愛要素もふんだんに含んでいました。

 ベッドのマットレスの下にしまいこんでいたそのノートを母は引きずり出し、「こんな恥ずかしい内容! 男と女で好きだの嫌いだの!」と糾弾し、父にも開陳してわたしから呼吸を奪いました。

 そこからわたしは事実上「断筆」してしまうのでした。無邪気に鉛筆を握って創作することが、どうしてもできなくなりました。


 本当は漫画家になりたかった。画材屋に通ってGペンや丸ペンやスクリーントーンを買いそろえ、禁じられていた『りぼん』や『なかよし』をこっそり買って隠しておいたけれど、それも見つけた母は近所中に響く声で怒鳴りました。

 わたしはそこまでされるほどの悪いことをしたのだろうかと、信じられないほど汚い罵声を浴びながら呆然と考えていました。

 本当にただ、年齢相応の少女漫画が好きなだけだったのに。

 大好きなものをを取り上げられ、代わりに押しつけられたのは、子ども用の『漫画でわかる!万葉集』的なものであったり、公文のプリントであったりしました。

 それらをきっかけに短詩系文学にそれなりに詳しくなったり、小5で英検4級をとったりするようにはなりましたが、イラストに関してはいまだに陰影のないのっぺりとした絵しか描くことができません。


 こんなふうにあれこれ禁じ、奪いながら、わたしの作品が美術の先生に気に入られてコンクールに出されたり、職員室入口に飾られたりすると、大げさなくらい喜んですごいすごいと騒ぎたてる母が、本当に嫌でした。

 果実をついばむ野鳥をモチーフにしたその切り絵は、中3のときの作品であるにもかかわらず、今でも実家の玄関に飾られたままです。客人が来るたび自慢するのです、「かいりは幼稚園のときから『絵画教室に通わせてるの?』って言われてた子だからね」と。

 きっと、こっそり漫画を描き続けてある日いきなり漫画家デビューでもしていれば、ほらね教育方針が良かったのよと自分の手柄にしながら歓迎したことは間違いないでしょう。

 そこまで行き着くほどの実力も環境も絶望的になかったけれど。


 大学入学のため上京して一人暮らしを始め、自由を謳歌するようになっても、わたしはどこかで親の言葉に呪縛されていました。

 すなわち、「感謝してるって気持ちが伝わらなければ感謝じゃない!」であったり、「学校ではいい子ぶりっこしてるんだべ!」であったり、「親に対して言う言葉か! ほんとに腹黒い人間だな!」であったり。

 そのような理不尽な言葉の数々が人間関係の構築においてもちらついて、相手の気持ちの裏まで探るようになってしまったり、機嫌を損ねないよう過剰にお礼やお詫びを述べたりするようになっていました。

「なんにも謝ることじゃないよ」と優しい友達に言われてはっとなるのですが、これがなかなか直らない。

 いくつかの恋愛や、職場や趣味の世界での出会いを通して、こんな自分のことをそこまで気に入ってくれる人がいるのかと思うこともあれば、温度感を合わせられなかったせいかひどく恨まれたり、理不尽な扱いを受けることもありました。

 うまくいかないことがあると、ストレスを感じる反面、心のどこかでほっとする自分もいるのでした。

 ほーらね、そんなにうまくいくわけない。あんな素敵な人がわたしなんかを好きになるわけない。まじめに生きてたって絶対損な役回りになるんだ、それが自分の領分なんだ、最初から期待しないでよかった、と。


 自分は元来もっとドライでルーズで楽天的な人間だったのではないのかという思いを持ち始めたのは、SNSというものが社会に浸透してきた頃でした。

 今ほどクリエイティブな活動をしていなかった頃は通知もすべてOFFにしていましたし(現在はリプライとDMのみON)、やりとりに「いいね」する習慣もありませんでした。

 しばしばリアクションするのを忘れ、それとなく返信を催促されたり、「どうして私の投稿だけ見てくれないの?」と謎に迫られたりしました。わたしの投稿を自分宛ての私信だと思ってDMで「返事」を送ってくる人もいました。

 どうしても毎日わたしと「おはよう」「おやすみ」を交わさなければ気のすまない人や(これは大変しんどかった)、ささいなこと──と他人の悩みを過小評価するのは問題ですが、「いいね」が伸びないとかそのようなこと──で「死にたい」と漏らし、悩み続けている人もいました。

 あれ? 寝るときはログオフしてめりはりつけてる自分、そこまで他人を意識せず普通に生きられてるんじゃ?

 っていうか小学校低学年くらいまではこういう性格だったよな? 何ひとつ憂うことなく肩で風きって歩いてたよな?

 他人に気を遣い続けてきた自分が、気を遣われすぎて疲れているのはなぜだ?

 器用に嘘のつけない、誰にでもいい顔することのできないわたしを裏で糾弾する人もいましたが、どうやったって本音と建て前の使い分けは下手くそなままでした。

 しかし、相互贈与的な好意のやりとりにこだわらずに楽しめている自分をどこか好ましく思っていることにも気づいていました。


 姉との再会もアイデンティティの再確認の機会になりました。

 貴重な有休を使って帰省しているわたしを、同じく嫁ぎ先から帰省していた姉は会うたびにこきつかい、また承認欲求の捌け口にしました。

 ひとりの自由な時間に飢えているからと言って、4歳と1歳の男児を突然駅ロータリーの空きスペースでわたしに押しつけ、2時間近くも放置して買い物に行ってしまったり、甥たちの発表会のDVDを強制的に観せられ、途中退席すると激昂して「おまえは!!」と怒鳴りつけるのでした。

 毎年毎年家族写真を大量にコラージュして作られる姉の年賀状には、最大11枚の写真が使われており、あふれるほどの承認欲求を妹であるわたしが受けとめてやらないと彼女は爆発してしまうのでした。

 最後に会ったときの別れ際、わたしは「すべての人があなたのように暑苦しい感情を共有できるわけじゃないしわたしはあなたのアクセサリーでも奴隷でもない、もっとドライでクールにいることを許してほしい」と自分の言葉で伝えました。

 ちゃんと伝わったかわかりませんが、それから連絡はありません。


 もっと全然、自分らしく生きてもいいのではないか?

 誰からも性格や生きかたをジャッジされるいわれはないし、誰の目も気にしなくてもいいのでは?

 もっと自分勝手に生きてていいし、感謝の言葉もシンプルに「ありがとう」だけで伝わるのでは?

 最大の理解者である夫やその仲間たちと出会って風通しのいい関係を築くことができたこともあり、わたしは本来の自分を心の暗がりから呼びだして向き合うことができるようになりました。

 誰かと出かけたときにあれこれ困らないようにとセカンドバッグまでぱんぱんにして持ち歩いていた自分が、ウエストポーチひとつに荷物をまとめて身軽に外出できたときは爽快でした。

 実家とも距離を置き、ようやく本来のわたしらしさが戻ってきて、アイデンティティの統一に成功したように思います。

 そこに至るのに四半世紀もかかってしまったわけですが。


 書籍を2冊も世に送りだした今でも、やっぱり自己肯定感低いなあと痛感することがしばしばあります。

 カクヨムで★が降ってくるたび「え、ちょっ、いいの!?」と毎回驚くし、作品を絶賛されてもどこか我が事として捉えられなかったりもしました。

 自作の宣伝ひとつ打つのにも、「調子のってる」「鼻につく」と思われるんじゃないかと不安が胸をかすめます。


 けれど、さすがにそんなネガティブな思考習慣はもう、おしまいにしようと思います。

 だって、失礼じゃないですか。わたしの作品を良いと言ってくれる、その気持ちを疑うのは、その人のセンスを否定していることになりかねない。わたしを小説家にしてくれた編集者さんたちにもサポートしてくれた夫にも申し訳ない。

 わたしが読書で稲妻に打たれるような経験を重ねてきたのと同様、わたしの作品で人生変わったと言ってくれる人たちの気持ちも本物なのだから。

 最近読んだ小説で「そんなふうに自分の値段を安く見積もるな」という台詞に出会い、はっと胸を突かれました。


 2通の手紙が、背中を押してくれました。

 正直に言えば、編集者さんから「ファンレターが届いていますよ」と連絡を受けたとき、呪いの手紙の間違いじゃないかと一瞬思ってしまったのでした。

 転送していただいて自分の手で便箋をめくったとき、一瞬でもそんなふうに思った自分を深く深く恥じ、涙が止まりませんでした。

 ごめんね。ごめんなさい。こんな不安定で失礼な自分でごめんなさい。

 これほどの熱量でこれほどの言葉をかけてもらえるほど価値ある人間かと、己を疑ってごめんなさい。

 そしてもう、こんなふうに謝るのもやめるね。


 わたしは人間としても小説家としてもまだまだ未熟だけど、もっと軽率に自分を褒めても、ありがたい言葉を額面通り受け取っても、ばちは当たらない。

 海に流した手紙や山へ飛ばした風船が拾われるように、わたしの物語は物流に乗って遠くへ運ばれ、流れ着いたその先で誰かを救っているのかもしれないと、いや実際に救っているのだと、心の底から信じられるようになりました。

 ここには到底書けない困難も背負っているけれど、ぱちんと消えてなくなりたい瞬間もわりかし頻繁に訪れるけれど、生きていていいんだし生きているべきだよね。自分を低く見積もるのは、もうやめます。

 本当に、ありがとう。

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