続・古い映画のように
扉の向こうに、予想外の人物が立っていた。
ナオコは、瞬時に扉をしめた。しかし、玄関のなかに足が突っ込まれ、締めだしが阻止される。ばん、と音をたてて、再び扉がひらく。
「ずいぶんな対応だ」
顔をしかめているのは、山田だった。白いシャツにジーンズを履いており、普段とは雰囲気がちがう。
「な、なんで」
口をぱくぱくさせて、ハッとする。思わず体を触る。部屋着のスウェットだ。宅配便のおじさんだからいいか、と思って、髪も整えていない。
「幽霊でも目撃したような顔をする、ということは、このカメラは、お飾りというわけだな」
彼は、扉のほうに、目をちらりとやった。たしかにインターフォンには、カメラが付いている。
「それとも、見忘れただけか? どうせ宅配便だとでも思って、気を抜いていたんだろう……一応言っておくが、チェーンはつけろ。仮に襲われても、警察に電話をする時間くらいはかせげる」
べらべらと話してから、じろりとナオコを見下す。
「ちゃんと相手は確認しろ」と、母親のような叱責をつけ加える。
「なんで山田さんに、そんなこと言われなくちゃいけないんですか……」
苦しまぎれに、そう返す。彼は、肩をすくめて、
「なんだ、あげてくれないのか?」と言いのけた。
後ろをふりかえって、唇を曲げる。そういえな、先ほど、彼に礼を言わなければいけない、と思ったばかりだった。不本意だが、あげないわけにもいかない。
「ちょっと待っていてくださいね」
部屋の片づけをしようと、廊下にひき返す。しかし、山田はしらっとした顔で靴を脱ぐと「邪魔する」とだけ言って、勝手にあがった。
「ちょ、待ってくださいってば!」
「片づけなんてしなくていい。一人暮らしの女性の部屋なんて、たかが知れている」
彼は、さっさとリビングに入っていく。ためいきをつきながら、後を追う。床にDVDセットの空き箱が落ちていた。不精を恥ずかしく思って、あわてて拾おうとすると、横からひっさらわれた。
山田は、じろじろと空き箱を眺めて、それから部屋全体に目を走らせた。
「映画漬けだな……うんざりするほど」
頬に熱がやどるのを感じる。自覚はあるのだ。
彼女の住まいは、HRAが借りているワンルームマンションの一室である。リビングと寝室は分かれており、独り暮らしにしては広々として、居心地の良い家だ。
その半分くらいが、映画関連の物で埋まっている。液晶テレビの左右に大きな棚が設置されており、DVDがずらりと並べてある。テレビの前には、ローテーブルとカウチソファ。しかも、先刻までの怠惰が、ぐしゃぐしゃの毛布として表れている。
壁の至るところに、お気に入りの作品のポスターが貼られている。キッチン横のカレンダーには、映画の公開日がチェックしてある始末だ。
「なんと言えばいいのか……」
「なにも言わなくていいです!」
彼女は、顔を真っ赤にして、わざとらしく咳払いをした。
「ここ、座ってください。お茶いれてきますから」
足早にキッチンへ向かおうとする。しかし、
「いらない。座れ」と、断られてしまった。当人は、ソファにさっさと座り、足を組んだ。
しぶしぶ指示に従う。普段は一人で座っているので、妙に彼が近く感じて、落ちつかない。ひざの上に手をおいて、山田をちらりと見る。
私服姿は、初めて見た。そもそもプライベートな時間に会うことも、初めてだ。なぜだか知らない人間が横に居るような気がして、よけいに緊張する。
「『グリーン・マイル』」
「え?」
山田は、DVDのパッケージを手にとり、まじまじと眺めていた。
「聞いたことがあるな……有名なやつか?」
まごつきながら「そうですね」と、かえす。
「トム・ハンクスが主演なので、それなりに……」
「どういう話なんだ」
なぜ、そんな話題をふるのだろう。ナオコは、困惑しながら話しはじめた。
「神様から人の命を救う力をさずかった死刑囚と、その看守の話です。設定はファンタジーですけど、話自体はヒューマンドラマですね。……もともとは小説なんですけど、無駄のない展開と心理描写の巧みさ、キャスティングが素晴しいので、映画化に成功した作品の一つだと思います。まあ、わたしは小説のほうは読んだことないんですけど、でも映画も」
口を慌てて閉じる。山田が、こちらをじいっと見つめている。嫌な汗がつたう。あきらかに話しすぎだ。趣味の話となると、
「これが、一番好きなのか?」
彼の視線が、DVDのパッケージに移る。
「まあ、そうですね。一番完璧だなあと思う作品のひとつです」
「ほう」
彼は、特にコメントすることもなく、次々とパッケージを手にとり、物めずらしそうに見た。
「……映画とか観ないんですか?」
気まずさが先立ち、思わず、そうたずねる。
「まったく観ないな」
「映画館も……」
「ない。いや、一回だけあるか。アメリカで、高校生のときに無理やり連れていかれた」
「そ、そうなんですか」
想像もつかない世界だった。彼女自身は、月に二回は映画館へと足を向ける。
「逆に、そのときはなにを観たんですか?」
その一度きりが気になって、たずねてみる。
すると「たしか」と、記憶をたどるように話しだす。
「あれだ、美術館で『モナ・リザ』の謎を解くとかいう……」
「『ダ・ヴィンチ・コード』ですか?」と、驚く。
たしか、あの作品の公開は、自分が中学生のときである。そのときに高校生だったならば、さほど年が離れていないはずだ。
「え、山田さんっていくつでしたっけ?」
「二十八。多分な」
「たぶん?」
首をかしげると、
「生まれた時期に確証がないからな。おそらく、それくらいだろう」と、説明される。
ナオコは、この間とは、異なる意味でショックを受けていた。てっきり三十才は越しているだろう、と考えていたのだ。
山田は、パッケージを机上に戻した。
「で、どうなんだ?」と、端的にたずねる。
「なにがですか?」
「足」片眉をつりあげ、指で左足をさし示す。
「ああ、ぜんぜん大丈夫です」
スウェットのすそを、持ちあげる。まだ包帯が巻かれているが、立ったり歩いたりする分には問題ない。
「そうか」
会話が続くことを期待して、沈黙にたえる。しかし、彼が口をひらく様子はない。
しかたがないので「山田さんこそ」と、話しかける。
「腕、大丈夫でしたか? 痛くありません?」
山田は、虚をつかれたように、目を丸くした。
「腕?」
「怪我したときに、噛んだから」
そこまで説明して、やっと思いだしたのか「ああ」と、おかしそうに相好をくずした。左腕の袖をめくり「ほら」と、見せる。
「うわっ」
規則正しくついた歯型が、黒ずんだ跡になっている。
「痛くはないが、これのせいで二回も逃げられた」
「逃げられた?」
「そういう趣味には、ついていけないと言われた」
「ああ、なるほど……」
いたって真面目に言うので、逆に呆れてしまった。女遊びの話だろう。
なぜ世の女性たちは、こんな男にほいほいとついていくのだろう、と思う。ただ、由紀恵いわく「ちょっと危険な男は、いつの時代もモテる」らしい。
「それは、わたしのせいで申し訳ないですね」と、心をこめずに言う。
「まったくだ」と返されるが、彼自身は一ミリも残念そうではない。それがまた、女慣れしている者の余裕にみえて、なんとなく腹立たしかった。
「君が言うことを聞かないせいで、マルコ殿には、こってり絞られるし、もう三週間も謹慎をうけている。慰謝料をとりたいくらいだな」
「え?」
耳を疑った。
「謹慎、ですか?」
「異常種が現れたさいには、保全部にたいする連絡義務が発生する。それを怠った、ということで、謹慎だ。君はケガで仕事に出られないし、おとなしく骨でもかじっていろと」
なんてことなさそうに話す。ナオコは、ぽかんとしてしまった。
「……わたし、まだ山田さんのバディなんですか?」
「そうだが」なにを当たりまえのことを、と言わんばかりに、呆れ顔をする。
「だから、わざわざ様子を見にきたんだろう。マルコ殿が、相棒なら一度くらい様子を見に行けと、うるさかったからな」
「でも、山田さんは、わたしがバディだと嫌でしょう……?」思わず口がすべった。
「ああ、嫌だな」
ばっさり、と言いきる。心に刺さったナイフの上から、さらにパンチを当てるかのような言いぐさだ。ちら、と山田がこちらを向いて、舌打ちした。
「なぜ、そういう顔をする」
「だって」ナオコは、肩を落とした。
「当たりまえだろう? 君は本当に役にたたない。手を出すな、と言っているのに手を出すし、あげくに、一歩間違えば後遺症が残りかねないケガをする」
淡々とした批難に、心がちくちくと痛む。
「……そんなにわたしが嫌なら、なんで無理やり組むんですか。マルコさんだって、どうしても嫌なら、別の人と組みなおさせてくれるでしょう?」と、しょげる。
マルコは、相棒同士の絆を大切にしろ、と言っている。しかし、ここまで嫌われたとなると、信頼を築くのは難しい気がした。
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