俗・古い映画のように

「全体のことを考えると、君と組むのは、俺であるべきだと思うからだ」


 山田は、難しい顔をして、そう話した。


「それに、実力不足著しい君が、他の奴と組むのは見過ごせない。リスクが高すぎる。〈芋虫〉は、ただでさえ適応する人間が少ないんだ」


 あんまりな言葉だったが、反論するだけの材料がなかった。このあいだの戦闘で怪我をした事実が、言い訳を封じた。

 くやしいが「そうですね」と、言うしかなかった。


「でも、それなら、わたしは常駐警備部に異動になるんじゃ」


 彼の言い分だと、そうするのが当然のように思える。


「保全部が君の戦闘の様子を判断して〈芋虫〉として、適当であると判断した」


 苦虫をかみつぶしたような表情で、話す。


「マルコ殿も、君は特殊警備部に残るべきだと主張した。〈芋虫〉は数が少ないし、本社から人員増強の連絡もない。戦力として問題がないなら、残らせるべきだと」


「え、じゃあ……」


 山田以外は、実力を認めてくれたのだ。

 予想外の言葉に希望を見出していると、

「とはいえ、理解しろ」と、きつい言葉が飛んだ。


「君の出る幕は、この仕事にない。さっさと転職活動でもなんでもして、会社をやめろ」


「でも、他の人はいいって言っているんじゃ」


「他はな。俺は、そう思わない」と言い、つんと横をむく。考えを崩すつもりはないらしい。


 ナオコは、むっとして、

「仕事はやめません」と、きっぱり告げた。


「保全部が戦力として認めてくれるなら、辞める理由はないです。そりゃあ、今回は、こういうことになりましたけど、正直上野公園の場合は〈異常種〉でしたし……」


「だから安心だ、とでも?」


 ナオコの言が気に食わなかったのか、ぎろりとにらむ。


「今回、君は負傷した。分かっているのか? 一歩間違っていたら死んでいたんだ」


「それは、分かっていますよ」


「いいや、分かっていないな。武器を持って殺し合いをしているんだ。死ぬこともある。日本支社ではまだ出ていないが、よそでは、何人かやられた」


 彼は苛立ちまじりに、頭をかいた。


「なぜ、危険な仕事に執着する必要がある? 君は、ごく普通に育ってきた人間だろう。普通に生きて、普通に死ねばいい」


 氷のように鋭い言葉だった。ただ、その語りぶりは、これまでの冷たさと違う質を持っているように思えた。

 考えてみると、ナオコには戦闘に対する恐怖心がなかった。今回、血を流すはめになり、それでも少しも怖いとは思えない。よくよく改めると、奇妙に感じられる。


「山田さんは、戦うのが怖いですか?」と、おもむろにたずねる。


「なに?」


「わたし、あまり怖くないみたいなんです」


 それよりも、怖いものがあるのだ。

 あのときの恐怖が、克明によみがえる。左足を貫いた痛覚より、手の温かさが痛い。


――――役立たずだからだ。


 空き缶のように、投げ出された言葉。何回もくりかえされて、心に棲みつく。それでも、どうにか、その場所にしがみついていたかった。


「それよりも、不必要になるのが怖い、というか……」


 ぼそぼそと話しながら、実感する。誰からも必要とされなくなることが、最も恐ろしい。HRAは、ようやく見つけた居場所だ。それを手放すのは、死ぬくらい辛い気がした。だから、戦うのも怖くない。


「命を懸けて、なんてかっこいい感じじゃないのは、分かっているんです……すみません、こんな理由で戦って」


 ナオコは、うつむいた。顔をみなくとも、彼が激怒するのは目に見えていた。

 予想通り「馬鹿にしているのか?」と、聞こえた。


「馬鹿になんて」と、小さく返す。

 聞いているのかいないのか「頭をあげろ」と、命令される。


 しかし、重石を乗せられたように、頭が上がらなかった。顔をあげたら、また否定されてしまう。彼が、なによりも怖かった。


 あごの下に、骨ばった親指がすべりこむ。強制的に、あごを上げられる。激情に燃える目と、出会う。ぎらついて、怒りが火になって見える気がした。


「ごめんなさい」


 謝罪は怯えきった声で、すべりおちた。


「ほんとうに、ごめんなさい」


 山田は、目を見開いた。なにかを言いかけ、やめた。唇を噛みしめて、手を離す。そっぽを向く。


「どうして」


 山田は、真っ黒な液晶テレビとDVDの数々に、さっと目を走らせ、つぶやいた。


「君は、満たされてきたんじゃないのか」


 ナオコは、いたたまれなくて、また顔をふせた。

 山田の背景を、想像したのだ。彼は、だいぶ昔から〈芋虫〉として仕事をしてきたらしい。おそらく、その青春は、平穏な生活とかけ離れていたのだろう。

 映画館に一度しか訪れたことのない人生を、ナオコは経験したことがない。

 だから、彼の言葉に応えられなかった。


 謝罪も共感も、意味がない。そう分かっている。


 彼は、しばらく座りこんでいた。そして、やおら立ち上がり、

「復帰は来週だそうだ。また、保全部から連絡があるだろう」と、よそを向いて告げる。玄関へと足をむけ、歩き去っていく。

 そこで、ハッとした。


「待ってください」と、慌てて声をかける。


 足を止めないのを見て、急いでソファの背から、身を乗りだす。足がうまく動かない。無様に床に落ちた。

 その衝撃音に、山田がふりかえる。床にひっくりかえっているナオコをみとめ、呆れ顔をした。


「あのっ、言わなきゃいけないことがあって」


 ばたばたと上体を起こし、口をひらく。


「……なんだ」


「ありがとうございました。助けてくれて」


 ぺこりと頭をさげる。


「腕も、怪我させちゃうくらい噛んじゃって、ごめんなさい。でも、山田さんのおかげで助かったから、お礼を言わなくちゃいけないと思っていたので……えっと、それだけです」


 一気にまくしたて、おそるおそる表情を伺う。いまさら礼なんて、と思われても仕方がない。ただ、礼儀として言いたかったのだ。

 彼は、眉をよせて、深々とため息をついた。


「きみは」


「は、はい」


 また叱られる、と思い、肩をすぼめる。


「よく育ったよ、本当に」


「はい?」


 ぽかんとする。育った、とはなんの話だろう。

 すると、山田は、ふと笑んだ。目が細くなる。どうしようもないものを見るように、ほほえむだけ。


 ――――ああ、この人もこういう顔をするんだなあ。


 はじめて、彼が二十八歳の青年である事実がに落ちる。

 山田はきびすを返し、部屋を出ていった。ぱたん、と玄関扉がしまる音がした。


 胸の奥が、規則的に鳴っている。よろけながら立ちあがり、ソファに座りなおす。

 テレビ画面に、黒いぼさぼさ頭がうつっている。ぼんやりと自分の顔面をながめて、思いあたった。

 由紀恵が述べていた「危険な男はモテる」とは、こういった意味だったのだ。ようやく納得がいって、ひとりうなずく。いわゆるギャップ萌えというやつだ。

 

 がん、と強打した音が鳴った。ナオコの頭は、机と仲良くなっていた。少しでもそういう気になりかけた自分の脳みそを、一刻も早く正したかった。


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